第15話 西行、陸奥へ旅立つこと

 師弟は甘縄の道を、北へ戻った。


 途中、見ず知らずの幼子が木の枝を握り、土の上に大きく絵を描いていた。


「なんの絵じゃ」

 西行がのぞきこんで尋ねると、わらわは元気そのものに、「ねこまっ」と答えた。

ねこまが好きか。よし、これをやろう」


 有常はアッと驚いた。

 西行が純銀の猫を取り出し、躊躇ためらいもなく童に与えたからである。

 宝物の価値もしらぬまま、童は銀の猫を胸に抱き、喜んで駆け去っていった。


「御師さまッ、あれは二品様からいただいた大切な宝物ではないですかッ」


 すると西行は手のひらを大きく開き、有常の言葉を制した。

「わしは自分の心の、かろやかな閃きに従ったまでのこと。有常よ、ちいさな俗事にこだわらぬがよい。大きく生きよ。これが私からの最後の教えだ」

 言うや、西行は声をあげ、快笑した。



 ふたりがともに歩いたのは、ほんのしばらくの間であった。

 別れの間際、西行と有常は、しっかりと互いの肩を抱きあった。

 短いあいだであったが、生まれた絆は確かに深かった。

 今やふたりは心通いあった師弟であり、親子のようでもあった。

 どっと万感の思いが押し寄せて、またしてもふたりの目のふちを濡らした。

 その目元を見せまいと、西行は大きな笑顔をつくってみせた。

「やれやれ、これでみおに怒られずに済みそうだ。あっはっはっ」

 言って、背をむけた。


 一歩、また一歩……さらに一歩、はるかに湧き立つ雲の峰のかなたへ遠ざかっていく老師の姿を心に焼きつけようと、有常はいつまでも見送りつづけた。


 丘のむこうにその偉大な姿が溶け込んでしまうと、あふれんばかりの思いをこめて、深々と腰を折り、頭をさげた。





 倒木に腰かけて、ぼんやりしていたみおの背中を、木の葉でカサコソとくすぐる者がある。


 驚いてふり返れば、はにかむような顔をして、そこに有常が立っていた。

 薄墨色の僧衣ではなく、いつもの小袖姿で、烏帽子の懸緒かけおあごわえている。


 差し出された多羅葉の葉を見れば、

(ごめん)

と、書かれてあった。


 ぷい、とみおはそっぽをむいた。

「読めない」

「……じゃ、読むよ」

「聞こえない」

 さっと、みおは耳をふさいだ。

 ……それで、わざと読めないふりをしたことが、有常にばれてしまった。


 有常は微笑んだ。

「みおは本当にすごいな。こんな短いあいだに、かなを覚えてしまうなんて。西行師匠も喜ぶと思うよ」

 そう言って有常がのぞきこむと、みおの頬がすこしゆるんだ。

 けれども唇をきゅっと結んで、なんとか怒り顔を保とうとしている。

 その様子が、なんともいじましかった。


「みおからもらった『つき』の葉っぱ、ちゃんと大事にしまってあるよ……」


 みおはだんまりをやめて、唐突に尋ねた。

「お坊さになるの?」

「それはとりやめになったんだ」

 有常は恥ずかしそうに、自分のつるつるしたひたいを手のひらでなでた。

「いつかふたりで、一緒に月を見たい。ダメかな?」


 少女はようやくのこと有常を見て、ごめん、と書かれた多羅葉を受け取った。

 待ち切れぬ思いでその手を引き寄せると、有常はみおの体を力いっぱい抱きしめた。

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