第13話 西行、甘縄の道をゆくこと

 ――翌日、正午ごろ、西行は御所を後にした。


 頼朝は何度も引きとめたが、老僧はその都度、「旅を急ぐので」と辞退した。


「ならば」と、頼朝は土産みやげを持たせた。

 それは手のひらに納まるほどの、高価な純銀製の猫であった。


「鎌倉の海が見たい。甘縄あまなわの道をゆこう」

「はい」

 道の両側には立派な御家人屋敷が建ち並び、水路が走り、松並木を吹き抜ける風が、かすかに潮の匂いをふくんで、かぐわしい。

 頭上では海鳥たちが、かまびすしく鳴き交わしている。

 ふたりは佐介さすけ川にかかる木橋を渡った。


 すぐ前を乗馬の武者が行きすぎた時、西行がおもむろに言った。

「西有、そなた、馬の呼吸を測っておるぞ」


 かれは驚いて、老師の顔をまじまじと見つめた。

「気づきませんでした。無心のうちです」

 恥じ入るようにうつむいた弟子に、「気にするな」と、老師はひと声かけて微笑んだ。



 甘縄神明宮に参拝して後、ふたりは稲瀬川の屋敷を訪ねた。

「懐かしい……」


 老僧が屋根の上を見あげていると、「西行殿ですね」と声をかけたのは、あざやかなくれない袿袴うちきはかまの、うら若い御前であった。

 頭に布を被いて、日の光に顔をさらしている。


 西行は目をしばたかせ、やがて心づいた。

「平太殿の……」

「はい。娘です。父から仰せつかりまして、この屋敷でお待ち申しあげておりました」

「お父上に、よく似てらっしゃる。……いや、実をいえば、私は真っ先に星月夜の御方を思い浮かべたのです。おもかげがどことなく……」

「ふふ、一族ですから。……それとも毎晩、同じ鎌倉の星空を見あげているからかしら……」

 甘縄姫は静かに微笑んで、西行たちをその場所に案内した。


 昼なお暗き森のなかに、いくつかの石積みの五輪塔が建ち並んでいた。

 そのなかのひとつが、星月夜の御方の墓標であった。


 西行はおいのなかから、手のひらに乗るほどの小箱を取り出し、甘縄姫と西有に開いて見せた。

 綿を敷きつめたなかに、ひとかけらの白茶けた薄片が納まっている。

「西住殿の、遺骨です」


 甘縄姫はハッと息をのみこみ、「ありがとうございます」と、わがことのように深く頭をさげた。 そして涙まじりの、ふるえる声で言った。

「西住殿……ようやく鎌倉にお帰りになられたのですね。星月夜の御方も、さぞやお喜びになられるでしょう……」


 西行は厳粛なおももちでうなずくと、苔むした五輪塔の基部を掘り、そこに小箱を納めた。

 合掌し、目をつむり、静かに経文を唱えはじめた。

 かれの心には、ともに萱葺かやぶき屋根に登ったあの日のことが、ありありと甦っていた。


(星月夜の御方も、そしてわが友、西住法師も、もはやいない……)


 切なく胸をしめつける感傷をふりきるようにして、西行は力強く数珠を握りしめた。


(いや、『西』におられる)





※ 佐介川にかかる木橋 …… 現在は、佐助川の裁許橋。別名、西行橋と呼ばれる。

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