第二章  一の射手 (いちのしゃしゅ)

第11話 西行、御所に招かれること

第三部  救 済 編


第二章  一 の 射 手




   一



 八月はづき十五日――頼朝は若宮八幡宮に参詣した。


 近侍した景義はしおを見計らい、頼朝に耳打ちした。

二品にほん様。鳥居のあたりに見慣れぬ老僧が参っております。この景義の記憶違いでなければ、都の高名な僧のように見えますが、はてさて、名をお尋ねになられた方がよろしいでしょう」


 警備の御家人に命じ、頼朝は老僧の名を尋ねさせた。

 西行――世に有名な歌人の名を耳にするや、頼朝は喜んで老僧を御所に招いた。


 西行の背後には影のようにひっそりと、ひとりの弟子がつき従っていたが、誰もこれに気を止めるものはいなかった。

 ましてやそれが、今は亡き波多野義常の子だとは気づきようもない。





 その夜、御所の西対のひさしへ、頼朝は西行を招き入れた。


 廂にまで西行を入れたのは、貴賓としてもてなすための心くばりであった。

 頼朝は一段高い母屋もやに、畳を敷いて座っている。


 会談はあたりさわりのない四方山よもやま話にはじまり、京の話、道中の話、そのうちに当然、話題は歌道のことに及んだ。

 頼朝も、たまには歌をひねることもある。

 興味津々尋ねると、西行は笑って答えた。


「私の歌なぞ、取り立てて何ということもございません。花鳥風月にめぐり会う。すると心が動かされ、わずか三十一ばかりの文字が自然勝手に閃くのです。……そんな具合ですので、私はまったく歌の奥旨など知らないのです。歌については、あれやこれやとお教えできることはございませぬよ」


 とりつくしまもなかった。

 頼朝はなごやかに微笑して、さらりと話を変えた。


「世に伝え聞くところによると、貴僧はもともとは鳥羽院北面に仕える武者であらせられたとのこと。御家おいえに伝わる弓馬術のことなど、興味があります。どうかお聞かせ願いたい」


 無粋ぶすいと感じてか、これも西行は気乗りせぬ顔になり、そらとぼけたように答えた。


「弓馬の事は家伝の技ゆえ、在俗の頃には励みもいたしました。しかしご存知でしょうが、弓馬の術によって、鳥獣を害し、あるいは人を害すことは、仏道では罪になります。それゆえ二十三で遁世とんせいいたしました折、わが家に伝わる秀郷ひでさと流相伝の兵法書をすべて焼き捨てましてな。武芸のことは心の底からすっかり拭い去り、忘れ果てました」


「まあ、そうおっしゃらず」

 と頼朝は、今度は簡単には引かなかった。

「頭の隅にでも残っている、わずかばかりのことでよいのです。宮中の礼式のこと、流鏑馬やぶさめのことなど、語ってはくださりませぬか……」

「ハッハッハ、今申しあげたとおりでございますよ」

 進んで話そうというそぶりもない。


 頼朝は、しばしのあいだ沈思した。

「……どうも私のこころばたらきが足りなかったようです。今宵は、中秋の名月。この座ではお互いに、せっかくの月を拝むことができません。孫廂まごびさしに座を移しましょう」


 吹き放ちの孫廂に、ふたり分の席を設けさせると、頼朝は母屋からくだり、西行と連れ立って月光のもとに身をさらした。


 わずかな微風をうけ、前栽の池にはさざ波が立ち、ひたひたと心地よさげに押し寄せてくる。

 雅楽の調べを奏でるように、秋の虫たちが四方からさまざまな音色をふるわせる。

 夜にねむる芙蓉ふようの花、白く目醒める槿むくげの花。

 高々と天を押し広げる中秋の名月が、麗しき庭園のありさまを煌々と浮かびあがらせていた。


 同じ月光に照らされた西行の顔を見つめ、頼朝は微笑んだ。

「これでよい。互いの顔がよく見えます」

「まさしく」

 と、西行もうなずいた。

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