第13話 魔女裁判

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 十月三十日、後述。


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 十月三十一日、夕暮れ16時、放課後。


 学級会議は、放課後の時間に執り行われた。

 しかし、これと言って目新しい発見もなく。

 阿武隈学級委員長も、自身の不甲斐なさに消沈して楚々と自身の机で頭を抱えている。


(……)

 

 静寂という雑音を生み出さないため、殊勝にもカチカチとペンを回し空間の余白を埋める五十鈴。

 大和の机の上に学級日誌が置かれている。記述内容は今日の時間割、あと天気と温度、それだけ。

 晴。

 21度。

 私はこの教室でただ一人立ち上がり、机、机、机の中央を二本足で歩く。


(……)


 アリスは机に突っ伏している。様子を見るに狸寝入りではなく、本当に眠っているようだ。

 よかった。夜更かしをさせた甲斐があった。

 授業はちゃんと受けていた。私の目があるのだから、当然だ。

 昼休憩時も外へと連れ出した。私の誘いだ。断るはずがない。

 だから、この時間に瞼が重くなったのは条理である。


(……)


 人間になって。飯を食って、登校し、授業を受け、会話を弾ませ、学校イベントに想いを馳せる。

 人間になって、わりと気分は悪くなかった。

 樹木の幹に芽吹く緑葉が前髪を擦るとき、なんとなし、背丈の高い人間であることを自覚して。そうしたら、言葉を介して人に共感する気持ちよさを実感した。どうやら、私は人間に向いているようだった。

 いつの日か、私は人生相談になど断固乗らないと豪語した。

 しかし、今の私は人を選べるならばしてやっていい気分だ。

 意志薄弱も極まれば臨機応変である。

 私は、それができてしまう猫だった。


「……ん?山田さん、どうしたの?」


 教壇に立つ。私の奇妙な行為に、眠りこける一人を除く全生徒の視線が注がれる。

 私はとても普通で、ノーマルで、どこにでもいる人間を理解できすぎてしまった。

 “だから”、そろそろお開きだ。

 “だから”、今日、人間を辞める。


「……え?」


 制服はパッと舞い、年季の入った教壇に落ちる。

 どこからとなく声にもならない疑問符が溢れる。

 当たり前の反応だ、と、自分事ながら思う。

 クラスメイトが、黒猫に変身したのだから。

 ざわつく教室の真ん前で猫が教壇机に鎮座する光景が出来上がる。薬の効果がうまく切れてくれてよかった。量を我流で調整したものだから、うまくいくとは思わなかった。まぁ、うまくいかなきゃ、明日も同じようにすればいいだけなのだが。


「……こんにちわ。突然のことでびっくりされているかとは思いますが、みなさんも好き勝手に魔女裁判などという蛮行を負の歴史も顧みず繰り返されているのです。魔女のお供の定番どころの黒猫が登場したって、それすなわちあって然るべきことと理解し、各々勝手に腑に落とし込んでおいてください」 


 予想に反し、叫び出す生徒はいなかった。

 いや、ただ唖然としているだけだろうか。

 しかし、だったら、その都合のいい状況をうまく使わない手はない。


「……自己紹介とか、特に要りませんかね。山田テレスです。ご存知の通り、どこにでもいる人間に化けた黒猫です」


 壊れていく日常を肌身で感じながら、妙に眩しい夕焼けに目を眇めながら。

 私は前クラスメイトのみなさんの前で、「時間も惜しいので、」と前置きし、宣言する。

 

「……さて、みなさん、魔女裁判の時間です。始めましょうか」

 

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 ふと思ったのが、この行動が私の意志かどうか。

 行動の決断を下す過程において内的要因ないし外的要因に関わらず、梵鐘がひとりでに鳴ることがないように、誰だって懐に撞木を携えているものだ。それは細く険しい悪路に活路を見出すが如く強く逞しい意志かもしれないし、環境などの事由により消極的選択を強いられるものなのかもしれない。換言すれば、やりたいようにやっている奴もいれば、やりたくないけど仕方がなくやっている奴もいる。

 とうの私は、そうだな、笑ってしまいたくなるほどにやりたくないと思ってしまっている。

 これは意志ではない。

 これは責任だ。

 これが、私という猫の生をまっとうする哲学だ。


「……さきに言っておきますが、東郷先生は来られません。来ないよう伝えましたから」


 もちろん、そのままに伝えたわけではない。ただひとこと、「人生相談をする」と言っただけ。

 これでもう彼は来ない。否、来ることができないだろう。

 これはきっと、彼にとっての煮湯のようなワードだから。


「……犯人探しの前に、一つ一つのトリックを紐解いていきましょう。考えてみれば、どれもチープでお粗末が多いイタズラばかりです」


 一つ一つと言った手前、何から始めていくかとかは決めていない。ノープランだ。

 だから、順々に進めていくといいだろうか。

 しかし、すると、私が思うに不具合が出る。

 まぁ、大した問題ではないのだが。

 結論さえ持って来れれば、それでよかったりもする。


「……あの、や、山田氏?」


「……何かな、阿武隈さん」


「……山田氏。なぜ、今、貴方は正体を表そうとしたのか。そこにどういった含意が隠れているのか。目的は。いろいろと釈然としないところはありますし、目の前の現実をまじまじと受け入れられたわけではないです。ただ、私は腹の探り合いは不得手ですし、ただ生産性のない腹芸を見せられるのも無意味であると唾棄すべきだと思っています」


「……」


「……ですので、会議の進行は私が執り行います。我ながら器量が備わっているとは思えませんし、信用できないというのであれば、決を取ってもらって構いません。それでも、私は、この会議をみすみす“貴方のショー“にはさせたくない。させてはならない。そんな予感がします。……いかがですか」


 かつてのクラスの独裁者は、あまりに楚々として民主主義と司法の牙城を堅守する姿勢を見せる。

 知らず知らず、私は阿武隈という少女をみくびっていた。

 彼女は直感ではあるものの、私の作為を見破ろうとしている。

 そういう子じゃないと思っていた。もっと他人に無関心だと。

 これは成長というものなのだろうか。

 知らないところで、知らないうちに。

 あぁ、そうか。

 そういうものか。

 

「……どうぞ、お好きに」


「……では、コホン。まず此度の騒動の第一事件と目される化学室の人体模型コスプレ事件、これはどういうことでああなったのでしょうか。コスプレ衣装を着せるだけなら誰にだって犯行は可能です。しかし、あの日の化学室は部員曰く密室です。鍵の管理もされています。山田氏、どうお考えですか?」


「……あんなもの、密室と呼ぶのもの烏滸がましい、お粗末なものです。犯人は堂々と職員室から化学室の鍵を受け取り、化学室の扉の鍵を開け、犯行に及び、再度職員室へ戻した。それだけです」


「それだけって。……それだと噛み合いませんよ、山田氏。化学部員の皆さんによれば、夏休み期間、先生方は化学部員の皆さんを除く誰にも鍵を取りにきていないとおっしゃっています。山田氏は化学部員の皆さんが嘘を並べていると言いたいのですか?」


「……失敬。お粗末と言うべきは、ここの金庫管理の方法も、と言うべきでしょう。簡単です。他にかけてあるシリンダー錠を、歯抜けになった化学部のスペースにずらせばいい。例えば一年の教室に入りたいです、なんて言って金庫を開ければ済む。なんだったら、合鍵でも作ればいい。問題は、シリンダー錠なんて似たような形状が多々ある鍵なんて、いくらでもとっかえが可能という点です。管理金庫も腰ほどの高さもありません。多少の小細工など、体で見えないようにしてやれば気付かれませんし、見分けのしづらいシリンダー錠の入れ替えなんて杜撰な管理体制の先生方が定期チェックで気付けるとは思えません」


「……でも、それは、、、」


「……しかし、それでは、あまりにチープなトリックです。でも、それでいいのです。“解かれることが、この事件の本懐“なのですから」


「……解かれることが、本懐?」


 それに、言っちゃなんだが、このトリックは別に“正解でなくともいい”のだ。

 問題は、この会議で大衆側の人間にこれが“正解であるように見えれば”いい。

 なんたって、これは“魔女裁判”なのだから。

 

「……んん。では、次。教室の落書き騒動と東郷先生の指揮棒騒動はトリックなしでいいでしょう。その次、園芸部での騒動。屋上の鍵はさきのトリックが利用されたとして、鍋はどう説明するのですか。あれは園芸部の備品ではないとのことです。だとすると、おそらく家庭科室の備品でしょうが、聞くに大きく男子が二人がかりでようやく持ち上げられるものをいつ、どうやって持ち運んだと言うのですか。園芸部員の目もあります。時間の自由もありませんが」


「……そうだなぁ。……これについては、保留でしょうか」


「……理由を伺ってもいいですか?」


「……それは後々にわかってくるよ」


「……わかりました。では、次。猫の死骸です。あれは、……トリック云々ではないでしょう。次――――」


「――――いやいやいや。横から入って悪いが、そこは重要なんじゃないのか」


 そう苦い顔をして挙手をするのは大和だ。

「トリック云々ではなく、話合うべきなんじゃないのか」と、ここまで無言を突き通したにしてはやけに前がかりな提案であり、阿武隈も「……そうですか。……そう、ですよね」と後ろ向きではあるものの肯定の意を示す。


「……山田氏、所感をお願いします」


「……所感ではあれば後でもいいでしょう」


「……なら、その、トリックに関しては?」


「……トリック云々を横に置こうとするのは、君たちの総意じゃなかったのですか。阿武隈さん、大和さん」


 押し黙る二人。言い返せそうにない。言い返せるはずがない。

 警察が手をこまねいていて、情報もろくにないく、そもそも部外者に等しい二人。疑問を浮かべることさえ厳しいのも道理だ。

「あとで詳しく、という進行で良いのではないですか?」と付すと、「……そうしましょう」と渋々納得する司会進行の阿武隈。  

 

「こほん、……では、次。校庭の落書騒動。あれは夜分遅くに校庭にデカデカと石灰パウダーを用いて文字が書かれました。しかし、石灰パウダーの保管してある鍵は大和氏が所持しており、その大和氏にはアリバイがあります。彼が開閉にたずさわることは不可能であり、誰も倉庫から石灰パウダーを取れない状態にありました。これは?」


「……これが一番簡単です。犯人は大和くんだからです」


「……は、…………ハァ!?」


 突然の名指しに困惑を露わにし立ち上がる大和。「なんで俺なんだよ!」と取り乱し「俺が横入りしたからって当てつけか!」「証拠はあんのかよ、証拠は!?」とらしくなく声を荒げる大和だったが、「うるせぇ、大和」と、これに横槍を入れたのは多く生徒にとって予想外であっただろう武蔵だった。

 もっとも、私は彼が“止めなければならない”とも思っていたのだが。

 グッと歯を食いしばる大和だったが、「すまん」と溢し、着席する。

 謝った相手は、きっと私ではない。

 

「……この際です。武蔵くん、最後のホウキの犯人は君ですね?」


「……」

 

「……あれもチープな子供騙しです。ドアの隙間にホウキを吊り下げる糸でも挟んでおいたのでしょう。もしくはセロハンテープでもなんでもいい。吊り下げている糸をドアに固定しておくだけでいい。化学室の鍵を受け取っており一番初めに化学室に入室した武蔵くん、君がその痕跡をさっさと剥ぎ取り、糸を回収すれば、みんなに見せるホウキは誰がどう見たってただのホウキに様変わりする。最悪手間取っても、二番目に入室した大和くんがフォローすればいい」


「……武蔵氏、いまの話に反論はありませんか?」


「……ねぇーよ」


 実質的な白状。これは潔いのは彼の長所であり、また解かれることが前提のこの事件の“仕込み”の一つだろう。

 だから、阿武隈。最後に君はもう一つ聞かなくてはならない。

 この事件の一つ目のオチ。チープでつまらない一つの真相を。


「では、こほん。この二人が、この一連の事件の犯人なのですか?」


 そして、私は、こう答えねばならない。

 さぁ、ここからだ。

 ここからが、“魔女裁判”、歴史上もっとも醜い裁判の始まりだ。


「……いいや、犯人は君だろ?」

「……なぁ、」

「……赤城?」

 

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「……え、……え、え?」


 困惑する赤城、を、見ていられたのは、ほんの一瞬だった。

 大きく、大きく、大きい、男の影に、呑み込まれたためだ。

 私の頭上から拳を振り上げる、武蔵の影に。


「じゃかぁしぃ!!腑抜けたことヌかしてんじゃねぇぞテメェ!!」


 肉薄する拳。しかし、届くことはない。武蔵の武力行使は咄嗟の判断で羽交締めを敢行した金剛と、一歩遅れて私と武蔵の間に入る大和によって遮られることとなる。いくら空手部といえども、二人がかりでは好きに身動きはとれまい。仮に向こう見ずで私に突貫をかけようものなら、まわりにだって危害を加えてしまう。

 それだと武蔵にとって本末転倒だろう。

 これは、赤城を守る為の拳なのだから。


「違うじゃろうがッ!!そうじゃねぇだろ、わかるだろうがッ!!」


 しかし、理性の制止を振り解くかのように、感情の奔流に飲み込まれる武蔵。

「馬鹿野郎!落ち着け!」と大和の怒号が飛ぶ。金剛も呼応し、武蔵を抑える。


(……違う?……そうじゃない?……わかるだろう?)


 ……おいおい。腑抜けてんのはテメェだろ、武蔵。

 ……だったら、テメェ。


「……だったら、おい、誰だったら満足なんだ?ええ、武蔵くん」


「……あ?」


「……私が犯人だったら満足ですか?特にクラスメイト以上の接点はありませんもんね、私たち。そういう点なら阿武隈さんもいいですね。うっとうしいですし、正々堂々イビれるようになった方が気が晴れます。響くんなんて、怪しいでいえば群を抜いています。彼、このところずっと欠席続きですし。……あぁ、そうそう、君が大好きな赤城さんが懸命にアプローチしているのに無視し続けるクラスの異物である西田さんもいいかもですね。……で、満足ですか?」


「……そういう、そういう話じゃ――――――」


「……いいや。そういう“話”でしょ。違いましたか?」


 これに武蔵はグッと口を紡ぐ。あぁ、そうだろう。

 そうでないと、この“イタズラの本懐“が破綻する。

 ……しかし、あぁ、だめだ、だめだ。理性を失いかけていた。

 ……気をしっかりと持て。これでは“私の”会議ではなくなる。


「……山田氏。話の腰が折れましたので、再開します。いいですね?」


「……どうぞ」


 阿武隈にジェスチャーで促され、渋々と自分の席へ戻る武蔵。

 会議は再開される。皆の視線は、犯人と名指しされた赤城へと向かう。


「……赤城氏。異論、反論があるはずです。どうですか?」


 問われる赤城。しかし、赤城は口を開かない。

 首肯するでもなく。

 頭を振るでもなく。

 赤城のとった行動は、当惑ながらの沈黙であった。

 

「……赤城、氏?」


 何も言い返さない赤城の様子に戸惑いを隠せない阿武隈。そうだろう、なんせ、彼女にとって会議を提案したその時から、犯人を言い当てる根性も覚悟もないのだから。突き動かしたのはちっぽけな責務だろう。学級委員長として。善良なる一般市民として。ただ、それだけ。

 奇抜に思えた彼女の支柱の正体は“普通の女の子”だった。

 失望などしまい。

 理解できるから。


「……あ、あのさー、山田っち。そろそろ、もう、やめにしない?」

 

「……どうしてかな、五十鈴さん」


 ゆっくりと立ち上がり、遠慮がちに私を見据える五十鈴。

 五十鈴の五十鈴らしい立ち居振る舞いではない。

 どこか後ろめたさを感じる、自信のない挙措だ。


「……ほら、誰が犯人とかさ、もういいじゃねって。ね?そりゃ、びっくりすること多かったし、猫ちゃんが可哀想とかある、けど、さ。でも、ね?みんなピキッてんのウケるっていうかさ、らしくないっしょ?……このままじゃ、、、このままじゃ、もう戻れなくなく――――」


「……五十鈴。戻れないよ。もうすでに」


「……でも、でもさ、私こんなの、、、」


「……なんたって、五十鈴、君は魔女裁判に賛成していたじゃないか」


「……あ、いや。……わ、私、そんな意図で言ったんじゃ――――」


「……社会の授業で習わなかった?……魔女裁判って、こういうのなんだよ。誰かを陥れて、極限まで胸糞で、キモくって。でも、民衆に望まれてしまったからには、この津波のような理不尽を掻い潜らなければならない。五十鈴、君はまわりをよく見ている。見すぎている。だから、魔女裁判にも賛同したんだろう?望まれてると思ったから。でも、忘れちゃならないよ。民衆はいつだって凶悪で、残忍で、冷酷になれるんだ。君は、その民衆の寵児だよ」


 尊敬するよ、五十鈴。その思いやりで、きっと救われる人もいる。きっと、たくさん。

 でも、自己を犠牲にしてでも、他者を慮る、それは今回のようなナイフにもなり得る。

 そのナイフに滴る血は、誰からも救われない悪人のものかもしれないけれど。


「……そういう君は私にとって、とても美しく、とても嫌いだった」

 

「……」


「……赤城さん。そろそろ決断なされてはいかがでしょうか。あとは、君次第ですよ」


 赤城は逡巡したまま黙りこくる。

 悩む。その時点で、この会議の歪さが浮き彫りとなる。

 悩む、その理由も理解できる。

 なぜなら、赤城からすれば、どちらも“崖”なのだから。

 

「……山田氏、証拠を!赤城氏が犯人であるという証拠を提示してください!」


 問い詰める私に待ったをかける阿武隈。

 なら、決断の時間潰しに謎を解こうか。


「……状況証拠があります。シリンダー錠については先述の通り、誰だって犯行は可能です。しかし、あの“巨大な鍋”、あれはそうもいかない。赤城さんの供述が真実だったならば、鍋は家庭科室にあるはず。しかし、家庭科室から、あの大きな鍋を人の目を避けて持ち運び、加えて園芸部の部員がいない時間に鍵を解錠、設置まで終えなければならない。煮るための時間制限すらある。そんなこと、現実的に無理でしょう。だから、嘘をついているとしか考えられない」


「しかし!それこそ、なんらかのトリックが!」


「……家庭科室ですが、ひどいホコリの溜まり具合でした。見かねて掃除をしたぐらいです。本当に、ホコリが被っていない箇所がないぐらいに、ホコリが床を占拠していました。でも、あそこに大きな鍋があったなら、あるはずのものがありません。……鍋状の、丸く大きなホコリの被っていない箇所が」


「でも、でも、……しかし!」


「……それに、です。あの大きな鍋を支えられるガスコンロですが、あんな代物、普通のサイズの鍋には必要ありません。あの鍋のために、買ったとしか思えません。やはり、あの大きな鍋は園芸部の備品だったのでしょう。それを赤城さんは意図して隠匿していた。なぜか、それは――――」


「それならよぉ、加賀にだって嫌疑があるじゃろうが。違うんか、おい」


 割って入る武蔵。それは、そうだろうな。園芸部が怪しい=赤城だけが怪しい、とはならない。

 しかし、言っちゃなんだが、どうでもいい。

 こんなもの、もはや“テキトー”で事足りる。


「……赤城さんは、かわいい女の子ですから」


 男の子が男の子を、こんな面倒ごとに引き込むのは至難だ。それも仲違いしている人物同士なら尚更。

 しかし、赤城は“女の子”だから。

 どうとでもなるんじゃないかな。

 はじめ、発言の意図を汲めなかった武蔵。だが、次第に意味を咀嚼し、激昂を露わにする。「舐めとんか、テメェ!」と、諸手でドンッと机を叩き、攻撃的な視線を私に送る。が、しかし、二度目の襲撃とはならなかった。金剛が力強く武蔵の腕を掴み、「NO!」と叫ぶ。それに意表を突かれる武蔵。


「暴力デ、解決、デキナイ!絶対!」


「……チッ」


 次に、金剛は私を睨む。言い過ぎだ、と。言語が異なろうとも、言葉が間にでしゃらばなくても、真意は伝わる。

 思えば、金剛とは会話をしているようで出来ていない。

 ただ、彼の言葉は拙いながらも本心だったのだろう。

 叶うならば、君ともう少し真剣に話をしてみたかった。


「……君がやったんだろう、赤城」


 だが、もう遅い。

 後悔も、悔恨も、懺悔も。

 それが裁判の本質だから。


「……わた、しが」


 詰める。

 詰める。

 詰める。


「……あぁ、そうです。猫の死骸も、です。あれも隠す必要があったはずです」


 詰める。

 詰める。

 詰める。


「……あれほどの死骸の山、それも腐敗を食い止めながら保存しておかなければなりません。実家を安置所代わりだなんて論外です。だとすると、目星い場所といえば、……あの家庭科室の大きな冷蔵庫でしょうか。……そういえば、冷蔵庫を私が気に掛けていたとき、妙なことを言っていた子がいましたね。コンタクトを落としてしまった、だとか?」


 詰めて。

 詰めて。

 詰めて。


「……あれって、もしかして、私たちの注意を逸らすための――――」


「――――雑すぎないかなぁ、君の推理ショー」

「――――見るに耐えかねるよ。ほんと。存外性格悪いだなぁ、山田さん」


 それは、大して大きい声じゃなかった。

 “彼”らしい、仰々しい仕草もなかった。

 ただ、傾聴せざるを得なかった。


「――――おかげで、いまや君のことが大嫌いになったよ。憎いほどに」

 

 詰めた。その結果、成就する。

 “私”のための魔女裁判に、“真犯人”をひきづり出すことに。

 

「もういいや。……犯人は、“僕”だよ。山田さん」


 それは、自白だった。

 震える唇で阿武隈は、そいつの名前を呼んだ。


「……加賀、氏?」

 

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「山田さん、僕は君のくだらない推理ショーにはもう飽き飽きなんだよねぇ。っていうか、誰も求めてないんじゃないかなぁ。そんなことよりも、魔女裁判だよ、魔女裁判。“魔女裁判”をしようじゃないか!誰が“魔女”なのか、みんなで話し合おうじゃないか!」


 魔女裁判。

 魔女裁判。

 魔女裁判。

 さて、ここだ。ここが最重要なのだ。

 改めて、“魔女裁判”とはなんなのか。


「待って、待ってください、加賀氏!話が見えてきません!」


「言った通りだよ、阿武隈ちゃん。僕が犯人さ!自白するよ。推理のおおまかは、山田さん、正解だったね。鍵を取り替え教室に侵入し好き勝手なイタズラをやっちゃって、武蔵くん大和くんを共犯に取り込み一人じゃできないトリックをでっちあげ、こうして魔女裁判を開廷させた。ひとつ不正解を挙げるなら、それは赤城さんが犯人ではない、この加賀こそが張本人ってことさ!」


 滔々と、流暢に、三文芝居のようなセリフを垂れ流す。

 さも、前もって台本があったように。

 いな、きっと台本はあったのだろう。

 この、“加賀”の牛耳る“魔女裁判“のために。


「……みんな、僕、この加賀の催した七不思議を解こうとしてくれてありがとう。魔女裁判を開廷してくれてありがとう。

「……おかげで、もうみんな立派な“主人公“さ」


 この一連のイタズラ騒動、これは加賀にとっておおがかりなショーというわけだ。

 自分の蒔いた種、もといイタズラをクラスメイトに解かせる過程で、よほど憎たらしくって八つ裂きにでもしてやりたいのだろう魔女の正体を暴露せんとする、そんな知らず強制参加を強いられていた忌むべきショー。

 それすなわち、解かれること、それこそが本懐のイタズラ騒動。


「……じゃーさ、聞きたいんだけど、加賀くん」


 ここで口を開いたのは、ここまで閉口を崩さなかった吹雪だった。


「……誰が、魔女なんだい?」


 ……。……ん。なんだ、いまの。違和感がある。

 ……。まぁ、いい。いまはそれどころじゃない。


「それがわかりゃ、こんな苦労はなかったろうよ」


 吹雪の問い掛けに、武蔵は素っ気なく答える。

 この言葉足らずが大部分の武蔵を補足する大和。


「……この魔女裁判の目的は、“猫”を殺した犯人探しなんだ」


「ちゃんと、説明するよ」と、大和は楚々として皆に伝える。

 後ろめたさや、申し訳なさもあるのだろう。「ごめん」と。


「……悪かった。みんなを騙すような真似をして。でも、この魔女裁判を目論んだ加賀曰くになるけど、これは魔女を炙り出すための裁判、つまり、あの大量の猫の死骸を生み出した犯人を特定するための仕込みだったんだ。俺らがこんなことを知ったのは、花火をみんなでした日。あの日校舎裏で、この話を加賀から持ちかけられたんだよ。「この中に、あの猫を殺した犯人がいる」って。いつになく真剣で、……頭まで下げられてさ。加賀が、俺らに」


 これも加賀曰く、大和は「犯人についてわかっているのは、うちの学年の女子ってことだけ」と。

 だから加賀は武蔵と大和を共犯に選んだのだろう。


「……我が学年の女の子が犯人だってのも、まぁ、聞き取り調査の寄せ集めでわかったってだけだけどねぇ」


 聞き取り調査で学年がわかるものなのか、と擦れ落ちた制服に視線を向ける。

 真っ赤なリボン。アリスと同じ色だ。

 確か先輩方は青と緑だったか。なるほど、これか。


「……こっちとしては、あの加賀が聞き取り調査までしているだなんて思ってもなかったから。武蔵も、なんか、アツくなって。「一発殴っていいから、殴らせろ」って。で、あのアザ。それが幸運にもいいカモフラージュにはなったんだろうけど。そのあと、あの校庭の犯行声明は俺ら三人でやって。アリバイづくりのために俺は武蔵の家に泊まった。これが、経緯」


「……それなら。……加賀氏、それならなぜ、こうも回りくどい真似を!」


「しらを切られたらたまったものじゃないからねぇ。だから、僕個人が弾劾したって効果は薄いんだ。そこで、みんなを巻き込んだのさ。大々的に公開して、みんなで犯人を指差しあって、ひとりの魔女を炙り出す。これだよ。理想の幕引きだねぇ。……それで、ようやっと“罪”を裁けるってもんだよ」


 罪を裁く。加賀は、臆面もなくそう宣言する。

 どうして、彼がそこまでの義憤を燃やすのか。

 それはきっと、“あの猫”に関係がある。


「……君の言う罪とは、猫を殺した罪のこと、でしたよね」


「……そうだねぇ」


「……その猫とは、あの“三毛猫のオス“のことで相違ありませんか?」


 三毛猫のオス。校舎で見掛けられたと噂の三毛猫のオス。

 それが仮に、加賀の飼い猫であったなら。

 繋がるんだ。全てが。“全てが”、である。


「……ふっ」鼻で笑うように、どこか余裕を“作っている”ように、加賀は私を見下ろし、

「……その通りだよ、そこまで知ってるんだねぇ、山田さん」と、肯定の意を示す。


 肯定。

 つまり、この魔女裁判の趣旨、断罪されるべき“魔女“たる人物とは、

 いまなおのうのうとしている、加賀の飼い猫を殺した“魔女“である。


「……そうか。……あぁ、そっか」


 つくづく、当事者にとっては複雑な魔女裁判なことだ。

 彼にとっての粛清対象は、三毛猫のオスを殺した犯人。

 なら、“大量の猫の死骸を作った犯人”ではないわけ、か。


「……もう、ごちゃごちゃと、あぁ、ごちゃごちゃと。もういいんじゃないかな、山田さん。鬱陶しくなってきたよ。出来損ないの進行役にへたくそな焦らし方をされるのは、僕が嫌いなことランキングでも上位なんだ。それに何が気に食わないって、あの猫の事件のトリックを!あろうことか阿武隈ちゃんは飛ばそうとしやがったのさ!このやるせなさ、君たちにわかるかい!すごく、すごく長い仕込みだったんだ。どれだけ拵えてきたかわからないぐらい、長かった!だから、僕がイタズラの犯人だとか、このさきの“リスク”だとか、もうどうでもいいんだよ。さっさと魔女裁判を進めてほしいんだ!」


「……」


 リスク。そうか、彼もこれが将来に対する“リスク”であることぐらい承知しているのか。

 ならば、私も“仕込み”甲斐があったと言うものだ。


「山田さん。教えておくれよ」

「“魔女”は、誰なのかをさぁ」

「誰が、僕の飼い猫を殺したのかをさぁ!!」


 ……何をボケているんだ、加賀。これは“魔女裁判”だぞ。

 魔女裁判ってのは、犯人を特定するもんじゃない。

 魔女裁判ってのは、犯人を“作る”から、悪なんだ。

 だから、歴史上、もっとも忌み嫌われているんだよ。

 

「……何を言っているのです?」

「……君たちは、私たちは、」

「……もう魔女裁判を閉廷するしかないのですよ?」


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 既知がある。暁は言っていたんだ。魔女は響。そして、犯人は『加賀』だって。だからはなから犯人の正体を知っていた。

 収穫がある。この口振りからして、“加賀は魔女の正体を知らない”。裁判の体裁を整えたのは、弾劾のため、そして“追及“のため。

 そして、謀略がある。犯人は加賀だ。それをわかってなお『赤城』を犯人にしたてあげる。

 

(……あの子は、飛び抜けて“優しい”んだ。そして人をよくみている。だから、加賀を庇う選択肢を見つけ出してしまった)


 赤城の挺身。もとより、赤城の言動の節々には違和感があったのだ。加賀が犯人だとして、トリック上、園芸部の倉庫に鍋がないと成り立たない。それを犯人の加賀が隠そうとするのならば意図が理解できる。しかし、赤の他人、むしろ魔女の容疑者位置の赤城が隠匿するのは理解できない。理解できなかった、というべきか。


(……赤城は、優しいんだ。優しいから、怪しい行動を取らざるを得なかった)

 

 思えば、鍋とコンロを隠そうとする赤城の言動が覚束なかったのは加賀の意図を図り損ねたからではないか。

 思えば、あの冷蔵庫の件、赤城は冷蔵庫の監視のためであろう家庭科室近辺にいた加賀を見つけての行動だったのではないか。

 思えば、屋上で見た電話をしていた相手、あれは加賀だったのではないか。

 そうだとすれば、赤城は魔女と縁遠い聖人だ。

 それでも、私は、『赤城』を魔女に仕立てる。

 

 魔女。

   魔女。

      魔女。

 

 魔女。一貫して登場し続けた“魔女”というワード。第三者にとっては無意味で無関係で無価値なワードである。いまや、過去の誹りで用いられた禍根のようなスティグマは薄れ、極めてポップでおしゃれに表現されるようになったワード。

 しかし、この教室において、もはや第三者など存在しない。


「……気まぐれっていうならやめて欲しいかなぁ、山田さん?」


「……なにも、気まぐれで言っている訳ではないのですよ」


 目に見えて不愉快そうに顔を歪ませる加賀。

 そりゃそうだ。成就が目の前にまで迫っているのだから。


「……山田氏。私にはもう頭の整理がついていません。率直にお伺いいたします。……なぜ、ですか?」


 阿武隈は苦い顔で問う。彼女は、彼女たちは、不憫で仕方がない。

 第三者の立ち位置にいたのが、いまや、どの位置にいるのかさえ判別つかないはずだ。


「……なぜ、と聞かれれば、」


 それは、


「……魔女は、赤城さんになる予定ですから」


 ビクッと肩を振るわせる赤城。それを間近で見ていたであろう武蔵は「まだ言うかッ!」と怒気の籠った声音で憤慨する。しかし、もっとも青筋を立てている人物は武蔵ではないだろう。「……だから、もう一回言わなきゃダメかなぁ」と加賀は頭を掻きむしる。


「……はぁ、僕が犯人だって話はもうしたはずなんだけどねぇ」


「……そうですね」


「……話にならない。期待外れも甚だしい。言いたくないなら君はさっさと退場しなよ。もともとこれは僕の裁判だ。なら、僕たちが勝手に――――」

 

 勝手に、、、そう反復したかと思えば、会話をとたんに千切る加賀。そのままよく喋る口を塞ぐ。

 口元を手で押さえ、しかし溢れる荒い吐息。

 動揺する眼は、焦点が合っていないようだ。

 そのまま、視線を、

 赤城の方へと向ける。


「……山田さん。魔女が、赤城さんになる“予定”って、どう言う意味かなぁ」


「……そのままの意味です。“私が赤城さんを魔女に仕立て上げる“意です」


 やっと、私の“仕込み“が成就する。気づいているのは私と、加賀と、赤城もかもしれない。

 しかし、仮にもこれは裁判だ。すでに傍聴席から乗り出している皆にも説明すべきだろう。


「……余談のようで、これは本質だと思うのですが。……我々はいま自由主義社会の檻の中にいます。その社会は、誰だって自由で、おおまかには平等で、素晴らしい思想で構築されています。私は猫ですから、もしかすると例外かもしれませんが。尊重されるべきは、いつだって自由意志です」


 だから、飼い猫を殺した犯人を、殊更に断頭台へと送りたがるのだろう。

 自由意志が確立されていることを前提に、人は人の罪を罰するのだから。

 自由な意思決定のできない人間など恨むに恨めまい。

 恐喝されたり、切羽詰まっていたり、なんらかの状態の精神の人間を、人は罰せられない。


「……さて、見たところ心神耗弱の方は少なそうですが。健全な自由意志を持つ方々へ、シンプルな質問です。いま現在、知己の仲の人間が他者によって陥れられそうになっているとします。一方、自分にはその人を救い出す手立てがあり、その手法に気づいているものとします。貴方達なら、どうしますか?」


「……あ、あー、山田っち。……わかるように言ってほしいんだけど、、、」


 抽象的な問いかけが過ぎたせいか、五十鈴の理解の範疇を越えたらしい。

 だったら、情け容赦なく、具体化させてるほかない。

 

「……つまり、です。……赤城さん。君が罪を認めないなら、加賀くんが全責任をとることとなります」


 もっと、噛み砕こう。


「……例えそれが虚偽の自白でも、赤城さん、君が“容認”をしなければ、……加賀くんは罰をくらうでしょう。当然の報いと言われればそれまでです。しかし、ただの罰ではありません。加賀くんはイタズラの主犯としての罰、そして“加賀くんが関与していないであろう猫の死骸の山を築いた罰“に処されます。イタズラの犯人と猫殺しの犯人、部外者目線、どう見たって同一犯ですから。……そもそも、それを狙っての魔女裁判でしょうし、ね」


「……そう、ならない、可能性だってッ」


「……私がそう仕向けます。……君が君の友人を“庇わない“せいで、加賀くんの未来がぐらっと変わる」

 

 ……リスク。加賀はさっきリスクと言った。

 ……リスク、高校受験、大学受験、就職、結婚、これからの大イベントをまだ見ぬ未来に託せる世代だから生まれるリスクなのだろう。猫を殺した、それも大量に殺した、そんな経歴がつく人生は、きっと想像を絶する生きづらさを孕むだろう。

 ……それすなわち、ここの選択次第で人生の岐路を分岐し得るのだ。


「赤城さん、耳を貸さなくていい。僕のことなんか考えず、否認だけすればいい!」


「……ッ」


 赤城。君は底抜けに優しい。尊敬する。それゆえに、危ういと思っていた。

 人のために、人のことを思える。それは素晴らしい思想だ。

 だけど、それに固執しすぎると、自己犠牲を厭わなくなる。

 すると、ときにひどく虚しい結末を迎えることとなる。

 こんなふうに。

 

「……君の決断で、加賀くんの未来に暗雲が立ち込めるかもね」

 

「……あ、アア」


「赤城さんッ!」


 赤城は手で顔を覆う。

 現実から、目を背けるように。


「……山田さん。わ、私、……わたし、、、」

 

「……赤城さん。……赤城、私は君を苦しませたくなどないんだ。本当だよ。君の虚偽はどれも人のためだった。加賀のためだった。誇ることだよ。……確かに君が君のために保身に回れば、潔白は自ずと証明される。なんたってほぼ無罪なのだから」


「……」


「……でも、この先の心の話をしよう。この先、君は中学生を卒業して、高校生になって、もっと学生らしい青春を謳歌するだろう。……そんな折々に君は思い出す羽目になるんだ。この時の選択は正しかったのか、この時の選択のせいで居なくなった友人は今頃どうしているだろうか、……この時の選択を、この教室のみんなはどんな風に思っているのだろうか。……そんな暗雲のような靄は、君の背後に過去の選択として一生まとわりつく」


 ……実は、ね。

 ……実を言えば、君がここでどういう反応をしようとも、加賀の回答次第で君は猫殺しの容疑者位置に入る。加賀が自分の身を案じれば、私は全力で君を陥れる。加賀が君の身を案じれば、それで裁判は閉廷する。だから君の回答にこれと言って価値がないんだ。きっと、君もそれは理解しているだろう?

 でも、そこまでして加賀を庇いたいのはどうしてだい?恋愛?でも、私にはそうは見えないんだ。君は優しい。底抜けに優しい。だが、その優しさの本質は――――――

 ――――――その本質は、私は“優しさ”とは別ものではないとか思う。

 それは“衝動”とも言える。とても美徳とされる行動で、危険な行為だ。

 だが、よくわかる。共感こそできないが、理解ならずっと深く出来る。


「……これは脅迫です。加賀くん」


「……脅、迫?」


「……魔女裁判を終わらせましょう。さもなければ、私は赤城さんを警察へ通報します」


「……ッ!」


 赤城が犯人である証拠はさっき述べた通りだ。

 きっと、赤城は、加賀のために容疑を認める。

 通報されれば、赤城の未来に大きな支障をきたす。

 ほぼ確実に、赤城が“魔女”に“仕立て上げ“られる。

 ……そんな人生の岐路を、たったいま、加賀に握らせた。あとは選ぶだけだ。自分の、ではない。他人の、知人の、友人の、もっと近しい仲なのかもしれない女の子の人生の手綱を、である


「……さぁ、どうされますか?」

 

 選択肢。決断。責任。自由意志社会において、重宝される神具のような悪魔の手だ。

「みんなは選べるんだよ」「自由に生きてもいいんだよ」「ありのままでいいんだよ」

 そんな無責任で、決断を放棄し、選択肢を委ねる人生の教訓は、虎の子を落とす谷よりもずっと暗く広い大海原の深海に突き落とす思想で、それはいつだって常識に基づき、理性で押さえ付けられ、良心を尊重している。

 選択を、

 決断を、

 責任を、

 強要する。

 だから、脅迫は成立する。


「……わた、し、は。……私、はッ――――」


 赤城はおもむろに立ち上がり、加賀を見据える。

 言葉を選び、選び、選び、選び、選び抜いて。


「――――加賀くんの、思うようにしていいと思うよ?」


 そして、加賀へ委ねる。委ねてしまう。

 ダメだよ、赤城。それは、優しさじゃない。


(……君は優しい。でも、君の優しさの本質は、きっと優しさじゃない。君は優しい以上に、傷つきたくないだけなんだ。自分の美徳に反して人が傷つくことで自分が傷つくことが嫌なだけなんだ。みんな、そうだ。私もそうだ。……だけど、)

 

 だけど、本物の優しさを突き通すならば、

 君はどちらかの決断と責任を、加賀と二人で、折半すべきだった。

 なんと言おうと脅迫は成功しただろうけど、逃げちゃダメだった。

 他人を思い、他人を憂い、他人のために身を挺する。それを偽善と誰が嘯けようか。でも、突き通し、踏み込み、図々しく、みっともなく、不格好で、……そんな外聞も恐れない人間になる“覚悟”が、本物の優しさには必要なんだ。そうでなければ、結局、誰かが憂き目に合う羽目となる。


(……そのせいで、見てみろ。加賀はいま、世界で一番孤独となった)


 古びたチャイム音。窓ガラスに打ち付ける雨。トントン、ポタポタ、と。

 消え去りそうな声で一言。

「終わりにしよう」と。

 加賀は脅迫を飲んだ。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 詰襟学生服の君を、私は待ち伏せていた。ぽた、ぽた、ぽた、ぽた、濡れた髪に、街灯は影を覆う。

 道外れの、以前制服を隠すのに利用した神社の隅の公園。

 そこにはうってつけの東屋の屋根があり、雨宿りをする。


「……偶然だね」

 

「……嘘つきめ」

 

 人間の口で、人間の言葉を話す。

 覇気のない声で、彼は返答する。


「……加賀くん、君は悪いことをしたから、謝ろうと思って」


「……いらないよ。不愉快だから視界から消えてくれないか」


「……雨だからね。嫌だよ」


 加賀は、「そう」と力なく答えると、さも私の存在など心の片隅にも置きたくないのか熱心にぼーっと公園を眺めることとしたらしい。あのうざったい女ったらしな口調はもうやめたのか、そもそもあれも調査の一環のための演技だったのか、私に知る由はない。

 日が随分と短くなった。もう夜だ。

 これなら、私の表情も悟られまい。


「……嘘だよ。本当は君にささやかな仕返しに来たんだ」


「……君に?僕が?やめてくれよ、逆だろう、ふつうは」


「……仕返しだよ。だって、“君の言う魔女“を暴露してやろうってんだから」


「……は?」


 目を見開く加賀。しかし、何も言わない。何も言えない。何も言わさない。

 また乗っ取られては癪だ。

 私の、好きなようにする。


「……まず、経緯を話そう。君の経緯だ。推測にはなるけれど」


 本人の前で、本人の道筋を語る。


「……君は、屋上で一匹の猫を飼っていたんだ。三毛猫のオス。さぞ可愛かったんだろうね。みんな、三毛猫のことを知っていたし、よく頭を撫でられていたらしいよ。文字通りの猫っ可愛がりをされた猫。それこそ、殺されて、その無念から復讐に燃えるくらいには可愛かったんだろうさ」


「……あぁ、そうだねぇ」


「……君は、屋上で一匹の猫の死骸を見つけた。三毛猫のオスの死骸。絶望だったろうね。そんな君の脳裏をよぎったのは、他殺、だった。当ててやろう、その死骸は泡を吹いていたんじゃないかな。それを間近で見ていた君は、誰かに毒を盛られたのではないか、そう考えた。だから、こう思った。誰が僕の猫に手をかけたのか追求してやろうと」


「……見てきたように言うねぇ」


「……言ったろ。ただの推測だよ」


「……で、その後、僕はどうしたんだい?」


 肯定も、否定もしない。

 ただ、耳を傾ける加賀。


「……調査の過程で、君は気付くんだ。この街から、猫が消えていることを。そこで推測する。もしかすれば、これはこの街の猫が大量に被害に遭っているのではないか、ってね。さぞ、熱心になっただろう。誰が殺しているのか、誰が自分の猫に酷いことをしたのか、君は突き止める口実を手に入れた」


「……」


「……聞き取り調査の結果、うちのクラスの女の子像が浮かび上がってきた。いろんな猫と接触をしている女子がいたとでも聞いたんだろう。それは犯人というにはいささか暴論に過ぎたが、重要参考人であることに違いない。そんな折、君は犯人らしき女の子に迫った。尾行でもしたんだろう。……そこで、出くわしてしまった。猫の、死骸の山に。……蝿が集って、蛆が湧いて、内臓を掻っ捌かれた猫の死骸の山に、君は深淵の恐怖に囚われたことだろう」


 猫の死骸。

 猫の死骸。

 猫の死骸。


「……見て見ぬふりもできただろう。埋めてやることもできただろう。でも、君はそれらを選ばなかった。このまま無に帰せば、犯人特定の手がかりがなくなるから。だから、猫の死骸を保存することにした。保存場所は家庭科室の冷蔵庫。私の足跡よりも大きい、男の子サイズの……君の足跡らしきものもそこにあった。……そこまでした。だが、君はついぞ辿り着くことができなかった――――」


 ――――この街から、猫が消えた。


「……切羽詰まった君は、ある計画を立てた。……それが――――」


 ――――それが、魔女裁判だったんだろう?


「……一人じゃ辿り着けない真実を他の第三者に解かせようとした。そのための策略を練った。大胆な犯行声明を黒板に書き残すことでお蔵入りの泣き寝入りを防ぎ、クラス全員を当事者にさせることで容疑者の言い逃れる道を閉ざした。誰もを巻き込み、誰もを強制的に参加を促すことで、クラス全員を探偵役にさせた。……裁判の体裁をとることで、魔女の正体を白日の元に晒し、魔女が裁かれるシステムを作り上げた」


 容疑者は、阿武隈、赤城、暁、五十鈴、山田、そして、アリス。

 思えば魔女とは言い得て妙だ。はじめから、標的は“女”だった。


「……君は、犯行声明を皮切りに、……いや、初犯は化学室の一件だったかな、せっかちだとは思うけど。……ともあれ、とうとう計画を実行した」


 赤城の影ながらの助力を察しつつ、

 武蔵や大和の手助けも借りながら、

 冷蔵庫の中の大量の猫の死骸をばら撒くに至った。


「……君のための魔女裁判まであと一歩だった」


 ――――でも、最後の最後で破綻した。

 ――――君のための魔女裁判は、閉廷した。


「……そうだねぇ。……はは。君はゴミクズだ。最低だよ」


「……だから、仕返しに来たんだよ」


「……だから、なんの仕返し――――」


 ――――何かを察したのだろう、言葉を詰まらせる加賀。

 篠突く雨。もう冷える季節だ。濡れた身体から体温が抜ける。


「……君は意図してか無意識か、三つの事実を隠している」


 水の跳ねる音。このまま東屋の屋根に大穴が空いてしまいそうだった。


「……一つ、三毛猫の死骸の特異性。あれだけは、あの子だけは、“そのまま”だった。他の猫の死骸は、腹が捌かれ、臓物が爛れ、見るに耐えない死骸の様相を呈していた。……しかし、三毛猫だけはそれらの形跡がなかった。あの一匹だけは、手をつけられた形跡がなかった」


 かたや、残酷を絵に描いたような死骸。

 かたや、本来あるべき姿のままの死骸。


「……二つ、屋上で君が鍋で煮込んでいた薬草、あれは専門家曰くセイヨウカノコ草って言う薬草なんだそうだ。激臭なんだけれども、妙に癖になってね。聞けばネズミや猫が好むらしいね。ネコの私が言うんだから間違いない。……では、なぜ、あの薬草だったのか」


 かのハーメルンの笛吹き男も使用した薬草。

 それを使った理由を、加賀自身、理解しているのか。


「……三つ、屋上の倉庫の中。あの中に、確か殺鼠剤があったよね」


「……」


「……つまり、私はこう言いたいわけですよ」


 雨。

 雨。

 雨。雷。


「……三毛猫は、君が殺したんじゃないの?」


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「……君は屋上でネズミの被害に困っていた。雨ざらしのもとで草花を植えているんだから、自然の洗礼だろうね。君は考えた。ネズミの好む匂いでネズミを誘い寄せて、一網打尽に駆除しようと。セイヨウカノコソウを鍋で煮て、その近くに殺鼠剤をまいた。……その匂いは、ネコも惑わすとも知らずに」


「……」


「……事故だったんだろう。でも、信じたくなかった。……いや、はじめは発想になかったのかもしれない。頭に血が昇って、それどころじゃなかったのかもしれない。だが、君は“あれ”を見た時、きっと確信を持ってしまったはずだ。……あの、凄惨なネコの死骸を見つけてしまったとき、いやでも亡骸を目に焼き付けなくてはならなかったとき、否でも応でも君は君の三毛猫と他の猫の死骸の在り方が異なることに気付いた」


 一方は、臓器が掻き毟られた猫の山積み死骸。

 一方は、外傷のない、ただの一匹だけの死骸。


「……君はこう思った。「犯人が別なのではないか」」

「……君はこう思った。「なら、誰がやったんだ?」」

「……君はこう思った。「もしかして、もしかして、もしかして」」


 ……もしかして、と。

 ひた隠しにされた確信は、暴走を以て掻き消される。

 

「……君は、裁判で誰かにこう言ってもらいたかったんだろう?」


「……」


「……街のネコも“君”のネコも、みんな魔女が殺したんだってね」


 この一連の事件の動機は、ある“真実”と紐づいていた。

 それは、正しさに囚われた義憤などではなかった。

 それは、誰にでもわかる、共感できる、“逃避”だった。


「……君は、こう思いたかったんだろ?」


「……」


「……お願いだから、魔女さん」

「……“僕の猫“を殺しておいてくれ、って」


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 ……。……。……。

 ……殴られる覚悟はあった。

 ……横を見たとき、

 ……泣き崩れる加賀がいた。


「……僕は、君が嫌いだ」


「……そう」


「……僕は、君が、嫌いだ」


「……私もだよ」


 泣き崩れる加賀。結局、この事件をまとめれば、それは“他責”にあった。

 誰かのせいにして、自分の心の平穏を保ちたい。

 猫を殺したのは魔女で、自分はただの被害者で。

 そのとても気持ちのいい被害者のポジションに縋りつきたいだけだった。


(……理解できるよ、加賀。その感情は、とても“普通”なんだ)


 このまま真実を闇に葬ってもよかった。でも、そうはしたくなかった。このまま闇に葬ったら、もうこのまま、加賀の心は孤独から抜け出せないと思ったから。魔女裁判、あのときの加賀の閉廷の選択は、自由を基底とする責任ある選択だった。要約すれば、自分の意志で、自分の全てを否定したのだ。

 自由とは、耳障りのいい悪魔のささやきだ。

 実際のところ無いくせにあるように振る舞い、

 都合が悪くなった途端に自由を盾に人を殺す。


(……あるべき自由とは、どこかに軸が残っていなければならない。……これだって歴史だ。中世的な世襲制を改めたドイツがナチスに傾倒したのだって、国際社会情勢の不安感からの、よるべなのない市民の心が闘争という軸に頼ってしまったからだ。自由の代表的な悪例だ。自由を過信した世界的悪例だ。……もっともヒットラーの薫陶を受ける気など毛頭ない。……加賀、君は普通だ。だから、もっと、シンプルで、誰も傷つかない軸を作れる。……例えば、、、)


 例えば。

 例えば、それは“理解”だ。“共感”だ。“納得”だ。


(……人は孤独でさえなければ、自由と上手く付き合える)


 そんなことを、どこかの社会学の本で読んだ、気がする。

 えらそぶってる社会学者が言ってんだ。そうなんだろう。

 これは仕返しだ。君は私に多大な迷惑をかけた。

 だから、君は私の理解者ヅラを許すべきだろう。


「……最後に一つだけ、聞かせてほしい」


「……なに?」


「……大量の猫を殺した真犯人って、誰なんだい?」


「……」


「……山田さん?」


「……教えないよ」


 ……教えられるわけがない。

 ……よーく、その悪知恵の働く脳みそに刻み込んでおいて欲しいのだが、魔女裁判とは往々にして真実を追わない。追われるのはいつだって時流の弱者であり、追うものはいつだって暫定的な強者だ。そこに論理も理屈も正義もありゃしないし、本旨の弾劾も妬み嫉み僻みを攪拌したゲロマズってのが相場だ。

 つまり、魔女裁判は、魔女など裁いちゃいないのだ。

 だから、魔女裁判の本質は、どうしたって悪なのだ。


 だがね、私はこうも思うんだ。

 我々は欺けない拒絶について、いづれ直視し、苦渋を噛み締めながらも“魔女”を裁かねばならない、と。


 君は泣いていたね。よくわかるよ、泣きたい気持ち。悔しさが苦しみになり、苦しみが全身を這うように広がる。それは祟り目のように罪悪感に変貌し、滲み出るように涙が溢れる。だから泣くんだ。それが人だ。それが人の心だ。人は、だから泣くんだ。

 私は現代的な無作為的自由と多様性について、実に懐疑的でありながらも、どこかで希望を見ている。

 いつの日か、どこかの場所で、誰も傷つかないエデンを奏でられる社会が権限するんじゃないかって。

 そう、思っていた。少なくとも、少し前まで、そう思っていた。

 もう、過去だが。


 人じゃないやつってのがいるんだ。たまに。確実に。


 身に染みたよ。よく、わかった。

 我々には拒絶が必要なんだ。


 だって、そいつ、へらへら笑っていたんだよ。

 

 て猫を殺して。殺して。殺して。殺して。猫

 し猫を殺して。殺して。殺して。殺して。を

 殺こ     ろ    し    て。殺

 を猫を殺して。殺して。殺して。殺して。し

 猫猫を殺して。殺して。殺して。殺して。て


 笑っていたんだ。

 笑っていたんだ。

 笑っていたんだ。


 自白をする笑みは穏やかで、無邪気で、とめどなく。

 加賀、君は、本物の魔女に出会ったことがあるかい。


 そうか。


 ならば、聞かせられない。

 叶うならば、短い生涯、出会うべきではないんだ。


 それほどまでに、魔女アリスは、相容れない倫理の権化であった。


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 十月三十日(魔女裁判前日)。


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「……うう、さぶいねぇ。……ふふ、珍しいねー、テレスの方から夜更かししてもいいよって言ってくれるなんてさー。明日は雨かなぁ。もしかすると、槍かもね。星が見えないや。……もー、テレスってば、ずっと無言じゃん。面白くなーい。やなことでもあったの?……あ、もしや、さっきのほん怖できゃーってなっちゃたのかなぁ、怖がりだなぁ、テレスってば。おばけなんていないんだよ?……まだ無言。なんなのさー」


 月の光も落ちない世闇。草臥れたちゃんちゃんこ。

 木道の小枝を踏み折る。


「……テレス、機嫌悪いの?それとも具合が悪いとか」


「……」


「……だったら、いい薬があるんだ。持ってくるからちょっと待っ――――――」


「……大量の猫を殺した“魔女”の目的はさ、実験がしたかったからじゃないかな」


「――――――なんのはなし?」


「……魔女は言ってたんだよ。料理と薬の調合はトライアンドエラーだって。事実、魔女の飯は美味かったし、要領としちゃ変わんない過程をなぞっているんだろうなってことは理解できた。だったら、当然、薬の調合も何処かで実験をしているんだろうなって発想になる」


 はじめに脳裏に過ったタイミングは大量の猫の死骸を見つけた日。

 五十鈴の悲鳴に混じり、混濁する思考の最中でも明朗なまでに一つの事実を勘繰らせた。


「……薬の調合に実験は必要。だったら、“私がこうして人間の身体を得るための、この薬の調合の実験はいかように行われたのだろう“。こんな思案はいやでも付きまとう。なんせ、自分ごとなのだから。吐き出されるようにぶら下がっていた臓物について考えたよ。考えて、考えて、考えたって、この私の私になるための実験が、穏便に済まされているわけがない。その実験でだ、猫の私の実験で、……猫を使わないわけがないじゃないか」


 それに、時期が合いすぎるんだ。

 加賀が聞き込みを行なっていただろう夏休み。

 私がこの人間の身体を得た時期である夏休み。

 この小さな街から猫が消えたであろう夏休み。

 

「……アリス、正直に教えて欲しい」


 覚悟というと違うのかもしれない。

 それでも問うのは、私が臆病だからだ。

 私はどこまでの平凡で凡庸たる普通だ。

 だから、――――――


「……たくさんの猫を殺した魔女は、お前だね」


 ――――――だから、なんだというのだろう。

 共感が欲しかった。

 理解が欲しかった。

 納得が欲しかった。

 情状酌量の余地があれば、私は、あぁ、そうだな、“許せる”と思った。


「……ええっと」


 我ながら“許せる”だなんて、偉くなったもんだ。

 私はいま、何を見ているのだろう。

 あぁ、夜更けの刻で助かった。

 きっと、私はいま、“この魔女”を人間として見ていないだろうから。


「……バレちゃった。えへへ」

 

 魔女は、悪びれる様子もなく自白をした。

「あ、でも、他の誰にもバレてないから!」と強調するも、心の濃霧が晴れるわけもない。


「……バレるとか、バレないとか、そういう問題じゃないだろ」


 そういう問題じゃないんだ。どうしてわからないんだ。

 わからないのか。

 わかりたくないのか。

 わかろうともしないのか。

 お前、それは、“人間”のすることじゃないんだ。しちゃいけないことなんだ。

 

「……もう、隠してたって仕方がない。なんで、ダメだって言ったのか。なんで、やっちゃいけないって言ったのか。それはお前が子供の頃に作った麻薬まがいの軟膏で何人もの子供達の人生を奪っているからだ。一人じゃない。寝たっきりの子供だっている。山の奥地の家のお婆さんだって、お前の不用意で寝たきりになった子供の父親に殺された。父親だって、今は刑務所だ!……多くの人の人生を狂わせたんだ、普通に考えりゃわかることだろうがッ!!」


 おかしいだろ。ダメだって思わないのか。

 それはダメだって、理解できてないのか。

 そんなことまで、ダメだって言わないとわからないのか。


「……お前は、お前はッ!!……こんなことして、なんで平然といられるんだ」

 

「……」


 ……。……なんで、

 ……なんで、ここまで言われて、

 ……まだ、笑ってんだよ。


「……命奪った奴が、……この後に及んで、ヘラヘラしてんじゃねぇ!!」

 

 ドバドバ、ドバドバと感情の澱が決壊する。

 私は、生まれてはじめて人に暴言を吐いた。


「……」


「……テレスは、つまり何が言いたいの?」


 温度のない言葉。人生ではじめて人を面と向かって罵倒して、喉が痛む。それが冴えるように、魔女の台詞が耳朶を打つ。

 グラッと、視界が歪むような錯覚を覚える。

 さも、まるで、

 そこにいるのが、西田アリスではないようだった。


「……生きる上で、誰かが誰かに作用を及ぼしあうのは必然じゃないの?……私が薬屋のお客さんにいい顔するのも、売上を介したお客さんからの作用。やりたくないよ、私、面白くないのに笑いたくない。でも笑う。これがダメだって言いたいの?」


「……そういう、度合いの話じゃ」


「……度合いの話なの?なら、テレスの私に対する過干渉の度合いは毒親のそれと変わらないよ。自分の価値観を押し付けて、私の価値観をテレスの価値観で支配しようとして、挙句に自分の気に入らない価値観だったら行きたくもない学校に行かせて矯正させようとする。わかってたんでしょ、自分の所業。うん、私も知ってたもん」


「……」


「……でも、それでも、私はそんなテレスが大好きなんだ」


 話が、噛み合わない。話の基底が、私の理解の外にある。

 共感できない。

 理解できない。

 納得できない。

 どうして、無闇に生き物を殺しちゃダメだって、ひどいことをしちゃダメだって、それだけのことがわからないんだ。

 それだけの当たり前が、わからないんだ。


「……告白するよ。私の幸せはね、私が幸せになることによって、テレスが幸せになること」


「……は?」


「……テレスはずっと呪縛の中にいる。昔、山奥のお婆さんに言われたんでしょ。私が“魔女”だって。私のお母さんも“魔女”だった。“魔女”って語彙が薬の調合が由来であるんじゃなくって、どっかひび割れているから“魔女”なんでしょ。うん、全部知ってる。考えて、考えて、考えて、そうだろうなって。だから知ってる。殺した方がいいって言われたことも知ってる。お母さんはお母さんじゃないことも知ってる。お父さんもお父さんじゃないって知ってる」

「……テレスは頭がいいから。だから、ずっとこう思ってたんでしょ。私は壊れているって。自分とは別の軸の倫理を元に生きてるって。そう、テレスは心の奥底からそう“思い込むことにしたんだ”。それはね、誰にでもある偏見ってやつで、差別ってやつで。でも、どっかでこうも思ってた。もしかして、私が間違っているんじゃなくって、お婆さんがおかしいんじゃなくって、お父さんが狂ってるんじゃなくって、お母さんがバカだったんじゃなくって、」

「……思想や良心なんかに擦り寄ってくる、世間が悪いんだって」

「……


 ……私が、間違っている?

 ……私が、……私が?

 ……正しく生きた覚えはない。

 ……でも、お前に間違っていると言われるほど間違った覚えも――――――


「……だから、テレスの思い込みやすいように生きてあげることにしたの」


 ――――――は?


「……可愛げのある子供でいようとしたの。そっちの方が可愛くって、手がかかりそうだから。そうしたの」

「……友達は作れないようにしたの。そっちの方が育てがいがあって、テレスが違うよって言いやすそうだから」

「……猫を殺したのも、このままじゃ私は幸せになれないんだろうな、ってテレスが思いそうだからそうしたの。一人で学校に行かせていること、思想を矯正しようって思っていること、これらへの罪悪感、わかりやすかったから、とびっきりのわがままをしようって思ったの。そしたら、私は幸せになれる。私が幸せになれれば、テレスも幸せになれる。でも、これはちょっと語弊があるかな。“私が幸せなこと”が、“テレスの幸せ”だから」


「……お、お前は、……この後に及んで、“テレス”のためにこんなことをしたとでもいうのかッ!?」


 テレスの幸せが、アリスの幸せ?

 アリスの幸せが、テレスの幸せ?

 ……やめろ。

 ……やめろ、やめろッ!!

 ……こんなことで“共感”をしたくない!!

 ……こんなことに、理解も納得もない!!

 

「……でも、私はね、共感とか、理解とか、納得とか。そんな浅い関係になんてなりたくない」


「……っ」


「……お母さんとテレスは本物の主従関係だったんでしょ。だから、お母さんはテレスの声が聞こえるんだって、観察してたらわかったんだ。でも、そんなお母さんはテレスに裏切られて、念願の赤ちゃんと一緒に崖に落ちた。……共感も、理解も、納得も、もっと大事なもの為の手段でしかないんだ」


 だからって。 

 なくていいわけも、ないだろうが。

 共感がなければ、寄り添う権利をもらえない。

 理解がなければ、かけてあげる言葉が出ない。

 納得がなければ、伸ばされた手を握って引き上げてやることができない。

 ……それが、肝な、はずなんだ。


「……その大事なものの正体はわかんない」


「……」


「……でも、そこにあるのはきっと“愛”なんだ」


 かつての、彼女の母親の姿と被る。

 いまだに悪夢に出るアレと酷似する。


「……もし、私が枷だと思うんなら、私を殺してみなよ。包丁、持っているんでしょ?……ぶすっと刺せば、私を殺せるよ?」

 

 わずかに雲から漏れ出た月光。

 その月光を、私の握っていた包丁が反射する。


「……殺す、殺すって」


「……そのための包丁でしょ?」


「……お前は。私が。……お前を、殺せると、本気で思っているのか?」


 脅しのつもりだった。覚悟のつもりだった。

 そんな私の浅はかな思惑は、砂のように瓦解する。 


「……私も壊れているんだろうけど、」

「……壊れているのは世間もだって。」

「……だから、噛み合わないことを理由に、テレスは私を殺せない」


「……そんな、そんな理屈張った理由じゃ、、、」


「……私にとって、アリスとテレスの循環の輪こそが世界の全てなの」

「……私は、大好きな君と、君が大好きな私がいれば、それでいいの」

「……だから、」

「……テレス。」

「……選んでよ?」


「……」


 

「……私は、このまま幸せを紡いでいてもいいですか?」

 


 花のように笑むアリス。口にする“幸せ”の二文字。それは彼女が実に幸せを享受しているかを描いている。

 この包丁は、理性だ。この頭のおかしい自我を殺す理性だ。

 誰だって大人になるうちに自由奔放だった自我を刺し殺す。

 それが、大人になるってことなのだろう。

 だから、“普通”は、アリスはここで刺し殺さなければなラナイ。


 で、“普通”ってなんだ。

 “拒絶”を選ばせるのか。今更。

 

「……どうして」


 ……どうして、こんなにも残酷なことを強いるんだ。

 ……選ぶのは私だ。

 ……選ぶのは、私。

 ……選ぶのか?私が?


「……私が、アリスを――――――」

 

 ……助けて。

 ……誰でもいいから。

 ……助けて、くれ。


 ここは、地獄の水底。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「……一つだけ、君の推理は間違っている」


「……何が間違っているの?」


「……化学室、あれは二番目だよ。一番目は教室。犯行声明を残したんだ。これから魔女裁判をするぞ、的な文言でね。結局君に潰されちゃったわけだけど、せっかちで二番目にしたわけじゃない。……はじめの犯行声明、あれは何者かに破り捨てられていたんだ」


 ……破り捨てられていた?

 ……誰が?なんのために?


 その後、加賀と会話を重ねることはなかった。間も無くして私は東屋を出た。雨量もおさまったと見切りとつけて飛び出してきたのはいいものの、しつこい雨足はのちに勢いを増し肢体に雨粒が打ち付けられる。びしょ濡れの制服のせいであられもない姿となってしまっていた。

 猫時分は真っ裸でも恥じらい一つないはずなのに。

 冷える頭。

 ふと、よぎる。


「――――……響が、魔女?」


 暁が吐き捨てるように言った告発。

 犯人は加賀だった。

 魔女は、響だった?


「……あれ、なんで響なんだ」


 三毛猫を殺したのは加賀だった。

 大量の猫を殺したのはアリスだった。


「……どっから、響が出てきたんだ?」


 ……なんだ、この胸騒ぎ。

 ……なにか、致命的な見落としがあるんじゃないか。

 この事件は、本当は何一つ解決されてはない?

 いや、加賀の思惑は間違いなく看破したはず。

 しかし、

 もっと、

 もっと、

 言いしれぬ邪悪が蠢いていたんじゃないのか。


「……『響』?」


 偶然か、導かれたのか。『響』の表札。

 響の家だろう。不用心にもドアが開いたままだ。

 私は、まるで誘われるかのように家に踏み入る。

 質素な一般住宅だ。

 すこし、埃っぽい。

 リビングには誰もいなかった。ゴミ袋が所狭しと溜まっている。 

 キッチンにも誰もいなかった。洗い物が放置されている。

 風呂場や洗面所にも誰もいなかった。汚い垢だけだった。

 玄関すぐに階段があった。猫時分の癖で階段の段数を数える。数えて十三段。のぼると、各部屋のドアが三つある。

 一つ、妙に片付いた印象の部屋。

 一つ、雑然とした印象の物置き。

 一つ、『KEEP OUT』の吊看板。ここが響きの部屋だろう。

 私は、そのドアを開く。


 響 響響響   椅子。

 響が、首を吊っていた。


 倒れた椅子の側。そこに遺書らしき手記があった。

『僕は、三人の人の命を殺めました。』と。

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魔女んちの黒猫黒猫 容疑者Y @ORIHA3noOSTUGE

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