第12話 総括と・・・

「我々は!ナメられているのですよ、この、愉快犯に!」


 憤慨する様相を露わにする阿武隈は、いまや消し跡となった白線を指差し口角泡を飛ばす。

 時間は四時間目が終わり、各自が弁当を広げている刻。

 場所は古く使われることのなかった四階の教室の一つ。

 十年も遡らない頃、ここも何組だかのクラスがあったらしい。窓辺の席から見下ろす白線の跡は、大きく、消し跡ながら整っているようにも見えた。ふと疑問符が浮かぶ。ここまで綺麗に整然と文字を書けるものなのだろうか、と。


「……僕も、そろそろ真面目に考え始める時期だと思うけどねぇ」


 加賀だった。頰が青く腫れている。あのあと、殴り合いにでもなったのだろう。


「……ケッ」


 武蔵だった。彼も顔が腫れている。含むものがあるのだろうが、拒否の意はなさそうだ。

 私の入学頃に比べると、クラスの雰囲気は随分と重苦しいものとなった。嚆矢はやはり猫の一件だろう。あれはイタズラの域を超えている。おそらく誰もがその共通認識でいることだろう。もっとも、実行犯以外は、だろうが。ムゴく、グロく、掻っ捌かれた腹を携え力なく横たわる猫の死骸どもは、私たちの心の奥底の根本的恐怖を思い出させた。長けた倫理観の持ち主ほど、こたえたことだろう。


「とっころでさー!」


 吹雪がおもむろに手を挙げ意見する。


「響くんって風邪なのー?昨日からSNS既読もつかないし、花火大会も来なかったし、誰か聞いてる人いるー?」


 吹雪の言う通り、響の席は空席だ。主催者の五十鈴に目配せするが、首を横に振る。確かに音信不通ということか。

 いやしかし、とはいえ一日や二日の音信不通など音信不通ではない。人間の面倒な社交性に嫌気がさし、返信を怠り放置することなどザラだろう。実際昨日同じく返信がなかったと聞く暁はというと、何を考えているのかわからないぼーっとした顔で頬杖を掛けている。


「吹雪氏!いま、その話は犯人探しと関係あるのですか!慎んでください!」


「いや、関係ちょー大アリでしょ!だって響くんが犯人かも知んないじゃん!」


「それは、……むぐぐ」


 阿武隈は言葉に詰まる。壇上にいる彼女にとって、問題の解決には尽力しようとも、いざ具体的に犯人の名前を挙げることには今更ながらに躊躇があったのだろう。そういえば、阿武隈は学級裁判には意欲的であったが、魔女裁判については言及はなかったように思う。混同しているようにも思えるが、阿武隈の意識の中では原因追及と再発防止に重きがあったということなのだろうか。

 実際、むぐぐ、ぐぬぬ、と歯軋りを立てて佇むばかりだ。

 阿武隈としては、響をこの場で犯人とは疑いたくはないらしい。

 しかし、癪だが吹雪の意見ももっともだ。

 響は昨夜に続き、今日も欠席している。

 昨夜欠席の暁は、今日は出席している。


「……暁、君はなにか知らないの?」

 

 正直、声をかけたくない。だが、仕方がない。

 しかし、私のそんな憂慮とは裏腹に、暁はあっけらかんとしていた。


「……え、ああ、ううん。知らない」


「……そっか」


「ともかく!です!一度整理をしてみましょう、初めからです!初めから!もうめちゃくちゃなんですから!」


 仕切り直しを図る阿武隈。めちゃくちゃのはちゃめちゃ。はっきり言って、事件を当初から追っていた私ですら混乱気味だ。いや、当事者であったとしてもこれは、糸屑のように解けない複雑さを孕んでいたりするのだろうか。それはそうと、私も阿武隈の話に賛成だ。だから黙って聞くこととする。

 クラス内からも反論の声は上がらない。唯一、自分の提言を端に置かれた吹雪だけはムスッと眉を顰める。

「そうだねー。僕もサンセー」と、しかし口さきでは同意しているのは彼なりに空気を読んだのだろう。

「ありがとうございます!吹雪くん!」と不貞腐れる吹雪へ生真面目に返事をする阿武隈に含みはない。


「まず、黒板のいたずら書きからです!私のメモ帳から復唱します!

『魔女参上!!!』

『我は田上中学校一年生の善良な生徒である!!!』

『我は我の存在と共に七つの不思議を校内に散りばめた!!!』

『我は貴君の悪行を知っているぞ!!!』

『善良で公平な生徒諸君は六つの不思議を解明し、七つ目の“魔女”の正体を炙り出せ!!!』

 ……けほん、けほん、以上です」


 あいも変わらず、加減が苦手な阿武隈は喉に手をやり咳き込む。しかし、咳き込んだことでズレた黒縁めがねを両手で持ち上げる所作だけはなんとしてもやりきる。とても不便そうで羨ましいと、ふと、そんなことを思った。


「ふざけた内容です、が、しかし!ここに叙されていることこそが最大のヒントであると考えられます!ここの“魔女”とは、誰のことなのでしょうか!」


「それがわっかんないから困ってて草」


「草を生やしている場合ではありません、五十鈴氏!しかし、確かにわかりませんね!一時保留とします!」


 ……大丈夫か、この司会者。初っ端暗雲立ち込めているのだけれども。

 ……司会者の力量に一抹の不安を覚えるが、この犯行声明が当該事件における最大のヒントを秘めていることは明らかだ。もっとも、このクラス内から犯人を特定するというよりも、実行犯の意図を推しはかる意味合いが強いが。謎のベールから素足を伺う機会としちゃ、これほどまでもない。

 まず、『我』とは。嘘か誠かは知らないが、こいつは自分を田上中学校一年生、つまりうちのクラスの生徒を名乗っている。

 次、『七不思議』とは。校庭の消し跡を見下ろす。


(……あれのことだろう。……あのミステリ要素)


 次、『貴君』とは誰か。文脈から、それは『魔女』のことだろう。

 要約すれば、この犯行声明は、わかっていたことだが、実行犯による魔女への脅迫だ。実行犯と魔女は別人だ。察するに、『魔女参上』とは、このクラス内に“わるいやつ”がいるぞと囁くような実行犯による独特な告発なのだろう。

 その犯人が、暁曰く、〇〇な訳で。

 その魔女が、暁曰く、響な訳だ。


(……しかし、妙だな。どうしてこんな回りくどい真似をするんだ?)


 思考を遮るノイズは、より深い思考へと促す。思考は順々と巡回し、気づけば発着地点へと戻る。

 ダメだ、ダメだ。思考の海など堂々巡りがオチだということは前より十も百も承知のはずだろう。

 だから、私は阿武隈クラス委員長の雄弁たる司会進行を傾聴することとする。

 思えば、そう思えば、これは気を紛らわすためだけの茶番なのかもしれない。


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「それはそうと、気になることがあるんだけどさ。黒板の犯行声明っていつ書かれたんだろーね。夏休みの初旬?中旬?それとも月末?ともかく、夏休み期間中かな?だったら登校していた人があやしーよね。部活とか、補習とか、それ以外にふらっと足を運んでいた人がいるんだったら、そっから目星をつけたらいいんじゃないかなー?」


 吹雪の発言。剛を煮やす、とは少し彼の場合違うだろうが、阿武隈の進行では心もとないことも事実。

 彼なりの助け舟のつもりなのだろう。だが、どこかぎこちなく不器用に思えるのは気のせいだろうか。

「そうですね!」と意気揚々阿武隈。

「そうだよー!」と能天気な吹雪。


「では、みなさん!夏休み中に登校した方は挙手を!」


「……そんな馬鹿正直に挙手する生徒がいるもんかね」


「……別に、登校=犯人じゃないから、いると思うよ。何か目撃しているかもしれないし。……私も、一応、、、」


 私のボヤキに、そっと耳打ちする赤城はそっと挙手する。

 予想に反し、まばらに手を挙げていく生徒。

 

「……出揃いましたか?暁氏、コンゴー氏、赤城氏、加賀氏、、、あと、吹雪氏も。……貴方はなぜ学校に?」


「そりゃー、パーティーのためだよ!」


「……パーティー?」


「……っ。あー!あー!なんでもないよ!阿武隈ちゃん」


 赤城は阿武隈の思案を遮るよう身振り手振りをやたら大仰に振り撒く。とうの吹雪もしまった!と口を塞ぐポーズ。そのどこか白々しさの残る吹雪の所作であるが、彼の言うパーティーとはおそらく園芸部主催の例の鍋パのことだろう。きっと生徒手帳一ページ目からの生徒規則をあたかも金科玉条の如く崇拝しているであろう阿武隈に、このイリーガル行為を嗜められることを恐れての奇行といったところだろう。

「……まぁ、いいですが」と煙に巻かれた阿武隈は睥睨しながらも仕切り直しを図る。


「……腑に落ちない部分もありますが、この中で犯人らしき人を見かけた方は?」


「……」


「いませーん!」


「いませんか。じゃあ、次!」


 ……次でいいのか。いや、ダメだろう。思わず反語が出てしまうぐらいにはダメなはずなのだが。別に犯人を見かけたという直接的な目撃情報がなくっとも、それに繋がる間接的な事実、例えばちょっとした違和感などでも拾っていければ究明の一助となるはずだ。

 それに、あったはずだろう。化学室で。見過ごせない“違和感“が。

「……」化学部員の男子生徒は司会進行の速さについて行けずにいる。

「……」化学部員の女子生徒は変わらずにぼーっと虚空を眺めている。


(……様子が変にも程があるが、畜生、暁に深掘りするための話題を投げかける勇気が湧かない)


 よほどのトラウマなのだろう、と我ながら嫌になる。

 しかし、司会進行役はコレの様子をなぜ言及しないのか。含むものはないはずだが、しかし、それはそれで酷いものだ。前から薄々わかっていたことだが、阿武隈は紙背にある言の葉を読み取る能力が著しく低いらしい。そこが魅力的でもあるのが、いかんせん、司会としては及第点以下の赤点だ。


「……次は、っと。はい、東郷先生の机から杖が出てきた件について!」


「あー、あのユニバの杖のやつっしょ!マジウケるwww」


「ウケません、五十鈴氏。ところで、南京錠で施錠されているようですが、このような処置が教壇でとられていたなんて初知りです」


 ガチャリ、ガチャリ、と教壇の引き出しが開けられなくなっていることを確認する阿武隈。

 とはいえ、ここの施錠に特段の意味はないはずだ。登校初日の記憶が正しければ、あれは後付けだから。東郷先生が元から使っていたであろう教師用の指し棒が無防備な警備体制のもと、杖と取り替えられていたと言うだけ。

 あの杖から連想される“魔女”、それが予告文といやにマッチする。

 それこそが犯人の意図なのだろうが、趣味が悪いにもほどがある。


「南京錠でガッチリ固定したのは事件の後だね!あと、その南京錠、聞いた話は学校の備品だったそうだよー!いくつかあるみたい!みんなの備品、生徒のための備品を私的に行使、うん、ワルだね東郷先生!見損なったよ!圧政を手中とする権力側の人間はこうでなくっちゃ!」


「なるほど、事件後の措置ならアテになりませんね。次!」


 次、次、次、、、と言うと、何になるんだっけ。

 色々と思うところがあり働かない頭を振り絞っていると、


「……次は、化学部だっけ、暁ちゃん?」


「……あ、え。ああ、うん、次、なのか、わかんないけど」


 曖昧というか、判然としない言い回しをする暁。当然、「どういう意味ですか、暁氏!」と阿武隈からの糾弾を受ける。よほど脳が曇っているのだろう、粗雑に頭を掻きむしる暁が答えあぐねていると、金剛がこれに割って入り説明を始める。


「タブン、一番ノ事件、化学室、デス」


「化学室内の事件が初犯ということですか!?なぜ、それを言わなかったのです!」


「コンナ、大変ナ事、ナラナイ、思ッテイマシタ」


「それもそうでしょうね!確かに!では経緯を!」


「前回ノ会議、言ッタ。思ウ。人ノfigure、魔女ノ服、着テイタ。ソレデ、ソレガ、、、」


 言葉に詰まる金剛。言語の壁だろう。これでは詳細を聞くのは骨だ。

 ないとは思うが、これで下手なやっかみがつくのは避けたいところ。

 ……暁があの様子では仕方がない。

 ……当事者ではないが出しゃばるとしよう。


「……代わるよ。伝聞になるけど。結論を言えば、おそらくこれが初犯。人体模型に魔女の装束が着せられていたって出来事。夏休み明けの三日前、化学部員の三名、暁、金剛、響は部の活動のために部室である化学室に訪れたそうだけど、鍵のかかった“密室”内でくだんの人体模型に遭遇。おおまかな内容は前々からの会議内容とそう差異のあるものじゃないよ」


「……“密室”、ですか?人体模型に魔女の衣装を着せて出て行けばいいだけなのでは?」


 阿武隈は首を捻る。


「……いいや、残念なことに密室と言って差し支えがないと思う。鍵の管理は知っての通り職員室であり、各先生方の二人体制で金庫を開閉している。だからいろんな先生に借りにきた生徒がいなかったか聞き込みをしたんだけれど、誰も覚えがないそう。金庫の鍵の管理は東郷先生含め当直の先生になるけど、犯人が先生ってことでもない限り、生徒にとって開けることのできない部屋となる」


「……うーん。うーん?つまり、、、」


「……夏休み前から人体模型がコスプレをさせられてでもいないと、不可思議なことが起こってしまっているってこと」


「なるほど!では、やはり密室ですね!誰か、解けた方いますか!」


 解けた方がいないから困ってんだけどなぁ。困ったなぁ。

 当然ながら挙手はない。魔法やらオカルトやらで片付けられることだけは避けたいのだが。


「いませんね。じゃあ、次!」


 いませんね、じゃねぇ。考えなさいよ。

 ズッコケそうになるが進行するらしい。


「次は園芸部でしたよね!では園芸部の方、説明を!」


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「ふふ、そうだねぇ、これも密室になるねぇ。屋上扉にも施錠が施されているのだけれど、その日は勝手に開けられていたようで、僕たちの聖域である園芸部の畑のど真ん中に大きな鍋があったんだよねぇ!なにかくっさいのがグツグツと煮込まれながらさぁ!」


 いやに物々しく、いやに仰々しく、しかし箸にも棒にもかからぬ軽い芝居が勝った物言いの加賀。

 同じ園芸部の赤城は俯きがちに沈黙。うんともすんとも。やはりこう言った場は苦手なのだろう。

 

「鍋、鍋、鍋、……うちの備品にその話に聞く鍋はあったんですか?加賀氏」


「あんな大きな鍋、あんなものうちの部にはなかったはずだけどねぇ。おそらく家庭科室から持ってきたんだろうが、あんなものを運べる人間、なかなかいないんじゃないかなぁ。ふっ、わからないけれど、ね!」


「そうですね。わかりませんね。あれは確かに家庭科室のものなのですか?」


「……たぶん。私は、そうだと思う」


「よし、わかりませんね!なら次!」


 次、じゃないのだが。整理ぐらいしなさいよ。

 それにしたって、やはり厄介だ。鍋は園芸部の備品ではないとする主張が出てきてしまったのだから。だとすれば、自ずと鍋の管理場所は家庭科室であったとなるだろう。鍋は調理道具なのだから、当然の帰結だ。しかし、仮に鍋が家庭科室にあったのであれば、屋上にまで持ってこなくてはならない。


「……ちなみに、なんだけど」


 こそっと耳打ちする。


「……あの鍋、見つけたのは部活開始時間だよね?」


「……うん。いつも通り鍵開けて入ろうとしたら」


「……朝には何もなかったの?変化とか」


「……わかんない。あんまり覚えてない」


 ううん、歯切れが悪い。記憶力に自信がないのか、はたまた。

 ともかく、話を鵜呑みにすれば、客観視、朝方には確認できなかった家庭科室にあったであろう鍋が夕刻部活動が始まる頃には屋上にあってグツグツ煮えたっているという摩訶不思議な現象が巻き起こっていることとなる。

 解かねばならない謎は三つ。

 ①家庭科室の備品をどうやって持ち運んだのか。日中生徒が往来する階段を使うことは困難を極めるだろう。

 ②屋上の鍵はどうやって開けたのか。

 ③そのあと、いい塩梅に煮えるようコンロの用意はどう整えたのか。何時間も掛かってしまえば焦げてしまうだろう。

 つまり、点火されてからさほど時間は経っていないはずだ。


「……その日は、誰が鍵当番だったの?」


「……私、だったと思う」


「……なるほどね。なるほど」


 これは、これは。非常にやりにくいことになってしまった。


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「……ええ、次、次は、、、次は飛ばします!次の次ッ!」


 珍しく猪のような司会進行を続ける阿武隈の言葉尻が鈍る。

 それを見過ごす吹雪ではなく、やいのやいのと野次を送る。


「ええ〜、なんでさ、なんでさー!大事なことかもしんないだろー!」


「ええい、うるさいですね吹雪氏!次なもんは次なのです。はい次!」


 いささか進行が強引だ。いや、元から柔軟な対応とは言えなかったが、問答そのものを排除しようとする態度ではなかっただろう。いったんは聞く姿勢があったはず。「やるんならちゃんとやらんかい!」とまさかの武蔵からも喝を入れられる始末にぐぬぬと苦悶を漏らしていると。


「阿武隈ちゃんさー、私の配慮とからないいからwww」


 ……配慮?あぁ、なるほど、そういうことか。

 うっ、と言葉に詰まる阿武隈。同時にこちらにチラリと目配りする。まともに会話したことない私に、だ。

 私はどうも阿武隈という少女を過信しすぎる。彼女の戸惑いを推察するに、事件現場に遭遇した五十鈴と私への遠慮と言ったところだろう。無遠慮な吹雪と相対し、余計に随分としおらしく見える阿武隈。そうだったな。彼女だって、誰かを思い、自分を律する、それぐらい“当たり前”にするのだ。それを微塵でも残念に思えてしまうのは、流石に勝手が過ぎるだろう。と、一人そっとため息をつく。

 そうだ。そりゃそうだ。誰にだって、行動の結果、他人への影響を憂慮するぐらいのことはする。


「山田ちゃんも、いいかな。いや、でもマジ無理無理なら全然無理しなくていいからねーwww」


「……私も、いいよ、別に。あれ以上にキモいこともないけど、私のせいでこれが止まるのも心外だから」


「そうですか。はい。なら、教室で起こった猫の死骸の件について、話せる範囲で問題ありません。お願いできますか?」


「それはねー」


「……いや、五十鈴、いいよ。私が話す」


 あの現場にいて、泣きじゃくっていた子に回想させるのも酷だろう。気が引けた。

 私はおおまかにではあるが第一発見者として事件の概要を説明した。校門付近で五十鈴と一緒だったこと。鍵を受け取ったこと。匂いのこと。そして、現場を発見したこと。できる限り直接的な表現を避けて、不快になる表現を避け、しかしそれでも顔を青くする赤城などの数名生徒の顔色を見ながら、話した。


「言葉がありません。災難でしたね」


 阿武隈からの労い。意外だった。彼女にもしっかりと人間の心があるのか、と。

 さしもの五十鈴も表情が曇っている。


「何か気づいたことはありましたか?」


 私は閉口する。この件についてはあまり余計な詮索をされたくない。

 思えば、五十鈴の説明を代弁したのは英断だったかもしれない。

 しかし、その五十鈴が「一つ、あるかも」と、おずおず手を挙げる。


「……私、たぶんだよ?たぶんだけど、見たことある子がいたかも」


「……五十鈴氏、あまり無理はなされず」


「……ううん、いい。大丈夫。えっと、たぶん、一匹、三毛猫の子、帰りしの神社によくいる子だったと思、、、」


「――――ナニッ!!」


 ガタン、椅子を倒し立ち上がる武蔵。喫驚。まさしくこれだった。

 しかし、何かを思い悩んだかと思えば、納得いかなさそうに着席。

 そうだった。以前、神社の陰で武蔵が雄の三毛猫について言及しているところに遭遇している。


(……それにしては、なぜだ。初耳だろうに、いやにおとなしいじゃないか)


「……心中お察しします、五十鈴氏。……他の方も、何か気づきや意見は?」


 眇めた視線で武蔵を見遣る阿武隈。やはり、あの態度は腑に落ちないと阿武隈も思ったのだろう。しかし、とうの武蔵は沈黙。結果、話し合いは硬直する。はぁ、と一息つくと、阿武隈は「はい、次!」と司会を進行する。


「次、そう次!これが昨晩の白線騒ぎです!」


「……1、2、3、4、、、阿武隈さん、これって六つ目の不思議なのかな?」


 赤城の気付きに、私も心内で数を数える。

 ①魔女の正体(?)

 ②教卓の杖の一件

 ③化学部の一件

 ④園芸部の一件

 ⑤猫の一件

 ⑥白線騒ぎの一件

 一つ目の魔女の正体については声明文の一文から不思議の一つとカウントしていいだろう。

 だったら次、このあと起こされるであろう不思議で最後、ということになるのだろうか。


「……ほんとですね、赤城氏。で、白線のライン引きは陸上部の備品のはずです!」


「うっ、矛先がこっちに。何も知らないぞ。第一、白線なんてどっからでも持ってこられるだろ!」


 眼光鋭く阿武隈に視線を向けられた大和。

 たじろぐが、毅然な態度で反論を投げる。


「しかし、今朝、私、調べました!陸上部の先輩をガンづめしました!すると、使用された形跡があるとのことです!どうやら予備の石灰の粉が使われて無くなってしまっていたそうですので、間違いありません!」


「ぐっ、知らねぇよ!あと、先輩気が弱いんだからガンづめなんてすんじゃねぇよ!」


「それに、です!持ち手に鎖とダイアル式の鍵がついてあるじゃないですか!番号を知る者は?」

 

「そ、それは、、、」


「これは陸上部員をガンづめですね。大和氏、同行を!」


「い、いやだ。先輩を守らなきゃ」


「問答無用!大和氏、行きますよ」


 そのまま腕を掴まれ連行される大和。

 しかし、後ほど聞くところによれば、陸上部員の先輩と大和にはアリバイがあるらしい。

 大和に関しては武蔵、加賀からの証言がある。実際私も目の当たりにした喧嘩の現場だ。

 もっとも、一晩中殴り合っていたわけではないだろうが、武蔵曰く武蔵の介抱のために彼の家に宿泊したそうだ。


(……いやになる。まただ。また頭を悩ませるタネじゃないか)


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「……たでーま」

 

 玄関で靴を脱ぎ、散らばっているもう一足と横並びで揃える。

 アリスよりひとあし遅れての帰宅。入学以来、よそで遊んできたわけでもないのに突拍子もなくぷくぷくと湧き出るこの申し訳なさはなんだろう、と脈絡もなく考えさせられる機会がよくあったのだが、今日になって妙に納得のいく答えが分かった。それはきっと、おかえり、をアリスに言ってやれないからだ。

 

「……おかえりー」


 リビングから届く声。しかし、いつもよりワントーン低い。それにいつもなら廊下越しに顔を覗かせ嬉しそうにはにかむのに。

 あれだろうか。反抗期だろうか。すごく嫌なんですけど。


「……どったのー?」


「……なんでもない」


 リビングに顔を出し、部屋着に着替える。アリスは椅子に腰掛け読書中だ。

 いや、わかるぞ、アリス。私が何年君の面倒を見てきたと思っている。

 分厚い本。だがページが進んでいない。きっと眺めているだけだろう。

 これは、あれだ。なんでもない、とは見せかけの口ばかりで、しっかりと話を聞いてほしいと思っている時のあれだ。これはちゃんと聞かないと機嫌が悪くなるまでがセット。面倒臭い。最近これが増えてきて、女の子しているなぁって反面、付き合わされる身にもなってほしいと愚痴りたくなる。

 

「……アリスちゃん、今日のご飯は?」


「グラタン」


「……熱いの苦手だから冷めてから食べよっかな。ほら、私猫舌だから」


「……」


 くっ。渾身の猫ジョークが通じない。通じた覚えもあまりないが。

 しかし、見るに機嫌は悪くないようだ。むしろチラチラと悟られないようにこちらを見ているあたり、ネガティブな話を抱え込んでいるわけではないのだろう。

 

「……先にお風呂にしよっかなー。汗かいちゃったし」


「……」


「……なーんか、背中を流してほしい気分かもだなぁ」


 どうだ。アリスの表情を目の端で追う。

 私の苦心など梅雨知らず、視線を落としモゾモゾ落ち着かない様子かと思えば、「……しょーがないなー」と着替えをとりに行くアリス。もう寝巻きに着替えるつもりなのだろう、洗濯物かごからパジャマを取り出す。ここまでもセットだ。私も私で見つめるばかりでは役立たずと罵られかねない。ちゃっちゃと風呂の栓を閉め適温になるよう蛇口を捻る。

 私たちが脱衣所で脱ぎ終え、素っ裸で風呂場に入る頃合いには湯気が充満し風呂もいい塩梅に溜まる。

 身体が人間スケールになった分、これがスムーズにいく。猫の身体でもアリスは容赦などなかったが。


「……ふー、気持ちいいねぇ」


 肩まで浸かる。猫時分だと溺れそうで出来なかったことだ。

「……そうだねー」気のない返事。


「……元気ないね」


「……」


 沈黙。話しづらい内容なのか、はたまた話の切り口がわからない内容なのか。どっちにしたってよくあることだ。こういう時は辛抱強く聞いてやるほかない。しかし、おそらくではあるが別に悪い内容ではないのだろう。私から雷が落ちる案件は全力で隠し通す主義のアリスちゃんだ。だから私が焦る必要はない。

 とはいえ、待っているばかりでは湯にのぼせる。

 先にシャワーを浴びようと立ちあがろうとすると、


「……あ、あのさ、テレス」


 呼び止められる。

 私はもう一度肩まで湯に浸かる。


「……テレスってさ、……その、……友達って、なん、だと思う?」


 ……友達。友達。ともだち。猫の私にそんな高度な人間的素養を聞かれても困るのだけれども。めちゃくちゃに難しいじゃないか。友達。友達。ともだち、ねぇ。知人以上、恋人未満、好きのベクトルが大き過ぎない関係性、だなんて回答で満足してくれるだろうか。いや、ないな。

 それにしたって、しかし、これがすっごくいい兆候だ。

 アリスが人間らしく、人間っぽい悩みを吐露している。

 言葉を選ばねば。おじゃんにはしたくない。


「……おーい、聞いてるー?」


 不満げに頬をふくらますアリス。

 回り回って窮地に立たされている私の身の上話など知る由もなく。


「……あ、アリスちゃんはさ、私のこと、どう思ってる?」


「家族」


「……前に世話になった医者のおっちゃんのことは?」


「誰だっけ。……あぁ、思い出した。いい人、かなぁ」


「……関係性的に言うと?」


「関係性……知人関係とか」


 どうにも的を得られない会話に不機嫌そうな顔色のアリス。

 しかし、こっちも手探りだ。

 理解できる語彙に落とし込まねばならない。

 友達とは、良くも悪くも本人の人格形成に大きく影響を及ぼし得る関係性のことを指すものだろう。それはときに学力面、ときに素行面、はたまたは人間性にも大きく。これはきっと、人間は社会を形成する担い手であると同時に、友達というファクターを介しどうしようもなく社会に作られている証左であるのだろう。どうしたって社会に組み込まれる人間は、社会に対し、社会に見て欲しいような顔をする。

 そんな悪戦苦闘が人間社会の根本で、『友達』の持つ力であり、本質だ。

 だから、こんなところで間違った誘導など言語道断、あってはならない。

 ……友達、友達、ともだち。


「……なら、よくアリスを気にかけてくれるクラスメイトの赤城とかは?」


「……」


 おおっと、露骨に目を逸らしましたよ。

 そうか。

 そうか。

 なるほど。なるほど。ダテに十年少々君と一緒にはいないのですよ。わかります。わかりますとも。さしずめ、友達という謎単語のパスワードが赤城だったというところだろう。しかし、アリスの中にある澱、意固地に似た煮え切らない情状。その表情には図星であると同時に図星であることを自分自身納得したくない葛藤が浮き出ている。だから遠回しに私にモノを問うのだ。友達とは、なんて、小っ恥ずかしいことを。

 もう、本当に愛狂うしいことこの上ないが、

 これ以上にじゃんくさいこともないだろう。


「……家族ってさ、戸籍もそうだし、棲み方暮らし方もそうだし、割と形があるじゃん。血の繋がりがあるにしろ、ないにしろ、一緒に暮らして、飯食って、出掛けて、一緒に帰ってきてさ、たまにこうして風呂にも入って。そういうもんだろ?」


「うん」


「……一方、知人は知っているだけ。沢山いて、そんなかで二、三人くらいしか顔を思い出せない存在」


「うん」

 

「……まぁ、その、……あの、……中間あたりの関係性なのではない?」


 ……まずい。

 ……あぁ、まずい。

 語っているうちにそれっぽく教訓のあることが思い浮かぶだろうと舌に言葉を乗っかるがままに吐き出していたが、結局月並みな結論に帰結してしまった。これじゃ不時着もいいところだ。しかし、しかしだ、私だって友達が何ぞなんて知っているわけがないじゃないか。むしろ私は小首を傾げて人間に問う側のはず。なんせ、私は猫だぞ。どこにだっている黒猫。それがつらつらと友達について語ってみろ。なんか、なんか間違っているだろう、それは。

 

「……うーん、腑に落ちない、それ」


 案の定、難癖を溢し、シャワーを浴びるため立ち上がるアリス。

 ちくしょう。

 それをのぼせる頭をしわくちゃにし考える身にもなってほしい。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 猫舌にはちと熱いが、今日もアリスのグラタンが美味い。この味も昔からだったわけではなく、以前に言っていたように試行錯誤の結果なのだろう。友達なるもの、そうやって距離感の試行錯誤の繰り返し成るものだ、ってのは通じないか。


「……逆に、友達ってなんだと思う?」


「わかんないから聞いてるんですけど」


 ……なぜ態度がデカいのか、この小娘は。腹立つんですけど。「……じゃあ、どんなんだったらいいなぁって思ってるの?」とイジワルな逆質問をぶつけてやると当の本人もわかっていないのだろう、たじろぎながら「……だからわかんないだって」と目線を逸らす。

 

「……」


「……むー」


 グラタンを頬張るアリス。差し引いても、ちょっとむくれているように見える。

 よくあることだ。自分にはわからないものだ、理解できないものなんだ、と諦めて、でもどっか悔しい感情がトゲのように心に突き刺さる時のよるべのない怒り。どこにもアテのないもんだから、それを私にぶつける。よくあることだ。よくあることなんだ。


(……不憫だ。ひどく、不憫だ)


 もちろん、八つ当たりの対象の私もだが。

 常識との摩擦に苦しむ、この娘のことが。

 多くあってはならないのだ。

 常識なのだから、普通なのだから、いつの間にか身につくもののはずなのだから。


(……簡単なことが、簡単なはずのことが、理解もできなきゃ納得もできないのだ)


「……このジャガイモ、美味しいよ」本当はフーフーし忘れて猫舌が火傷しそうになる程ホクホクだったし、そのせいで味も中途半端にしかわからなかったけど、目を見て美味しいと言ってやりたかった。だが、こういう不器用な小賢しさは子どもには通じないのが常だ。特に、この娘には。


「……そ」


 ……ダメか。ちゃんと答えてやらないと。

 ……私としても、彼女に答えてあげたい。

 しかし、わからないのは私も同じだ。否、どこかでわかっているはずのものをわざわざ言葉にしてやれるほどのポキャブラリがないのか。歯がゆい。アリスは私が猫であることを忘れているのだろう、この人間社会の高度な交流の在り方を、それをどこかで薄々わかっている私に答えさせようとしているのだ。

 猫でもわかる人間の“普通”を、人間に教えてやれない苦しみを、誰かわかってくれるだろうか。


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 朝の五時には起床。だから、九時には寝る。

 いつもであればルーティーン化した流れがある。温かいミルクを一口、トイレを済ませ、まどろむままに熟睡する。しかし、今日は悩み抜き、悩み抜き、悩み抜き、おかげで眠れそうにない。気まぐれだろう、私のベッドには先客がいて、そいつはさも当然の権利であるかのように私の枕を抱き枕にしている。

 自室があるにも関わらず週の大半を私の部屋で過ごしているのだから、もはや気まぐれの域は超えているようにも思えるが。


(……どーしよ)


 暗がりの月光で霞む天井のシミを目で追う。

 隣から随分控えめな寝息。狸寝入りだろう。

 せっかく起きているのだ。そろそろ答えを出してやりたい。


(……赤城はどうだ。優しく気配りができる彼女は友達か)


(……五十鈴はどうだ。空気感を読みすぎる彼女は友達か)


(……吹雪はどうだ。とにかくうるさく面倒な彼は友達か) 


(……暁はどうだ。何を考えているかわからないが友達か)


 友達。

 友達。

 友達。

 

(……いや、待て)


 ……こんなもの、私一人が考えてわかるものなのか。

 もちろん、だったら学者やら知識人やらを通せ、と言いたいのではない。友達とは元来にして、どうしたって一人でできるものではない。一人の世界に友達は作り得ない。だったら、ここで一匹悶々と悩み尽くそうとも、得られるものは自問自答の末に堕胎した中身スッカスカの友達論であり、誰も死ぬほど興味のない机上の空論でしかない。そんなものを教えて、私が満足して、果たして彼女は満足するのか。

 まぁ、うん。するわけないか。

 だが、答えの出し方はわかる。


「……アリス。なんとなーく、今思ったことを思うままに言葉にするならば、だけど」


「……」


「……友達って、まぁー、いろんな形があるだろうけど、本質的に一人でいる間はできないもんだろ。最低、二人必要なわけで。だから、ここであーでもないこーでもないと間違い探しをしたところで徒労なわけで。勇気出した一歩先にある、心のどっかを共感、理解してもらえて、それを納得してもらえる関係じゃないかな」


 なーんて。猫がもっともらしく言ってみたり。

 それは、彼女にとって耐え難く高い壁であろう。

 だけれども、壁の前に進まない限り、道はない。


(……とは言ってみたけど、それだとアリスが怖がる理由も痛いほどよくわかる)


 なぜならば。

 なぜならば、彼女が他人から共感や理解や納得がされるとは思えないから。

 なぜならば、彼女はずっと、ずっと昔から、どこか壊れているのだから。 

 

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 六つ目の不思議から数日後。まだ七つ目の不思議は起こっていない。

 四時間目に週一の奉仕の授業だかで落ち葉拾いをした後、現在は昼休み。

 牛乳パックに挿したストローを咥え、私は人間のメシに慣れちまった我が舌を呪う。これじゃあもうカリカリに戻れないじゃないか。戻りたくもないが。人間になって、人間の目の高さで生活して、寝て、食って。あれこれと異文化に浸透し最もわからせられたことは、飯の美味さを知ってしまったことに対するいささかばかりの罪悪感だろうか。猫時分、私にはこれでいいも、これ以上もなかったのだが、今になっては過去と今を比べて未来の目算を立ててしまう。


(……業の深いこっちゃなぁ)


 ちゅるちゅると牛乳を飲み干し、窓辺の席に吹き荒ぶからっ風を堪能する。

 黒板には消し忘れの宮沢賢治の『やまなし』。

 鼻腔をつくチョークの匂いとクリームの香り。

 談笑。筆記音。談笑。談笑。スースーいびき。

 肩に見知った子の頭がのっかりながら、この臨時の教室を見渡す。


(……今日も響は欠席。音沙汰もなし。暁も、あれからずっと調子がおかしい)


「……西田さん、来てくれるって。鍋パ。楽しみ」


「……そっか。ありがとね」


「……?なんでお礼言うの」


「……言いたくなったからだよ。そんだけ」


 私のボロに「なにそれ」と呼応する赤城。

 お礼も言いたくなる。そっか、と初耳ぶったが、すでに知っていたのだ。アリスが赤城の誘いを受け入れるよう促したのは私なのだから。アリス自身、やぶさかでは無いようで、どうしたらいいのかわからない、と戸惑った様子は見ていて初々しく可愛らしくいじらしかった。恥じらいからか直接的な言及はずっと避けていたが、ねちっこく私に『友達』を聞くアリス。その度、頭を悩ませたものだ。


「……他も、誰か誘うの?」


「……まだ決めてない。けど、うーん、どうしよっかな」


 チラリと暁を一瞥する赤城。気がかりなのだろう。あれからと言うもの、暁の様子はずっと上の空だ。ぼーっと心ここに在らずな状態が続いており、それは給食のパンの残り滓を頬につけたまま取り払おうともしない様からも十分に推察できる。

 だから、まだ、開催は今じゃ無いのだろう。

 だったら、開催はいつの話になるのだろう。


「……ねー、これ、どこ産のクリームなの?変なのじゃないよね?」


「はー?なーわけないじゃんwwwドンキで買った保湿剤だよwww」


「すんすん、……お風呂の香りですね、五十鈴氏」


「お風呂の香りwwwウケるwww」

 

 どうしてか異様に訝しむ吹雪、上機嫌な五十鈴、天然を発揮する阿武隈。

 珍しいメンバーだ。三人で椅子を向け合い五十鈴持参の保湿クリームを肌に馴染ませている。そうだった、もうそんな季節だ。保湿をしないとカサカサと肌が乾燥して荒れてしまう。そういえば毎年、炎症を起こしてからでは遅いとアリスにも口うるさく言っているのだが、面倒くさがって気分の乗った日にしか手入れをしない。

 やはり、女の子嗜みというか、大事なケアの一つだろう。

 女の子。女の子?いや一匹違うな。あれはなんだ?虫か?


「……」


 虫もとい吹雪に目をやる。彼は風呂の香りとやらがするクリームを胸元に塗布する。

 ふと、事故で一ミリも興味のないものが視界に映る。


「……うわ、本当に女の子じゃないんだね、キミ」


「わ、えっち。見てたんだ。山田さんのえっち!」


 わざとらしく胸元を隠すそぶりの吹雪。なんだ、こいつ。しばき回してやろうか。それになんだって胸元からクリームを塗り始めるのか。そういうものなのか。生の大半を毛むくじゃらで過ごした身のうえ故にわからんのだけれど、そういうものなのか。そういうもんか。なんで妙に思ったんだろ、私。


「……ハッ」


「あ、鼻で笑いやがった」


 とりあえず、私のミジンコほどの矜持がこいつに馬鹿にされることを許さず嘲けてみせる。

 もう転校生としての印象も薄れる期間、この中学校に在籍している私だが、こいつはずっと掴みどころのないキャラをしている。真面目でもなく、不真面目なわけでもない。薄っぺらいように見えて、そのくせ腹の底を見せない。それゆえにキモい。

 まぁ、猫の私が人様の心理を読み解こうってのが俄然無理な話だったのか。


「……あ、そうそう、山田ちゃん。僕さ、前に話していた件についてお話ししたいんだけどー」


「……前?なんのこと」


「はー、呆れる、呆れるね、忘れちゃうとは!前に話した件といえば前に話した件のことだよ、山田ちゃんは認知症なのかな?……あー、ほんとに分かってない顔。……魔女の正体のことだよ。情報提供をし合うって約束したじゃないか。ここ最近はなぁなぁだった気もするけど、ここは一旦、認知症疑いのある君の持っている情報と僕の情報を精査したい。帰り道は暇?暇だよね?暇なんだ!僕もなんだ!」


 情報提供、、、そういやそんな話をしていたか。情報が錯綜しすぎていて忘れていた。

 しかし、今更こいつから何を聞き出せばいい。

 暇と聞かれれば暇だ。だから、時間は作れる。

 問題は吹雪がどれほどの情報を得ているのか。

 はじめ、私の吹雪への印象は面倒臭い探偵気取りだと思っていた。そうでなくとも好奇心旺盛な野次馬か。しかし、あれは一過性のものだったのか、彼が口にしているほどミステリに執心しているようにはどうも思えない。


(……加えて、私は既に暁から犯人と魔女の正体を聞いている)


 だが、使える情報の有無に関わらず、こいつが私たちに不利になる情報を持っているならば、しかるべき処置を取らねばならない。


「……いいよ」


 そう言えば、そいう約束だったはずだ。


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「……ま!君に大口叩いたわりには僕もしょーもない情報しかないんだけどね!武蔵くんと加賀くんが喧嘩して怪しいー、ぐらいかな!」


「……は。くたばれ」


「……山田ちゃんさ、さすがに僕に辛辣すぎない?」


 無駄な時間だった。帰ろう。帰っているんだけど。

 帰宅時間の情景とは決まったルーティーンのようなものだ。朝日とは似て異なる夕陽。目前を明るくなった車内の電車がガランガラン音を立てて素通る。うっすらと月の面影。ここ最近の変化と言えば、キリギリスの小唄が合唱に置き換わったことに加え、新調したカーディガンの肌触りぐらい。


「あー、あー、はいはい、もー、わかった、わかったよ。一個だけ、一個だけ、君が知らない“かも”しれない情報があるんだ・け・ど。……お、興味津々って顔だね可愛いよア、アイタタタ!……もう!バイオレンスは禁止で!……で、聞く?」


 ……やはり、私はこいつが嫌いだ。

 ……いらないわけ、ないだろうが。

 

「……わざわざ聞くかどうか聞かないでもらっても?」


「あ、じゃあ聞かないのね、、、あ、あー、グーは、グーはやめて!」


 ひらひらと降伏のポーズの吹雪。こいつの態度は一貫して誰に対してもこうだ。ゆらゆら、だらだら、物事を適当に流す。そこに感情の起伏は見られない。

 その人物像はまさしく、誰からも抜きん出て好かれることはないだろうが、嫌われることもない道化。

 しかし、だとすると不思議で仕方がない。ならばどうして、私はこいつがそこはかとなく嫌いなのか。

 私の思慮など知る由もない吹雪は、引き伸ばした駄弁から会話に引き戻す。


「三毛猫ね。例のオスの三毛猫。実は僕も見かけたことがあるんだ。それも、校内で!」


「……校内で?」


「お、食いつきいいね!続けるけど、会議で話題になっていたオスの三毛猫、僕も物珍しさもあってよく絡んでいたから憶えてたんだ。たまーに給食の残りもあげちゃったりしてね。あの子、ずいぶん人馴れしていたから、誰かの飼い猫なんじゃないかな。首輪は、、、していなかった気がするけど、すごく人懐っこかったから!うん!……そー思うと、寂しいもんだね」


 人懐っこい。そういえば、武蔵も五十鈴もそんな風なことを仄めかしていたような。

 だったら、この発言は信憑生が高い。

 あの三毛猫が、学校にまで来ていた、か。


「……」


「……六つの不思議が発生した。あと一つの不思議を最後に、魔女の正体を暴かなければならない」


 なんだ、いやに真剣な口調じゃないか。

 猫の一件、飄々としているように見えるこいつも、それなりに堪えていたということか。

 らしくない態度。いやいや、らしくない、と言えるほど、吹雪のことをよく知らないな。

 

「君は、魔女の正体が分かったかい?」 


「……いや。ぜんぜん」


 はぐらかす。

 知っている。聞いたから。知ってはいる、が。バラすタイミングは見極めなければならない。

 しかし、らしくない吹雪はなおもくってかかる。「正直に言って欲しいな」と、らしくなく。


「……君は、誰が“魔女”だと思う?」


「……まぁ、目星ぐらいはついてるよ」


「……だれ?」


 眼光鋭く、射抜くように私を見据える吹雪。

 日暮れで移り変わる閑静な街路を背景に。

 そう言われては。

 私は、猫にはない四肢を、腕を、指を、すっと向ける。


「……お前だったり?」

 

「……」


「……冗談だよ」


「……それ、まったく面白くない」


 山々の輪郭をなぞっていた赤色の稜線。でも、そのインクも溶けて、混ざり、全ては均一の黒に飲み込まれる。

 夜は等しく誰にでもやってくる。

 吹雪の顔はバチッバチッと点滅する街灯が影となり、見えなくなる。

 そうか。面白くなかったか、私のジョーク。それは悪いことをした。


「……帰る」


 帰っているだろ。


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 やられた。夜道で一糸纏わぬ裸ん坊になってしまった。まずいよなぁ。


「……まぁ、でも、猫だから。いいのか。それでも」


 いや。いやいや。猫になった、否、猫に戻ったからこそ、まずいのか。

 どうしたものか。たまによく頻繁に予期せず効果が切れるものだから困っちゃう。薬は万能ではないと専門家のアリスさんに口酸っぱくご教示いただいてきたが、こんなとんでも科学を披露されておきながら、とても現実的な効果時間を実現させているというのは解せないだろう。


「……仕方がない」


 制服を夜道の路傍に放置するわけにもいかない。

 私はすぐ横にあった裕福そうな家の庭にお邪魔し、トボトボ噛んで運んだ制服を花壇の裏に隠す。

 悪いね、ここの家主さん。

 名前、なんて言うんだろ。

 機会があれば猫の恩返しをしてやらねば。モグラとか。ネズミとか。


「……ん?『吹雪』」


 まさか、と思った。しかし、カーテンの隙間からわずかに漏れ出る光に蛾の如く視線が引き寄せられて閉まった先、吹雪がいた。どうやら今は着替え中だったらしく、みたくもない赤裸々な姿を見せられてしまった。勝手にみておいてなんだが、本当に見たくはなかった。

 そうか。女物の下着ではないのだな。

 、、、。

 、、、やめよう。これではまるで変態だ。

 わりと遠回りの岐路のはずなのに、こいつの家に行き着くとは。

 他に近隣の学校もあっただろう。どうしてわざわざ遠い学校を?

 ……まぁ、事情があるんだろう。

 遠距離の学校を選ぶってことは。


(……しかし、改めて家の外観をみても、やはり裕福そうだ。塀も高く、庭も広い)


 おまけにガレージらしき場所には、遠近感の狂う外車のクロカン。

 凝った意匠こそわからないが、整然とした印象が全体から感じ取れる。


(……ん、なんだ、あれ)


 ただ一つ、妙に目を引くものがあった。

 それは小瓶に添えられた花だ。

 質素な透明のから瓶に土を詰め、根を張り花が咲く。

 パンジー、マーガレット、ラベンダー、他にも複数。


(……整った印象の家なのに、なんか、統一感がない)


 それに、比較的育てやすい植物にも関わらず萎びているようだ。

 これは、あれだな。私もよくアリスに叱られる。手入れ不足だ。

 勿体無い。


(……服を隠す礼、……と、あんまり面白くないジョークをしてしまったことの罪滅ぼしだ。どれ、一つ持って帰って、元気に、そんで綺麗に育てて返してやろう。なに、わざわざ礼などいらんよ。ただ格の違いと植物への慈愛の心を見せつけてやるだけさ)

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 鬱々とした雨、雨、雨。ここ三日ほど、ずっとこの調子だ。

 三時間目の国語の授業を終え、四時間目の理科に備え実験室へと向かう。

 秋のオーケストラも奏者が壇上から降り、寒夜の冬を越す静寂を産む。


(……もう、雪の落ちる季節か)


 あれから、アリスと赤城が会話を交える光景を度々目にする。

 会話、というと、違うかもしれない。あれは赤城が場の空気を読み話題を広げ、アリスが素っ気のない返しで話題を踏み潰す。会話というより、キャッチボールのつもりの球を捕球もせず素通りするあべこべ野球を見せられているようで、いたたまれない。あれは会話ではない。何より、楽しそうではない。しかしこんなもんなのかもしれない。人間の友達なんてもの、猫に判りようがないのだから。

 

(……やっぱり、壊れた歯車は何とも合致しないものなのか)


 辛抱強い赤城の頑張りは是非もなく成就されてほしいと思うばかりだ。アリスの為に。

 他人ばかりに求めてばかりってのも性に合わない。


「……背負うよ」


 だから、こっちも毛嫌いしてばかりもいられない。

 そばにいた金剛に彼女の車椅子を託し、私は暁を背中で持ち上げる。


「……ありがと」


「……なんでも」


 ずっと、様子がおかしい。あれからだ。あの一件から。街灯に立つ影のような不気味を知ったあの日から。

 その、骨と皮だけのような軽い身体を起こし、背負い、背中伝いにじんわりと感じる体温と女の子の匂い。

 軽口を飛ばそうにも、口が重い。


「赤城は、やさしいねー。いつも、いつも」


「……」


「西田さん、むずかしい子だもん。私だったら友達にはなれないし、なろうとも思わないけど。はじめて会った時からずっとそう思ってた。ここ、小学校の頃からおんなじ学校の子が少なくてさ、一匹狼を気取ろーもんなら本当に馴染めなくなるんだ。阿武隈ぐらいだよ、例外。あの子、根は馬鹿だから」


 どうして、アリスの話になるんだろう。

 他にも、小学校からの顔馴染みが少ない理由とか、阿武隈のクラスでの立ち位置とか、気になることもある。けれども、唐突に滔々と述べる赤城のアリスへの私見は、不快なまでに心中を這う。


「……私はーさ、一匹狼になんてなりたくない。きっとさ、西田さんもなりたくなんてないんだと思う」


「……」


「……友達が欲しい」


「……」


「……許されないことも、許してくれる。そんな友達が欲しい」


 ……許されないことも。何が許されないというのだろう。

 ……許してくれる。どうやって許してくれるというのだろう。

 ……彼女のいうところの友達とは、いったいなんなのだろう。

 悲しいかな。

 悔しいかな。

 それはきっと、私が希求する何かに最も近かったりするのだろう。


「……っ」


「……大丈夫?」


「……大丈夫」


「……そ」


「……うそ。あんま大丈夫じゃない」


 階下へ降る。吐息を横に、無碍にもできない人の命を背に、階段を踏み締める。金剛はすでに階段の前の廊下に車椅子を丁寧に置き、私と暁の到着を待つ。もうすぐに私はお役御免だ。

 最後の一段、その刹那、肩を抱く手に力が入った。

 もう、離れないといけないのに。

 その手は、むしろ、離れまいとする意志があった。


「……もし、もしも、」


 羽虫のような、すがるような、そんな声にもならない声で。

 塞げない耳の奥の鼓膜が、拾うか否かのか細い声で、問う。


「……もしも、助けてって言ったら、テレス、助けてくれる?」


 助ける。助ける、って、何を。何から。

 とぼける表層の意識。その裏腹、耳朶に響く拍動。

 バクバクバク、と。

 バクバクバク、と。

 ずっと、ずっと、心の奥、言葉も侵入できない深層の領域で、

 私はひどく理解と納得を示してしまっているのかもしれない。

 

「……ごめんね」


「……」


「……ははは、なんだろねー。ほんと。変なの。この前キモかったでしょ、私。てか、今もじゅうぶんにキモイか。ごめんね。……ごめん。……でも、君なら、君ならさ、受け入れてくれる気がしたから。受け入れずとも、わかってもらえなくても、……許してくれる気がしたから」


「……」


 やめろ、聞きたくない。気持ち悪い。やめろ。

 

「……ごめんね」


「……」

 

 気持ち悪い、

 気持ち悪い、

 気持ち悪い。

 黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ。


「……ほんと、ごめん」


 何が、ごめん、だ。

 何が、ごめん、だ。ふざけんなよ。お前のクソッタレた人生相談なんかのるもんか、誰がのるか、しらねぇよ。勝手に話を進めてんじゃねぇよ。

 なんのことだかさっぱりだ。お前は何がいいてぇんだよ、気持ち悪りぃ。何が、理解だ。何が、納得だ。何が、許す、だ。テメェの整理のつかないクソッタレ思想を押し付けて身勝手にヨガッてんじゃねぇよ。結局、許す許す許す許すって、テメェが勝手に自分を許せてねぇだけだろうが。

 私は、違う。

 私は、違う。

 私は、違うっ!!

 私は、お前“ら”なんか“異常者”とは――――



 あ。



「な、なんのことか、さっぱりだよねー。は、ははは。ごめん。……でも、キモイけど、……、あ、……のさ、……わたし、狂ってるって、思われるかもしれないけど、わたし、……わたし、実は――――」


「――――おい、おい、おい!あれ、あれ!なんだ、あれ!」


 …………。

 これは後日譚になるのだが、この日、次授業で使う化学室で七不思議があった。

 目撃者によれば、ホウキが浮いていたそうだ。

 魔女が乗って空を飛ぶ塩梅で、スーッと一人でに。

 第一発見者は複数名の一年生。武蔵が持っていた鍵で開錠し、武蔵と大和が侵入。しかし、その時点でホウキは力を失ったように化学室の実習用テーブルに叩き落とされたそうだ。ホウキを手に取った二人は、なんの違和感もないただのホウキを他一年生数人に見せてる。

 またその間、これは第一発見者は阿武隈だそうだが、彼女は目前の黒板を指差し、以下の文言を復唱したそうだ。

 

『さぁ、これにて七不思議は出揃った!』


『魔女を炙り出せ!』『火炙りにせよ!』


『“魔女裁判“を開廷を宣告する!』

 

 これが、あらましだ。犯人からの、最後となる七不思議の犯行の。

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