第11話 七不思議
休校の決定が下されたのは、私と五十鈴が東郷先生のいる職員室に駆け込んでからというもの、すぐであった。
啜り泣く五十鈴の傍に居てやった。いや、傍にいて欲しかったのは果たして彼女の方だけだったのか。ともかく、五十鈴が品のいい両親のもと送迎されるまで、体重を預けられていた頭を撫でながら、微かに鼻腔を突く残り香と乾燥した空っ風を肌に感じていた。
「……山田さん、だよね?一年生の。お隣、いいかしら?」
一人、職員室のかどで物思いに耽るわけでもなく茫然自失と座っていると、若い女性の声と共に警察官が私の横隣にパイプ椅子を立て、座った。
ガタイのいい女性だ。耳が潰れている。柔道耳というやつだろうか。
「……能天気にでも見えましたか?第一発見者として、アレをペラペラ喋ってもらえるとでも?」
「……そういう思いで話しかけたんじゃないけど、うん、否定はしきれないわね。ごめんね」
ふと目を逸らす女性警官。あぁ、違う、違う。やめよう、可愛げのないことを言うのは。
摩耗した心の拠り所に他人を貶す行為を落とし込むのは私の倫理に反する。
「……すみません。気が立ってて。ただ、その、尋常じゃなくって」
「……わかるわ。私も、キツかったもの。それを突然に、だもんね」
「……もちろんですが、現場のものには一切手をつけていません。あれが、ありのままです。鍵はかかっていたと思います。私が開けたわけではないですが、同級生の五十鈴さんが鍵穴に鍵を差し込み、回しているところは確認しています。だから、ちゃんと閉じられていたのかなって」
「……ありがとう。参考にするわ。でも、本当にソレについて話す以外の目的もあったのよ?」
「……ほか生徒のことですか?怪しい子はいなかったか、様子のおかしい子はいなかったか、とか?」
「……利口というか、利発なのね、あなた」
「……私、この中学に登校してまだ浅いので、詳しい生徒の動向とかは、、、」
「……でも、聞きたいのはあなたのことなのよ」
……私について?なぜ?仮にそうだとして、なんだ、何について話せばいいんだ。あれか、実は私は猫なのです、とか。もとは黒猫で魔女のペットでひょんなことから人間の姿で学業に勤しんでいますとでも?悪いが、そこまで自暴自棄にはなっていない。それくらいには、まだ私は冷静さを保てているはずだ。
「……怖かったでしょ?」
「……怖い?」
「……ええ。どうしようもなく理不尽な恐怖と。あと、漠然とした、でもそこにある確かな恐怖。そんなのが入り混じっているんじゃない?」
何様なんだ。わかったような口を聞きやがって。何が怖いと言うのだ。そりゃ、当然に猫の死骸の山との邂逅など悪い冗談でも出くわしたくなどない。二度と見たくない。そういった意味では理不尽とも、恐怖とも言えよう。それはある。しかし、漠然とした恐怖などない。
あの現場に居合わせようとも、今日を生き延び、明日も続く。
犯人もわかっている。〇〇だ。魔女だって。魔女だって響なのだろう。
それ以外に、なんだってんだ。
それ以外、に、、、
あぁ、、、
やめよう。
これは、虚勢だ。
「……漠然とした恐怖、ですか」
ひとつ、推論がある。
とはいえこんな推論、所詮は憶測と穿った思い込みの上に成り立つ砂上の楼閣のようなものなのだろう。確信などしようはずもない。吹けば飛ぶ邪推。しかし、いやに脳裏にチラつく狂気的な真実の可能性。それが漠然にも、ただ猛烈なまでに悍ましく胸中にがなりたてているのだ。あぁ、そうだ、私は恐怖している。
目を覆いたくなるような、真実の可能性に。
「……警察のお姉さん、これって何罪になるんですか?」
「あぁ、ええっと、動物愛護保護法違反かな。あと、威力業務妨害も。お姉さん、検察じゃないからたぶんになるけど」
そうか。そんなもんなのか。
「……中学生でも逮捕されるものなのですか?」
「……心配しなくてもいいわ。あんなの、普通の中学生にはできっこないから」
つまり、誰かがやった、とは睨んでいるわけだ。
まぁ、あの惨状を見て猫の集団自殺だとは思えないが。
憔悴しきった子供と認識されているなら、便乗しよう。
「……できないって。だって、死体は猫ですよね。なら、中学生でも、その、、、」
「あんな酷いことをする友達でもいるの?」
「……わからないです」
「じゃあ、大丈夫。……大丈夫よ」
「……でも、やっぱり不安です」
だから、と上目遣いで大人を見やる子供を演出する。
「……少しの間でいいので、お邪魔じゃない間、ここにいてもらってもいいですか?」
全ては、“あらぬ可能性の排除”のため。
ここで出来得る限りの情報を絞り尽くす。子供の情でも、涙でも、なんでも使って。
あるかもわからない、遠く思いも及ばない、ありきたりで陳腐な“真実”を紡ぎ出すためにデタラメを垂れ流す。
「……ええ。もちろん。ずっとここにいるわ。ずっと」
「……猫、死んでいましたね。たくさん」
「……そうね」
「……誰かが、あれをやったのですか?」
「……ええ。けれど、えぇ、到底人間のする所業とは思えないわ。本当に、そう思う」
人間の所業ではない、か。そう語る女性の警察官は曇った表情をさらに影を差す。
先ほどからの口ぶりからして実際にあの現場に立ちあったのだろう。災難なこった。見識の一環だったのだろうが、あんなもの、仕事でも見るに堪えなかっただろう。少なくとも人間的感性の持ち主にとっては、憎悪すらも凌駕する、暗く濁った海溝にでもぶち込まれたかのような、そんな息苦しいやるせなさのはずだ。言い得て妙だな、漠然とした恐怖、とは。罰したい正義への欲望や、殺された猫に向ける憐憫を覆い隠すような、残虐に対する根源的な相いれなさ。
あぁ、本当に。
人間のやっていいことじゃないな。
「……あれ、臭かったです。今でも鼻の奥にこべりつくような悪臭でした。でも、見た目はほとんど、、、なんというか、死骸の毛並みや皮、足、頭も、まだ滑らかさが残っていたというか。秋口とはいえまだ夏の残暑が色濃いこの季節にしては、腐敗の進捗度が遅かったように思います。」
「……よく見れたわね。そんなとこまで」
「……見たくて、見た訳ではありません」
「……そうね、無配慮だった。ごめんなさい」
女性警官は私に謝った後、少し考えるような仕草をとる。言っていいものなのか、迷いがあるのだろう。実際、捜査に支障が出る可能性も考えれば中学生の私なんぞに話す道理はない。しかし、第一発見者で、女の子の子供で、献身的に考えを述べる者に対し逡巡してしまうのもまた、道理なのだろう。
だったら、背中を押さない選択肢はない。
「……教えてくれませんか?……少しでも。私、少しでもお役に立ちたいんです」
「……けれど、、、」
「……このままだと、悪夢を見そうなんです。はやく、ほんとのことを知りたい。弔ってあげたい。……それに、大人が仕事をしている間、私たち子供は外で遊んでいます。だから、飼い猫ならともかく野良猫のことも大人よりも知っています。だから、、、」
だから、さっさと情報を私に落とせ。
ともすれば、私はお前等が辿り着く真実を捻じ曲げなければならないのだから。
「……気分、悪くなるわよ」
「……もうなってます」
「……ほんとに許せないことなのだけれど、その、一匹だけ除いて猫の内臓がくり抜かれていたの。どの子もみんな。だから夏場のジリジリとした暑さの中でも腐敗の進捗度が遅かったのはそのせいだと思う。それにしては遅い気もするけど、すべてがひどかったわ」
「……内臓が。それって、心臓とか、肺とか、、、」
「ええ。そのどれもが。ほんと、見れたもんじゃなかったわ」
あぁ、そうか。だから腹が掻っ捌かれていたのか。
おそらく教室の床に血痕が目立っていなかったことからも、現場はここじゃない。もっともこんな人目のつく場所での犯行とも考えにくいが。しかし、掻っ捌く理由とはなんだ。腐敗を遅らせるためなのか、それとも、、、いや、それも気になるが、一匹例外がいることも気になる。
例外の一匹。動揺していて不確かな記憶ではあるが、一匹、何かが別種の死骸があった気がする。
一匹、そう一匹だ。その一匹が妙に目が止まった。
何かしらの法則性があるなかで、一匹だけの例外。
……あぁ、そうだ。あれは確か、三毛猫の、、、
……三毛猫?
「……あの、」
「なにかしら?」
「……その、例外の一匹って、もしかして三毛猫ですか?」
「……あなた、なんで?」
どうやらあたりらしい。我ながら直感が冴えすぎていて気味が悪い。
あぁ、これほどまでなく凶兆だ。こんなもん、外れてくれりゃいいのに。
「……その三毛猫、オスだったりしますか?」
「……ええ」
「……その一匹だけが、オスだったりして」
回答はなかった。しかし、女性警官の目を見て、驚く目を見て、私はただただ悪い予感の現実味が帯びる様に、胸の奥が疼いた。私の問いへの答えはイエスなのだろう。一匹のオスが三毛猫で、他の猫が全てメス。あぁ、そうか。
気付かなければよかった。
気付いてしまった。それは私の本来の姿が猫だからか。オスかメスかの区別など造作もない。
猫だというなら、
猫だというなら、
猫だというなら、
こんな苦しみなど、味わいたくなかった。
「……その三毛猫、たぶん神社で見ました。向こうにある公園近くの。三毛猫のオスって珍しいんでしたっけ。猫好きなので、オスかメスかの判断は人並み以上につくのですが、あの猫は確かにオスだったと思います。一度撫でたことがあるので残念です。クラスメイトの男の子が三毛猫の話をしている会話を小耳に挟んだことがあります。彼らにも話を聞くといいかもしれません。はい」
多少疑われただろう。だが、私は猫だ。どうにでもなる。
ぼんやりと全体像が見えてくる中、犯人も魔女の正体もわかっている中、このどうしようもない気持ちの整理は終わらないであろう。
だから、このとき、私はちょっと余計なことを口走りすぎたかもしれない。
「……あの、クラスメイトの響くんなら何か知っているかもしれません」
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特段、用事があった訳ではない。ただ涼みたかったとか。煙となんちゃらは高いところが好きだとか。はたまたそれ以外か。撹拌されたヘドロのような思考への逃げ道になればと、私は半分無意識に校舎屋上へと足を向けていた。屋上といえば、園芸部員の部活動拠点である。
ギギギと金切り声をあげ開くドア。アリスは、いないか。しかし人影がある。
赤城かな。誰かと話しているようで遠目で見てみると、どうも通話中だった。
「……〜〜〜」
ここからだと聞こえない。眉をハの字にしている。
何かを心配するような、案じているような、そんな表情だ。
「……あれ、山田さん?」
声をかけられる。私の存在に驚き会話が途切れているようだったが、もとより通話先の人物とも折り合いがつかなかったのか「あ、えと、まだ話したいことあるから」と、懸命にとりなそうとする携帯の画面は、既にブラックアウトしていた。
「……ごめん。電話中に。邪魔だった?」
「……全然。あ、あはは。大丈夫、だよ」
「……なにかあった?」
「……え、ああ、うん。なんでもないんだ。なんでも」
そうか。なら、聞かないでおこう。
見下ろす校庭には焦茶色の落ち葉の絨毯が敷かれている。数人の大人の姿。一人の生徒もいない。不思議な感覚だ。これじゃ、まるでここが校舎ではないようだ。薄い雲が引き伸ばされた秋の晴れ空の下で、私たちはフェンスに体重を預ける。
「……今日、部活、どうしよっかな」
「……中止じゃないの?」
「……生き物相手だから。でも、一年生組は来ないだろうし。どうしよっかなー」
「……よければ私も手伝うよ」
「……え、ほんと?嬉しいな」
赤城という少女は落ち着きのある子だ。年相応の垢抜けなさがあるが、視野の広い言動をする。それが私が赤城に抱く評価だ。
私と同じく話すことがあまり得意ではないのだろう。だから、なだらかではない会話ではあるけれども、それでも一言一句、含む言葉の意味を考えて答える癖のある子だ。
「……嬉しいのならなにより」
「……大丈夫なのかな、みんな」
「……大丈夫、とは?」
「……だって、猫の死骸があったんだよ?それも、すごく沢山の猫が、……っと、ごめんね。山田さんも、その場にいたんだよね、たしか。東郷先生からちょっとだけ聞いただけなんだけど。……もうちょっと考えて話すべきだったかも」
「……別にいいよ。五十鈴とは連絡取り合ってるの?」
「……ううん。ラインしたけど、返信はまだ来てない」
「……だったら、五十鈴はそっとしておいたほうがいいかもね」
「……だよね。あー、ごめんなさい。やっぱり無神経だったよ」
「……人間関係、無神経ぐらいがちょうどいいかもよ。考えすぎても答えが出るもんじゃないし」
「……ははは。なにそれ。山田さんって、なんか達観しているっていうか。ほんとはいくつなの?」
「……年相応だよ」
「……そういうとこも」
家業の都合、ジョウロの扱いは慣れている。適量を意識してそれぞれの草花にシャワーの雨を降らせてやる。
そういえば、赤城の趣味は盆栽いじりだったか。盆栽いじっているやつに年上扱いされる感情の複雑さを知らぬ程度には赤城はまだ子供なのだろうが、私も草木を育てる端くれとして成長過程を見守る面白さは分からんでもない。いや、盆栽いじりは成長過程に趣きを置くものではないか。
しかし、そうだな、猫の姿の時とは視野の画角が違う。
二足歩行で背丈が大きくなった分、見えてくる景色が異なる。
「……ね、相談、いい?」
「……だめ」
賭けと挑発と相談には乗るなってのが私の哲学なんだ。
しかし、軽くあしらおうとする私の魂胆を見抜いてか、「……ふふ。じゃあ、独り言」と微笑む赤城に根負けし、「……なら、勝手にすればいいんでない?」と、さながら豆腐のように脆い哲学を曲げて聞き耳を立ててやる。
「……じゃあ、勝手にする。……あのね、その、友達が、、、なんか、変なの。ずっと。なにかに心を砕いているっていうか、もやもやしているっていうか。だからって暗くなったわけじゃないけど、……変になったっていうか、おかしくなったっていうか」
「……友達、、、」
「……そう、友達」
なるほど、友達。友達、ね。匿名だってんなら聞かないでおこう。私は無神経ではないからな。
「……ぱっと見た感じ、普通なのかな。うん、みんなは友達のこと、普通だと思ってる。でも、やっぱり変なの。だから私も調子が狂うっていうか。なんか、こう、自暴自棄っぽくなって。でも全然理由を話してくれないし、実はさっきも電話してみたんだけど、はぐらかされちゃった。……これって言っちゃダメだと思うけど、今日はお休みでよかったかも。……なんか、他のみんなも、ちょっとずつおかしかったし」
「……みんな、ね」
「……そう、みんな。あ、ああ、もちろん、みんながみんなじゃないけど。山田さんは普通だよ。でも、七不思議の犯行声明があったぐらいからかな。あー、ううん、夏休みぐらいからかも。変なの。一部がみんなが」
「……そっか」
別に、私はこのクラスの同級生諸君とは親交は深くない。赤城や暁とたわいもない会話を挟むぐらいだ。
だから、クラスの雰囲気がおかしいだとか、そんなことはわからない。
だが、歯車がうまく噛み合っていないというか、そこに看過しようのない歪みがあることは知っている。
昨日、それを垣間見たところだ。
「……あのね、山田さん」
「……なに?」
「……こういう時、どうしたらいいんだろうね」
「……それが相談?」
「……うん」
「……やっぱり、優しいね、赤城は」
「……そんなんじゃないよ、ほんと」
「……でも、もうちょっと無神経でもいいんじゃないか、とも思うね。線引きは難しいけど」
「……でた。無神経」
「……高説垂れられるほど熟達した精神の持ち主じゃないからひどく稚拙な物言いになるけど。……まぁ、その、人間関係ってエゴの押し付け合いっていうか、やってほしいこと、してほしいこと、なってほしいこと、受け入れてほしいこと、そんなのを言外からうまく察せてようやっと上手にできるもんだと思う。だから実はすごくむずいし、私は正直嫌気が差しそうだよ。自分に娘がいたなら、そういう駆け引きみたいなのはさせたくない。それはきっと想像以上のストレスだろうから」
ずっと抱いてきた教育指針。いざ言語化すると、やっぱり、自己矛盾を起こしているように思えてならない。
結局、私もアリスに押し付けているのだ。
苦しくない、楽な人生を選んでくれ、と。
アリスがそうと望んだわけでもないのに。
「……ごめん、ちょっと、難しいかも」
「……換言すれば、IとMEを履き違えんなってこと」
「……ごめん、もっと意味がわかんなくなったかも」
「……私もよくわかんないよ。でも、自分のやりたいこと、やりたくないことを見失うなってことなんじゃないのかな。……だから、他人と歩幅を合わせすぎない人間の生き方が楽なんじゃないかなぁ、と思っただけ」
「……私、みんなに合わせすぎなのかな」
「……人間なんてそんなもんじゃない?」
「……なんで他人事なの」
「……だって私、人間じゃなくて猫だもんね」
「……なんだそれ、ふふ」
言っていて一瞬、鼓動の奥で、キュッと、心臓が縮こまる。
だから私はおもむろに赤城の頭を抱擁する。
「……え、え、え、なに」
まぁ、なんだ、心配すんなってことだよ、みたいな、そういうていにしておこう。
本当はそうじゃない。今の私の顔を、誰にもみられたくない。
(……自分の軽口が重く感じるだなんて、私も末期かなぁ)
他人に合わせすぎるな?よく言う。私は学校というミニマムな社会の経験を糧に願ったのは、娘同然のアリスに、こうなってほしい、ああなってほしいと、私の基準に合わせろと言っているようなものじゃないか。ダブルスタンダードも甚だしい。気分が悪い。きっと私のこれは現代自由平等主義社会にとっての壮大な理想論であり、現実主義社会におけるバカげた害悪に他ならないのであろう。
ここに正しさなどない。
私が正しくない分にはどうだっていい。
だが、アリスには正しくあってほしい。
これほどわがままなこともない。これほど恥知らずなこともない。
かつての栄華を欲しいままにした論者、ソクラテスは私の頭のうちでガンガンとがなり立ててくる。ずっと昔に死んでいたはずのソクラテス。しかし、彼は私に死してなお説くのだ。
(……正しさとは何処に、か)
私は過去、人間を見殺しにした。否、殺した。その思想で、その思考で、まだもどこかに正義があるなどと妄言を吐けるのは、きっと私が壊れてしまっているからだろう。しかし、それでも持論を語るなばら、考えることをやめた時こそ人間は悪魔になれる。
(……考えが及ばないから、アリスは悪魔たり得る)
考えることをやめれば、非人道的行為は平然と為される。それはかつてのナチスドイツの親衛隊にして、ユダヤ人の大量虐殺を敢行したアドルフ・アイヒマンのように。歴史は“悪魔”の正体を燦然と照らし、後世の我々になんたるかを示している。
……けれども。
……けれども、だ。
「……どうしたもんなのかな」
私は一つ、どうしようもない思い違いをしている気がしなくもない。
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『よっしゃ!花火大会でもおっぱじめますかwww』
赤城のスマホに表示される通知。五十鈴からだった。
空元気もいいとこだ。あれの直後である。まいってたって誰も責めやしないはずなのに。けれども、唯一責めるとすればそれは自分で、配慮されたままの自他の関係性を淀みと捉えてしまう人種にとって、これは実に理に適った振る舞いでもある。
もはや病的と言っていい。病巣はきっと自身の胸の奥にある何かだ。
人と人との繋がり合いが起因であれど、病気はずっと自分の胸の奥。
……その様はなんとも、、、
……あぁ、よそう。
……この言い草じゃまるで私が健常者のようだ。
「……どうする、赤城。行く?」
「……うん。五十鈴ちゃん、ムリしてるっぽいけど、だったらなおさら私たちが支えてあげないと」
そうだ。そうだな。それがきっと最適解だ。
支えるとは本来の人間関係の真髄だと思う。人という字は一本の線がもう一本に支えられて、だかなんだか、そんなこんなをありがたがる輩がいるそうだが、真偽はともかくとして関係性の根本には『支える』という概念があってまず間違い無いだろう。
だから、自分が関与できない問題を辛抱強く聞き出すのだろう。
だから、自分では安定化できない悩みを私に吐露するのだろう。
人の、人間の関係性に関する定義としては稚拙極まるが、こと赤城という人物には当てはまりそうだ。
「……支えるってことは、自分がしっかりとしてないといけないもんよ」
わかったような口を聞く今の自分ほど、厚顔無恥もないものだと内心呆れる。
「……私も行くよ。赤城はきっと無理をし過ぎるから」
「……私、別に無理はしてないよ?」
「……するよ。きっと。それからじゃ遅いから」
そう、これだって支え合いだ。一人が折れれば立ち所に崩れる関係性。
砂上にだって工夫次第では楼閣を建立できようが、それはきっと脆い。
私は赤城のSNS経由で参加の意思を表明した。
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アリスを誘った。二つ返事で来ることとなった。
開催時刻は夜の八時。警察沙汰ともあって少なくとも学校施設は借りれないだろうと思っていたが、そこはコミュ力の五十鈴、交渉の結果、可決された。
アリスよりひと足さきに開催地である校舎前の校庭に行き着いた時分、変わらず能天気なツラが見えた。吹雪だ。彼が一人和気藹々といった風に談笑する傍ら、それに付き合わされる加賀は聞いているのか聞いていないのか判然としない態度で自身の髪を弄っていた。五十鈴、金剛も、花火の準備にバケツを抱えている。
(……一年生の教室、窓越しだがKEEP OUTの立ち入り禁止テープが見える)
物騒な配色だ。
黄と黒と黄と黒。蜂を連想させる配色は本能からか忌避感を覚える。
しかし、その獰猛な色に誰も見向きやしない。あえて、誰もしない。
非日常をわき目に、生徒諸君は私の来訪を歓迎した。
まるで、いつもの日常を互いに称え合うかのように。
(……この分だと、しばらく授業は別教室だろうな)
とはいえ、私もあえて黙っておくとしよう。
人間関係の中間に浮遊する空気感を取り巻くトゲをわざわざ握りに行くマネなどしまい。
「五十鈴さんや、五十鈴さんや、そういや僕まだ参加者が誰とか知らないんだけど、このあと誰が来る予定なの?」
「吹雪さんや、吹雪さんや、それはねー、あ、いったそばからwww」
吹雪と五十鈴、三文にもならない小芝居を端目に流していると、足音が二人分。
一人がガシャガシャとガサツな足音。
一人はトコっトコと整然とした足音。
「お、おう、なんじゃ、教室がえらいことになっとるのー!ひどい有様じゃ!」
「おい、やめろって。……あー、ごほん。今日は誘ってもらってどーも」
武蔵と大和だ。どちらも体操ジャージ姿。いかにも運動部な格好だ。ともすれば運動帰りなのかもしれない。
しかし、こいつらいつも一緒にいないか。なんて思っている側から、「おう、そういえばお前んとこの先輩からのパシリは終わったのか?」「パシらされたわけじゃねぇよ。でもあれ重いし粉まみれになるから手伝ってくれないんだよ」「やっぱパシリじゃねぇか」と二人の世界を作ってしまう。
どうやら大和は先輩の小間使いポジらしい。意外だ。もっと噛み付くものとばかり。
いや、それは武蔵の印象にひっぱられすぎか。古今東西、後輩とはかくあるべきだ。
(……にしても、武蔵、彼の無神経さは見習うべきかもしれない。事件を想起させるあの立ち入り禁止テープの話題をこともなげにぶち込んできやがった。それでむしろニヤニヤしている五十鈴も五十鈴だが、「武蔵の言動なら仕方がない」と醸し出される雰囲気は独特だ。得な性格だな)
つくづく、人間は『平等』を謳いながらも、『平等』を愛せない民なのだろう。
私が同じセリフを同じシチュエーションで言おうものなら総スカンだったはずだ。
切ない。あぁ、実に切ない。
平等とかいうクソ概念に猫パンチしてやりたい気分だ。
「……みんな、ごめんね、お待たせ。遅れちゃって。家の手伝いやってて」
猫の先進性について空に激論を投じていると、申し訳なさそうに到着したのは赤城。
そして、もう一人。まさか、一緒に歩いてきたのだろうか。
「……こんばんわ」
アリスだ。えらい。えらいぞ、アリスちゃん。ちゃんと挨拶できて偉い。
着くや否や、アリスはキョロキョロと辺りを見回し、私を見つけると満面の笑み。
この分だと赤城とは来る途中でばったり、ってところだろう。捗る会話もきっとない。
ただアリスの場合、他の子と一緒に行動をするってのが、社会勉強の上でいいことだ。
……抑止にもなるだろうしな。
「家事手伝ってんのマジリスペクトなんですけどwwwマジ尊敬、マジ卍」
「……卍は古くない?……五十鈴ちゃん、もしかして私たち最後だった?」
「……うーん、いちおー、阿武隈っちは不参加だってさー。ちょー長文での欠席表明はさすがにウケたwwwあー、あと、暁っちと響っちは未読無視だねー。まったく、ミスター金剛を一人にして何やってんのかね、あの化学部ズはwww……待っててもあれだし、もう始めちゃおっか!」
決まれば早かった。企画立案者であり潤滑油である五十鈴の手腕は滞りのない花火の準備で疑いようがなかった。
……そうか、暁と響は来ないのか。それはなんとも。
暁、彼女との関係性はギクシャクである。そのままってのも面倒だし、改善を図りたいのだが。
それに響、彼にも話を聞かねばならないことがある。暁の独白によれば、彼は魔女なのだから。
その二人が欠席とな。うーむ。
(……うまくいかないもんだな)
じきに花火大会は始まる。もっとも大会とは名ばかりの中学生相応のものだ。打ち上げ花火もない。
準備のいい五十鈴の進行は緩慢でいて隙のないものだった。要するに、よくデキた会であった。
気張りすぎず、弛みすぎず、盛り上げどころを抑えたもの。五十鈴は花火で文字を書いていた。
推察するに、邪推を巡らせるに、
「……心配すんな、とでも言いたげだな」
……これだと、要らん配慮は仇とさえなりそうな雰囲気だ。
やはり、あの家庭科室での私の歓迎会の主催者は彼女ではないのだな。
(……あの子なら、もっと上手くやれる。確実に、あんなザマにはならない)
……まぁ、よその子ばっかりみていても仕方がない、か。
うちの子は、っと。七色の花火の先端を興奮気味に凝視してらっしゃる。
よくやるよ。私は線香花火を一つ摘む。火を灯す。端っこに腰を下ろす。
……線香花火たのしー。
……こういうのでいいんだよ。こういうので。
「オハヨウ、ゴザイマス」
と、時間ハズレな挨拶。見上げれば金剛だった。
「……はいはい。夜も深くおはようございます」
「ワタシ、日本語、チョットワカルヨウ、ナッテキマシタ」
「……確かに、ちょっと上手になってるね。以前より聞きやすい」
よしよし、えらいえらい、と頭を撫でてやる。
同時に殺気を感じる。もちろん、黒人カタコトっ子のものではない。うちの子のだ。
親離れしろとは私も悲しくて言えんが、もうちょっとお目溢しがあってもいいだろ。
まったく。まったく。
「……コンゴー。日本の生活には慣れたかい?まぁー、早速今日はびっくりすることが起こったけどね」
「タイヘン、デシタ。……トク二、山田サン」
「……私?はは。まぁ、うん。大変だったね」
「But……シカシ、ミンナ、一緖、タノシイ」
それは、それは、いいことだ。日本という国に愛着が持てるほど人間をしていない私ではあるが、せっかく遠方より、わざわざ日本を選んで留学をしにきてくれたのだ。せめて帰りの飛行機で耽る思い出の色は鮮やかであったほしい。
私がその一助になれるのであれば、なんて、柄にもなく殊勝なことを思ったり。
「コレ、日本語、タダシイ、ワカラナイ、ケド」
「……なに?」
流し目で金剛と受け答えをする。適当な会話の一環。私はそう捉えていた。
しかし意外にも金剛からの言葉は辿々しいながらも重みを孕んでいたのだ。
「響、よろしく、オネガイシマス」
「……どうして、響?」
「響、SNSヘンジ、コナイカラ」
……どうやら、響の欠席理由は彼のキャラから来るものではないらしい。
すっかりそう思い込んでいたが、どうも友人である金剛が心配する事態。
それは、彼が魔女であることと関係があるのだろうか。
「タブン、元気ナイ。チョット前、カラ。デモ、ワタシ、ワカラナイ。カナシイ、デス」
「……そうだね」
「ヨロシク、オネガイシマス」
「……何をよろしくお願いされているのかな、私は」
「……響ト、仲良ク、友達、オネガイシマス」
「……なんだそれ。まぁ、うん、善処するよ」
「アト、暁、トモ」
「……あんまり期待しないでよ」
チリリ、線香花火の穂が落ちる。碌に風流を感じられる感受性のない私ではあるが、ふと夏が枯れたような一抹の寂しさを見た気がする。きっと、私の生涯にて、この夏のことを忘れる日はないだろう。
……あぁ、あぁ、いかん、いかんな。
……これじゃあまるで、遺言のようだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「おい、加賀!オレはよぉ、やっぱオメェが気にくわねぇ!」
「……はぁ、やれやれ。勘弁しておくれよ。僕は君を視界にも入れたくないんだよねぇ」
各方、青春が爆発している。青春とは要するに、結果ではなく過程であろう。誰も入学式に思いを馳せ、卒業式に泣くイベントひとつとって青春だなどと持ち上げまい。日本の子供達にとって、春に始まり春に終わる、このルールさえあれば自由闊達に取り行われるものが青春であろう。
それは、きっと、喧嘩風などどこ吹く風、派手な花火を探る金剛にとっても。
それは、きっと、まーたなんかやってるよ、と呆れた笑みで眺める浮かべる五十鈴にとっても。
それは、きっと、付き合わされる身にもなってほしい、とどんよりため息つく大和にとっても。
加賀と武蔵の二人の諍い、どうせ起因は些細なものだ。
自分の関与しない、自分に影響のない、そんなくだらない小競り合いほど鼻で笑える娯楽もない。
自分の底意地の悪さを、こんなどうでもいいことが面白いのが悪い、と内心で棚上げしていると、
「おうおう、裏来いや。ナシつけようや、ナシ!」
「ほんと、野蛮だねぇ。まったく、気が滅入るよ」
「逃げんのか?お?」
「まさか」
まさしく売り言葉に買い言葉。加賀と武蔵は勇み足を踏み、そのまま校舎裏へと向かう。
仲裁役を買って出るつもりなのだろう、不本意そうに肩をすくめ付き添う大和。
おおっと、殴り合いかい?取っ組み合いかい?こんな犬も食わぬつっかかりのやっかみに頬を腫らすってのかい?無教養なものでプロレスやら格闘技にめっぽう疎い私ではあるが、知り合い未満の日本男児が向こう見ずな喧嘩ってのはいいツマミだ。なんたって、私は猫だ。サカナが大好きなもんでね。
物見遊山に観覧してやろうと後を追おうとするが、グッと、裾を掴まれる。
「……全然、私に構ってくんない。ぶー」
「……いつでも構ってあげてるでしょ?」
「……今日がいい。今がいい」
「……まったく。わがままなお嬢さんだこと」
おもむろにグリグリと頭を擦り付けてくるアリス。あざとかわいい所作。猫かな。それをモノホンの猫相手にする奴があるか、とツッコミを入れようとするも私は別のことに意識を削がれる。花火に照らされ浮かび上がる影が私たちのほかにももう一人分、赤城だ。
「……あ、あの」
「……なに?」
「……話があって、ね?いい機会だからって、思って、さ」
ムッとした表情のアリスちゃん。わぁお、不機嫌。とっても不機嫌。絵に描いたような不機嫌だ。
なにがどうしてここまで不機嫌にさせるのか。せっかく、赤城から話しかけてくれたというのに。
剣呑な雰囲気。あぁ、よくないな。これでも荒治療になってしまうのか。
(……助け舟を出してやらないと。赤城が折れるのは本望じゃない)
と、思案するも、杞憂に終わる。
そうだった。赤城は底抜けに優しいのだ。だから、、、
「……さっき、一緒に学校まで来たじゃん?その時も、うんうん、その前からずっと思ってたんだ。私、西田さんのこと、あんまり知らない」
「……」
「……あ、あはは。急にごめんね。引くよね。実はもなにもないけど、私、ずっと西田さんのこと避けてきたのに。嫌われてるのかなって。だから、ずっと話しかけられなかったし。でも、山田さんが来た頃ぐらいだったかな、西田さん、こんな顔するんだって機会が増えていってね」
赤城は俯き、「あぁ、損したな、って思ったの」とぼやいた。
アリスは沈黙。ただ、プイッと目線を逸らしている。
初めてだ。アリスの感情が読み取れない。読めない。
「……え、へへ。……あ、あのさ、今度ね、屋上でパーティーひらこっかなって、思ってて。あ、でも、その、まだ誰にも相談してないし、誘ってないし、今思いついた感じだったりするんだけど。あの、……よかったら、参加、とか」
「……」
「……だめ、かな」
「……私、そーいうのよくわかんない。きっと楽しくないよ」
どうしてか、キュッと胸が疼いた。アリスは今、慮ったのだ。自分のことではなく、赤城のことを言及した。
私と一緒でも楽しくないよ、と。ちくしょう。私は、根本からアリスを理解できていなかったらしい。
あぁ、あぁ。腹立たしい。理解者ズラして、親ズラして、なにもわかっていなかった。わかろうとしなかった。
アリスは、何も知らないのだ。知れないのだ。
常識が。
空気が。
感情が。
自分が。
他人が。
大昔、私はアリスを叱ったことがある。危ない薬草を育て、譲渡し、ひどい目に遭いかけたから。それはいけないと、やってはならないことなのだ、と私は頭ごなしに叱った。理由を深く述べることなく。否、述べられず。だから、アリスは知らないのだ。どこにラインがあるのか。知らないのだ。
だから、赤城の好意も、素直に受け取れない。
アリスという少女は普通で、普通な、女の子。
そんな事実が、冷たく私の胸を抉る。
どうしたら、いいんだ、と。
「……そのお誘い、パーティーって何するのかよくわからないけど、私もご一緒していいかな?」
「……ほんと、山田さん?やった。実はこんど鍋パやろって話はあったの。なんか、いろいろあってそれどころじゃなかったけど、他の子も誘って、その、元気だそーの会とかやりたいな」
助け舟を出す私。乗っかる赤城。揺れるアリス。
結局、アリスは誘いを受けることにしたらしい。
しかし、私という隠れ蓑を使うことなく、自分の意思で、少し恥ずかしげに参加する旨を伝えていた。
「……ふふ。じゃあ、約束ね。山田さん。……西田さんも!」
平和があった。喧嘩があった。友情があった。隠れながら、葛藤もあった。
それらすべては次の日の校庭、石灰の白線で描かれた文字にて壊されることとなる。
『魔 女 参 上 !!』
私たちのいる中で、堂々たる犯行が行われることとなる。
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