今日も心が咲いていく

 満開の躑躅つつじが新緑に鮮やかな紅を差す季節になりました。長閑のどかな昼下がり、先の春嵐で壊れた橋の修繕作業がようやく終わって、一緒に作業をしていた里の人たちと、土手の芝生に腰を下ろして、木陰で少し遅い昼食を囲み、一息ついていたときのことです。話の流れで、自分にとって大切なものを順に三つ挙げるという話題になりました。或る人は衣食住を挙げ、或る人は酒と煙草と金子を挙げ、或る人は妻と子供と親を挙げました。皆、様々な切り口から、大切にしたいものを答え、その理由を真面目に、あるいは冗談めかして、それぞれ語っていきます。

「楓真殿は?」

 最後に私の番が回ってきました。兄上は丁度、里長に呼ばれて席を外していて、この場にいません。

 私の答えは決まっていました。

「笑った兄上、怒った兄上、泣いた兄上です」

 私は、きっぱりと言いました。尋ねた彼らが目をしばたたき、小首を傾げます。

「笑ったのはともかく、怒ったのと泣いたのまで、大事なのかい?」

 私の答えが全て兄上なのは、今や彼らにとって、何ら驚く点ではないようです。

 私の日々のたまものでしょうか。

「私は、兄上の心を自由にしたいのです」

 兄上は、ずっと微笑んでこられました。本当に心から喜びや楽しさに微笑んでおられたこともあったでしょう。しかし、振り返れば、怒りや哀しみを押し隠して微笑まれることのほうが、遥かに多かったのではないかと思うのです。もちろん私は、そんな兄上を、とても愛しく思っていますし、兄上の心に怒りや哀しみの色が差すことのないのが一番ではありますから、兄上がいつも心からの笑顔を浮かべられるように、私にできることはなんでもしたいと思っているのですけれども、もし、兄上が怒りや哀しみを抱くことがありましたならば、私は、そんな兄上の負の感情も、大切にしたいのです。今までずっと隠し、封じ、兄上の中で無いものとしてこられた心を、きちんと表に出して、大切に、受けとめさせていただきたいのです。

「……楓真」

 ふわり、と、後ろから声が掛かりました。里長のところから戻った兄上が、私を見下ろし、微笑んでいます。

 木漏れ日を背に立つ兄上の、きらきらとまばゆいことといったらありません。この上なく温かく優しい後光を感じます。

 私に注がれる兄上の微笑は、いつもと変わりなく、曇りも濁りもない、綺麗なものでありましたが、今はもう、いつかのような作りものめいた冷たい美しさではありませんでした。確かに血の通った、愛しい表情。今、兄上の顔を彩るのは、嬉しさと気恥ずかしさが混ざり合った、初めて見る色でした。

「おかえりなさい、兄上」

 おかえりなさい、兄上の心。

 私も笑顔を返します。温かく優しい光を見上げて。

「……ただいま」

 兄上の微笑が、ふわりと、更に綻び、咲いていきます。

「次は私の番か?」

 私と里の人たちの会話が聞こえていたのでしょう。兄上が私の隣に腰を下ろし、小さく首を傾けました。

「もちろんです」

 私は頷きました。里の人たちも、兄上の答えを待っています。

「私は……」

 軽やかな微風が、兄上の髪をさらさらと梳き、肩から背中へと流していきます。艶やかな射干玉ぬばたまは、末永い命を願った色です。

 微笑んだまま、兄上は答えました。

「楓真のいる過去、楓真のいる現在、楓真のいる未来だ」

 あぁ、兄上……。今の私の感情を、どう表せば良いでしょうか。兄上が新たな心を私に見せてくださる度、私の胸にも新たな心が芽生えます。心は、花でした。ときには陽だまりに咲く花のように、ときには月に照らされる花のように、次々に咲き誇る感情を、花束にして兄上に捧げたい。あるいは百花繚乱の庭となった私の心に、兄上を招いて差し上げたい。強く、たまらなく、そう思いました。

 兄上とともにある世界に、今日も心が咲いていきます。

 喜び、怒り、哀しみ、楽しさ……これからも、いろんな色の花を、一緒に育てていきましょう。

 幸せの花を、兄上と、ふたりで。

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