頼れるひと

 柊哉殿の旅路に同行して数日。大蛇おろちの呪いなるものがもたらしるしは、ひとつではなく様々であることを、私は早くも知ることとなりました。柊哉殿の体を蝕む呪いは、脈を乱すだけでなく、ときに呼吸を狭め、眩暈めまいに引き込み、体中の骨を軋ませるもので、その度に柊哉殿は気丈にも呻き声ひとつ上げることなく耐えておられましたが、それでも発作の波が行き過ぎた後には、酷く憔悴なさっておいででした。

「そんなお体で、今まで……よく、お独りで、耐えてこられたものです」

 俄雨に降られた昼下がり。運良く山中で廃屋を見つけ、雨を凌ぐことができました。柊哉殿を休ませ、私は症に合った薬を調合していきます。出会った最初は服薬を拒まれた柊哉殿でしたが、言葉を交わしてからは、私の意を汲み、投薬を受け容れてくださっています。

 けれど、

「今すぐ死ぬものではない。呪いの発作は一時的なものだ……苦痛の波が過ぎ去るのを待てば良いだけ……この呪いは、病ではないのだから」

 呪いであって病ではない、だから良いのだ、構わないのだ、という基本姿勢は、今も変わらずにいらっしゃるようです。私に言わせれば、何ひとつ良くはないし、構うべきことに相違ないのですけれども。

「命を縮めるという意味では、病と変わらぬものでしょう」

 調合した薬を手渡しながら、私は言いました。

「柊哉殿は、何もかもを受け容れすぎです」

「そんなことはない」

 薬杯に目を落とし、柊哉殿は答えました。

「私にも、受け容れていないものはある。必ず抗うと決めているものも……そのために、旅をしているのだ」

「それさえも、ご自身のためではないのでしょう?」

 間を置かずに、私はそう返しました。柊哉殿の旅の目的を、私は詳しくは知りません。踏み込んで訊いてはおりませんし、柊哉殿も語られません。しかし、僅かばかり、私にも察せるところはあります。柊哉殿は、ご自身に降りかかることなら、いくらでも赦してしまわれる。その柊哉殿が良しとしないことならば、きっと、柊哉殿にとって、この上なく大切な誰かのためでありましょう。

 私の言葉に、柊哉殿は視線を上げ、軽く私を睨んでみせました。しかし、そのまなざしに敵意や嫌悪はなく、どこか親しみさえ感じられるもので、私は微笑み、服薬を促しました。今回、調合したのは痛み止めです。痛みというのは厄介で、本人に我慢されてしまうと他人には察しにくい。隠しきれないほど酷くなって初めて気づくのでは、薬師として不甲斐ないことでありますから、私は柊哉殿の御様子を一層、注意深く観察することに決めていました。そして今に至ります。

「……柊哉殿に出会った日、無理やり薬を飲ませたことを、今でも反省しています」

 律儀に一礼して薬杯を返してこられた柊哉殿に、私は、ぽつりと呟きました。柊哉殿の瞳が、小さく瞬きを打ちます。長い銀のまつげが、薄明かりの中で、光の翅のようにきらめき、揺らめきます。私は胸中で嘆息しました。まなざしひとつ、瞬きひとつで、見る人を惹きつけてやまない、まほろばの人というのは、皆、こうなのでしょうか。

「あのときは私もかたくなすぎた。すまない」

 柊哉殿の瞳が、ふっと私から外れ、軽く握られたこぶしの上に落ちました。金の瞳に淡くまつげの影が落ちるさまは、まるで月のかげを見ているような心地になります。

「……それでも、力ずくで貴方を押さえつけ、自らの望みを通したことに、私は自身を嫌悪せずにはいられません」

 ふっ、と、私の唇から、不意に、胸の内がこぼれ出ていました。きつく縛っていたはずの心の結び目が、少しばかり、ほどけていたのかもしれません。

 柊哉殿の瞳が、再び私に向けられます。私の薬で、痛みが幾分、和らいだのでしょう。苦しげな色はなくなり、静かで穏やかな光が戻っていました。問いかけるまなざしは、柔らかく、優しく、私の心を一層、綻ばせる、温かさがありました。

「私は、この通り、図体ばかり大きく育ってしまいましたから……」

 苦笑を挟みながら、私は打ち明けます。

「意に反して、相手を怖がらせてしまうことも多いのです……体が大きいと、それだけ力ずくでできてしまうことも多くなりますから……」

 剛健を裏返せば暴力になります。逞しさや頼りがいの影には萎縮があります。だから私は、人一倍、ひとに対して優しく丁寧で在らねばと思ったのです。大きく、強いほど、それを振りかざすことのないように、と。

「それでも、なかなか思うようにできないものです」

 私は俯きました。しばしの沈黙が流れます。しかし、その静寂は、穏やかで優しいものでした。柊哉殿の双眸が、私を静かに映し、私の話を、地が雨を染み込ませるように、流すことなく受けとめてくださっているのが感じられました。

「……私は」

 私から瞳を逸らすことなく、柊哉殿は言葉を紡ぎました。

「そんな其方そなただから、私は、頼ることを自分に許すことができた」

 自ら手を伸ばし、助けを乞うことはできなかった。

 無理やりにでも手を掴まれて、引き上げられて、助けさせてくれと言われて、初めて、その手を握り返すことができる。

 そういう頼り方しか、できなかったから。

「私は其方に“力ずくで”助けられた。……感謝している」

 そう言って向けられた微笑は、私にとって至高の肯定であり、受容であり、赦しであり、救いでした。それで良い、ではなく、そこが良いのだと、認め、求められた心地でありました。

「ときに、源新」

 柊哉殿の頬に、ふと苦笑が滲みました。

「其方はいささか私にへりくだりすぎではないか。其方は私の従者ではないし、私も其方の主人ではないのに」

「……それも私の望むもの、私の喜びなのです、柊哉殿」

 私は微笑みました。私は、貴方にかしずきたいのです。貴方だから、傅かせていただきたいのです。

 そしてまた、私は思います。私が力ずくで助けられるのは、柊哉殿の体だけだと。心を救えるのは、私ではないと。

 だから、いつか、と、私は願うのです。柊哉殿の心に踏み込み、助け出せる誰かと逢うことの叶う、さだめの星が、この世界に輝くことを。

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