番外編

鈴蘭のひと

 鈴蘭の咲く季節になると、私の記憶の地平に浮かび上がるひとがいる。

 私は産みの母の乳を飲まずに育った。私を産んでしばらくの間、母上は起き上がることもできないほど衰弱されていたらしい。十五にも満たない体で私を産まされたのだから、そのご負担は甚大なものであられただろう。だが、快復された後も、母上は私をお近づけにならなかった。私が産まれてこぬように、十月十日、母上は呪い続けておられたという。その果てに産まれたのだから、私という赤子のおぞましさは凄まじかっただろう。私が産まれるに至った経緯いきさつを思うと、母上が私を腕に抱くことも、まして乳を与えることなど、到底、受け容れられるものではなかっただろうと思う。

 しかし私は死ななかった。私という存在を、天蓬は失うわけにいかなかったからだ。乳を与えられなければ赤子は生きられない。乳母として、ひとりの女性がやしきに呼ばれた。母上と同じ時期に身籠り、しかし私より一足早く産まれた赤子は、死産だったという。その子が飲むはずだった乳で、私は生きた。

 その方のとしは二十四だった。一族の宿命である寿命のくびき――長くともよわい二十五までしか生きられない大蛇おろちの呪いによって、私が乳離れして間もなく亡くなられたから、顔は憶えていないけれど、鈴蘭のような方であったと、おぼろげながら感じている。母上は、すらりと背筋を伸ばし、凛と佇む杜若かきつばたのような方であったが、私の乳母となったその女性は、母上よりも小柄で、いつも静かにうつむき、ふわりとまなざしを落としていた、鈴蘭のような方であった。

 その方が、どんな思いを抱き、私に乳を与え続けてくださったのかは、分からない。ただ私は、もうひとりの母として、その方のことを、今でも想っている。


 それから二十余年。

 生かされ、生きて、辿り着いた北の地。

 ここでは、鈴蘭が、毎年よく咲く。

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