伍-4

 晴れ渡る青空の下、葉桜がうららかに、春風に吹かれる頃。楓真と蓮太は、世話になった村人たちに丁寧に礼をして、再び旅路についた。楓真の傷は、まだ完全には治りきっていないものの、少々動き回っても持ちこたえられるくらいには回復できていた。

 蓮太と共に北へ――次のほこらへと向かいながら、楓真は蓮太に隠れて、大蛇おろちの力の修練を続けていた。

 山中の野宿。蓮太が眠ったのを確認し、楓真は、そっと、近くの川辺へ出る。

 月は雲に隠れて見えなかった。

 風はなく、川のせせらぎだけが、夜の静寂しじまの底を流れていく。

 つるぎを抜き、目を閉じる。まぶたの裏に浮かぶのは、今でも変わらない、兄の背中だ。ずっと遠い、その白い背中は、楓真を拒むのか、それともいざなうのか。振り向かないまま、追いつけないまま、届かないまま、片時も楓真の目から離れない。

 つかを握る手に、ぐっと力を込める。目を開け、宵闇を斬るように、大きく振るう。


――焼き払え、火之加具土ひのかぐつち


 瞬間、巨大な火柱が、円を描くように、楓真の周りに上がった。鮮やかなくれないの業火。いつか、坎宮かんきゅうの修練場で見た、兄の技と同じ。……天蓬の宮を焼いた、あの炎と、同じ。

「……追いついてみせる……届いてみせる……」

 楓真の炎が、夜闇に沈む水面みなも煌々こうこうと照らし、水底まで光を通すように、明々あかあかと燃え上がった。

「あいつの背中を……振り向かせて……そして……」

 炎の先を、楓真は見つめた。じりじりとの焼ける痛みを、ぐっとみ込んで。

 少しずつ、大蛇おろちの力を、使いこなせるようになってきている。次第に、血を吐くこともなくなり、自在に操れるようになってきている。おのれの力として、望みのままに振るうことが、できるようになってきている。……兄のように。

 つるぎさやに収める。燃え盛る炎が、ふっとき消える。

 雲が切れ、月の光が射す。足もとのとろに、楓真の姿が映り込む。

 兄と同じ銀の髪。兄と同じ金の瞳。兄に似た顔。兄と半分、同じ、血を分けた体。

 水面みなもに映った兄の似姿にすがたを、楓真は静かに見つめた。

 在りし日、兄に並び立てるほどに、力をつけたかった。兄を守るために。

 それが今、兄にかなうほどに、力をつけようとしている。兄を殺すために。

 勝てなければ、裁けない。

 敵わなければ、殺せない。

 大蛇おろちの力の先に、兄はいるのだ。

 つるぎつかを握り込む。兄の背中は、まだ遠い。……遠かった。けれど、少しずつ、確実に、近づいている。再び相見あいまみえたとき――その背中に追いついたとき、兄は、どんな顔で、楓真を振り返るだろう。この刃が届くとき、兄は、どんな瞳で、楓真を見るだろう。

 水面みなもを見つめる楓真の瞳の奥で、怒りと憎しみの炎が揺らめく。今も楓真の中で燃え続けている、その炎は、底なしの悲しみをべたものだ。

 兄を殺せば、怒りの炎は消えるだろうか。

 兄を裁けば、憎しみの炎は絶えるだろうか。

 べる先を失った悲しみだけを残して。

 兄を殺すという罪。兄を永遠に失うという罰。その上で楓真は兄を裁くと誓った。

 兄を殺し、裁いたなら、悲しみだけを、抱えていられる。遠い夜空の星のように、きらきらと瞬く、幼い記憶を、いつくしんでいられる。甘く温かな思い出の中にいる、優しい兄を、取り戻せる。そう思った。すがるように、信じるように、強く。

 今、楓真が望むのは、ただひとつ。終わらせることだけだ。楓真の願いは、もう、過去にしかないから。あの七夕の前夜に、全て絶えてしまったから。

 楓真の大蛇おろちは、今も楓真の中で、じっととぐろを巻いている。兄がいつか言っていた、直毘なおびの霊力と大蛇の神力は使い分けられるという感覚も、今なら理解できる。身の内で目覚めた大蛇の力を、ありありと感じ取ることができる。その大蛇を、楓真は手懐てなずける気はなかった。ただ、ひたすらに、鎌首を押さえ、じ伏せた。憎むべき力を、裁き殺すべき存在に、ぶつけるために。

 やがて、次のほこらに着く頃には、楓真はおのれ大蛇おろちを完全に支配し、その力を使いこなせるようになっていた。

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