伍-3

 源新のいおりで、青年は一夜を過ごすことになった。日没とともに、霧雨は雷雨へと変わり、それを理由に、源新が青年を引き留めたからだ。

 この荒天の中、わざわざ様子を見に来る村人はいないだろう。

 夜が明ければ、源新も旅立つつもりだった。自分は、この村に裁かれた身。もうここにはいられないのだから、最後の一夜、住み慣れた我が家を目に焼き付けたいと思った。

 だが、源新の目は、自然と青年を追ってしまう。頭の後ろの高い位置ですっきりと束ねた青年の髪は、月の光を集めたような、くもりのない銀色。長いまつげの下に灯る瞳は、陽の光をめ込んだような、にごりのない金色。まほろばの人というのは、皆、こうなのだろうか。皆、このように……死に近い美しさをたたえているのか。

 囲炉裏いろりの炎に照らされてもなお白い青年の頬を、源新は見つめ、鍋をき混ぜる手を止めた。有り合わせの乾物を煮込んだ鍋だが、味は保証できる。料理は、薬の調合と似ていて、源新の得意とするものだった。

 源新の視線に気付いた青年が、ふっと、源新を見る。その瞳に宿るのは問いかけの色のみで、警戒の色は、もう刃を収めていた。

 くるりと鍋を掻き混ぜて、源新は言った。

「私は、源新といいます」

 貴方の御名前を、うかがっても?

「……柊哉だ」

 青年は呟くように答えた。

「柊哉殿……」

 その名前の響きを確かめてから、源新は改めて、口を開いた。

「柊哉殿は、さっきのような怨霊をはらって、旅をされているのですか?」

「……いや……」

 青年――柊哉は、緩く首を横に振る。

「先刻は、偶々たまたま禍津日まがつひが現れたところに居合わせたから、祓っただけだ」

「まがつひ……?」

 なるほど、怨霊のことを、そう呼ぶのか。源新は小さく瞬きをする。

 禍津日なる怨霊を祓うために行脚あんぎゃしているわけではないのなら、彼の旅の目的は何なのか。知りたい気持ちはあったが、柊哉のまとう空気から、不用意に踏み込んで尋ねるべきではないことはうかがえた。

 だから、源新は、質問を変える。

「呪いと、おっしゃっていましたが……」

 鍋の味を確認しながら、努めて何でもないふうに。

 柊哉は、しばらく源新を、じっと見つめ、少し考えるように視線を下げてから、静かに口を開いた。

「私の氏族は、先祖代々、血に呪いを引き継いでいる。一族の血が濃いほど、呪いは強く、寿命は短い。……私の父は二十三で死んだ。私の命は、さらに短いだろう」

「御父上が、二十三で……? 失礼ですが、貴方、御年は……」

「二十一だ。……其方そなたも見た通り、この体は既に呪いがむしばみ始めている。もう長くない」

 柊哉の口調は、至極、淡々としていた。恐れも、悲しみも、いきどおりもなく、まるで花器にけた花のように、みずからの命が散っていくのを見つめているようだった。

 彼は死に場所を探して旅をしているのだろうか、と思いかけた源新は、しかし、柊哉の瞳を見て、その憶測を打ち消した。

 柊哉の瞳には、命の終わりをただ待つ者に特有の、諦めきった寂しさのような、空虚な陶酔の色はなかった。源新がそれを口にすると、柊哉は淡く微笑んで答えた。はかない微笑だった。

「願いがあるからな、私には……よわい十二のときから、ずっと……その願いを叶えるために、私は、この命を使うと決めている」

 願いを叶えるために、旅をしているのだ。そして、その願いは、もうすぐ叶う。

「望む死に方をするために、生きておられるのですか?」

 鍋から椀へ、源新は料理をよそった。温かな湯気が、ふわりと立つ。

「望む生き方が、望む死に方なのだ」

 源新が差し出した椀を、一礼して受け取りながら、柊哉は言った。

 それから静かに、互いに箸を進めた。料理を口に運ぶ柊哉を見て、まほろばの人というのは、やはり都人みやこびとなのだと、源新は改めて思った。柊哉の姿勢も、椀や箸の持ち方も、どの所作につけても、全てが洗練されていた。

「……礼を、しなければならないな」

 食事を終え、源新が白湯を注いでいると、柊哉は尋ねた。

「薬と……一宿一飯の礼は……これで足りるだろうか?」

 差し出された金子きんす。白湯を注ぐ手を源新は止めた。改まった礼など、源新は別段、求めていなかった。自分がしたいと思うことをしただけのことだったからだ。

 だが、ここまでの会話で、源新は柊哉の性格も、ある程度、つかんでいた。何か礼をしなければ、彼の気が済まないだろう。

 だから源新は、それを汲み取った上で、自身の望みを叶える提案をする。

「金子はりません。その代わり……しばらく、私を、貴方の旅路に、同行させていただきたい」

「……何……?」

 柊哉の瞳が揺れる。その唇が、次の言葉をつむぐ前に、源新は重ねて言った。

「私がいれば、貴方の呪いがもたらす発作のしるしを、その辛苦を、幾分かでも和らげてさしあげることができるでしょう」

「……それのどこが、私から其方そなたへの礼なのだ……?」

 むしろ逆ではないか、と眉根を寄せた柊哉に、源新は微笑んだ。

「私は、誰かの役に立てたという、実感が欲しいのです。私という存在が、必要とされたという、自己満足を得たいのです。薬師くすしを志したのも、それが理由のひとつでした。……貴方の邪魔はいたしません。貴方が願いをげる日まで、貴方からの礼として、私の同行をゆるしていただき、私からの礼として、貴方に尽くさせていただけませんか」

「……其方そなたき友人のように?」

 源新の言葉を、じっと聞き終えた柊哉は、源新を静かに見つめ、言った。源新の肩が小さく跳ね、頬が微笑の形のまま硬くなる。見抜かれていた。気付かれていた。源新が胸の奥深くに隠していた、ほの暗い望みに。

 死んだ友人は、不治のやまいおかされていた。

 薬師は、病が治れば用済みになる。それは言い換えれば、治る見込みがなければ、薬師として、ずっと寄り添い、尽くすことができるということ。役に立ち、必要としてもらえるということ。自身の欲を、満たせるということ。

「……人の辛苦に寄生する、おぞましいむしのようだと、自分でも思います」

 源新は自嘲の笑みを浮かべ、目を伏せる。軽蔑されただろう。嫌悪されただろう。柊哉の顔を見ることができず、源新はうつむいた。

「源新」

 ふわり、と、肩に紗を掛けるように、柔らかな声が、降りた。

「それでも、私は其方そなたに助けられた。……元々、願いを叶えるまでてば良いと思っていた体だ。其方が望むなら、私は構わない。其方に礼を尽くしたいと思う」

 柊哉の言葉に、源新は思わず顔を上げた。見つめる柊哉の瞳には、軽蔑の色も、嫌悪の色もなかった。ただ温かく静かに、源新の切なる渇望をゆるしていた。

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