伍-2

 重い傷を負った楓真を抱えて馬を走らせ、蓮太が駆け込んだ最寄りの村は、幸いにも、過去に九星の氏族が禍津日まがつひから守った村だった。村人たちは、急な怪我人の来訪に慌てふためきながらも、ふたりを手厚く迎え、空き家を貸してくれた上に、怪我の手当てに必要な物も分けてくれた。

 楓真は気を失ったまま、三日三晩、目を覚まさなかった。傷から来る熱にうなされ、しかし、それだけが原因とは思えないほど、深く昏々こんこんと眠り続けた。

 楓真が目覚めたのは、桜流しの雨が上がった、晴れ渡る朝だった。蓮太が水汲みから戻ると、楓真の布団は、きちんと畳まれ、蓮太の布団の隣に片付けられていた。

「どこへ行ったんだ、あいつ……」

 まだ傷も充分に塞がっていないのに。眉根を寄せながら、蓮太が家の周りを探していると、ちょうど村人のひとりが、朝餉あさげかゆを運んできてくれた。

「お連れの方を、お探しですか?」

 その方でしたら……と、村人は裏の山を指差す。

「少し前に、山に入って行かれました……お引き止めしたのですが、大丈夫だからと、振り切っていかれて……」

 村人が心配そうに、山を見つめる。

 落雷の音が聞こえたのは、その時だった。

 驚いた村人が粥の土鍋を落としかける。蓮太は咄嗟とっさに手を伸ばし、それを支えた。

「……春雷でしょうか……こんなに晴れているのに……」

 おびえたように肩を縮めた村人に、蓮太は申し訳なさといたわりの色を浮かべて笑った。

「そうですね。少し、山で……いや、山が……荒ぶっているのかもしれません……お粥、ありがとうございます。冷めないうちに、連れ戻してきます」



 雷鳴が聞こえた方向へ、蓮太は、握りこぶしを固めながら、山の中を進んでいった。全く、一体どれだけ心配して、この数日、付きっきりで看病したと思っているのか。

 森はそれほど深くなく、求める背中は、すぐに見つかった。開けた場所に、彼は、独り、立っていた。だが、そこが最初から開けていたわけではないことに、蓮太は気付いた。

 木の焦げた臭いが鼻をつく。風に乗って立ち上る、黒く焼けた土。折れ、裂け、砕け散り、炭となった木々。

 焼け跡の中心に、楓真はいた。その光景は、彼の兄に焼き滅ぼされたほこらのそれを、彷彿ほうふつとさせるものだった。

「……楓真」

 体の横でこぶしを握る手に力を込め、蓮太は楓真に向かって、大股で歩いていく。

 楓真の肩が、微かに動いた。振り返ろうとしたのかもしれない。だが、その顔が、蓮太に向けられることはなかった。ぐらり、と楓真の体がよろめく。その場に膝をつき、楓真は顔を伏せると、激しく咳き込んだ。黒い土の上に、赤い血がしたたる。

「馬鹿! 何やってんだ……!」

 楓真に駆け寄り、身をかがめて背を抱くと、蓮太は怒鳴りつけた。楓真は口もとを手の甲でぬぐうと、蓮太を見ているようで見ていない、どこか焦点を定めない瞳で、譫言うわごとのように呟いた。

「……臓腑ぞうふが焼けるのは……目覚めた大蛇おろちの力に体が追いついていないからだ……大蛇をじ伏せなければ……力を……使いこなせるようにならなければ……あいつに勝てない……」

 楓真の言葉に、蓮太は、ぐっと奥歯を噛みしめると、おもむろに楓真をかつぎ上げた。

「戻るぞ。せっかく作ってくれた朝餉あさげを冷ましちまったら、失礼ってもんだ」

 そう言って、蓮太は、のしのしと下草を踏み、歩いていく。

「……あの……」

「うん?」

 しばらくして、楓真が、ふっと顔を上げる気配がして、遠慮と躊躇ちゅうちょの混じった、意識のはっきりした声が聞こえた。

「自分で……歩きますから……」

 身じろぎ、降りようとする楓真を、がっちりと抱え込んで蓮太は阻止した。楓真も背は高いほうだが、十代の少年と二十代の青年では、体格が違う。蓮太が楓真を押さえるのは容易たやすかった。

「黙って担がれていろ。せっかく塞がりかけている傷が開いたらどうする。お前が最も優先すべきことは何だ。一日でも早く傷を治すことだろうが」

 蓮太は本気で怒っていた。本気で、楓真のことを心配していた。

 それは楓真にも、ちゃんと伝わったらしい。無理に動こうとはしなくなった。

「……すみません」

 楓真はうつむき、蓮太に体を預けた。分かれば良い、と、蓮太は、ふんと鼻を鳴らす。

 やがて、もうすぐ森を出るという頃、楓真が小さく、言葉を落とした。

「……ありがとうございます、蓮太さん」

 それは、蓮太が楓真を担ぎ歩いている、今のことだけに対する礼の言葉ではないのだろう。さっきの、びの呟きも。

 だから蓮太は、殊更ことさらに語気を強めて、言う。

「詫びより、礼より、お前が無事なことのほうが、俺には大事だ」

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