肆-4
晴れ渡る春の朝。
満開の桜が、
淡雪のように舞い落ちる桜の花弁の中を、老女が一人、歩いていた。桜を愛でる余裕など欠片もない、苦痛と焦燥の面持ちをしている。老女は杖をつき、背を丸め、足を引きずっていた。隣の村まで行かなければならない用事があり、朝早くに出発したものの、足も腰も悪くしている老女には、過酷な道のりだった。いよいよ足が動かなくなった老女が、
青年は、そのまま老女の前を行き過ぎるかに見えたが、ふと足を止め、その高い背を
「どうされました?」
凛と響く、深く澄んだ声だった。老女は思わず、目を見開いて青年を見つめた。こんな所で、行きずりの優しさに恵まれるとは思わなかった。
「……この先の村まで行く途中だったのだけれど……足が動かなくなってしまって……でも、大丈夫だからね……少し休めば、また歩けるもの……」
老女は頬を赤く染めた。青年の
「よろしければ、私が、お連れしましょう」
青年は老女に、背に乗るよう促した。老女は驚いて、
「あんたが行こうとしていたのは、逆方向じゃないか……! 申し訳ないよ!」
「構いません。この先の村でしたら、私の足なら半刻もかかりませんし……」
それに……と青年が、
「貴女を助けずに行き過ぎることのほうが、私には
降り注ぐ春の陽射しよりも温かな厚意を差し伸べられて、どうして断ることができようか。老女は手を合わせて恐縮しながら、青年の背に乗った。美しく組まれた骨に支えられた、均整の取れた体躯。
村の入り口で、青年は、そっと老女を降ろした。老女は、何度も頭を下げ、礼を言った。不意に強い風が吹き抜けて、青年の被った傘の
あんぐりと口を開けたまま青年を見上げた老女に、青年は淡く微笑んで、静かに一礼すると、
「っ……ちょっと、あんた……!」
老女が慌てて言葉を掛ける。
「あんた、死相が出ているよ! この先の……私の村の裏山に、由緒ある
老女の声に、青年は振り向いた。
「ええ。ちょうど今から、そちらへ向かうつもりです」
再び風が吹き抜け、桜が舞う。
青年の白い後ろ姿は、舞い散る桜の花弁の向こうに、
+
桜の開花を追いかけるように、楓真と蓮太は次の
しばらくは春らしい陽気が続いていたが、目的地が近づくにつれ、雲行きは怪しくなり、祠のある山の
山の麓には村があり、村人たちが朝の畑仕事に精を出していた。
「あんたたち、まほろばの人だね。山の
振り向くと、村人らしい、老女が一人、野菜の入った
「悪いことは言わないから、しばらくは
「えっ……どうして……ですか?」
蓮太が尋ねると、老女は声を
「昨日、この山は、酷く荒ぶっておられてね……昼過ぎから急に空が暗くなって、空が割れるような春雷の嵐だったよ……私は
「……春雷……
蓮太の後ろで、楓真が眉を
「あっ、あんた……!」
腕に抱えた
「昨日は、ありがとうねぇ! 背負ってくれて、本当に助かったよ……!」
目尻の
「この
籠を抱えていなければ手を合わせて拝んでいたかもしれない。老女は、うっとりと見惚れるように楓真を見上げ、そして安心したように、ほう、と溜息をついた。
「あぁ、良かった……山が荒ぶる前に、お参りができたようだね。あんまり死相が濃いものだから、心配していたんだよ。でも、もう大丈夫そうだね。顔色も良い。どうだい、御利益があっただろう。この山の
他でもない九星の祖先によって建てられた祠であるが、その歴史は、長い年月の中で村の伝承から消え、今は本来の由緒とは違った形で信仰されているらしい。
しかし、老女の言葉で引っかかるのは、そこではない。
喜びのあまり早口で息をつく暇もなく話す老女に、楓真は
誰と……?
楓真の瞳の奥に、ひとつの可能性が光を
「おや! すまないね……よく見たら、別の人だったよ……あんまり似ていたものだから……」
「……どんな人でしたか」
楓真が尋ねる。努めて、声を抑えて。
しかし、楓真の瞳は鋭さを隠しきれず、老女は、びくりと肩を縮めた。
「……あんたより……
「その人は、どちらへ行きましたか」
一歩、楓真は老女に距離を詰める。その気迫に、老女は思わず
「どっちへ行ったかは分からないけれども……歩いてきたのは、桜堤を、あっちのほうから――」
そこまで聞いたところで、楓真は身を
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