弐-6
邸に着いたのは、翌朝、日が高くなってからだった。
母の部屋の前に立つ。小さく息を吸って、吐く。障子に手を伸ばし、入室の断りを入れようとしたところで、柊哉は、漏れ聞こえた話し声に、その手を止めた。
「何故、暗殺など、企てになったのです……? 先代が我らに託された最高傑作を、貴女様自身が、使う前に葬らんとするなんて……」
「……貴方には、分からないでしょう……貴方にとって、あれは、ただの道具……
桐吾と母の声だった。柊哉の心臓が、どくんと跳ねる。
声は続いた。
「……あれを、物だと思えたら……私は苦しむこともなかったでしょう……しかし、あれは、子です……私の子なのです……子を愛せぬ苦しみが、貴方に分かりますか。私とて、あれを……あの子を、愛せるものなら愛したかった。何度も愛そうとして、この腕に抱こうとして……その度に、
「……それならば、なおのこと……」
「いいえ。貴方は、あれの力を、
最後の言葉に、柊哉の中で、何かが千切れた。
障子を開ける。彼らの瞳が、一斉に、柊哉に向けられる。
彼らを静かに見つめ返して、柊哉は言った。
「では、私は、何のために、生まれてきたのですか」
何のために、産み落とされたのですか。
「……柊哉様……」
柊哉の
「答えろ、桐吾。お前は私を、一族の最高傑作だと言った。先代から託されたものだと……ならば、そこには明確な目的があったはず。私という存在を作ったのは、何のためだ? お前は、私の力を、何に使おうとしている?」
桐吾を見下ろし、柊哉は一歩、桐吾に、距離を詰める。
唇を苦々しく
「……天蓬の、未来のためです」
「未来?」
柊哉は眉根を寄せる。
桐吾は続けた。
「柊哉様も、いつか
「だから、考えたのです。高貴な地位を持つ天禽だからこそ取れた道ならば、我々が天禽に成り代われば良い、と」
「っ、それは……」
その言葉の意味することを察し、柊哉の喉が、僅かに震えた。
桐吾は
「ええ。謀反です。確実に天禽を倒すため、そして、それにより蜂起するだろう、他の一族を抑えるため、そのための武器として、圧倒的な力が必要だった。だから、作ることにしたのです。
柊哉が考えないようにしていた可能性、覆い隠していた蓋を、桐吾は
「……では、私の父親は……」
理由があったのだ。自分が、一族の最高傑作だと言われるのも。実際に、この身に宿る力が、一族の誰より強いのも。
「……先代は、私の伯父ではなく、父……」
自分の父親は、二歳の時に死んだと聞かされていた、顔も憶えていない男ではなかった。
先代は、二十三で死んだ。柊哉が四つのときだった。
「この力を、
「そうです」
「
「それでも、今、為さなければ、機会は二度と得られなくなります。本家の直系が貴方様と楓真のみとなった今、貴方様のような存在を、我ら一族は、もうひとつとして作ることはできないのですから」
袖の陰で、柊哉は
「……私が、それを
「私が、
今まで黙っていた母が、静かに言った。柊哉とは目を合わさずに。
「……母上が……?」
「ええ。其方の次に、この天蓬で
「……分かりました」
柊哉は顔を伏せた。何を、どうしても、滅びの
ならば……。
「私は、私の意志で、私の力を使います。母上を
「っ、それでは……」
桐吾が柊哉を見つめる。そのまなざしを受けとめて、柊哉は言った。
「早速、行動に移そう。……決行は、七夕の前夜が良い。一族が
さらさらと、滑り落ちるように言葉は出た。声は体の内側で、ぽっかりとあいたがらんどうに響いていくようだった。
「楓真」
声を掛けると、楓真は、ぱっと顔を輝かせ、ぱたぱたと駆け寄ってくる。自分を探していたらしい。
楓真の手には、庭から手折ってきたのだろう、白い
「……兄上に帯同された方が、殉職されたと、聞いたので……」
兄上と一緒に、手向けに
「……兄上?」
身を
「……楓真……」
切られたばかりの紫陽花の、青い匂いが鼻を
「お前は私の、弟でいてくれ」
私を、お前の兄で、いさせてくれ。
お前の兄であるということが、私に残った、最後の絆だから。
生きるということを、唯一、繋ぎとめていられるものだから。
「お前だけは、守るから」
お前の未来を、私が必ず、守ってみせるから。
「……兄上……」
楓真は手を伸ばし、柊哉の背中を抱えようとした。けれど、幼い腕では、届かなかった。手の先で、紫陽花の花が揺れる。
「私は、兄上の弟です。今までも、これからも、ずっと、ずっと、弟です。そして、兄上も、私の兄上です。未来でも、それは変わりません」
それに……と楓真は続ける。
「私も、兄上を御守りしたいです。早く力を開花させて、修練して、兄上の傍で、兄上を御守りできるようになりたいです」
楓真の言葉の終わりは、雨の音に重なった。
砕け落ちた心の破片を、底から流し去っていくような、大粒の冷たい雨だった。
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