弐-5
次の任務は単独ではなく、帯同する者がいた。
「こんなに早く、
「ええ……私も」
笑みを交わして、任地に馬を走らせる。
遠征といっても、天蓬一族の管轄は、都とその周辺の地域に限られているので、長くても数日の距離だ。都から離れた要所には、九星の別の氏族が配されている。
季節は梅雨の
荒廃した村の奥で、柊哉と阿枇は、
禍津日の周囲の木は、
瘴気に触れないよう距離を取り、柊哉は印を結んだ。
――
大きな花に似た赤い光の紗が広がり、禍津日を覆う。瘴気を封じる。
禍津日が動きを止めた。
柊哉は禍津日を見つめた。禍津日は、声を持たない。
「……
柊哉が小さく呟く。愛して死ぬことと、憎んで生きることは、表裏一体なのかもしれない。
「それほどまでに、生きているものが憎かったのか……」
怨念となるほどに強い憎しみとは、何だろう。
誰かを、何かを、怨んでまで生きたいとは、柊哉は思えなかった。何よりも大切な楓真さえ、たとえ守れず喪うことがあったとしても、そこにあるのは絶望だけだ。楓真を喪えば、この心さえ意味はなくなる。命はなおさら。
けれど、と柊哉は思う。楓真なら、できるかもしれない。誰かを、何かを、憎んで生きることができるかもしれない。……生きて、くれるかもしれない。
――
「柊哉様」
阿枇が振り向く。
「
「……すまない、阿枇。ありがとう」
柊哉は微笑んだ。
禍津日は、まだ
呼吸を整え、唇を引き結び、柊哉は印を結ぶ。
――
帰路につく前に、柊哉は阿枇と、村人の遺体を埋葬した。最後の一人を
「ここへ来る途中に、小さな洞窟があった。今夜は、そこで野営しよう」
幾分、小降りにはなったものの、雨はまだ降り続いている。木立の葉は雫を含み、集まり大きな水滴となって、不規則に落ちてくる。
雨の中での術の行使と埋葬作業は、思いの
「……阿枇?」
村の入り口が近づき、繋いだ馬の
振り返らなくても、気配で分かる。阿枇が、柊哉に、剣を向けていた。
「……母上に命じられたのか」
柊哉は驚かなかった。いつか、こういう手段に出るだろうと、予想も覚悟もしていたから。けれど、こんなに早く実行されるとは思わなかった。
「せめて楓真の力が開花するまでは
柊哉は静かに振り向く。
剣を構える阿枇の手は震えていた。顔は辛苦に
「……柊哉様……」
「構わない。
それは柊哉の、本心からの言葉だった。楓真のことは心残りだが、父にも母にも愛されている弟なら、この先も大丈夫だろう。守られ、支えられ、望まれ、当主として、まっとうに、一族を率いていくだろう。
「願わくは、一太刀で斬り捨ててもらえるとありがたい。私とて、あまり痛いのは
肩を
阿枇の刃を待つ。
木々の葉から落ちる雫が、たん、たん、と時の経過を刻んでいく。
斬撃は、なかなか来なかった。
「阿枇……?」
柊哉は目を開ける。
「……
阿枇の声が、雨の雫のように、足もとに
「何故……貴方様は、そうなのです……何故、
阿枇の
「……できません……私には、貴方様を殺すことなど…………」
「阿枇……」
「……柊哉様」
阿枇が顔を上げる。膝の上で、両手を握り込んで。
「どうか、お逃げください」
「え……?」
柊哉の瞳が瞬きを打つ。阿枇は、さらに手に力を込め、柊哉を見つめた。
「ここで死ぬのも、行方を
「っ、阿枇!」
柊哉が気づくのと、光が放たれるのは同時だった。
「柊哉様」
硬く冷たい声が響き、複数の足音が近づいてくる。見知った顔ぶれだった。楓真の父――桐吾の、直属の部下たちだった。
「……
阿枇の
彼らの筆頭は、わざとらしく肩を
「何故も何も、貴方様は今、危うく御命を奪われるところだったではありませんか。私どもは、桐吾様から命を受け、貴方様を御守りしたまで……貴方様を無事に
「この者に、私に対する殺意はなかった。
「さぁ? 存じ上げませんな……そもそも、それは我々にとっては
筆頭は冷ややかに言った。その声を合図に、彼らが柊哉を取り囲む。
「分かりかねておられる御様子ですので、繰り返しましょう。我々に、桐吾様から下された
「……私には、まだ、利用価値があると?」
柊哉は薄く笑った。桐吾は……あの男は、どこまで……。
「我々の馬に御乗りください、柊哉様。……貴方様とて、その両腕を
二人の男が、柊哉の両脇を抱え、阿枇の遺体から引き離した。別の男が、阿枇を後方へ運んでいく。
「この者は、禍津日を
彼の声に温度はなかったが、その瞳には、微かに、柊哉と阿枇に対する、非情になりきれない憐憫の色が滲んでいた。殉職の提案は、彼の独断だろう。
四方を彼らに囲まれ、柊哉は連行されるように、邸へと戻った。
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