弐-5

 次の任務は単独ではなく、帯同する者がいた。阿枇あび――先月、柊哉の花器を割り、その責を問わなかった使用人だ。

「こんなに早く、其方そなたと任務を共にできる日が来るとは思わなかった。嬉しいよ、阿枇」

「ええ……私も」

 笑みを交わして、任地に馬を走らせる。

 遠征といっても、天蓬一族の管轄は、都とその周辺の地域に限られているので、長くても数日の距離だ。都から離れた要所には、九星の別の氏族が配されている。

 季節は梅雨の最中さなか。土砂降りの雨のとばりが下りている。

 荒廃した村の奥で、柊哉と阿枇は、此度こたび禍津日まがつひと対峙した。村人を次々に取り殺した禍津日は、三じょうを超える大きさで、いびつに膨れたひるのような姿をしていた。

 禍津日の周囲の木は、瘴気しょうきに触れて、全て枯れていた。村人たちの死体もまた、干からびて転がっている。

 瘴気に触れないよう距離を取り、柊哉は印を結んだ。


――かごめ、華蓋かがい


 大きな花に似た赤い光の紗が広がり、禍津日を覆う。瘴気を封じる。

 禍津日が動きを止めた。うずくまるように、身を縮めている。

 柊哉は禍津日を見つめた。禍津日は、声を持たない。うめくことも叫ぶこともない。ただ沈黙したまま、災厄をす。黄泉よみに封じられた怨念が形を成し、漏れ出たもの。顔も持たない黒い影。

「……うらむほどに、生きたかったのか」

 柊哉が小さく呟く。愛して死ぬことと、憎んで生きることは、表裏一体なのかもしれない。

「それほどまでに、生きているものが憎かったのか……」

 怨念となるほどに強い憎しみとは、何だろう。

 誰かを、何かを、怨んでまで生きたいとは、柊哉は思えなかった。何よりも大切な楓真さえ、たとえ守れず喪うことがあったとしても、そこにあるのは絶望だけだ。楓真を喪えば、この心さえ意味はなくなる。命はなおさら。

 けれど、と柊哉は思う。楓真なら、できるかもしれない。誰かを、何かを、憎んで生きることができるかもしれない。……生きて、くれるかもしれない。


――とどろけ、雷電らいでん


 刹那せつな、目の前を走った閃光と、耳をつんざく轟音に、柊哉は、無意識に落としていた視線を、はっと上げた。阿枇が禍津日に向け、術を放っていた。

「柊哉様」

 阿枇が振り向く。

禍津日まがつひを、あまり見つめすぎてはなりません……心を、引きずり込まれてしまいます」

「……すまない、阿枇。ありがとう」

 柊哉は微笑んだ。

 禍津日は、まだはらえていない。阿枇の力では、一撃で祓うことは難しかった。

 呼吸を整え、唇を引き結び、柊哉は印を結ぶ。


――つらぬけ、天槍てんそう


 まばゆい光の槍が、禍津日に突き立つ。獣なら、断末魔の悲鳴でも上げただろうか。声を持たない禍津日は、ただ、のたうち、崩れるように消えていく。跡形もなく。雨の音だけを残して。



 帰路につく前に、柊哉は阿枇と、村人の遺体を埋葬した。最後の一人をとむらって、馬を繋いだ村の入口へと歩き出した頃には、既に辺りは宵闇に包まれていた。

「ここへ来る途中に、小さな洞窟があった。今夜は、そこで野営しよう」

 幾分、小降りにはなったものの、雨はまだ降り続いている。木立の葉は雫を含み、集まり大きな水滴となって、不規則に落ちてくる。

 雨の中での術の行使と埋葬作業は、思いのほか、柊哉の体力を奪っていた。疲労で頭も体も鈍く重い。

「……阿枇?」

 村の入り口が近づき、繋いだ馬のいななきが聞こえ、柊哉が、ほっと息をついたとき、後ろで、硬い音が響いた。つるぎを抜く音だった。柊哉は足を止める。

 振り返らなくても、気配で分かる。阿枇が、柊哉に、剣を向けていた。

「……母上に命じられたのか」

 柊哉は驚かなかった。いつか、こういう手段に出るだろうと、予想も覚悟もしていたから。けれど、こんなに早く実行されるとは思わなかった。

「せめて楓真の力が開花するまでは猶予ゆうよがあるだろうと思っていたが……甘かったようだな」

 柊哉は静かに振り向く。

 剣を構える阿枇の手は震えていた。顔は辛苦にゆがみ、歯を食い縛っている。

「……柊哉様……」

「構わない。其方そなたに罪はない。ただ命令に従っただけだ。恨む気もない。……私も、少し疲れたのだ。ここで終わりにできるなら、私も安らげる」

 それは柊哉の、本心からの言葉だった。楓真のことは心残りだが、父にも母にも愛されている弟なら、この先も大丈夫だろう。守られ、支えられ、望まれ、当主として、まっとうに、一族を率いていくだろう。

「願わくは、一太刀で斬り捨ててもらえるとありがたい。私とて、あまり痛いのはいやだからな」

 肩をすくめて、小さく笑って、柊哉は目を閉じた。

 阿枇の刃を待つ。

 木々の葉から落ちる雫が、たん、たん、と時の経過を刻んでいく。

 斬撃は、なかなか来なかった。

「阿枇……?」

 柊哉は目を開ける。

「……何故なぜ……」

 阿枇の声が、雨の雫のように、足もとにしたたる。

「何故……貴方様は、そうなのです……何故、ゆるしてしまわれるのです……」

 阿枇のつるぎが、その手から離れ、泥にまみれる。ぬかるみに膝をつき、阿枇は項垂うなだれ、顔を覆った。

「……できません……私には、貴方様を殺すことなど…………」

「阿枇……」

「……柊哉様」

 阿枇が顔を上げる。膝の上で、両手を握り込んで。

「どうか、お逃げください」

「え……?」

 柊哉の瞳が瞬きを打つ。阿枇は、さらに手に力を込め、柊哉を見つめた。

「ここで死ぬのも、行方をくらますのも、貴方様が天蓬からいなくなるのは同じ……ならば、真に死ぬ必要はないのです。一族を捨て、生き延びる道を選ぶこともできましょう。貴方様の髪を一房いただければ、私が貴方様の死を偽証します。私は、貴方様に、生きていただきたい……だから、どうか、逃げて――」

「っ、阿枇!」

 柊哉が気づくのと、光が放たれるのは同時だった。咄嗟とっさかばおうとした柊哉の腕は間に合わず、阿枇の言葉が半ばで途切れる。

 くずおれる阿枇の体を、柊哉は抱きとめた。阿枇の背に、太い矢が、深々と突き刺さっていた。やじりは正確に心臓をとらえ、何かを言い遺す時間も与えなかった。

「柊哉様」

 硬く冷たい声が響き、複数の足音が近づいてくる。見知った顔ぶれだった。楓真の父――桐吾の、直属の部下たちだった。

「……何故なぜ、殺した……?」

 阿枇の亡骸なきがらを抱えながら、柊哉は彼らをにらみつける。

 彼らの筆頭は、わざとらしく肩をすくめた。

「何故も何も、貴方様は今、危うく御命を奪われるところだったではありませんか。私どもは、桐吾様から命を受け、貴方様を御守りしたまで……貴方様を無事にやしきへ御連れするよう、と……」

「この者に、私に対する殺意はなかった。つるぎだって手放していた。お前たちにも、それは見えていたはずだ」

「さぁ? 存じ上げませんな……そもそも、それは我々にとってはあずかり知らぬことゆえ……」

 筆頭は冷ややかに言った。その声を合図に、彼らが柊哉を取り囲む。

「分かりかねておられる御様子ですので、繰り返しましょう。我々に、桐吾様から下されためいは、貴方様を無事に邸へ御連れすること……それはつまり、逃げようとすれば捕らえても良いということです」

「……私には、まだ、利用価値があると?」

 柊哉は薄く笑った。桐吾は……あの男は、どこまで……。

「我々の馬に御乗りください、柊哉様。……貴方様とて、その両腕をいたずらに縛られたくはないでしょう」

 二人の男が、柊哉の両脇を抱え、阿枇の遺体から引き離した。別の男が、阿枇を後方へ運んでいく。

「この者は、禍津日をはらう任務の途中で殉職したことにしましょう。そうすれば、墓を作りとむらいもできます。貴方様の暗殺を企てた罪に汚れ、ここに打ち捨てられるより、ずっと良い……」

 彼の声に温度はなかったが、その瞳には、微かに、柊哉と阿枇に対する、非情になりきれない憐憫の色が滲んでいた。殉職の提案は、彼の独断だろう。

 四方を彼らに囲まれ、柊哉は連行されるように、邸へと戻った。

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