弐-3
書物庫は高床式で、扉の前には、幅の広い頑丈な階段が架けられている。建物は古いが、定期的に修繕が施されているので、それほど傷んではいない。
階段に足を掛けたところで、柊哉は、ふと、扉の
「誰か、いるのか……?」
階段を上がり、扉越しに声を掛けてみたが、返事はない。
最初に見えたのは、一本だけ灯された
「っ、わぁ!」
光に気づいたのか、その背中が跳び上がり、こちらを振り向く。
柊哉と同い年くらいの少年だった。柊哉の家では使用人でも着ないような、粗末な衣を
座った姿勢のまま真上に跳んだ彼ほどではないが、柊哉も少なからず驚いていた。天蓬一族で、今、十五歳以下の子どもは、自分と楓真だけと聞かされていた。実際、これまでに柊哉は一度も、楓真以外の子どもを見たことはない。彼は天蓬の者ではないのだろうか。ならば、何故、この書物庫にいる? 中途半端に扉を開いたまま、柊哉も少年を見つめた。銀の髪と金の瞳――彼の容姿は、力が開花した九星の特徴を有しているが、髪は銀色というより
「そこで、何をしている? 天蓬の者ではないだろう」
「ご……ごめん!」
顔の前で両手を合わせ、彼は頭を下げた。
「術の勉強をしたかっただけなんだ! 勝手に入って悪かった! 許してくれ!」
少年の必死な様子に、柊哉は警戒の
「術の勉強?」
柊哉が尋ねると、少年は
「俺、先月、やっと力が開花したんだ。でも、俺の宮には、術を教えられる大人はいなくて……皆、もう
「それで、天蓬の書物庫に……」
「うん……あっ、でも、俺、天蓬と全く縁もゆかりもない人間じゃないんだぜ? 俺の血の半分は、天蓬だから。普通より遅れてでも力が開花したのも、きっと天蓬の血があったからだ」
「血の半分が、天蓬?」
柊哉は驚いた。天蓬一族は、一族以外の者との婚姻を、固く禁じている。天蓬の血が薄まり、力が弱まるのを防ぐためだ。
「駆け落ちだよ。俺の父上が
少年は、さらりと笑った。天心一族の宮――
「俺は天心
彼は気さくな笑みを開いた。
「……私は……」
名乗ろうとして、柊哉は言い
しかし、そんな柊哉の
「知ってる。天蓬柊哉だろ。一目見て分かったよ。お前の
「噂……?」
柊哉は眉根を寄せる。いつか
だが、蓮太が言ったのは、全く異なることだった。
「九星の氏族の誰よりも綺麗な金の瞳と銀の髪をしているってさ。本当に
息もつかずに話されて、柊哉は
「……書物庫だけど」
柊哉は、小さく笑みを浮かべて、言った。
「勝手に鍵を
「……だよなぁ」
蓮太は、しょんぼりと
「でも……」
柊哉は、そっと、言葉を続ける。
「今から私も、ここで調べものをするつもりだった」
「っ! それって……!」
蓮太が、ぱっと顔を上げる。柊哉は
「私がいれば、無断侵入にはならない」
それから……と、柊哉は少し頬を赤くして、提案する。
「……印の結び方を知りたいと言っていたけど、それなら、書物を読むより、実際に見たほうが早いし、分かりやすい。良かったら、私が教えようか? 調べものの後にはなるけど」
「本当に⁉ 良いのか⁉」
蓮太が、勢い込んで、柊哉を見つめる。
「助かるよ! ありがとな! 恩に着るよ! じゃあ、印の結び方以外のことを、読ませてもらうよ。お前、良い奴だな。最高の友人だ」
「……友人……」
馴染みのない言葉に、柊哉は目を
「ああ。俺は、この恩を忘れない。親友になろう、柊哉」
蓮太は笑った。晴れ渡る空に
それから半月ほど、蓮太との交流は続いた。それぞれが読みたい書物を読んで、互いに持ち寄った干菓子を分け合って食べて、柊哉が蓮太に術を教えて、日が暮れてきたら、次に会う日の約束をして別れる。それは翌日のときもあれば、翌々日のときもあった。書物庫に来ない日は、彼は
「
蓮太は、そう言って、軽やかに笑い、そして、ふと遠くを見つめて、続けた。
「でもさ、それは柊哉たち天蓬や、まだ力を失っていない九星の誰かが、
蓮太の笑顔を、柊哉は、とても眩しいと思った。
どんな大人になりたいか、なんて、柊哉は考えたこともなかった。
いつか大人になるのではなく、今、子どもでいてはいけなかった。
望まなくなったのは、いつからだろう。
役に立ちたいという希望が、役に立たなければという義務に変わったのは。
義務を果たせたとき、喜びや安堵に心を
周りが望むから、望みは持たない。
大人が注ぎ入れてくる望みを、自分は飲み込み、叶えていくだけ。
どこからが大人で、どこまでが子どもなのかも、分からない。
命じる相手が、大人から、さらに上位の誰かに、変わるだけではないか。
従って、従って、従って。叶えて、叶えて、叶えて。何が違う?
「……大人になるという未来を、お前は信じられるんだな」
柊哉が吐息の中に小さく言葉を落とすと、彼は聞こえなかったのか、問いかけのまなざしを向けた。柊哉は微笑み、なんでもないと、首を横に振った。
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