襲ってきた熊と融合転生したら神属性のもふもふだった

藍条森也

第一話 森の神になったので、不遇な幼女をひろって一緒に暮らすことにした

第一部 出会い篇

一章


 我は熊なり。

 熊は神なり。

 心の奥底からそんな言葉が沸き起こってくる。

 なぜ?

 どうして?

 わたしは熊じゃない。

 わたしは人間。

 春賀はるかゆうき二一才。

 動物学者を目指す女子大生。

 そう。覚えている。

 そのことは覚えている。

 でも、なぜ?

 それが、自分のことだとは思えない。

 まるで、俳優が自分の演じる役所やくどころの設定を思い返しているような、そんな気分。

 そして、この体。

 人間の体じゃない。

 長い毛に包まれた大きなおおきな四足獣。

 そう、これは――。

 熊の体だ。


二章


 そう。覚えている。

 わたしはあのとき、生物学者となるための訓練中だった。北海道の森のなかにフィールドワークに出かけたのだ。

 そのとき、熊に出会った。

 熊にとっても思い掛けない出会いだったにちがいない。わたしたちは文字通り『いきなり出っくわして』しまったのだ。

 いきなり人間と出会い、パニックに陥った熊は突然、わたしに襲いかかった。その勢いで地面が崩れ、わたしは熊と一緒に崖下に転落した。そして――。

 気が付いたらここにいた。

 長い毛に包まれた熊の体で。

 ここはどこ?

 北海道の森じゃない。

 いいえ、日本のどこの森でもない。

 それは、わかる。

 だからと言って、どこか他の国の森とも思えない。

 わたしの知らない、見たことのない森のなか。

 わたしはそこにいた。

 長い毛に包まれた熊の体となって。


三章


 わたしは森のなかをさ迷いつづけた。

 飲むもの、食べるものには不自由しなかった。

 フィールドワークの経験があったおかげで、森のなかでなにが食べられて、なにが食べられないかは見当が付いた。それ以上に、この熊の体に眠る本能が食べて良いもの、いけないものを見分けてくれた。

 見た目。

 匂い。

 味。

 舌触り。

 そのすべてで判断し、獣の本能がわたしに警告してくれた。

 わたしは警告のままに食べられるものを食べ、食べられないものを吐き出した。

 わたしはそうして森をさ迷いつづけた。そして――。

 それを、見かけた。


四章


 それは、人間。

 まだ年端もいかない人間の女の子。

 その女の子が、数頭の恐狼ダイアウルフに襲われていた。

 巨大な体躯に鋭い牙と爪をもつ恐狼が、それも数頭がかりで何の武器ももたない人間の女の子を襲っている。

 許さぬ。

 我は熊なり。

 熊は神なり。

 森をしろしめす神として、かような理不尽を許すわけにはいかぬ。

 わたしは吠えた。

 その場に駆けつけた。

 恐狼の群れに襲いかかった。

 怖い――などとはちっとも思わなかった。

 わたしは知っていた。この熊の体に宿る力、森の神たる比類なきその力を。

 この力の前にはたかだか数頭の恐狼など、文字通りの小物に過ぎない。

 わたしは思うがままにその力を振るい、恐狼たちを叩きのめした。人間であった頃には子犬一匹、怖くてたたけなかったわたしが、いまでは獰猛どうもうな巨大狼の群れを相手に凶猛な力を振るっている。そこには――。

 たしかに、快感があった。

 わたしは恐狼の群れを追い払った。人間の女の子を見つめた。

 ――さあ、早く帰りなさい。

 わたしは視線でそう女の子に語りかけた。

 その思いはたしかに女の子に伝わったはずだ。なぜかはわからないけど、わたしにはそう感じられた。でも――。

 女の子は、わたしの毛をしっかりとつかんで離さなかった。


五章


 女の子はわたしの毛を放そうとはしなかった。

 唸っても無駄。

 牙をむいても無駄。

 女の子は決してわたしの毛をはなそうとはしなかった。

 それどころか、すがるような視線でわたしをじっと見つめていた。

 その表情はまるで『他に頼れるものは何もない』と思い詰めているかのよう。

 ――いいわ。

 わたしは思った。

 我は熊なり。

 熊は神なり。

 これほどまでに頼られ、すがりつかれたとあっては、森の神として見捨てるわけにはいかない。

 ――きなさい。

 わたしはあごをしゃくって、女の子にわたしの背中に乗るよう指示した。

 女の子は喜びいっぱいの表情になって、わたしの背中に飛び乗った。

 わたしは女の子を乗せたまま歩きだした。


六章


 女の子を背中に乗せて歩きながら、わたしはようやく自分のことを理解しはじめていた。

 わたしはあのとき、死んだ。

 熊と共に崖から落ちて、熊と共に死んだのだ。

 そして――。

 ふたつの魂は融合した。

 熊と人間。ふたつの魂は融合してひとつとなり、この森の神として生まれ変わった。

 熊であり、

 人間であり、

 そして、異界の森の神。

 それが、いまのわたしだった。

 

七章


 わたしと女の子とは洞窟のなか、焚き火を囲んで座っていた。

 本来、熊であるわたしに火をおこせるはずもない。でも、人間・春賀ゆうきの知識がわたし火のおこし方を教えてくれた。幸い、熊の前足はかなり器用だ。前足と言うより『手』と言ってもいいぐらい。その器用な『手』を使ってわたしは火をおこした。

 わたしは女の子のために魚といくらかの木の実をとってきた。女の子はよほどお腹を空かせていたのだろう。わたしのとってきた魚と木の実をガツガツとむさぼり食べた。

 よく見ると、ずいぶんと痩せこけている。この歳にしても細すぎだ。着ているものも『ボロ雑巾』と言ってもいいぐらい。というより、古布そのものなのなのだと思う。古くて大きい布に穴を開け、そこから体を通し、腰のところで紐で縛ってある。ただ、それだけ。ただそれだけの、服とも言えないような代物だった。

 まさか、こんな格好で森へとやってくるなんて。

 自殺行為以外のなにものでもない。

 年齢は七~八歳ぐらい。こんな子供がなぜ、飢えた獣のウロウロしている森へと身ひとつでやってきたのだろう。親はどうしたのだろう?

 もしかして――。

 童話によくある森への捨て子?

 わたしは女の子の境遇に興味をもちはじめていた。


八章


 ――なに、これ?

 わたし頭のなかで奇妙な映像が流れはじめていた。

 例の女の子が年長の女にひどく叱責されている。

 「本当にグズね、お前は! せっかく雇ってやったって言うのに役立たずにもほどがあるわ。こんなことじゃとても給料なんて払えないわね。お給料がほしかったらまともに仕事が出来るようになりなさい。いいわね、タラ!」

 『タラ』というのがこの女の子の名前らしい。

 そのタラという女の子はいま、わたしのふかふかの毛に包まれ、眠っている。あたりには何匹分もの魚の骨と木の実の皮が散らばっている。お腹を空かしていただけではなく、疲れ切ってもいたらしい。食べるだけ食べ、満腹すると、その場に座っていたわたしの毛に潜り込むようにして寝入ってしまった。

 たらは眠りながらもわたしの毛をしっかりとつかんでいた。それはもう『すがりつく』という表現がピッタリくるようなつかみ方で、『絶対にはなさない』というタラの必死の思いが伝わってくるようだった。

 ――こんなにもわたしに必死にすがりつくなんて……いったい、この女の子になにがあったの?

 そう思うと、頭のなかには映像が流れ込んできた。

 どうやら、この映像はタラの記憶らしい。いまのわたしには人間の記憶を共有する能力があるようだ。人間と熊の魂が融合した結果か、それとも、天性によって身に付けた能力だろうか。

 頭のなかに映像が流れつづける。

 そして、わたしは知ることになる。タラという女の子の生い立ちを。


九章


 タラは城下町の貧民街の生まれだった。

 貧民街と言っても生活はそれほど苦しくなかった。むしろ、その界隈では最上等の部類だと言ってよかった。タラのお母さんが貧民街の空き地で野菜やちょっとした果物などを作り、富裕層相手に売りに行き、それなりの額を稼いでいたからだ。

 もちろん、貧民街であるから子供の育つ環境としては最悪だと言っていい。それでも、まわりには生業こそ、こそ泥だけど、一緒に遊べる少年もいたし、気の良いおじさんたちもいた。何より、タラのお母さんは稼いだお金を気前よく周囲の人々に分け与えていたので感謝されていた。その感謝はタラの上にも注がれていた。おかげでタラは人々の好意に包まれ、七歳のその日まですくすくと育っていた。お母さんの野菜作りを手伝ったり、空き地を利用したちっぽけな畑でチョウチョやトンボを追い回して遊んだり、お母さんと一緒に野菜を担いで売りに行ったりして、健やかに育っていた。でも――。

 ある日、お母さんの稼いだお金を目当てに強盗が押し入り、お母さんを殺し、お金を奪っていった。

 ――娘のために。

 そう思い、ちっぽけな空き地で一所懸命に野菜を作り、お金を稼いできた。それが貧民街では仇になったのだ。

 お母さんが殺された。

 まだ七歳のタラはお母さんの遺体にすがりついて泣いた。

 幼いかの人には何をどうしていいのかわからない。周りの人たちにもタラを引き取り、育てるような力はない。

 いくら気のいい人たちと言ってもここは貧民街なのだ。自分ひとり、あるいは、自分と家族が生活していくだけで精一杯で、いくら好意をもっていても、赤の他人を引き取って育てる余裕なんて誰にもなかった。

 だから、タラは泣いていた。

 たったひとり、母親の遺体にすがりついて。

 そんなタラの前にひとりの女性が現れた。

 「タラちゃんね? わたしはエキザカム。あなたを迎えにきたの」


一〇章


 「あなたのお母さんはとても腕のいい農家だったわ。わたしはいつも、あなたのお母さんから野菜や果物を買っていたの」

 エキザカムという女性はそう名乗った。

 城下町でもちょっとは名の知られたレストランの経営者で、タラのお母さんとは親しくしていたのだと言う。

 エキザカムはタラを自分の屋敷へと連れて行った。

 名の通った経営者の家と言うだけあってタラの見たこともない立派なお屋敷だった。タラはその屋敷のなかで多くのメイドや執事にかしづかれ、生まれてはじめてドレスを着て、生まれてはじめてのご馳走を食べた。そして、生まれてはじめて、お湯をたっぷり張ったお風呂に入り、生まれてはじめての天蓋付きのベッドで眠った。

 「わたしはあなたのお母さんにはとてもお世話になったの。だから、お母さんが殺されたと聞いたときには胸が張り裂けるぐらい悲しかったわ。そして、あなたのことを思うといても立ってもいられなくなって駆けつけたのよ。どう? この家の子供にならない?」

 「この家の子供?」

 「ええ。わたしはあなたのように親を亡くした子供を何人も引き取って育てているの。わたしがこうして豊かな暮らしをしていられるのも町の人たちがわたしのお店で食事をしてくれるから。そのお返しとしてね。もちろん、あなたのお母さんはあの人ただひとり。わたしを『お母さん』なんて呼ぶ必要はないわ。でも、この家の子供になればわたしが色々お世話してあげられる。きれいな服、おいしいご飯、学校にも行かせてあげられる。それが、わたしがあなたのお母さんに出来る唯一の恩返しだと思うの。だから、どう? わたしの子供にならない?」

 エキザカムは優しく微笑みながらそう誘った。

 その言葉を裏付けるようにエキザカムのお屋敷には何人もの子供たちがいた。みんな、それまでのタラの世界では想像することも出来ないようなきれいな服を着て、おいしいものを食べて、色艶の良い健康そのものと言った印象の子供たちだった。みんな、教養もあって、まだほんの子供なのに古典文学やら何やらを議論しているほどだった。

 ――この家の子供になればあたしもあんな風になれるんだ。

 それまでの世界では想像もつかなかったピカピカに輝く子供たち。その子供たちを見てタラの胸は憧れにふくらんだ。その憧れのままに言った。

 「お願いします!」

 「良かったわ。すぐに手続きをしましょうね」

 エキザカムは慈母そのものと言った微笑みでそう答えた。

 その夜。タラはふかふかの天蓋付きのベッドで眠りながら自分の幸運に涙を流した。

 ――これであたしもきっとあの子たちみたいなピカピカな子供になれる。

 でも――。

 タラがそんなベッド眠ることができたのはこの日が最後だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る