第二部 人間の争い篇
五章
わたしは夢を見ていた。
視界のすべてが赤く染まっていた。
ごうごうと炎の燃える音がした。
森が燃えていた。踊るような炎が木という木を、草という草を焼き尽くす。動物たちが悲鳴をあげて逃げ惑い、鳥たちが逃げ出していく。炎の向こうからやってくるのは……武器をもった人間たち。
わたしの知らない国の
兵士たちがやってくる。
炎の海のなかをゆっくりと。
そして、子供たち。
わたしの大事なタラをはじめとした子供たちは……泣き叫んでいた。
それは、子供の国が失われる姿だった。
六章
「めずらしいね。あなたがタラを置いてくるなんて」
わたしと並んで歩きながらステラが言った。
かの人がそう言うのももっともだ。わたし自身、そんな気になったのがめずらしい思う。タラに『あたしも一緒に行きたい』とせがまれたときは心が痛んだけれど……やはり、タラを連れてくる気にはなれなかった。
――夢を見たの。
「夢?」
――そう。夢。森が焼かれ、子供たちが泣き叫ぶ夢。
「それって……人間たちに森を焼かれるってこと?」
ステラは眉をひそめながらそう尋ねてきた。
さすがにかの人は
わたしは正直に答えるしかなかった。
――ええ。
「そっか。それで急に森のなかを見回りに行こうなんて言い出したんだね」
――ええ。
「それじゃあ、タラを連れてこないわけだよね。もし、必要とあれば……」
森に侵入してきた人間を殺すことになる。
ステラが言わなかった言葉は、わたしにははっきりとわかった。
――ええ。あなたの思っているとおり。だから、わたしは……。
「いいよ。気を使わなくて」
ステラはきっぱりと言った。
「あたしだって覚悟は出来ているわ。何と言ってもすでに一度、人間たちに住み処を焼かれて大切な人たちを何人も殺された。あたし自身、殺されかけたしね。もう二度とあんな目に遭う気はない」
――ステラ。
ステラはニッコリと笑った。
「だいじょうぶよ。あたしも、あの子たちもいまではもう森の生き物。もう二度と人間にあたしたちの暮らしを壊させはしない。もし、悪しき意思をもった人間が近づいてくれば……」
ステラは腰の剣にふれながらきっぱりと言った。
「あたしが殺す。あの子たちに知られないように。それが……あの子たちの守護者としてのあたしの役目」
七章
森の風がその匂いを運んできた。
わたはクンクンと鼻を鳴らし、その匂いを感じ取った。その匂いは徐々に強くなっていった。
――これは……この匂いは。
「どうしたの?」
わたしの様子に気が付いたのだろう。ステラが尋ねてきた。
――人間。
「えっ……⁉」
ステラは反射的に剣の柄に手をかけた。
――人間の匂い。でも、これは……。
わたしは匂いのもとをたどった。
そこに、それはいた。背中を斬られ、血を流して倒れている人間。
「大変……!」
ステラは叫んだ。近寄った。とにかく、止血をして様子を確かめた。
ステラの真剣な表情が
「よかった……。まだ生きてる」
ステラはその人間を抱き起こした。壮年の男だった。ステラの行為は人間として当たり前のことだったろう。でも――。
――その男をどうするの?
「あっ……」
わたしの言葉にステラは意表を突かれたような表情をした。それから、何かを思い出したような顔になった。わたしの夢の話を思い出したのだろう。もしかしたら――。
この死にかけている男がわたしの夢を正夢にするきっかけとなるかも知れない。
ステラもそう思ったのだろう。じっと男の顔を見ている。顔が白い。体温もかなり下がっているはずだ。すでにかなりの量の血を流しているのだろう。瀕死、と言うほどではないが、重傷にはちがいない。このままここに置いておけば遠からず死ぬのはまちがいない。いや、傷がもとで死ぬ前に獣たちに食い尽くされるか。
「……クママ」
ステラが言いにくそうに言った。
「クママ。あなたの夢を軽視するわけじゃないけど、あたしはこの人を助けたい。武器をもった兵士を殺すことなら出来るけど……死にかけている人間を放り出しておくなんてやっぱり、出来ない。だから、お願い。この人を助けさせて」
ステラの顔には
ステラの気持ちはわかる。
死にかけている人間を放ってはおけないという人間としての自然な気持ちとわたしの夢。
人間への警戒。
子供たちの世界を守らなければならないという思い。
それらがない混ざってそれでもやっぱり、人間として、死にかけている人間を見捨てていくことは出来ない。
そんな思い。
その思いはわたしにもよくわかった。
いまでこそ森の神たる熊だけど……わたしだってちょっと前までは人間だったのだ。
――乗せなさい。
わたしはステラに背中を向けた。
人間を子供たちの世界に連れて行くことに不安はあったけれど――。
わたしにはそう答えるしかなかった。
「ありがとう、クママ!」
ステラがまぶしいほどの笑顔で言った。
八章
「
男は意識を取り戻すと、
「隣国って言うと……トリオ聖教国?」
ステラの言葉に男はうなずいた。
「そうだ。トリオ聖教を世界に広めるためと言っていきなり侵略してきやがった。突然のことで町の兵士たちも対応出来ず、町はやつらに……町の人たちもどうなったことか……」
男は傷のせいでやつれきった表情を向けた。
「なあ、頼む。ここに置いてくれないか? しばらくの間だけでもいい。他にも町から逃げた人たちは大勢いるはずだ。その人たちを見つけて今後のことを決めるまでの間だけでも……」
男はすがりつくような顔でそう言った。
タラたちは子供同士、どうするべきかを話し合った。
わたしはその話し合いに一言も加わらなかった。
ここは子供たちの国だ。子供たちが自分たちで作り、自分たちで動かしていく国だ。森の神であるわたしが口を出すわけにはいかない。
ステラも、自分は年長者であり見守る立場、との思いがあるのだろう。なにも言わずに子供たちの会議を見守っていた。
やがて、会議は終わった。タラが覚悟を決めた表情でわたしに言った。
「クママ。あたしたちはあの人を助けたい」
――それでいいの?
「……うん。正直、おとなの人をここにおくのは不安もあるけど……でも、やっぱり、死にかけている人を放り出すなんて出来ない。それに、他にも同じような目に
――タラ。ここはあなたたちの国。どうするかはあなたたちの決めること。わたしはその点に口出しできない。でも、これだけは覚えておいて。わたしはあなたたちの決めたことには口出しできない。森の神であるわたしは人の世の取り決めには加われない。だから、もし、人間を助けることで悪いことが起きたとしても、わたしはあなたたちを助けられない。それでもいいの?
「うん」
タラはきっぱりとうなずいた。
「それでもやっぱり、あたしたちはあの人を助けたい」
――そう。わかったわ。それがあなたたちの望みだというならそうなさい。
「ありがとう、クママ!」
男に伝えに行ったのだろう。タラは走って行った。
「……いいの?」
ステラがわたしに尋ねてきた。
ステラ自身、見捨てることは出来ないだろうにそう尋ねたのはやはり、迷いがあるからなのだろう。
――わたしは森の神。人の決めたことには関われない。それに……。
「それに?」
――タラには傷ついた生き物を助ける優しさをもっていてほしい。例え、それが、森とは相容れない存在である人間であったとしても。
「うん……。そうだね」
ステラもうなずいた。うなずきながら剣の束に手をかけたのは――。
悪いことが起これば、あたしがあの男を斬る。
その決意の表れ。
そして、わたしにはわかっていた。
子供たちの国におとなを受け入れればどうなるか。
なぜって――。
わたしもちょっと前までは人間のおとなだったのだから。
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