7話


 早紀に、電池が怪しいから少しスマホ貸してくれない? と言われて、渡したのは、それまでもよくあるやり取りだった。

 そのままドリンクを取りに席を立ったのも、同じ席にいたからと何か流れが変わったかというとそんなこともないとは思う。


 ただ、戻ってきた時に、早紀が難しい顔をしてこちらを見ているのがわかり、千夏の中の人間関係センサーにアラートが鳴り響いた気がした。


 玲奈と優子は、少し早紀の態度に疑問の表情を浮かべている。何か会話の中で早紀にそんな表情をさせているわけではないようで、千夏は直接早紀に尋ねることにした。


「えっと……どうしたの早紀? 何かあった?」


 注いできた飲み物のカップを置いて、千夏は早紀の斜め前に座る。


「…………これって、どういうこと?」


 そう言って、内に秘めた激情を抑えるようにして早紀が指差した私のスマホの、メッセージアプリの受信一覧には、佐藤一というアカウントが一番上に載っていた。

 多分共通の友人に連絡しようとして、通知が来たのに触れてしまったのだろうか。最初の一文で『行ってくるね』とあるのが見えるので、恐らくバイトにハジメが向かった際の連絡だ。


 そして同時に、何故早紀が今こうなっているのかもわかった。

 先程、自分で思ったではないか。


 、と。


「何かを隠してるのはわかってたけど、こういう裏切りみたいな事はしない子だと思ってた」


 早紀がそう言うのを、即座に千夏は否定する。


「……違うよ、ハジメはうちの大事な人だけど、それは早紀が思ってる人とは違う」


「え? 意味わかんないんだけど……ハジメって、佐藤くんでしょ? …………大事な人ができたのは聞いてたけどさ、それが佐藤くんだったってこと? 何なのよ! ずっと私のことも馬鹿にしてたわけ!?」


「だから違うって! ちゃんと話聞いてよ!」


 言葉を間違えた、と思った時には遅かった。

 早紀が堪えていたものを弾けさせるように叫ぶ。


「だってさ、さっきグループでこれから家族で出かけるって……私だってアイコンも知ってるんだよ? 個別に行ってくるって連絡来てるのって何? ううん、あれだけ彼氏しか入れないって男子からの連絡先も断ってたから意味もわかってる! こんな……こんな変な気を使われ方をされる方が悲しいよ!!」


「……だから違うんだって! ……うちが付き合ってるのは同じクラスのハジメなんだよ、アイコンが一緒なのは偶々だと思う。早紀の好きな、バスケ部の佐藤くんとはほとんど話したこともないよ、信じてよ、早紀」


 今にも泣き出しそうな早紀に、千夏は必死で落ち着かせるように言葉を紡ぐ。

 しかし――――。


「何よそれ! そんなの信じられるわけないでしょ!? 大体何でそこで『二番』君なんか出てくるのよ、言い訳にしても酷くない!?」


「……違う、ハジメは二番じゃない、早紀、訂正してよ!」


 ちゃんと言い訳しようとしていたのに、早紀の物言いの中でカチンと来てしまって感情のままに怒鳴り返してしまう。


「だから何なのよ!? そっちこそ変な嘘ついてないではっきり言えば良いでしょ? あんたの好きな男はうちの彼氏だって!!」


 言葉の内容以前に、怒鳴り返したことによって完全に早紀の冷静さを失わせてしまっていた。

 どうして、何でこうなっちゃうのという思いと、早紀にそのつもりがなくともハジメを貶されているようで苛々する心が千夏の中で暴れ回る。


「待って早紀ちゃん! 千夏ちゃんは嘘なんかついてないよ! 私、クラスの佐藤くんと千夏ちゃんがデートしてるのも見たことあるから本当だよ」


 そこで、流石に止めないとまずいと、千夏と早紀のやり取りに置いて行かれていた優子が咄嗟にそう庇ってくれる。

 そして、横槍に千夏と早紀が言葉を詰まらせている間に、玲奈が冷静な声で言った。


「確かめてみればわかるのでは?」


「……確かめるって、どうやってよ?」


 早紀が反応する。


「それは……その千夏さんのお相手をここに呼べば良いのでは? 来たのが同じクラスの佐藤君であればそれが事実なのでしょう? その、正直千夏さんがそんな嘘をつくとも思えませんし」


「駄目……!」


 しかし、玲奈の提案に千夏はそう言ってしまっていた。


「……何故ですか? 勿論予定もあるでしょうが、今であることが大事だとも思います。頭ごなしに否定してしまうと、それでは早紀さんの言うように嘘と思われてしまっても……」


 玲奈が怪訝な顔になって言うのに、千夏は咄嗟に出てしまった言葉の理由を何とか説明する。


「ハジメは……うちらと違ってちゃんと働いて暮らしてて、こんな事でその時間を奪いたくないの」


「……信じられない。大体働いてるって何? それって、佐藤君がもう家族で出かけてるから戻ってきてとは言えないだけじゃないの?」


「だから違うって!? それに佐藤くんとは関係無いって……何でわかってくれないの!?」


「それはずっと…………ずっと思ってたからよ!! 千夏は本音を話してくれてないって!! でも、千夏は相談にも乗ってくれたし、応援も嘘じゃないと思ってた、信じてたのに……こんなのあんまりよ!」


 とうとうそうして、早紀の切れ長の瞳から涙が溢れ始める。早紀が涙を流すところを見るのは初めてだった。

 そしてそれを見て、ハッと千夏の脳裏に中学の頃の思い出が甦る。

 

 あの時も結局、泣いた方が正しくなった。

 そう思ったら頭が真っ白になって、出るべき言葉が出なくなってしまう。


(何で、何でよ……)


 そうして、無言で突っ伏して涙を流す早紀にそれを宥める玲奈。難しい顔でスマホを見て、そして千夏と早紀を見比べる優子。


 普通に提案通りハジメを呼べば良かったのかもしれなかった。でも、ハジメの時間をこんな事で奪いたくない、そう思っただけだったのに。


 誰にでも平等に? そんなことを思っていたから、友達にすら信用してもらえない。うちのこれまでの事の罰なのか。全然、全然上手く出来てなかった。


 ぐるぐると回る思考、永遠とも思える時間に、重い空気。千夏が絶望しそうになった時。


「千夏!」


 絶対に、この場所で聞こえるはずのない声がした。

 千夏が聞き間違えるわけもない声。

 

 そちらを信じられない面持ちで千夏がみると、何故か息を切らせたハジメが千夏の方を心配そうな顔で見ていた。

 泣いていた早紀が、隣にいた玲奈が、ポカンとした顔でハジメを見ているのがわかった。


 そして、千夏もまた呆然とハジメを見て。


「ハジメ? え………何で?」


 疑問の言葉が口をついて出る。


「えっと、バイト着いたところで、千夏が大変だって連絡が来て、店前でタクシー居たからそのまま飛び乗って来た。……はは、お釣りはいりませんって、人生で初めて使ったよ」


 さらっと笑うようにハジメが言うが、千夏の心は沈んでいく。


「そんな……ごめん」


「大丈夫。店長に連絡して、後年末代わってあげた先輩にお願いした……その、彼女が大変らしいって言ったら、何も聞かずに行ってこいって」


「……うち、うち。……こんなことでハジメの邪魔になりたくなかったのに! 頑張るって決めてたのに、ごめん、ハジメの時間、大事なのに」


 情けなくなった。

 こんな友人とのちょっとした揉め事なんかで、バイトを休ませてまでハジメに来てもらったことに。


 千夏は、寄りかかりたいわけじゃ無かった。

 ちゃんと二人で飛べるように、足手纏いにならないように。そう思っていたのに。


 そして何より、こうして来てくれたことにホッとしてしまっている自分自身に気付いてしまったら、これまで意地で流していなかった涙が溢れて――――。


「グス…………ごめ、ごめんなさい! こんな事でごめん」


 嗚咽と共に、子供のような謝罪しか出てこない。

 駄目なのに、ハジメの隣に立てるように、ちゃんとしないと駄目だったのに。


「大丈夫だって…………ああもう、千夏、泣いてないで聞いて、大丈夫だから」


 ハジメが一瞬躊躇うようにして、でも、そのまま近づいてそんな千夏の顔を胸の辺りに当てて、あやすように抱きしめてくれた。

 その温もりに、どうしようもなく安心してしまいながら、千夏はそれでも言葉を発する。


「でも――――」


 なのに、それを遮るようにして、ハジメは言った。


「良いから。千夏勘違いしてるよ? 僕は確かに時間は大事にしてるし、仕事もそりゃ大事にしてるけどさ。でも、千夏は僕にとっては一番、バイト先の信用を使ってでも、お金を使ってでも、急いで駆けつける価値のある人なんだから、そうやって変な気を遣わないでよ」


 ほら、と思う。


 あの日、拾った子猫を抱きかかえて途方に暮れていた時からずっと、千夏にとっての佐藤一は目の前のハジメでしかなくて、そんな彼は、いつだって助けてくれて、いつだって欲しい言葉をくれるのだ。


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