4章 僕と彼女と変わる世界

1話


 鐘の音が聞こえていた。

 108あるという、煩悩の数だけ鳴らされる音。

 去年は聞いた覚えが無かったその音を、今年は千夏と二人で聞いている。涼夏さんはというと、結婚してから初めて、旧い友人と飲み明かして年を越すらしい。

 20年分を愚痴ってくるわ! と勇んで、でも楽しそうに去っていった。


 千夏と二人で居て、聞こえた音にどちらからともなく黙り、静かに聞いていたのだが、意外と108回の鐘は長かった。

 どうして鐘の音は、いつも何かを区切る音として響くのだろうかとふと思う。


 今聞こえている、一年の終りと始まりを告げる、除夜の鐘。

 幼い頃のチャイムの音。

 結婚式で鳴り響く、祝福の鐘。

 お葬式で別れを告げる、仏具のりん


 でも確かに何となく、同じ部屋で音を聞いていると、大事な人と過ごす事ができる一年が始まった気がした。

 3ヶ月前の僕が聞いたら信じることは出来なかったであろうが、驚くことに僕は心から大事だと思える人と今、年明けを迎えているのだ。



 ◇◆



 僕が千夏に片翼のアクセサリーをあげた26日の夜からこの年末まで、僕らがどう過ごしていたかを少しばかり思い出してみる。

 実は、僕にメッセージが来た直前に千夏の父親が来ており、千夏とも話をしたということで親戚から連絡を受けた涼夏さんもまた特急列車に乗って向かっていたらしい。何でも会社の仕事納めの日だったので早く帰っていてすぐ飛び乗れたのだとか。

 父親との関係としては、手続き上はつかささんの丁寧な対応もありほぼ完了してきているのだが、精神的な部分までそう割り切れるわけではなかったし、涼夏さんもやはり心配だったのだろうと思う。


 だがしかし、ちょうどゆっくりと二人雪まつりを歩いていた僕と千夏はそんな涼夏さんの連絡に気づくことなく、その後は氷像が見える広場の公園で抱き合っていた。

 そして、連絡がつかないが大丈夫だろうかということで、心配した涼夏さんから連絡を受けた茜さんが改めてやってきて発見された僕らは、おずおずと、といった感じで声をかけられ、色んな意味で恥ずかしかったのは忘れたい過去だった。涼夏さんは茜さんから連絡を受けて、ホッとすると同時に笑いが出たという。ごめんなさい。



 その後僕と千夏は、茜さんの車に乗せてもらい、駅に到着した涼夏さんとも合流、僕も共に改めて千夏の祖母の家に伺うこととなる。

 車で15分ほど走った場所に家はあった。その道すがら、茜さんの口から祖母の状態、そして千夏の父親と相手、そして揉める親戚達に対して千夏がいった啖呵たんかのこと、今はもう父親と相手の聡美さんは予約しているという宿に戻っていったことなどが告げられた。


 千夏のはっきりした物言いが物凄く気持ちよかった! とは興奮したように話す茜さんの言葉である。

 ちなみに、、の部分も一言一句違わず、なのかは僕にはわからないが茜さんが再現していたため、僕と千夏は二人揃って赤面していた。

 物凄くハードルが上がったらしき状態で親戚の方々に会うことになりそうなので、胃がキリキリしたのは悟られては居ないとは思う。


 ちなみに涼夏さんはというと、助手席でよく言ったわ、捨てられたんじゃなくて捨てたのよ! と言っていたので、もう何というか二人共大丈夫そうだった。父親側の親戚だけど、どうも茜さんは千夏や涼夏さん寄りのようなので良いのだろう。


 着いてすぐに、僕は親戚の方々に簡単に挨拶をさせていただいて、お風呂を勧められ、夜も更けているということで客間に通された。

 問題は、そこに布団が並べられていて、何故か涼夏さんは別室なのに僕と千夏が同室だったことだが。



 ――――何で?



 健全な高校一年生と自負している僕が、一番普通の感覚を持っていそうなことで、いつの間にか世界線をまたいでしまったのかと思ったが、勿論そういうわけではなく理由はあった。


 驚いたことに、どうやら千夏の祖母が、危篤状態かと思われていたのが改めて容態が安定しそうということで近くの主治医――どうやら親族の一人らしかった――を呼び、それによって事情が変わったらしく、千夏の父親を除く親戚同士で連絡が飛び交っているんだとか。


 そこで、涼夏さんは改めて、いろいろなお話をされるらしく、僕はそういう状況であればホテルにお暇しようかとも思ったのだが、かなり強引に泊まることを勧められたため、却って断るほうが拗れるのかと甘えることにした。


 ということで、同室なのは先に寝ることだし、他の部屋だと話し合いや人の出入りもあるから、恋人ならもういっそ一緒に寝なさい、という事らしい。おおらかなのか信頼なのか。


 ちなみに、いつものパジャマではなくて、借り物だという、浴衣のような部屋着に上着を羽織った千夏の湯上がり姿は、一緒に住んでいた時のパジャマやトレーナーに比べて数段色っぽく感じ、しかもその日の千夏は、何というか僕への好意が溢れ出してくれている状態だったため、僕の理性はちょっとどころではなくまずかった。


 見慣れることはない。千夏はいつだって綺麗だった。

 それも外見だけじゃなくて、内面から溢れる輝きと、外見の整い方が一致している。

 今でも僕の彼女になってくれたことが信じられない時があるのに、そんな女の子が色っぽくて、それでいて無防備に全身で僕のことを好きだと表してくれているのだ。これが家に二人だったら絶対耐えられなかっただろう。


 でも、ここでは耐えるしかなかった。


 というのも千夏の祖母の家は結構広い平屋であり、僕らが泊まったのは廊下に面した和室だった。

 ふすまの向こうの廊下を挟んで千夏の祖母が寝ている部屋で人の出入りもあり、もう一方の襖で仕切られた先には、会話で夜遅くなりそうだからと別部屋に布団を敷いた涼夏さんの泊まる予定の部屋がある。鍵の有無どころかドアですらない、襖である。紙だよ紙。


 ハードルが高過ぎる、僕には無理です。

 できたことといえば、隣合わせの布団で手の届く範囲にいる千夏と手を握って、寝る前にそっとキスをして、明かりを消して煩悩を消して寝ることくらいだった。



 ――――明かりと違って煩悩はスイッチひとつでは消えるわけもなく、当たり前のように寝付けない僕がいた、そして千夏の手の感触が柔らかかった。



 翌朝、茜さんが少し眠そうな僕を見て「昨晩はお楽しみでしたか?」と言われた時に、「できるわけないでしょ!」と叫んだ僕は間違っていない。


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