14話


 そうして、日中を僕らは楽しんで過ごした。


 日が傾いて来た頃、次の場所に行く前にお互いトイレに向かうために、僕らは一時別れ、流石に僕のほうが早いので、他の相手を待っていそうな男性たちと共に、立って待つ。


 だが、周りの男性たちが次の人達に皆入れ替わり、時間が経ってからも、千夏は出てこなかった。

 体調でも悪くなっただろうか、そう思ってメッセージを送るも既読にならない。


 不安になり、流石に電話をかけようかと思ったその時、千夏がトイレの中から出てきたのが見えてホッとする。ただ、千夏の表情を見て、何かがあったのだということはすぐに分かった。

 そして、それを告げて良いのか迷っているのもまた、読み取れた。


 僕も少しだけ迷う。千夏は今日を楽しみにしてくれていたし、僕もまたそうだった。ここで、気づかないふりをするのが良いのか、それとも、敢えて聞き出してしまうのがいいのか。

 でもそんな迷いは一瞬で、答えはすぐに出た。二人で楽しみにしていたからこそ、千夏がなにか言いづらいなら僕から聞くべきだと思った。


「千夏? 何があったの?」


 その言葉に、泣きそうな目で僕を見た千夏は、そっと僕のもとに近づいて、小さな声で、どうしよう、と呟いた。

 僕は、千夏の手を取る。触れられる温かさは、こういう時にとても優しいと知っていた。そうしてゆっくりと告げる。


「大丈夫だから。何もこの後のこととか、僕のこととかも気にしないでいいから、思ってること、今何を知ったのかとか、吐き出して」


「…………っ」


 千夏が僕の胸に飛び込んで来る。

 恋人たちの季節のおかげか、特に誰も、そんな僕らのことは気にも留めていなかった。


「どこかで座って話した方がいい? それとも、帰る? 大丈夫だよ」


「ごめん……ごめんねハジメ! せっかくの、初めてのクリスマスなのに、うち」


 千夏が震えながら、僕に謝罪の言葉を漏らす。

 それに、僕は落ち着かせるように、そっと告げた。


「いいから」


 その言葉に、千夏は少しホッとしたように力を緩めて、改めて僕に体重をかけてくる。

 そして、千夏は僕の胸に顔を押し付けたまま言った。


「……さっき、従姉いとこからメッセージが来て…………その、あっちもうちの家の事情は勿論知ってるんだけど、伝えておいたほうが良いことがあるって」


 僕は無言で千夏の身体をそっと抱きしめる。

 千夏もまた、縋るようにして僕の背中に手を回して続けた。


「おばあちゃんがさ、もうそろそろダメそうなんだって。元々入院してたんだけど、今朝、退院したって…………それもいい意味での退院じゃなくて、意識があまりない中で、最期は家でって意味での退院だって。それで、寝言でうちの名前、さっき呼んだんだって、だから、連絡だけって」


「それは……」


 もうできることが無いからこその、退院というのも時折聞いたことがある。


「それでね、おばあちゃんって、お父さん側の、おばあちゃんなんだ…………長野県に住んでて、お母さん側の方は北海道の方だからあまり会ってないんだけど、長野のおばあちゃんは昔から夏休みとかはずっとお世話になってて、大好きで…………でも去年は受験で行けなくて、今年はもう会いに行くっていう空気でもなくてさ」


「うん」


 僕は頷くことしかできなかった。それはそうなのだろう。

 父親が出ていった状況で、流石にそれまで通り父親側の祖母の家には行けない。例え祖母との関係そのものがどうであれ、涼夏さんとしてもいざ行こうとはならないだろうし、千夏もまた、連れて行ってとは言えなかったはずだ。


「だから、最後に行ったの、中学二年のときなんだけどさ。その時うち、今思えば反抗期もあってイライラしてて、おばあちゃんとくだらないことで喧嘩して、もう知らないって、他にも色々酷いこと言って、そのままなんだよね………………どうしよう、ハジメ。このままなんて嫌だよぉ。ホントにごめん、こんなんじゃ、せっかくのクリスマスなのに、笑えなさそうで。トイレで一生懸命笑顔作ろうとしてたんだけど、無理で」


 そう言って、気持ちがいっぱいになってしまったのだろう、千夏がぽろぽろと涙を溢すのを見て、僕はちらっと時計を見る。

 日が落ちそうとはいえ、冬の日没が早いだけで、まだ17時を過ぎたところだった。


「千夏、おばあちゃんの家って、長野県のどこ?」


 僕は、泣いている千夏にそう尋ねた。やることは決まっていた。

 だって、千夏が、僕の彼女が泣いているのだから。


「……え?」


「会いに行こうよ。今朝ってことはさ、まだ間に合うってことでしょう?」


「でも、せっかく予約したのに。……あんなに楽しみにしてたのに。それに――」


 千夏は、まだ迷った顔をしていた。


「予約のことは一緒にお店に謝ろう。……後、僕はさ。来年も、そのまた次も、千夏とクリスマスを過ごす予定なんだけど、千夏は違うの?」


「…………っ。ううん、ちが、わない」


「じゃあ連れていく。今日は特別な日じゃなくて、まだ続いていく日の中のただの一日だから。今じゃないといけない方を優先しよう。僕が千夏を、おばあちゃんのところに連れて行くよ」


 きっと今僕がすべきことは、クリスマスのディナーに連れて行くことでも、イルミネーションを見ることでもない。

 色んな理由で行きたいって言い出せない、この目の前の優しい女の子を、ただ、もう一度会いたいと思うおばあちゃんのところに連れて行ってあげる事だった。


「長野の松本市、そこの、確か、浅間温泉っていうところ。でも、こんな急に、お金も」


「…………大丈夫、そこなら、あずさって特急に乗っていけば一本だったはずだし、お金は僕が貸す。泊まるとことかもまぁ、何とかなるでしょ。流石に涼夏さんには一言言っておかないといけないと思うけど。ほら、一緒に行こう」


 そう言って、僕は抱きしめていた腕をほどいて、千夏の手を取る。

 千夏はそんな僕の手を見て、小さく頷いた。


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