15話


 寒いというより、少し痛い。

 それが、松本の駅に降り立った僕らの感じた最初の感想だった。


 山と山の間の街並み。電車の中で、従姉や涼夏さんと連絡を取ったり、思い悩んでいる千夏に無理には話しかけないで、僕は飲み物を買ったり、お弁当を買ったりしつつ、向かう場所については簡単に調べてはいた。

 ただ、寒いとは聞いていたけれど、実際来て体験してみると、全く感覚が違う。


 何というか空気が、僕らの住む街よりも澄んでいた。そして、吸い込んだ息が驚くほど冷たく、吐き出す息もまた、吃驚びっくりするほど白い。手袋をしていなかった手は寒いというより痛みを感じる。

 駅員さんに、今日明日は特に冷えるから、観光ならもっと厚着をしたほうが良いよ、と心配された。


「おばあちゃん、今は眠ってるって。今日は、もう従姉が車で駅まで迎えに来てくれているから、ハジメも一緒に泊まったら良いって。ロータリーの方だからこっちだよ」


「それなんだけど、僕は別で泊まるよ」


 千夏の言葉に、僕が考えていた言葉を言うと、千夏は驚いた顔をして、続けて不安そうな顔になった。


「……え? どうして」


 僕は、それに対して千夏を安心させるように笑顔を作って、電車の中で思っていた事を言う。


「あのさ、僕は確かに千夏の彼氏だけどさ。これから会う親戚の人たちにとっては全くの見知らぬ他人じゃない?」


「うん、それは、そうだけど……でもそこはうちも」


「大丈夫、知らない人達のところに行きたくないって言っている訳じゃないんだ。……えっとね、千夏。これから千夏は、きっとおばあちゃんに大事なお別れをしに行こうとしている。最後が喧嘩したままじゃ嫌だから、ちゃんとそれを伝えに行こうとしてる」


「…………うん」


「そして、親戚の人達も、おばあちゃんが起きて、少しでも会話できるようにって控えているって聞いた」


「そうだけどでも、うち、ちゃんと紹介もするし、ハジメだって礼儀正しいからきっと……」


「うん、まぁ聞いて。僕はさ、結構千夏に愛されている自信があるんだよね……だからこそさ、僕がいると、どうしても千夏は今言ってくれたみたいに僕と親戚の人達との間に立とうとするでしょう?」


「それは……そうかも」


 僕が言葉を続けるのに、千夏は聞く姿勢になっていく。

 少しずつ、焦っていたり不安だった千夏の心に、僕の言葉が届き始める。それを見て僕は続けた。


「親戚の人達だってさ、千夏が今のお父さんとお母さんの状態でも、おばあちゃんが大事で来てくれたってこともきっとわかってる。でも気は遣うよね? そして、近しい人が居なくなってしまうかもしれないっていう時に、その彼氏まで対応している余裕なんて無いと思うんだよ……勿論、どこかで機会があれば挨拶はさせてもらおうとは思ってるけれど、少なくともそれは今じゃない。僕は、どうしたって千夏と同じように悲しんであげることはできないし。大事な人との別れの場にはさ、そんな異分子は居るべきじゃないと思うんだ」


 特に、手立てが無くて家で最期を迎えようとしている、そんな状態に、僕みたいな明らかな異物はいるべきじゃない。


「でも……ハジメ」


「大丈夫、呼ばれたらすぐに行けるように近くにはいる。スマホも電池切れになるようなヘマはしないから。……一人にはしないから。行っておいで、千夏」


 僕はそう言って、千夏の背中をそっと押した。

 もう迎えに来てくれているのであれば、早く行ったほうがいいし、来るまでに意外と駅前のビジネスホテルのシングルには空きがあるのはわかっていた。

 

「ちょっと寂しいけど、多分わかった…………ありがとう! またすぐ連絡するから!」


 そう言って車が並んでいるほうに向かう千夏に手を振って、僕は初めての街を地図アプリ片手に当面の宿に向かって歩いていった。



 ◇◆



「本当に久しぶりだねぇ、千夏ちゃん。いやー、もう高校生? また物凄い美人になっちゃって」


「久しぶり、あっちゃん、お迎えありがとう。話には聞いてたけど免許取ったんだね」


 助手席に座って、千夏は従姉のあかねと話していた。

 南野茜みなみのあかね。千夏の四歳年上で、ここ地元長野の国立大学に通っている。


「冬は原チャもチャリも路面が凍って無理だからさ、坂も多いし車が無いともう無理なんだよね。それで千夏ちゃん、彼氏は本当に良かったの? ここまで一緒に来てくれたって聞いたし、涼夏さんからもよろしくって言われてたから、どんな子なんだろうって気になってたんだけどな」


 そう茜が慣れた手付きで車を発進させながら言うのに、千夏は先程ハジメが言ってくれた事を話した。

 すると、茜は驚いたようにため息を付く。


「……マジかー、何ていうか、最近の高校生って。……いや違うね、多分千夏ちゃんの彼氏がちょっとおかしいね」


「えっと、おかしいかな? 確かに、デート中だったのにうちをここまで連れてきてくれて、その……うち的には凄い嬉しいんだけど」


「……いやーこれはまた、涼夏さんがちらっと言ってたんだけど、何ていうかあてられちゃうね。後ね、おかしいって言ったのは私の言い方が悪かったか。単純に凄いな、と思ってね…………うん、多分千夏ちゃんの彼氏がもし一緒に来てたらさ、確かに気を遣った空気にはなったと思うし、その、多分気にしてた通りになるんじゃないかなって私としても思うのよ。だから父さんや母さんじゃなくて、先に歳が近い私が迎えに来たっていうのもあるしさ」


「そうなの……?」


 千夏は、正直ハジメが言ったことに対してピンときてはいなかった。ただ、ハジメが千夏の事をとても考えて言ってくれていることはわかったし、言葉の意味もわかったためその通りにしたものの、一緒に来てくれたのに一人にして悪いという思いの方が強い。

 だから、茜が何だか難しい顔で呟くのに、少しばかりの疑問の声を上げる。


「千夏ちゃんの彼氏ってさ、もしかして、親しい人を亡くした経験とかがあるのかな?」


「え? …………えっとその、うん。ご両親と、妹さんを事故で」


 急に核心を突いたような質問をする茜に驚きつつ、あまり大っぴらに言うことではないのだけど、と前置きして、千夏はそう答えた。

 すると、茜はなるほどね、これは、ちょっとお父さんとお母さんにも軽く話しておかないとかなと呟きながら、巧みなハンドルさばきで、大通りから細い路地へと侵入していく。

 そして、千夏にとっても見覚えがある急な坂道に入って、千夏に向けて呟いた。


「千夏ちゃんは、良い彼氏を見つけたんだね」


 それが、千夏には嬉しかった、同時に、まだきちんと言ってくれたことがわかっていない自分が追いつけていないようで、少し悔しい。


「うん」


 でも、その言葉に胸を張って答えることができるのは確かだった。

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