12話
あの後、僕と千夏は勿論のことながら、櫻井さんと佐藤くんもまた何も話すことはなく、終業式の日になっても噂が流れることもなかった。
時折、千夏がスマホを打っている時に、櫻井さんからチラッと意味ありげな目線を感じたり、廊下ですれ違う時に佐藤くんからの笑顔が向けられるくらいが変化したことか。眩しい。
良かった、これで噂が流れたりしたら、僕も千夏も人間不信になりかねないところだった。
「ねー、冬休みはどうする?」
いつもはチャイムと同時に立ち去るとはいえ、今日は午前中で終わるので急ぐほどでもないことと、荷物の整理のために僕はまだ座席にいた。
そんな中、千夏達のグループの声が聞こえてきたのは、やはり意識しているからか千夏絡みの会話が雑多な会話の中でも自然の耳に入るようになったからだろうか。
「そだね、お母さんも退院するし、どっかで予定合わせて遊びたいよね、部活とかもあると思うから、こっちで合わせるけど」
「カラオケとか買い物とかも行きたい! あ、クリスマスとかはどうなの?」
会話の中で出てきた言葉に、僕は少し反応してしまう。
恋人になってから初めてのクリスマス。そして、そもそも初めてのそういう恋人イベントの日だったが、僕らはまだ予定を決めていなかった。
というのも、涼夏さんの検査結果次第でいつ退院か確定していなかったというのもあるし、かと言ってサプライズ準備をするにはお互い少々生活が近かったことから、涼夏さんの退院後に一緒に予定を決めようと話をしていたのだった。
一応、予約とかその辺は調べてはあるが、まぁ流石に主だったところは埋まっているし、せっかくなら本気で料理をしてみるのも良いかもとも考えたりしていた。
ちなみにプレゼントはまだ決められていない。何を贈っても喜んでもらえそうな相手に贈るというのは、逆に何を贈れば良いのか迷ってしまう。
「……クリスマスは、ちょっと予定があるかな」
「そう、それ! ……千夏さ、大事な人って言ってるのは、つまりは彼氏できたんだよね? どんな人なの? 紹介とかしてくれないの?」
千夏がそう言うのに反応した
千夏からは、誰とは言わなくとも大事な人ができたことは噂を流す程度に話しているとは聞いていた。
「そうだね、機会があれば。ただ、シャイな人でさ、今はうちも彼と二人だけでいたいというか。また話せる時にはちゃんと話すからあまり掘らないでくれると嬉しいかな?」
「まぁまぁ
千夏の言葉に被せるように
そしてどこに行くかいつ行くかの話が盛り上がりそうだったので、千夏にお昼が必要か決まったら言ってねとだけメッセージを送ると、僕は席を立つのだった。
◇◆
千夏からはお昼は友人たちと食べる旨のメッセージが来て、帰ってきたのは夕方頃だった。
僕はと言えば、少しばかりパソコンを開いて作業をしたり、ちょっとした調べ物をしたりして過ごしていた。まぁ、今はちょっとスマホ片手に返信を悩むことがあったのだが――――。
「ただいま! 何だかんだ喋ってたら長くなっちゃって遅くなってごめんね! メッセージ見てみたら、お母さん、検査結果も良好で、明日の午前中で退院だって!」
「おかえり、千夏。うん、僕にも連絡来てる。娘がお世話になりましたって言うお礼とか、快気祝いしましょうっていう話をちょうどしてたところ」
「……あ、そっか、なんか当たり前のようにお母さんからも直接ハジメにも連絡が行くのよね。その、余計なことは書かれてないよね?」
「…………」
「ちょっと見せて、お母さんとのやり取りだけだから」
相変わらず嘘や隠し事が下手な僕の顔を見て、千夏が手を出してくるのに、僕は少し逡巡した後に、プレッシャーに負けるように涼夏さんからのメッセージを開いて千夏に渡す。
『(涼夏)千夏共々お世話になって本当にありがとう、無事退院できることになりました』
『(ハジメ)あ、おめでとうございます! じゃあ快気祝いですね』
『(涼夏)ありがとう、明後日からはまた仕事だから、明日何処かに三人で食べにでも行きましょうか、これで返せるとは思わないけど、私も久しぶりに病院食以外の美味しいもの食べたいしご馳走させてちょうだい』
『(ハジメ)ありがとうございます、素直に甘えますね』
『(涼夏)ところで、同棲生活はどうかしら? うちの娘は愛想尽かされたりしてないかしら?』
『(涼夏)聞きたいけど今日が同棲最後の二人の夜って考えるとあまり邪魔も良くないわね』
『(涼夏)ところでクリスマスはどう過ごすの? もし必要なら私は会社に泊まるから言ってね、というか溜まってる仕事もあるし、もういっそこのままの生活を延長してもらっても』
どう返そうか迷っているところで幾つか続けてきている涼夏さんのメッセージをそこまで見て、千夏は少し
そんなことがあった後の夕方、僕と千夏は、パソコンを前にして相談をしていた。勿論クリスマスについてと、そして冬休みについてである。
「実はさっきちょっと思い出して見てたんだけどさ」
そう言って僕が幾つかのメールと共に、千夏にサイトを見せていく。
「これって? 何かこことかめちゃくちゃ美味しそうだけど……正直行ったこと無い位に格式が高そうかも」
「わかる、この辺はかなりちゃんとしたドレスコードも必要らしいから、あくまで参考くらいなんだけど……叔父さんの話の時に少しだけ株の話とかしたじゃん? 後、叔父さん経由でも、そう言えば幾つかこの時期のディナーコースとかのさ、株主優待が来てて、その、せっかくだったらと思って」
「え? どこどこ? 見てみたい」
「ここなんだけどさ、さっき一応連絡してみたらその、キャンセルがあったらしくて、そのコースそのままで良ければ優待の値段で予約できるって言われてさ…………こういうのって、本当はサプライズとか、スマートにエスコートするものなのかもだけど、服装とかもあるし、場所も都心の方だから、他のプランも含めて千夏と一緒に決めたいなとか」
言いながら、ちょっと僕の声はどんどんと小さくなっていくのを自覚する。
「………………」
無言になられたので不安になって振り向こうとすると、急に千夏が後ろから覆いかぶさってきた。
首筋に千夏の頭が当たり、そして抱きしめられて背中に当たる柔らかい感触にどぎまぎしてしまう。
「千夏?」
そう僕が言うと、僕の首のところにおでこを擦り付けるようにして、なんか少し不安になるよね、と千夏は言った。少し甘えたような声なので、どうやら僕のクリスマスの言葉が何か気に障ったわけではなさそうだ。
「こないだもそんな事言ってた気がするね」
「だってさ、幸せ過ぎるんだもん。一緒にこうして暮らすことになった時も、やっぱり少し不安はあったんだよ? 付き合ったばかりなのに変なとこ見せて、嫌われたらどうしようとか…………なのに全然暮らせてて、むしろ心地よかったりしてさ」
「うん」
「ゆっこにはああしてバレちゃったけど、事情があるのはお互い様みたいな風にも思えて、だからこそなんか少し気楽にもなったというかさ」
「うん」
「だから、揺り戻し? バランス取るために悪い事とか起きるんじゃないかとか、不安になる」
そう言って、まるで僕という存在が居なくなってしまうのを止めるかのように、千夏の手に力が入る。
なので、僕はそっと右手を後ろ手に回すようにして、千夏の頭を撫でるように触れて言った。
「わかる気はする、でも、そういう意味だとさ、僕も千夏も、悪いことがあった分を取り戻してるのかもよ? だから大丈夫だよ、きっと」
「うん、ありがとう。そだね、プラス思考プラス思考!」
そして、気を取り直したように起き上がると、今度は椅子を隣に持ってきて、くっつくようにして並んで画面を見る。ただ、そうして予約の入力を僕がカタカタとしていると、千夏がふと呟くように言った。
「……ふと思ったけど、悪いことって言えばさ、そういえばうちらってまだ喧嘩してないねぇ」
「したいの?」
「そう言うわけじゃないけど、あまり想像出来ないなって、例えばハジメがさ、もしもうちに凄い怒ったらどうする? 何かイメージがつかないんだよね、うちが我儘を言うのは自分で言うのもなんだけど想像できるんだけども」
「……んー、そうだな。例えば僕のゲームの中には千夏のセーブデータがあるわけだけど」
「ピンポイントにダメージ受けそうなやつが来た、消されると泣く」
「消すのは可哀想だから、一章分だけ先に進めとくとかかな」
「……タチ悪い! それはタチ悪いよ。絶対に喧嘩したくないんだけど!」
「あはは、まぁ仲良くしようね、千夏」
そんなやり取りをしながらも、クリスマスの予定は、千夏が行ってみたいという場所でショッピングを日中はして、後は見つけていたイルミネーションが綺麗な場所――僕が、恋人との初めてのクリスマススポットという恥ずかしい検索をしていたのが履歴からバレてニヤニヤされたのは余計だった――と先程のホテルでのディナーコースという、ちょっと背伸びした予定となった。
ドキドキはするけれど、同時に一緒に決めたからワクワクもする。そんなクリスマスを過ごすのは初めてのことで、きっと千夏も同じだろう気持ちで、言いようの無いこの今の幸せな予感が消えてしまわないように。僕らは特別なことはしないでいつも通り過ごした。
そんな風に、僕らの短い同棲生活の最終夜は、穏やかさを持って過ぎていった。
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