13話


 相談という名前の雑談をしてしまったのもあって少々遅くなったことから、僕は千夏と電車に一緒に乗って送っていく事にし、千夏をマンションまで送り届けた頃には、もう22時を過ぎる時間になっていた。

 明日も休みとはいえ、流石に高校生の身で遅くなりすぎると運が悪いと駅前の警察に注意されてしまう。名残惜しくとも早めに帰らないといけなかった。


「今日もありがと。……じゃあ、また明日ね、ハジメも気をつけて」


「うん、ちょっと流石に遅くなりすぎちゃったね、ごめん」


「うちが居たかったんだし、こうして送ってくれたし、謝らないでよ…………ふふ、名残惜しくなっちゃうから、じゃあ行くね!」


 スマホが震えたのは、同じように名残惜しいと言ってくれた千夏が入っていくのを見送って、歩き始めてすぐのことだった。そのメッセージに僕の心臓が一際大きな音を立てる。


『(千夏)ハジメ、まだいる? 何か、家の中に誰かいる、かも』

『(ハジメ)すぐ行く、待ってて』


 僕は慌てて元来た道を戻りながら、千夏にメッセージを返した。

 ――――念のためにアプリを操作しておくことにして。



 ◇◆



「……あ、ハジメ、ごめん、うち」

「大丈夫だから、それで、誰か居るっていうのは?」


 以前も来た千夏の家の扉の前で、千夏が少し青ざめた顔でこちらを不安そうに見ていた。

 謝ってくるのに首を振って、扉に目を向ける。通路からでは、中は伺えないが、部屋の中に誰かの気配がするということだろうか。


「それが何だか、うちが空ける前に鍵が空いてて、え?っと思ってそーっと開けたら、リビングの電気がいてて…………元々お母さんとうちしか居ないのもあって、絶対確認するようにしてるから締め忘れたりはしてなくて」


「わかった、鍵は開けたままにしておいて、一緒に入ろう。靴は、申し訳ないけど履いたまま行こうか、千夏は携帯でいつでも電話できるようにして、後から来て、放っておくわけにもいかないし」


 そう言って、僕と千夏は扉を開けて、中に居るらしき人に気づかれないようにそうっとリビングの扉へと向かう。

 話し声が聞こえた。

 ただ、これは中の人が話していると言うよりはテレビが点いているようだった。


(…………?)


 知らない家に入って、テレビをつけてくつろぐようなことがあり得るだろうか。

 僕は違和感を覚えて、千夏を振り返る。

 もしかして、と思ったことがあった。


「千夏、もしかしてお父さんが帰ってくるとか聞いてない?」


「え? ううん、何も聞いてないけど」


「多分、大丈夫だと思うから、靴を脱いで、でも念のため一緒に入ろう」


「…………うん、でも何で急に」



 ◇◆



「どういうことなんだ? こんな遅くまで…………しかも、何だキミは、千夏、ちゃんと説明しなさい」


 中に居たのは、やはり千夏の父親だった。

 そして、リビングの扉を開けた千夏と、そして続いた僕を見て、千夏の父親はイライラを隠せないように立ち上がり、僕らへと詰め寄った。


「お父さん? どうして……」 


「どうしてもこうも無い、そんなことより質問に答えなさい。どうしてこんな遅い時間まで遊んでいるんだ、しかも男と…………まさか泊めるつもりだったんじゃないだろうな? ――――おい、キミ、名前は? こんな時間まで外に連れ回して、部屋にまで入り込んでどういう了見りょうけんだ」


 千夏の声も聞こえていないように、父親は次から次へと言葉を吐いていた。

 にらまれるようにして近づかれ、そしてその吐息から微かにアルコールの匂いがする。


 よく見ると、テーブルの上にはビールの缶のようなものとつまみが見えた。

 顔にはそこまで出ていないが、少し酒気が回っているのかもしれなかった。


「初めまして、夜分遅くに申し訳ありません――――その」


「名前は?」


 言葉の途中で切られるように名前を聞かれる。

 なるほど、そういうタイプの人か。内心で思いつつ、なるべく落ち着きを保てるように呼吸を整えながら、僕は答えた。


「佐藤一です。千夏さんとは同じ高校のクラスメイトです」


「クラスメイト、ね」


 ふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らし、父親は言う。

 その様子に、千夏は戸惑っているようだった。


 どうして今日、来ていたのかも。

 どういう気持ちで、帰ってこない娘を待っていたのかも。

 どんなタイミングで、待っている時間にお酒に手を出してしまったのかも。


 どれも僕にはわからない。

 でも、これはきっと、元々千夏の前で見せていた彼の姿ではないのだろうことはわかった。


「娘とはどういう関係なんだ?」


「ちょ、お父さ――――」「千夏は黙っていなさい、私は今彼と話している、千夏の話は後で聞く」


 千夏の言葉は遮られる。

 こちらを見て、不安そうな顔をしているのがわかった。


「少なくとも……が考えているような関係ではありません」


「……どうだかな? こんな時間に親が不在の娘の家に押しかけてくるような男だと見えるけどね」


「疑われるのはわかりますが、娘さんは一人のはずの家の鍵が空いていて、そして電気が点いていることに不安で僕を呼びました。メッセージの履歴もあります」


 そう言って、僕はスマホを操作して相手に見せつつ、再び、ポケットにスマホを入れた。


「……父親が娘の帰りを待っていて何が悪い?」


「いえ、悪いとは思っても言ってもいませんし……そうですね、本来ならここでおいとまするのが礼儀としても正しいのでしょう――――ただ」


 少し、必要な時間を置いた。

 僕の呼吸のためにも、あることのためにも。


「…………ただ、何だね?」


 千夏の父親は、更に圧迫感のある視線を強める。

 千夏が僕の手にそっと触れた。僕は、そっと後ろ手で握り返す。

 いつも温かいはずの千夏の手は冷たくなっていた。


 僕と千夏は友人関係ではあった。

 でも、千夏の独白、涼夏さんと彼との会話で聞こえた事、その後の涼夏さんとの会話。もう僕は踏み込むことを決める。だからこれだけは聞いておかなければならなかった。


「ある程度の事情は知っています。そのうえで失礼を承知で尋ねますが、のですか? 娘にも、調停中の妻にも事前に連絡もせず、だと思いますが」


「…………ふぅ」


 僕の疑問に、彼はため息をつき、どこか投げやりな態度でわらうと、吐き捨てるように「どこがただのクラスメイトだ」と呟いた。

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