14話


「……お父さん? ハジメを、うちの友達をそんな風に悪く言わないで。お母さんだってハジメのことはちゃんと――――」


 千夏が、僕と父親をそれぞれ見るようにして、僕のことをフォローしてくれようとする。

 ただ、今の場面ではそれは父親の神経を逆撫でしてしまう結果となった。


 娘の言葉にイライラを隠しもしないで改めてため息を付き、そして僕を見て彼は言う。


「千夏……そうか涼夏まで。佐藤くんと言ったか。その口ぶりだと、事情はそれなりに知っていると言いたそうだな…………全く、男手の無い家庭にどう立ち入ったのかは知らないが失礼だとは思わないのかな? 親の顔が見てみたいよ」


 ――――そうだね、僕も、もう一度見られるなら親の顔が見たいよ。

 対面する人の毒にあてられて、反射的に浮き上がって口をついて出ようとする毒を何とか呑み込むようにして、深く潜る。深く深く、思考の海へ。


 連絡をしないで来る。連絡ができなかったというわけでないのなら、どういう意味があるのか? 涼夏さんに知られたくなかった? 何故? 準備されたくないような事。

 流石にどの時間からこの家にいるのかはわからない。

 でも、機会を改めることもなく、手持ち無沙汰にアルコールを買いに行くような事をして…………途中からは、帰りの遅い娘を叱ってペースを握るつもりで?


「……もしかして、千夏さんを、どこかに連れて行くつもりでしたか? それは、何のためにですか?」


 そうして、僕は改めて質問を投げかけた。


「…………」


「…………え?」


 黙り込む父親に、僕の言葉に、千夏がついて行けないように疑問の声を上げて、父親を見る。


「はぁ、仕事仕事と涼夏がほったらかしにするからいけないんだな。その仕事すらも身体を壊すようにして放り出し、千夏を一人にしている間にこんな失礼な男にまで大事な家に入り込まれている。…………やはり、こんなことでは大事な娘は任せてはおけない」


 口を開いた父親は、言い訳のように、正しさを主張するようにして、問われている質問からは答えずに、ただ自分にとっての都合のいい論理を音に出して、それが一つだけの事実かのように構築していく。

 それは、まるで駄々をこねる子供のように僕には見えた。


「大体、元いた学校を辞めてしまう必要もなかったんだ……あっちなら生徒も保護者もみんなある程度身元も確かで、こんな相手と関わることもない。大学までエスカレーターで行けたというのに。これまでの私達の投資を棒に振るような真似をして」


「…………え、お父さん? そんな言い方……何で……だって、自由にしていいよって」


 その次は、他人を責める言葉を。相手に染み込むように呟くのは、今度はずるい大人のやり口だった。

 それに、千夏が愕然がくぜんとするように反応する。


「そうさ、子供とはいえ、きちんと千夏のことを信じていたからね。なのにそれは誤りだった。土曜日の遅い時間まで帰ってこない、そんなよくわからない男と一緒に居て…………そうだ、キミもキミだ、こんな遅くまで女の子を連れ回して、しかも家にまで入ってくるとはどういう親に育てられたんだ?」


 まるで、相手が悪いように断言をするように言葉を使う。

 話しながら思いつくまま、攻めどころを探して切りつけていく。

 自分の立ち位置を、相手を責めることができる位置に置く。


「……生憎あいにくと、僕は親を亡くしています、ですが、その両親にも顔向けをきちんとできるようになろうと努めているつもりです。貴方こそ、質問に答えてください、千夏さんをどうしようとされていましたか?」


 大人の相手をすることが多くても、悪意なんてものに晒された経験は無かった。周りの大人にとって、そう、それこそ同じ哀しみを持つ仲間として扱ってくれた叔父さん以外にとっては、僕は子供だったから。


 それでも今、気圧されない心は、後ろに千夏がいるからだった。

 生意気とも、失礼とも思う自分の心も踏み越えて僕は同じことを問う。


「……千夏、来なさい」


 反応が面白くなかったのか、やはり質問には答えず、父親は僕を無視するように千夏へと手を伸ばした。

 千夏がビクッと身体を震わせるようにして、僕の影へととっさに隠れ、そしてそんな反応をした自分に、そんな反応をさせた父親に、驚くように声をもらす。


「ぁ…………え? どうして?」


 その質問は、色んな何故が含まれていた言葉。

 でも、そのまま受け取った父親は、彼にとっての回答を告げる。


「……一緒に暮らそう、そうすれば寂しくはさせない、弟だってこれから生まれるんだ、家族四人で一緒にやっていこう。聡美さとみも、きっと千夏とも仲良くなれる。子供にはわからないお金の話や権利の話を大人達でしているところだが、それが一番いいはずなんだ。そう涼夏とも話したが全く理解していない」


「え? ……だってお父さん、その聡美さん? お母さんの他に、相手がいるんでしょう? どうするつもり? 一緒にって、全然意味がわからないよ!? 今日だって急にこんな、どうしちゃったのよ!!?」


 父親が話す言葉に、千夏が叫ぶように言う。


「……千夏が転校したいという時もそうだ、将来を見据えれば思いとどまらせるのが正解だとわかっているはずなのにそう説得すらしない。その癖、私が少しばかり外にいたら離婚だと、養育費だと? 誰のおかげで今までやってきたと思っている。現に私が居なければ仕事でああして無理をして身体を壊してしまうじゃないか、母親失格だろう」


「そんな……だってお母さんは」


 僕のスマホが振動を伝えた。

 その間も聞くに堪えない言葉は続いていく。


「千夏は子供だからわからないかもしれないけど、私に付いてくるほうが最善なんだ。――――ほら、僕らは仲の良い父娘だったじゃないか、母親とよりも私とのほうが仲が良かったと、共に来たいと千夏の意思が確認できれば親権だって問題ない筈なんだよ」


 再度、僕のスマホが震える音がした。頃合いだった。

 僕は千夏の前に立つ。壁になるように、手を伸ばさせないように。千夏を守れるように。

 父親が、苛立たしそうに僕を見た。


「……どういうつもりなのかはわからないが、そろそろ不法侵入で警察を呼んでもいいんだぞ? 大人の話に口を突っ込みたい年頃なのはわかるが、子供に分かる話じゃないんだ。ましてや他人の家族の事情に踏み込むなど――――」


 もうこれ以上聞く必要は無かった。


「そうですね。帰らせて頂きます…………でも、千夏は連れて行かせていただきます」


「――――何を?」「……え?」


 僕は驚いた顔の父親を置いてリビングの扉を締め、同じく驚きつつも抵抗はしない千夏の手を取って走る。酒気のせいか、僕の突然の行動に慌てているのか、呆けたように父親がもたついている間に、玄関にすぐにたどり着く。

 最後にこれだけは。こんなの不要な言葉だとわかっている。でも言わずにはいられなかった。


「貴方の言う通り、僕らは子供なのでしょう。でも、本当に貴方は僕らくらいの頃、何も考えていない子供でしたか?――――僕は、僕らは子供でも、何もかもよくわからない程子供じゃないんですよ」


 足は止めない。

 玄関から、リビングの扉をようやく開けた相手に言い放った。


「だから、貴方のしている事も、千夏に投げかけた言葉も、最低で最悪だとわかるんだ! そんな人に僕の大切な人を連れて行かせやしない!」


 後は、千夏の手をつかんだまま飛び出す。


「ハジメ!?」


「痛いかもしれないけど靴もなしだ、そこにタクシーも来てる。 


 気を取り直したように怒声を発するのを後ろに聞きながら、千夏の手を引き玄関を開ける。

 そして聞いてくれていたであろう人に向けての言葉を言って、僕と千夏は走り出した。



 ◇◆



「出してください! すぐに、お願いします! まずは駅の方まで」


「…………」


 後部座席の扉が開き、飛び乗った僕らを、タクシーの運転手さんはちらりと見て、後ろから追いかけてくる男性を見て、何かに納得したように頷いて無言で走り始めた。

 迎車状態で、メーターは動いていた。

 こういう使い方になるとは、全く思っていなかったが、マンションに入る前に、待ち時間も賃走ということで呼んでおいて良かった。そして、きちんと居てくれる人で、しかも高校生程度とわかるような二人が乗り込んでも何も言わずに走り始める人で良かった。


 正直かなり勢い任せのギリギリだった。心臓がバクバクしている。


「はぁ、はぁ……ハジメ? どういうことなの? 一体、それにさっきお母さんの名前を」


 隣に座った千夏もまた、わけがわからないと言った顔で僕を見て、当たり前の疑問を口に出す。


「…………はい」


 この方が早いかと思った僕は、スマホの画面を見せる。

 そこには、『涼夏さん』という名前と、通話中を示す画面が表示されていた。


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