11話


 集中。没頭。迷いや雑念を忘れて思考の海に潜りながら身体は反射に任せていく。

 長年やっているからか、不思議とそうなれる瞬間がある。僕はこの感覚が好きだった。



 ダム、ダム……


 手にボールの感覚が馴染む。

 見えていなくても、そこに居ることを感じる。

 半面のコート上を俯瞰ふかんして観れていた。


 ダム!!!


 緩急をつけたドライブで、一人を抜く。


 キュッ!!


 即座にフォローに来るもう一人のディフェンス、でも、これで詰みだ。来なくても自分で決めるし、二人ともこちらに来たならば、そんな時はきっと。


 ビッ!!!


 ノールックでアイツがいるだろう方向にパスをする。

 相手の驚いた顔と、見えていないがきっとニヤリと笑ったであろう真司しんじの気配。


 バシッ!……ピッ!!!!!


 フリーで受け取った真司の手から、そのままボールが即座に放たれ――――


 ザシュッ!!!!!


 気持ちのいい音が鳴った。


 自分が決めるのも好きだが、こうして相手の虚をついて、そして味方が決める音も好きだった。一瞬の全能感、快感。この感覚さえ味わえるのであれば、場所はどこでも良かった。ついこの間までは、それだけで良かった。でも今は――――。



 ◇◆



 土曜日、バイト上がりのバスケに、僕は千夏を連れて来ていた。


 今日は千夏は朝に涼夏さんのお見舞いと着替えを交換しに行き、その後は昼から僕の家で共に過ごしていた。とは言っても、配信されているアニメを二人で見ていただけで、スパイと暗殺者と超能力者の家族の物語は、中々二人で楽しめたとだけ言っておく。


 夕方から僕はバイトだったのだが、これまた行ってみたいと言う千夏が、カウンター席に座って僕が働いているところを、ジュースと焼き鳥を摘みながら居座っていたのだ。うちの店は、カウンターの前に調理台と焼鳥台が見える店で、言い換えればキッチンで働いているところがカウンターからよく見える。


 流石に土曜日だからとは思ったのだが、実際初見で一人で入ってくるような人はほぼおらず、カウンターに座るのは常連と言っていい人たちだけだったこともあり、カウンターに一人くらい良いよ、ハジメのモチベーションも上がるだろうしね、と店長と先輩――どうも先輩の姉である美咲さんから噂を聞いていたらしい――にニヤニヤされながら言われ、常連の人にもニヤニヤされながら注文され、僕はアクリル越しに千夏に見られながら、キッチンで働くという経験をしたのだった。



「で? そのタオル、南野からでも貰ったのか?」


 僕が一試合終えてタオルで汗を拭っていると、共に試合をしていた真司がニヤニヤしながらそう問いかけてきた。目線は今日一緒に来ている千夏――本人はカナさんと何か話し込んでいるようだが――を見ている。


「…………お前はいつからエスパーになったんだよ?」


「あん? いつも無地のタオルばっか使ってたヤツが、急にちょっとセンスのいいもん使い始めてたら誰かにもらったもんだとわかる。そして、俺の知る限りお前にそんな物をプレゼントしそうな奴は、今日も一緒に来ている南野くらいかと思った、それだけだ」


「……はぁ、何から何までその通りだよ」


 僕はため息をつきながら答える。

 粗野なように見えて、意外すぎるほど人を見ている。考え方も論理的で、しかも頭の回転も早いときた。

 天は人に二物も三物も与える。


「で、もうヤッたか?」


「おい……そもそも僕らはそういう関係じゃない」


、って付きそうだけどな。ったく、これだから童貞と処女はよ…………マジな話、似合ってるとは思うぜ。お前はもう少しかせを作った方がいいし、南野も、興味なかったんだがちょっと気になって見てみたら何ていうか、歪みがありそうだからな」


「……真司」


「だから、さっさと決めちまえって、なんなら俺がレクチャーしてやっても――――」


「それはいらん…………でもサンキューな」


「……おう」


 猥談わいだんにしようとしつつ、その実本当に心配してくれているのだとわかる。だからこいつとは組んでいる。

 ――――でもレクチャーはいらない。いやマジで。何が悲しくて同級生のモテ男子に教えを請わないといけないのか。


「何だお前ら、恋バナならおっさんも混ぜてくれや」


「……先輩、その絡み方はどうかと思いますけどね。や、ハジメくん、先週ぶり。今日も彼女連れのようで何よりだよ」


 そんな事を真司と僕が話していると、コートに入ってきた長身の社会人二人が、近くに寄ってきた。

 今日はまだ試合はしていないが、そういえば前回千夏を初めて連れてきた時に、対戦した二人だった。

 会社の先輩後輩とのことで、僕らよりも一回りは年上なはずだが、気安くしてくれるおかげで仲良くさせてもらっていた。


「ゲンさんに、マコトさん、お疲れ様です」


 僕はそう言って挨拶する。

 先輩と呼ばれている方がゲンさん、いつもゲンさんに突っ込みを入れているのが若いマコトさんだった。字は知らない。

 ただ、ゲンさんは家族持ちで、奥さんによく怒られつつも、娘を溺愛していることは知っている。

 マコトさんは、先月彼女に振られたと言っていたのも知っている。

 僕のことを、事情は聞かないが何故か気にかけてくれる、優しい二人。そんな関係だった。

 まぁ、ゲンさんはよく真司のあおりに載せられているが。


 そして、千夏は千夏で、あちらでカナさんと話に花を咲かせているようなので、そんな二人と、真司に絡まれながら僕は少しばかり恋愛相談的なものをすることにした。

 レクチャーはいらないが、タイミングを逃した時のアドバイスを貰うには、同年代の真司に、既婚者のゲンさん、後、振られたとは言え彼女がいて、人当たりもいいマコトさんは良い人選だと思った。



「……はぁ、キスでドキドキしたのは一体いつ以来だろうなぁ、甘酸っぺーな、ビールが飲みてぇ」


「……いや、独り身には中々くるものがありますね。俺もこんな青春送りたかったなぁ。先輩はむしろ、自分より娘さんの方がそうなりそうですもんね」


「とっとと告れ、そしてヤレ」


 どれが誰のセリフかは言わない。

 ただ、一通り深い事情は割愛しつつこれまであったことを簡単に話した僕は、早速三人共全く役に立たないのではないかと後悔し始めていた。


「娘は誰にもやらん」


「そんなこと言いながら、すぐお父さん臭いとか言われちゃうんですよ。今7歳でしたっけ? あー、もうそろそろですね」


「…………言うな、現実はわかってるけど意外とまだ仲良くしてくれるんだよ。くぅ、でもいつかは娘もこういう風に青春するのか。そして絶対俺には教えてくれないんだろうなぁ」


 何故か僕の相談に乗ってくれていたのに、将来の娘さんのキスに悩み始めるゲンさんに、あははと笑うマコトさん。それに呆れたような顔をした真司は、もう素知らぬ顔でスマホをいじっていた。


 おいお前ら聞いた分の対価を払え。


 僕のそんな想いが通じたのだろうか、ゲンさんがふと真面目な表情でこちらを見て言った。


「……あー、そうだなハジメ、俺もこいつも正直お前に教えてやれるような青春は送っちゃいないが、まぁ何だ、とりあえず好きな相手にはまず伝えてみろ。結局のところ、相手の気持ちなんて分かりっこねぇんだ。これは恋人になろうが、夫婦になろうがな。――そして、勿論相手にとってもこっちの気持ちなんて知ったこっちゃない。だから、ちゃんと伝えてちゃんと聞く、これだけだ」


「そう言いつつ、先輩がスマホ見ながらダラダラしてて話聞いてなかったとかで、こないだも奥さんと喧嘩してましたよね」


「…………」


 凄くまともなことを言ったのに、マコトさんにブーメランをされてゲンさんは離脱した。


「あぁ、イジメすぎちゃったかな? でもハジメくん、僕もゲンさんの言う事には賛成だね。その上で一つだけアドバイスできるとしたらさ、惚れちゃったら最初から全部負け戦なんだよ。そして持てる武器は情熱だけ。だからさ、ハジメくんにできるのは、熱をちゃんと伝えることだけ…………まぁ、それがうまくできなくて振られた僕が言うのもなんだけど…………そしてよく考えたら相手があの子か、ハジメくんまじリア充すぎる。え? そもそもこれアドバイスいるっけ? ……一度もげてもらっていいかな?」


 そして、マコトさんもそれっぽいことを言いながら、千夏の方をみて、僕を見て、何故か荒んだ表情になって離脱した。


「要約すると、言ってる通りさっさと告れってことだ。100%って言葉は好きじゃね―が、まぁいけんだろ」


 真司はそれしか言わない。

 そして僕は知っている。少なくとも出会ってからのこの半年あまり、こいつは自分からそういう事を相手に言ったことは無いはずだ。いつも誰かに惚れられて、そして、振られてを一定のスパンで繰り返している。

 つまり当てにならない。


「……ただ、そうだよなぁ、ちゃんと伝えて、ちゃんと聞け、か」


 今日は夜遅いからまた次の機会にでもと思っている僕は、だから駄目なのだと知っているが、アドバイスらしきものはしっかり心の中に根付いたのだった。

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