3話


「というわけで、うちの高校地味デビューのための、中学の時の研鑽けんさんの結果です」


 そう言って、えへん、とばかりに胸を張る南野を見て、僕は感心していた。

 地味メイク、と言えば簡単だが、自分がどう他人から見えていて、どういう風に変えられる部分を変えればいいかを相当研究しなければこうはならないのではないだろうか。


「でもさ、実際佐藤は何で分かったの? さっきも言ったけど、うち、結構実験もして自信もあったんだよね。学校のある駅に変装して行って、男女問わず友達の近くをウロウロしてみるとかさ。後は別の友だちのグループに、これ従姉妹の子なんだけどって写真見せてみたり」


「…………」


 全く気づかれなかったんだけどなぁ、と嬉しそうに話している。

 それはきっと、自惚れでもなく僕が、南野が変装していても気づけるほどちゃんと見ているのを嬉しいと思ってくれているということで。


 僕は罪悪感で、墓まで持っていくことの難しさを知った。


「……佐藤?」


 何とも言えない顔をした僕の顔を、屈むようにして南野が覗き込んでくる。


「…………り」


「え?」


「うう、香りだって! 待ってたら、南野のいい匂いがするなと思って、そう思ったら…………」


 言ってしまった。


「…………」


(…………ドン引きされた)


 南野が無言で固まるのを見て、僕は内心で頭を抱えた。

 何となく手を引かれたままのため、物理的には頭に手をやれないが、空いている手で頬を掻く。


「くくく、あははは!」


 こらえきれない、というように笑い始める南野。

 クレープ屋に向かう道沿いに、あはははという笑い声が響いて、何事かと通り過ぎる人たちに目線を向けられていく。


「じゃあ何? 佐藤ってば全然変装には気づいてなかったのに、匂いだけでうちの名前呼んだの? それってめっちゃ――――」


「……めっちゃ?」


「……何でもない」


 難聴系主人公ではなく、本当に聞こえなかった僕は、気になりつつも笑って流してくれたことにホッとする。


「ごめんって、次からは見た目でも見破れるように精進するよ」


「いやいやいいって……くく、とりあえずうちの変装技術はやっぱ確かだったってことだし、佐藤は見た目が変わってもうちに気づいてくれるくらい匂いも覚えてくれてるみたいだし…………それにねえ、知ってる?」


「何を?」


「いい匂いって思う相手とは、遺伝子レベルで相性がいいらしいよ?」


「…………」


 ニヒヒ、と言って、いたずら気に、それでいて少し照れたような顔でそんな事を言う南野に、僕は絶句した。

 耳に血が集まっていくのを感じる。


 そして、南野はそんな僕をまじまじと見ながら考える素振りをして。


「えい」


 唐突に顔を首元に近づけてきた。

 そして――――


「……え?」


 今度こそ固まった僕をよそに、南野は一嗅ぎすると身を離して首を傾げた。


「うーん、無臭? 無臭ってどうなんだろう」


「…………」


 え、僕らって実は付き合ってるの?


 残念ながら、僕は今まで彼女というものがいたことはなかった。

 なので、世の恋人同士と言われる人々が、どんな手続きを踏んでそういう名前の関係性になったのかはわからない。


 うーん、と何やら考えている南野をよそに僕の頭の中は混乱していた。


 少なくとも土曜日、シロが共にいた時の僕らは友達だった。嫌いになられないように気を遣わないでいい友人。

 少しばかり特別な友人関係。


 そして、その後は、それこそ言い方を借りれば全部をお互いに聞いた仲になった。

 お互いの人生に比べてまだまだ短い付き合いだけど、どう南野が今の南野になったのか、家族のこと、中学までの友人のことを知った。

 僕もまた、全てを話した。


 初めて全てを晒す他人。

 ただの友人では無くなったのは確かだった。


 本当は何か気まずい、シリアスな空気のはずだったのかもしれない。

 でも最後のアレで、僕の頭の中は男子高校生らしく完全に女の子の事で一色になった。


 金崎?それ誰?と言った感じだ。僕は最強だった。

 ――――でも、紛うことなきヘタレだった。

 何と最強とヘタレは共存できるのだった。


 少なくとも世の中の集合知、インターネットによると、友達は唇を触れ合わせることはしないらしい。…………そういうフレンドは除く。


 ということは、僕らは自動的に友達から恋人に昇格を果たしたのだろうか?

 ――――いや、そんな筈はない。

 世の中には告白イベントというものが存在する筈だった。


 南野は、少なくとも恋人がいた時期はあった筈だ。

 友人に勧められて何度か、そう言っていた。


 ちょっと正直モヤモヤするのは否めない。

 慣れているのだろうか、南野はどういうつもりなのだろうか。


 そこまで考えて、


『うち、初めてだから』


 脳髄を支配するように、最後にかけられた声と、赤く染まった耳と、潤んだ瞳が――――



「あ! 着いたよ、あそこあそこ!」


 気がついたら僕は、南野の言っていたクレープ屋さんが見える位置まで来ていた。


「お店は大きくはないんだけどめっちゃ美味しい上にお値段も優しくてさ、一緒にメニュー選んで食べよ!」


 脳内ピンク色と化した濁った僕を浄化するかのような穢れなき瞳で、クレープを楽しみにした少女がそこにいた。


 僕は羞恥心と自己嫌悪で死んだ。

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