2話
「ぁあ゛~~~~」
南野千夏は、自分の部屋のベッドでゴロゴロと転がりながら枕を抱えて
昨日の出来事、というか自分がやらかしたことが頭の中から離れない。
(え……まじで、うち佐藤とキスした……)
何度も光景がリフレインする。
――――どう考えても千夏からしていた。
むしろ、キスを
「うぅ……しかも、その後逃げちゃったっていう」
そう、そもそもイベントが盛りだくさん過ぎた一日だったのだ。
千夏でなくとも、オーバーヒートする。
佐藤と出会うきっかけとなったシロの新しい飼い主のところに一緒に行った日。
何だかんだで初めて一緒に出かけるということで、張り切り過ぎにならず、相手にも失礼にならず、でもその中で目一杯可愛く見えるようにコーデを考えて出かけた。
そうすると、意外や意外、女の子には慣れていないはずの佐藤に、あっさりと服を褒められて嬉しい始まりだったし、寂しい気持ちと仕方ない気持ちと、奏さんがどんな人かという不安な気持ちも「わかるよ」って優しく言われて、何だか落ち着かなくなるし。
佐藤は気づいていなさそうだったが、当たり前のように車道側を歩くわ、さり気なくこちらの歩調に合わせてくれるわ、着いたら着いたで、何だか大人相手でもきちんと礼儀正しくやり取りしている。
千夏はよく陽キャとかコミュ力抜群とか言われたりするが、本当のコミュニケーション能力というのは、ああいう、他人に自然な形で挨拶をしたり、褒めたり、気を遣えることを言うのではないだろうか。
『高校生なのに、地に足がついているというか、落ち着いていてとても素敵な子ね』
奏さんはとても素敵な人で、お喋りは楽しかったし、佐藤が席を外している間、千夏に向けて奏さんがこっそり言った言葉に、何故か喜んでしまった自分が居て。
「…………彼女気取り過ぎる。奏さんニヤニヤしてたし。佐藤は全く反応しなかったけど」
足をバタバタさせてそう呟く。
そして、その後、シロを見に行くという名目で持たせてもらっていた合鍵を少し返したくない気持ちからも無言になって。
でも、演じている時は、他の友人といるときには怖い無言の時間も、佐藤といる時は嫌でも不安でもない自分に改めて気付かされ。
結構考えて選んだプレゼントも、凄く嬉しそうに笑ってもらって幸せな気持ちになって。
「あの男と会ったのは最低だったけど、でもそのおかげで佐藤のことが知れたってのもあるし……」
多分、あの時、あの出来事が無ければ、きっと自分は佐藤と電車で別れてそのまま家に帰っていたし、きっと、その後も仲良くはできただろうが、あんな過去の話をしてもらうまでには相当な時間がかかっていただろう。
それに――――
(…………キスなんていつになったことやら)
まずそんな事が思い浮かんで、いつかはするつもりだったのかよ、と自分に突っ込みを入れつつ、またしても足をバタバタさせる。
そんな風に思う存分ゴロゴロしても、お母さんは今日も仕事だ。騒がしくしても怒られることは無い。
春から多くなった家での一人の時間、寂しいと思ってもそう言えなかった時間。
(でも、佐藤は、あの家でずっと一人なんだよね)
千夏の、母親の仕事で、とか、父親が出て行ったとかそういうレベルではなく。
あの家には、佐藤以外の人間が帰って来ることはもう、無いのだ。
どこか
家主の居ない鍵を開けて、カーテンを閉めて電気をつけて、シロを抱きしめてソファに座ったり、佐藤に勧められた本を読んだり、ゲームをしたり。
お母さんが帰れない日は、佐藤が帰って来るまでいて、『おかえり』を言ったり、帰ってきたばかりの佐藤に駅前の道まで送っていってもらったり。
意外とポンポンとノリよく会話もできる佐藤とゲームをしながらだべったり、作ってもらったご飯に女子力の危機を覚えたり、一緒に宿題をやったり、千夏用のカップが自然と用意されているのにドキドキしたり。
ストリートバスケも見に行った。初めて見る佐藤の世界がそこにあって、初めて会う大人の人達に、またおいでって言われて、少し大人になった気もした。
全部が全部、新鮮で、付き合う程に佐藤の良さを知って。
そんな風に過ごしていた佐藤に、千夏の何とも言えない寂しさを埋めてくれた人に、あんな悲しい顔をさせたくなくて、泣きたくてたまらないのに涙を忘れた小さな子供みたいな佐藤を見て、泣いてすがってしまったり。
自分なんかと言うのに、そんな事ないと伝えたくて、衝動に駆られて唇を重ねてしまったり。
この千夏の感情には、きっといつでも名前を付けられるのだろうと思う。
よくわからないと、わかることはないかもと思っていた感情。
でも、認めるのも怖い。
中学の時の、あの自分に向けられていた感情と、
父と母のように、いつかは壊れてしまうものなのだろうか。
仮面を被っていなかった千夏がいる程度で壊れていた、あんな脆いもの達と同じものなのだろうか。
わからなかった。
佐藤は、ただの友達では決してなかった。
千夏にとっては、ただ大事で。抱きしめたいと思う、手をつなぎたいと思う、触れたいと思う。
――――それが、千夏を求めてきた一時的な彼氏だった
一番怖いのは、佐藤とキスした時に、もっとと思ってしまった自分だった。
(…………やっぱりそう考えたら、うちって、傷心の状態を聞き出して、不安定なところを唇を無理やり奪って逃げてきたやばい女じゃない?)
「ぁあ゛~~~~!!」
もう何度もこのサイクルを繰り返している。
ブブ――
スマホが鳴るたびに飛びつくようにして見る。
友達のグループへのメッセージだった。
佐藤からの、連絡はまだない。
佐藤は、うちのことどう思ってるんだろう。
嫌われてはいないと思う。むしろ、学外にまだ話してくれてないコミュニティがあるとかが無ければ、千夏が一番仲が良い女子であることは間違いない。
それに、あの家には他の女の気配はなかった――――はず。
「もしかして、付き合うとかに、なるのかなぁ」
そう呟く。正直、感情に名前がついても、関係に名前を付けるのは怖かった。
きっと高校ではもの凄い反響になるだろう。
それは悪いことばかりではないけど、良いことばかりでもない。残念ながら、千夏は自分の影響力を把握している。
噂話も、無責任な陰口も、嫉妬も悪意も。
鈍感ではいられない。きっと大丈夫などと、楽観的でもいられない。
そして、そんなものに疲れて、寄り添うように出会ったのが佐藤一と南野千夏なのだった。
だからこそ佐藤をそんな立ち位置に連れていきたくは、ない。
「…………うう、やっぱり、何であのまま逃げちゃったんだよう、昨日のうちの馬鹿~。でも、放課後とか堂々とデートとかも、してみたいなぁ」
そう言って、ふと何度目かになる寝返りを打って、千夏はあることを思い出した。
元々、両親が入学式に来る事になって、家族仲に対しての不安から張り切るということがなければ、千夏は高校では目立たないように過ごそうと思っていた。
そのための研究も、実はずっとしていたのだ。
「そっか、そうしよう!」
思いついたその案はとても魅力的で。
だがしかし、そのメッセージを送る決心が昨日の恥ずかしさを超えるためには、一晩経って、もう後がないという放課後の時間までかかることになるのをこの時の千夏は知らなかった。
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