4話


 大通りから逸れた、細い路地を進んだ先にあったクレープ屋は、店内に何故か戦隊モノのポスターが至る所に貼ってある、小さく落ち着いた雰囲気の不思議な店だった。


「うーん、こういう時って甘い系としょっぱい系と、どうにも迷っちゃうんだよね」


 先に二組のカップルが並んでいて、その後ろに南野と僕は並んでメニューを見ていた。

 生地が焼ける甘い匂いが食欲をそそる。


「今更だけどさ、佐藤って生クリームとかいける系?」


 店の外に写真つきで記載があるメニューをにらみながら、南野がそう聞いてくる。


「苦手ではないよ、でもこの写真ほどガッツリだと、う……ってなるかも」


 僕はというと、特別甘いものが苦手なわけではなかった。

 ただ、写真を見る限り、これでもかとクレープ生地の中に生クリームが詰め込まれており、本当にこのメニュー通りのものが出てくるのであれば、ちょっと一つ丸ごと食べるには胸焼けしそうだった。

 

「…………じゃあ、佐藤はしょっぱい系買ってさ、うちはこっちのいちごの生クリームのにするから、シェアして食べよ」


「うん、いいよ」


 なので、南野の提案に自然とそう答えてしまって……ふと思った。

 ――え? クレープってどうやってシェアするんだっけ。


 そんな事を思っていると、僕らの前に並んでいたカップル――大学生だろうか――が同じように二人でそれぞれクレープを受け取って一口ずつ食べて、その後お互いに食べあわせている。


(…………あれって間接キス)


 何だろう、ペットボトルとかコップなんかより余程生々しい感じがするのは。

 仲睦まじいというか、雰囲気から私たちは恋人ですオーラを振りまきながら、そのカップルはゆっくり食べ歩きながら立ち去っていく。

 それが視界に入っていないはずは無いが、南野は何ともなさそうだった。


 正直なところ、そういう関係に憧れもあった。

 そして、その相手が南野だったら最高だと思うくらいには僕の心はもう南野にやられてしまっていた。


 でも少なくともそれをはっきりさせるのは今じゃなかった。絶対違った。

 大事なことなので二回言った。


(意識し過ぎか……ってか無理だって意識しないわけないって)


 僕の中を構成するヘタレ成分と童貞成分が手を組んで僕の心を占有していた。だからその後、僕は無難にハムチーズを、南野がいちごクリームを注文してお金を払って受け取った後、南野が言ったことにビクッとなったのは仕方がないことだったと思う。


「歩いて3分くらいのとこにうちの家あるからさ、食べ歩きもいいんだけど、ちょっと座って食べようよ」



 ◇◆



 南野のマンションは、本当に歩いて3分ちょうどの場所にあった。

 家に行こうと言われた時に一度、着いたときにも一度、無駄に時計を確認した僕が言うのだから間違いなかった。


 玄関を入ってすぐ、廊下右手の案内された部屋は南野の部屋らしく、6畳ほどの部屋には、ベッドと綺麗な机と、そして南野らしい可愛い小物が沢山並べられた戸棚があった。

 僕は、少し落ち着かない気持ちで、目の前の小ぢんまりとしたテーブルに並べられたお皿に載せたクレープと共に、南野が珈琲を淹れてくれるのを座って待っていた。

 

 部屋全体には、当たり前だが南野の匂いがしていた。


『いい匂いって思う相手とは、遺伝子レベルで相性がいいらしいよ?』


 さっき言われたことを思い出す。どう考えても僕にとってはいい匂いだった。

 足音を感じる。南野が戻ってきた。


「お待たせ……ってあははは! 何で正座してるのよ佐藤?」


 両手にカップを持った南野は、僕を見た瞬間に爆笑する。

 確かに僕は何故か自然と背筋を伸ばして正座していた。


「……仕方ないだろ、女子の家に、それも部屋に来たのなんて何も考えてなかった小学校以来なんだから」


「そこは初めてとは言わないんだ?」


「って言っても中学入ってからは初めてだよ、悪かったね慣れてなくて」


「いやいや、好感度アップですよ? ……くふふ」


「笑いが隠れてないっての…………珈琲ありがとう」


「うん、佐藤はブラックで良かったよね。うちはどうしてもミルク入れないと飲めないや」


 珈琲の好みを知るくらいには、僕らはお互いのことを知っている。

 心臓の音とは裏腹に、つっかえることもなく普通に会話できているのもその時間のおかげだった。


「いただきます!」「いただきます」


 そう言って二人で手を合わせて、クレープを食べる。


「え? うま!?」


 思わず声が出ていた。

 正直クレープなんて値段や量の違いで、味はどこで食べてもそう変わらないと思っていた。

 それがこれは――――


「でしょでしょ、何か生地が違うのかな? 何でかめっちゃ美味しいんだよね。ほらこっちも食べてみて」


 そう言った南野がすっと口元に差し出してきたいちごのクレープも齧ってみる。


「あー、これはこれで……意外と生クリーム重たくないんだね、こんなにしっかりしてるのに」


「そうなんだよね。だから食べ過ぎちゃうっていうか、うちもそっちちょうだい?」


「うん、どうぞ」


「いやー、やっぱりこの甘いとしょっぱいの交互は良いね。いつもさ、佐藤にはご馳走になってばっかだから食べてもらいたかったんだよね…………うちのほうが料理スキル低いから、手料理ってわけじゃなくてあれなんだけど」


 そう言って、お互いに食べ合わせつつ、クレープがなくなったときには、何となくまだ物足りないような気分に――――。


 はっ! 美味さに気を取られて間接キスのことなんてすっかり頭から消えてしまっていた。

 っていうか今当たり前のごとくお互いの口に自分の持ってるクレープを。


 そんな事を思っていたからか、美味しかったなーと言っている南野の口元を見すぎてしまっていた。

 透き通るような、でも瑞々しい質感のそれは、同じ名前を冠している僕のものとはどう考えても違うもののように見えた。


「…………佐藤?」


 だから、そう呼ばれるまで、僕は南野もまた僕の方を見ているのに気づけていなかった。

 ハッとして唇から目を離して、南野と目が合った。


 ――僕と南野は、きっと同じことを考えていた。


「あの、さ」「あの……」


 二人で同時にそう会話を始めようとして、そして二人で黙った。

 南野と僕は目をそらさなかった。――――そらせなかった。


 改めて南野の整った容姿を見る。

 きれいに整えられた眉、離れていてもわかる長い睫毛まつげ、大きな濡れた瞳、バランスの良い鼻、僕の目を引き付ける唇。それらが絶妙な位置取りで配置されている。

 何かを言わないと、と思いながら悩む脳と裏腹に、僕の身体は南野に近づいていた。膝が伸びて起き上がり、肩にそっと伸ばした手が触れる。


 南野がはっと身体をこわばらせて、でも離れようとはせずに、むしろ顔がより近づいて、南野の目が閉じた。



 ――――ガチャン、ドタン



 僕と南野がそれぞれの吐息を感じられそうになった頃、唐突なその音に二人してビクッとなって跳び上がる。

 危なかった、今僕は何を。いや、それより今のは?


「え? お母さんかな、仕事いつももっと遅いのに」


「何かすごい音したよ? えっと、僕も一緒に行っていいかな。ちょっと心配だし、挨拶もちゃんとしないと」


 そう言うと、頭を切り替えて僕は立ち上がって、南野に続いて玄関に向かうのだった。

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