18話


 家に入ってからも、少しばかりの時間を僕と南野は無言のまま過ごした。


 先程の金崎が言ったこと、そもそものことについて、僕は南野に話をしたいと思っていた。

 ただ、僕はこういう時なんて言うのか正解なのかわからなかった。何から話せば良いかもわからなかった。でも、「話してなくてごめん」なのか、「気にしすぎなくていいから」なのか、何かはわからなくても、きっと僕から声を発するべきなんだとは心の中ではわかっていた。


 なのに、僕の中の何かが、言葉を発するのを拒否している。


 『妹殺し』


 そうだと言われれば、否定もできなかった言葉。

 南野がそんな風に言うとは思えなかった。


 正直、当時の哀しみも寂しさも、もう残ってはいないつもりだった。ただ、金崎を目の前にして言葉が出てこなかった僕もまた事実だった。

 そして今僕の中に渦巻いているのは、恐れだった。人の仮面は剥いでおいて、自分の仮面を剥ぎ取られるのからは逃げるずるい僕は、今もまだ立ち止まってしまっていた。


「うちさ、結構お父さんっ子だったんだよね」


 そんな情けない僕の代わりに、こういう時に無言を破るのは、やはりというか南野の方だった。

 何から話そうかと、何を話そうかに頭がいっぱいになってしまっていた僕ははっと顔をあげて、南野を見た。

 南野の大きな目は、ずっと僕の目に向いていた。


「両親共働きで、お母さんもフルタイムで企業に勤めてるけど、どっちも優しかったの。ただ、お母さんは結構世間体のことも気にする教育ママって感じでさ、うまく行ってる時はいいんだけどよく叱られもして。…………中学の時のことも、高校から別のとこに行くっていうのも結構いい顔されなくてさ。そんな中、お父さんは結構昔から甘やかしてくれて味方になってくれて格好良くて、いつでも千夏の好きにしたら良いって言ってくれたりしたんだよね。ドラマとかに出てくるみたいな、優しく厳しい母親に、家族想いの娘に甘い父って感じで、結構良い家族だと思ってた」


 何故、南野が急にそんな話を始めたのか、その心境はわからなかった。

 でも、今はいつもみたいに冗談をいう雰囲気でもなかったし、僕も言える精神状態ではなかった。

 そして何らかの覚悟を持って、南野が話を始めたのは伝わった。

 僕は、何も言わずにただ南野の言葉を聞いていた。


「それが、何かあれ? って思い始めたのは、高校受験のための勉強を頑張ってる中学三年生の夏あたりからだった。夜遅くまで起きて勉強してる時に、お父さんとお母さんが言い争っていることが多くなったの、それに比例するように、お父さんが帰ってくる時間は遅くなっていった」


「そして、私は無事に受験に合格して、春になった」


「高校に入学する時、お父さんとお母さんは一緒に来てくれた。ちょっとそれが嬉しかったりして、私は高校で頑張るねってアピールをするつもりで張り切ってたら、先輩とか同級生に少し可愛い子がいる、みたいな噂が流れたみたいで、今みたいになっちゃったんだけどね」


「…………そして、それがうちの家族が三人で一緒にいられた最後だった」


「『無理しすぎるなよ、でも頑張れよ』。帰りにそんな事を言われて不思議に思ったのを覚えてる、お父さんはそれから少しして、家を出ていった」


「お母さんは、お父さんの事を悪く言うようになっていって、そうしてうちは、家族が完全に壊れていたのを知ったの」


 この冬で正式に離婚するんだってさ、と呟くように、南野は言った。


「…………」


 僕の口はきちんとした言葉を発する能力を失ったかのように、しっかりと閉じたままだった。


「漏れ聞いた話と、お母さんの愚痴からでしかないけど、だんだんと帰りが遅くなってたのは、仕事もあるみたいだけど、部下の人と不倫してたみたいでさ。バカみたいでしょ、若いから気持ちがわかるかもとか言ってさ、娘のこととか悩みを相談しているうちにそういう関係になって、子供までできたらしいよ。――――ほんと気持ち悪い、最悪だよね」


「親権はお母さんが取ることになるみたい。慰謝料も入ってくるからお金の心配はいらないし、私も仕事してるから大学も気にしないでって言われた。ごめんねって泣かれた」


「…………なのにさ、うち、まだお父さんのこと結構好きなんだよね、馬鹿でしょ? 酷いことされたのに、捨てられたのに、お母さんが可哀想って思うのに、お父さんっ子だったうちのままなの。家だとお父さんは悪者で、苦しくて。学校だけでなくて家でも自分を演じるの? そんな事を思って、もう無理って歩いてたら、子猫を見つけたの。そして、まるでうちまで佐藤に拾われたみたいに甘えて、帰りたくない逃避先に使わせてもらったりしてる」


 だから、本当は合鍵、返すのちょっと嫌だった。

 舌を出すようにしてそんな事を言う。


「こんなんなのに学校で人気とか言われて、佐藤の前以外では仮面すら外すことができないの、それがうち、南野千夏です」


「これで全部――――これが、うちの全部」


「…………南野」


 なんでそれを僕に。その言葉を遮るように、南野は僕の前に手をかざした。


「最後まで言わせて。…………ねぇ、佐藤。勝手に押し付けて、勝手に吐き出して、勝手にさらけ出してごめん。でも、知っててほしかったの。そして、うちは佐藤のことも知りたい」


 南野が、全然関わりがなかったはずがいつの間にか目で追ってしまうようになった女の子が、強いようで弱くて寂しがりで、でもやっぱり強い女の子にこんな風にさせて、どう思われるのか怖いなんて、流石に格好悪すぎると思った。

 言葉を発そうとして発せない口を、無理矢理に開いた。


「…………全然楽しい話じゃあ、無いよ?」


「うちの話も楽しくは無かったでしょ? 聞かせてほしい、ゆっくりで良いから」


 そう言って、真っ直ぐな瞳で、でも不安そうに揺れた瞳に、僕は――――。



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