14話
それは、猫がいる生活に慣れてきて、実はもうこのまま飼ってもいいんじゃないかとすら思い始めた10月の末日、シロが僕の家に来て三週間ほど経った日のことだった。
南野も探してくれていたが中々そう捨て猫を貰ってくれる人はおらず、僕の方でも美咲さんに相談していたところ、少し離れた場所で、知り合いの女性の方が猫を引き取りたいと言っているという話を持ってきてくれたのだった。
ただ、そのご婦人は旦那さんを亡くされて一人暮らしであり、足が少し不自由なので、直接三鷹にあるマンションまで連れてきてもらえないかとのことだった。
(三鷹、か)
中学の頃、僕はその街で過ごしていた。
決して悪いことばかりではなかったけど、正直、今は敢えてあまり立ち寄りたい街ではなかった。
『(南野)そっかー』
『(南野)いい事なんだけど、ちょっと寂しいね』
『(佐藤)うん、そうだね』
『(南野)最後だし、次の土曜日だよね。うちも一緒に行くから』
早朝、夜のうちに美咲さんから連絡が入っていたことを伝えると、先週の土曜日に引き続き、南野は僕に付き合ってくれるようだった。
(南野は、これで来てくれることも無くなるのかな)
南野とは友人になれたとは思う。でも、シロの様子を見るという理由が無くなる以上、僕の家にやってくることも無くなるのだろう。最後、という言葉にそう思って、僕は少し寂しく感じてしまった自分に苦笑する。
僕一人には少し広すぎる家、つい作りすぎてしまうご飯、『ただいま』も『おかえり』も無い生活の中で、人助けのように猫を預かって、助けているつもりで、僕は南野に救われていたのかもしれない。
(あぁ、この思考はダメだな、走りにでも行くか)
学校までに少し時間はあった。
行くまでに汗をかくのもと思わなくもなかったが、このまま思考が余計な方に進むよりは、走ることで何もかも忘れたかった。
◇◆
その日は秋晴れとでも言う、穏やかな良い天気だった。
僕は、豊田駅のホームから、シロの入ったケージを持って、約束した時間の指定された車両に乗り込んだ。
休日の午前11時、そこまで混んでいるわけではなく、南野はすぐ見つけられた。
「へー、いいじゃん、ピシッとしてて中々格好良いよ」
今日は、制服というわけにもいかず、かと言って年配の女性のお宅に伺うと言うことで、持っている服の中ではフォーマルな、黒の薄いジャケットに、クリーム色のスラックスで合わせていた。
とはいえ、僕はそんな褒め言葉を聞き流しながら、ドアの近くで手すりに捕まっている南野を見ていた。
今日の南野は、落ち着いた色合いのワンピース姿だった。決して派手な服装ではないし、露出が多いわけではない。
なのに僕は、南野から目が離せなかった。
淡く施された薄化粧と相まって、南野本人の美しさが際立っている気がする。
この間、寂しいなどと変なことを考えたせいだろうか。正直、人に見惚れたのは初めてだった。
「佐藤? あれ? うちなんか変? 一応シロちゃんを引き取ってくれる方だし、第一印象悪くないようにまとめてきたつもりなんだけど」
「あ、ごめん、ちょっと綺麗で見惚れて…………あ、いや……何でもない、似合ってると思うよ」
「…………へぇ」
ちょっと本音が溢れた僕の言葉に、南野がニヤっとしか表現しようの無い笑みを浮かべた。笑みと共に、美しさから可愛さへと移行するのもまた、僕の心臓を少し跳ねさせる。
「…………」
僕が何か言い訳を探している間に、発車音と共に扉が閉まり電車が動き始めた。
そして、南野が僕の隣に並んで、顔を覗き込むようにしてからかい混じりの口調で言った。
「そうかそうか、佐藤に見惚れてもらえるとは中々嬉しいね。いやね、結構佐藤って淡白じゃん? うちもそれなりに見た目整ってる自信があったんだけど、家にいても視線もあまり来ないし、もしかして女の子に興味ないんじゃ無いかと疑ってたとこだったよ」
「……そこで、自分の容姿の自信を失うより、僕の好みを疑うあたりが南野だよね」
「流石に子供の時から意識させられてるからさ、自分の容姿に無自覚で居られないって。佐藤も、ほら、味があって良いと思うよ、調味料で言うと塩って感じで」
「褒めてないし、貶されても無いのにフォローから入るのやめてくれる?」
「あはは。まぁ、誰もが振り向く、とは言えないけど、うちは安心できて好きだよ」
「…………」
「あ、照れた?」
「……照れたのもあるけど、何かちょっと無理してるかなって」
「…………ふふ、本当に佐藤は何かわかっちゃうよね、さっきのはちゃんと本音だけどさ。まぁね…………探しといてなんだけど、思ったより飼えそうな雰囲気だったじゃん、だから。ちょっと寂しいかなって言うのと、美咲さんからの紹介だから変な人ではきっとないと思うんだけどさ、シロちゃんを任せられるのか見極めてやるーっていうか」
僕の言葉に白状するように、南野は言葉を重ねた。
一ヶ月に満たない日々ではあった。
でも、その長いような短いような期間の中で、僕と彼女と一匹の白い子猫は僕の家のリビングで過ごした。
「わかるよ」
だから、僕はそれだけ言った。
「……そっか、わかってくれちゃうか」
南野はそう答えて、それまであれだけ饒舌だった口を閉じて、ケージの中を見る。
その顔は、とても穏やかな笑顔で、やはり僕は少し、南野に見惚れてしまっていた。
電車の窓からの景色が流れて行く中、この笑顔を独占できるのは随分贅沢な休日だなと思った。
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