悪役令嬢「神聖な学院に汚いネズミが入り込んでいるようね」???「……ふふふ、よくぞ見破った!」
exa(疋田あたる)
第1話
卒業パーティのため華やかに飾り付けられ、集まった生徒たちでにぎわうはずの広間は、しんと静まり返っていた。
そんな輪の中心でイザベラは長い髪を優雅に払い、不満げな声を上げる。
「神聖な学院に汚いネズミが入り込んでいるようね」
向き合って立つ金髪の青年が、怒りにカッと顔を赤くした。
「なんだと、僕のかわいいスズたんを貶めるか! やはりお前のような性根の腐った女、王子であるこの僕の婚約者にふさわしくないっ」
「まあ。王子であるからこそ、どこの者とも知れない平民の娘をおそばに近づけるべきではないのですわ。その娘、調べても経歴があやふやなのですもの、他国のスパイという可能性もございます」
「なっ! 王子であるこの僕がそう簡単にだまされるとでも思っているのか!」
憤りも露わな青年に肩を抱かれた白髪の少女は、イザベラの眼光に怯えているのか。うつむく彼女の肩が、ふと揺れた。
「ああ、スズたん! 怖かったね。大丈夫だよ、僕が守ってあげるから」
か弱い乙女を守らねば、と鼻息を荒くする王子の腕をすり抜け、スズと呼ばれた少女が顔をあげる。
常であれば気弱そうな表情のそこに乗るのは、愉悦の笑み。
「……ふふふ、よくぞ見破ったな。我こそは忍びの里の次期頭領、スズランなりっ!」
名乗って、スズは自身の顔をむんずとつかむ。
勢いよく引き剥がした令嬢の衣服下から現れたのは、黒装束に身を包み、覆面で目元以外を覆い隠した長身の青年。
美少女の顔を剥がすと、下から覆面が出てくるなんて。
驚く人々の視線を一身に集めて、スズランと名乗った青年は宙を舞う。
長い白髪が尾のように彼の軌跡をなぞり、音もなく着地したのはイザベラの眼前。
「っあなた!」
イザベラの顔に怯えがにじんだのは一瞬。
学生たちが悲鳴をあげ逃げ惑うなか、イザベラはいっそう姿勢よく立ち不審者を見据えた。
「その出立はアズマの国の者ね。忍びの里だなんて、おとぎばなしのようなものと思っていたけれど……」
「おお、わかるか。そのうえ伝承にしか残らん我らの存在を知っている者がいようとは」
スズランはわずかに見える目元をうれしげに細めて、さらに一歩、イザベラへと近寄る。
無遠慮な接近に後ずさろうとしたイザベラの腰に手をまわし、スズランは顔を寄せた。
「仕えるに足る主のひとつもおらんかとほうぼうの国をまわってきたが、我が変装を見抜いたのはそなたひとり。そのうえ博識とくれば、このような王子にくれてやるには惜しいものよ」
「この手をはなしなさい、無礼者っ!」
イザベラは勝ち気だが、大切に育てられた令嬢だ。年の近い異性との触れ合いなど、王子とのダンスがせいぜい。
そんなイザベラは、無遠慮に近づくスズランの吐息を唇に感じで顔が赤くなるのを止められない。
それでも強気な態度を崩さないイザベラだったが、スズランは触れ合う彼女の体がかすかに震えているのに気づいて、ますます目を細める。
「決めた、そなたをもらい受ける」
「なっ!」
「ちょうど賢い伴侶を探しているところでもあったからな」
すり、と頬を寄せたスズランに、イザベラはいよいよ驚きを隠せない。
「な、なにぃっ!」
声を裏返らせたのは王子ことボーン・クラークだ。
スズが着ていたドレスを頭からかぶった王子は、唯一の取り柄である整った顔を歪めてつばをとばす。
「イザベラは僕の婚約者だ! お前なんかに渡さないぞ!」
「まあ、わたくしを妃にと言ってくださったのは嘘でしたの?」
首だけで振り向いたスズランが声色を変え、口元を隠す布を引き下げてよよよ、と泣くそぶりを見せた。
長い白髪が頬にかかり、影を落とす。
男だと知ったあとであるのに、スズランが悲しげにまぶたを伏せただけで王子の胸はズキュンと高鳴る。
王子を取り巻く側近たちも、そろってソワソワしはじめた。
それを見たスズランはにたりと笑い、イザベラを抱えて地を蹴った。
「きゃあ!?」
悲鳴は人々の頭上であがる。
誰もが見上げた学院のテラスの空に浮かぶのは、巨大な凧。
その中央にイザベラを片手で抱き寄せたスズランがいた。
「やはり、お前のような男に彼女はもったいない。ではな!」
スズランの声を聞き届けたのか、強い風が吹いて凧は舞い上がる。
空へ、高く空へあがっていく凧を見送り、王子がハッと我に帰るがもう遅い。
「イザベラ、戻ってきてくれ。ベルー!」
泣きじゃくりながら叫ぶ王子の声は、上空にいるイザベラの耳にも届いていた。
体を動かすことを好む彼女は、はるか高みを風のように進む状況への怯えも見せず、眉を寄せる。
「まあ、今さらわたくしの愛称など口にして」
「ベル、というのか。異国の愛称はわからんな」
はじめての飛行であるだろうに平然としているイザベラの姿を見て、スズランは楽しげだ。
暴れれば落ちるとわかっていて身動きの取れないイザベラは、それでもわずかな抵抗をしてみせよう、と口を開く。
「ベルだなんて、可愛げのないわたくしには似合わないことはわかってますの。あなただってそんな勇ましげなお姿で『スズ』だなんて、似合いませんこと」
皮肉のつもりで言ったイザベラだったが、スズランは目を見開いた。
「わかるのか、アズマの言葉が。今は話せる者も減る一方の、古語がわかるのか」
「え、ええ。スラスラと話せるとは言えませんけれど、多少は」
風にあおられた長い髪を押さえながらイザベラが言うと、スズランはうつむいた。
そして肩を震わせる。
「どうなさったの? まさか、こんな空の上でお加減がよろしくないだなんて言わないわよね?」
不安になったイザベラが声をかけると、スズランは大きく肩を揺らして彼女を抱きしめる腕に力をこめた。
「はははっ! 俺は本当に、良い拾い物をしたようだ! 忍びの里の存在を知るだけでなく、俺たちの言葉をも知る令嬢に会えるなんて!」
「ちょ、は、はなしてくださいませっ」
隙間なく触れ合う体に動揺するイザベラの耳に唇を寄せ、スズランがささやく。
「本気でそなたが気に入った。全力でもって口説かせてもらうぞ」
「ひゃあ……!」
機嫌良く笑う忍びと、顔どころか全身を真っ赤にして固まる令嬢を乗せて大凧は国を出る。
向かう先はアズマの国。
その片隅にひっそりと息づく忍びの里が、令嬢を迎えて騒がしくなるのはあともうすこし先のこと。
※※※
その後のこと
イザベラの実家はカラスの群れに運ばれて、家族ともども忍びの里へ。
混乱するかと思われたイザベラの父は
「わ、わああ!ニンジャ!シュリケン!ほんとにいたんだ!!」
と大はしゃぎ。
母はアズマの温泉を大層気に入る。
イザベラより先に里になじんだ両親とスズランに外堀は着々と埋められていくのだった。
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