しーちゃん&ゆーくん
考えるも、俺の口にした言葉に内容なんてほぼない。しいて挙げるとすれば、
「呼び方?」
嫌いなモノを見るような表情のまま、空無さんはぎこちなく頷いた。どうやら、正解らしい。
いや、なんでだ。皆、そう呼んでるだろう。
なにがダメなの? 距離感?
「空無?」
「……(嫌いな食べ物を噛んだ瞬間の顔)」
「トオルさん?」
「……(ヘドが吐き出しそうな顔)」
「トオル……?」
「…………(黒いアレを踏み潰してしまった時の顔)」
正解がない。先生ー、問題が間違っていますー。
苗字。名前。敬称。
およそ個人を呼ぶための一般的な名称は使い尽くしてしまった。残るは……と考えキュッと唇を結ぶ。眉間に
あだ名かぁ。そういうの苦手なんだけど。
人間関係は一定の線引をしたい俺にとって、明確に距離を詰めるような真似は避けたい。
けれど、ぶすくれる彼女は納得しないだろう。
どうしよう。普段、使っていない部分の脳が痛みを発している。
あだ名。あだ名ねぇ。付けるのはいいけど、なんだろう。
空無だから、クーとか? それとも、名前からとってトーちゃん? お父さんかな。安易なあだ名しか思いつかない。
それでもいいけど、できれば外で呼んでも空無さんに繋がらない名前がいい。主に、学校の生徒に見られた時の言い訳として。
優等生……、不良、仮面……ペルソナ……あー。
「じゃあ、しーちゃんで」
無難に
あってるこれ? 正解?
居心地の悪い不安を感じていると、空無さん――仮名しーちゃんの反応は劇的だった。
熱を帯びたように顔を赤くし、全身をブルリと震わせる。
惚けたように小さく開けた口は、徐々に下弦を描いていく。
たかだかあだ名程度。そこまで喜ぶことかね。
そう思いながら、目をパチクリさせていると、なんの前触れもなくガバッと手を取られて驚いた。
「私は……私は、しーちゃん。
空無じゃない……。
トオルでもない……。
"私"じゃない私――」
握った俺の手を両手で包み込み、ギュッと握りしめる。
その手はまるでカイロのように温かい。
「――ありがとうございます。ゆーくん」
呼ばれなれない呼び名に、目を丸くする。同時に、繋がれた手から熱が移ってきたかのように、手の先から全身を熱く火照らせる。
あだ名で呼べば、呼び返したいものだろうけど。
驚きの連続で、なにやら動悸が早い。手を振り払って、今にも逃げ出したくなる。
けれども、しーちゃんは離さないとでもいうように、力強く手を握りしめてくる。
恥ずい……。残った片腕で顔を隠し、大いに喜ぶ彼女からの視線を遮る。
「……手。離してほしいんだけど」
「手? ……うひゃぁっ!?」
どうやら無意識だったようだ。
キョトンとした後、両手で覆った俺の手を見て、可愛らしい悲鳴を上げた。
咄嗟に両手を上げて、はわわっと慌てふためき出す。
「し、失礼致しました。
その……あだ名で呼ばれるのは初めてで、とても嬉しかったもので」
「そうですか」
彼女に釣られて敬語になってしまう。しーちゃんほどではないが、こちらもテンパっているらしい。
「えっと」
お手上げポーズから、ゆるゆる両手を下ろし。
膝に手を添えたしーちゃんは、ギュッとスクールコートの裾を握る。
俯き、落ち着かない様子の彼女だったが、上目遣いになるとぽしょりと言う。
「これから、よろしくお願いしますね? ゆーくん」
恥ずかしさに身悶えながらも、しーちゃんは嬉しそうにはにかんだ。
■■
どういうわけか、学校一の才媛をしーちゃんと呼び、ゆーちゃんと呼ばれる仲になった日。
しーちゃんと並んでメダルゲームに興じていると、時刻は17時30分を過ぎていた。
親しみのなかった娯楽にすっかりのめり込んだのか、彼女は昼食を挟んでからも黙々とメダルゲームに興じている。
どうしてこうなったのかなぁ。
そんなしーちゃんを眺めながら改めて思っていると、彼女が「あ」と声を上げた。
腕輪のような、細いベルトの小さな腕時計を確認したしーちゃんは、並んで座っていた椅子から立ち上がる。
流石に帰るのかなぁ、と思っていると、
「そろそろ門限になりますので、お先に失礼させていただきます。
本日はありがとうございました」
背筋を真っ直ぐに伸ばした綺麗なお辞儀をして、手早く鞄を持って足早に帰っていった。
予想は正解。帰りはした。
だったのだけれど、えぇ……? となんとも言えない気持ちになる。
あれだけ『私は不良です』と胸を張って宣言していたのに、門限になったから帰るって。
今時、普通の学生だってその辺はなぁなぁだろう。しかも、時刻からいって門限は18時。小中学生かな?
なんていうか……ズレてるなぁ。
根が真面目すぎるのかもしれない。
優等生が不良になるのって難しいのか。なんて、とりとめのないことを考えながら、カシュンッとメダルを投入した。
学校一の才媛が不良と自称し、どうしてかサボり魔の俺に懐いてくる。 ななよ廻る@ダウナー系美少女2巻発売中! @nanayoMeguru
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