旅の始まり
俺は彼女――アルシナート・クレナ・フェルツと焚き火を囲んでいた。
脱走兵という話が真実であるかを判断する材料は無かったが、少なくとも俺の命の恩人である事は覆しようのない事実だった。御人好しだと呆れられるかも知れないが、本来であれば見捨てる事も出来た筈なのだ。結果として、俺は彼女が信用に値すると判断した。
「こちらの世界の食べ物は初めてです。
「ああ、鯖と呼ばれる魚の味噌煮だよ。味噌っていうのは、俺みたいな日本人の間で親しみ深い伝統的な食品で、大豆と呼ばれるものをいろいろ突っ込んで発酵したもの。で、そんな味噌を使って鯖を煮込んだ魚料理だ。まあ、缶詰だけど」
こんな世界になって、まさか異世界人と顔を突き合わせて食事をする事になるとは思いもしなかった。
目の前で美味しそうに鯖の味噌煮を頬張る彼女を見て、この世界と異世界人がそう変わらない事を実感した。
実際、いきなり侵攻して来た異世界人に何か思わない事もないのだが、彼女も只の軍人であり、疑問を抱いたとしても上からの命令には従う他なかったのだろう。
まあ、脱走に至る話を聞いた限り、その抱いていた疑問が疑念に変わった。それで今では軍から脱走して来ているのだから中々に肝が据わっているものである。
異世界人から見れば、この侵攻は勝ち戦でしかない。そんな状況下で疑念を抱き、脱走まで行う事に何一つもメリットがない。寧ろ、捕らえられた際のデメリットが大きく上回るだろう。
それでも彼女はその選択をした。
曰く、「自分自身にとって恥ずかしくない生き方をしたいから」と自らの意思に従った結果らしい。
その高潔な精神性を、俺は美しいと素直に思った。
「キ・ガルシュの侵攻がこのまま続けば、間違いなくこの世界は侵略されるでしょう」
鯖缶を食べ終えた彼女は一つ息を吐くと、そう話し始めた。
「此度のキ・ガルシュ軍による侵攻の目的は実に曖昧です。一応の大義名分は『キ・ガルシュが此方の世界による侵攻が受けたから』――要は目には目を歯には歯を、です。ですが、この世界で過ごしてきた中で、私はこの世界に『世界を超える技術は存在していない』と確信しましたが、どうでしょうか?」
俺は顎に手を当て、考える。
少なくとも一般的な話であれば、世界を超える技術は存在していないだろう。ただ、それはあくまで表に出ていないだけの話かも知れない。故に『絶対にありません』とは断言できない。
「俺はあくまで一般人だ。この世界の裏の話までは解らない。ただ、世間一般的なところの話をすれば、世界を超える技術は存在していない」
俺の言葉を聞き、彼女は頷いた。
「では過程として、その技術が存在しないとしましょう。ならば、キ・ガルシュは何を目的に侵攻を開始したのでしょうか?」
「それが解れば苦労しないんだが……まあ、素人考えで答えるなら資源の確保、或いは人的資源の確保――所謂、奴隷か」
「ええ、そういった側面も少なからずあるでしょう。ですが、キ・ガルシュは今の段階では資源不足は勿論、人材不足すら発生していません。魔法技術による社会構築が上手くいっている証拠でしょう。そう考えると、資源や人材の確保にリスクを負ってまで行う必要は皆無です」
「……そうなると、何が目的なのか……ねぇ……」
生粋のキ・ガルシュ人が解らない事を、俺が解る道理はない。
「私はその理由を知る為にも、この世界を巡るつもりです」
彼女は言う。
故郷である世界が始めたこの戦争に対する疑念を明確にする為に動くのだろう。
「……まあ、それを止めるつもりも、権利も俺にはないな。キ・ガルシュ人ならまだしも、この世界の人間に後れを取る事もないだろうし? 此処で一つお願いなんだけども――」
俺はそう言って一つの提案をする。
これまでは目的無く歩き回っていた放浪者でしかなかった。
だが、彼女との出会いによって、一つの明確な目的が生まれた。
その目的とは――キ・ガルシュの侵攻の理由を知る。
それぞれの行動には、何らかの理由が介在する。理由のない行動は存在しない。必ず何かがあるのだ。今回の戦争を引き起こすに値する何かが……。
そして、その何かはこの世界に存在している。
そんな謎を知ってしまった以上、知りたくなるのが人の性。
解けない問いを放置した時の気持ち悪さを抱えたまま、これから生きて行こうとも思わない。
謎は解き明かす為にあるのだ、と俺は考えている。
「その旅に俺も同行したい」
足手纏いという理由で断られたら仕方ない。その時は俺一人でも行動を起こすだけと考えていたが、それは杞憂だった。
「ええ、喜んで。私にはこの世界の知識がありませんので、願ったり叶ったりです」
「ありがとう。俺の事は気軽に純玲と呼んでくれ。敬称は必要ない」
「解りました。では、私の事はアルとお呼びください。親しい者からはそう呼ばれていますので」
俺は彼女――アルと固く握手を交わした。
真実を探す旅が始まる。
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