第四話  あたしは遊行女だから。

 翌年。壬子みずのえねの年。(772年)


 秋。


 三虎、二十二歳。莫津左売なづさめ、二十三歳。





「妻はもらわないのですか?」


 ある日、訊いてみた。

 もうこの歳なら、いつ妻をめとってもおかしくはない。


 ───莫津左売なづさめを妻に。


 と口にしてくれたら、どんなに嬉しいだろう。


(でもあたしは遊行女うかれめだ。夢は見れない。)


 そう思いつつも、訊いてみたい気持ちを抑えきれなくて。

 訊いてしまった。


 三虎は目をしばたたき、きょとん、とした顔でこちらを見た。


「考えてない。オレは妻は持たない。」

「まぁ……。」


 莫津左売はころころと笑ってみせ、


「困った石上部君いそのかみべのきみの若さまね。」


 ちょんと三虎の胸を指でつついて、


「では、気になるおみなはいないの? たった一人も?」


 と戯れを装って訊いてみた。

 三虎は首をかしげ、いつものムッとした顔で、


「気になるおみなではないが、紅珊瑚べにさんごが良く似合うおみなを大事にしている。

 大川さまの手が触れないように……。」


 とそこまで言って、


「こら、何を言わせる。この悪い口め。退治するぞ。」


 と悪い口は三虎の口によって退治されてしまった。




   *   *   *




 癸丑みずのとうしの年。(773年)


 年明け早々、三虎は奈良へ行ってしまった。

 十二月になり、やっと上野国かみつけのくにに帰ってきた。

 帰国して翌日、すぐに会いにきてくれた。


「奈良土産だ。細工が立派だから、つい買ってしまった。」


 と銀に白珠しらたまかんざしを渡してくれた。


「本当に綺麗。」


 莫津左売は簪を手にとり、ほうっとため息をつき、見とれた。


「ありがとうございます。大切にします。白珠が好きなのね? 三虎。」


 簪、耳飾り、首飾り、指輪……。いろいろ三虎から貰ってはいるが、白珠飾りのものがほとんどだ。


「ん、オレが好きというより、莫津左売に良く似合うから。」


 と三虎はちょっと笑った。

 

「莫津左売は白珠のようだ。白くて、光り方が柔らかくて、優しげだ。もちろん、綺麗だ。」

「ま……。奈良にいかれて、お上手になりましたこと。」


 三虎からそんなことを言われては、本気で胸が早鐘を打ってしまう。

 頬を赤く染めた莫津左売を三虎は優しく抱き寄せた。



 その夜。

 三虎は激しく肌をぶつけながら、


「オレは、奈良に行っても、どこへ行っても、他の誰とも、共寝してない、莫津左売!」


 快楽くわいらくたかぶりのなか精を放ち、


「……わかってるだろ?」


 耳元で、吐息混じりにささやくので、頭がくらくらとして、甘くけてしまいそうだった。




   *   *   *




 だがその四日後。来てくれた時はまた全然様子が違った。

 何かがあったのだろう。

 笑顔を浮かべてはくれるが、どこか性急で、莫津左売をその腕に抱きながらも、ふっとどこか遠くを見てる。

 顔がうわの空だ。

 三虎がさ寝の最中にそのようになることは、今までになかった。

 女の勘が働く。


(誰か、おみな……?

 四日前に来てくれた時は、全くそのようなことはなかったのに……?)


 莫津左売は、頭を痺れさせるような快楽くわいらくのなかで、甘い吐息を吐きつつ、体の上の三虎の頬に触れる。

 また、遠くを見ていたからだ。


「……?」


 三虎が動きを止め、なんだ、というように莫津左売を見下ろした。

 莫津左売は控えめに、勘気かんきに触れないよう、


「何か心配ごとでも……?」


 と穏やかに訊いてみた。

 三虎は目を見開き、苦笑し、莫津左売の手を握りしめ、こちらの目を覗きこんだ。

 目は笑っていないが、口元に苦笑の名残りが甘い笑みとなって残っている。


「なんでもない。」

「み、あ……。」


 三虎がぐいと莫津左売の足を上にあげ、口づけをはじめたものだから、新しいの波がやってきて、莫津左売は身悶えする。

 そのまま、三虎と、の渦に飲まれる。




    *   *   *




 それから五日ほどして、上毛野君かみつけののきみの屋敷が賊に襲われるという驚くような事件が起きた。

 沢山の衛士えじが傷つき、懇意こんいにしてくれている花麻呂はなまろも深手を負ったという。

 心配だ。

 遊浮島うかれうきしまもその話題で持ち切りになった。

 すぐに賊を追い打ち、宝物も全て取り戻すことができたそうなので、さすが上毛野衛士団かみつけののえじだん、盗みに入るとは馬鹿な賊、と人々は口にした。


 そして三虎は……。

 大川さまをかばって、右肩に大怪我をしたそうだ。

 まだ寝床にいて、大川さまの従者の務めからは離れているが、命に別状はない、と遊浮島うかれうきしまに遊びに来た荒弓が教えてくれた。

 それでも、心配でたまらない。

 遊行女うかれめは、宴の時以外、この遊浮島の囲われた敷地から出ることはできない。

 見舞いに行き、無事な顔をたしかめることすらできない。



 遊行女うかれめとして生きるしかない身の上に、三虎の顔見たさに、一人泣いた。



 遊浮島うかれうきしまに、傷が癒えた衛士えじがちらほらと顔を出しはじめた頃、


「オレは早く衛士の務めに戻りてェェェ!」


 と遊行女うかれめ相手に浄酒きよさけを呑み、なんだか必死な声をあげている薩人さつひとをつかまえ、


「これを三虎に、お願い……。」


 と梅の枝の便りを託した。

 木簡もっかんはつけない。


(あたしと三虎の間に和歌のやりとりはいらない。)


 まだ花をつけぬ梅の枝に、白い布をクルクルと丸め、白糸で縫い、白梅をあしらった。

 薄紅と白の紐も結んだ。


(あたしの想い。

 これで三虎は分かってくれるはず。

 あたしのことを、白珠のようだ、白くて光り方が柔らかくて、優しげだ、と言ってくれた三虎ならば……。)



 はたして、三虎はその夜、すぐに来てくれた。

 浮刀自うきとじに、今夜は部屋にいるように、と言われ、広間に顔を出さず、そわそわと部屋で待つと、シャララ、と鈴が鳴らされ、三虎と浮刀自が入ってきた。


「三虎!」


 莫津左売は三虎に駆け寄り、身体を案じ、そっと身を三虎に擦り寄せた。


「莫津佐売……。心配をかけたな。」


 と三虎は優しく左手で莫津左売を抱き寄せてくれた。

 さっと浮刀自が口を挟む。


石上部君いそのかみべのきみの若さま。まだ宵の口、夕餉はお部屋に運ばせますよ。それで、ほら……。」


 浮刀自がニコニコ顔で両手を三虎に差し出す。


「ああ、これで良いか。」


 と三虎が左手を莫津左売から離し、懐から小さな白い紗の袋をだした。

 それを浮刀自に渡す。

 いそいそと受け取った浮刀自は、紗の袋から中身を早速取り出す。

 手の平にころんと出てきたのは、小さな丸い琥珀。

 雀色で、薄く透け、艶のある光を放っている。


「ワッホ───!」


 あまりの高価さに浮刀自がニンマリした顔で叫び、


「ええ、良いですよ、食事はすぐに運ばせますからね。どうぞごゆっくり、ホッホッホ……。」


 と部屋を出ていった。シャララ、鈴が鳴る。

 三虎はもう、遊浮島うかれうきしまに入るために、木綿一たんは支払っているはずだ。

 莫津左売の部屋で夕餉をとるためだけの、別料金。それにしては、ポンポン高価なものを支払いすぎだ……。

 思わず、そこまで払わなくても良いんですよ、と言いたくなり、


「三虎……。」


 と声が出てしまう。


「ん?」


 と三虎がまばたきし、ついで、ニヤリとする。


「惜しかったか? 心配ない。莫津左売の分もある。」


 とまた懐から白い紗の袋をだし、莫津左売に渡した。

 中身を取り出すと、先程より大ぶりな、立派な琥珀がでてきた。


「まあ……!」


 莫津左売は驚く。


「ハダカ石だからな。そのまま身を飾れないから、好きな衣に変えるなりなんなり、好きに使うと良い。」


 気が利きすぎだ。


(こんなに想われて、あたしは何としよう……。)


 琥珀を握りしめ、


「ありがとうございます。」


 と三虎の胸にしなだれかかる。

 

「梅の枝の便り、嬉しかった。

 だがもう、あんなことをする必要はない。

 ちゃんと身体が回復してから、奈良に行く前に逢いに来るつもりだった。」

「はい。」


(嬉しい。)


 三虎に顎をとられ、優しい口づけをうけ、うっとりと顔を離すと、


「オレ、ここでは優しくできるのになぁ。」


 と三虎がため息をついた。


難隠人ななひとさまに、顔も態度も怖い、って言われちまったんだよ。自覚はある。どうせオレは怖い。

 ちょっと怖くないよう頑張ってみたんだが、ダメだった。もう全然ダメ。」


 と三虎は不服そうに言い、ふっと笑い、ついばむように口づけをし、至近距離からこちらを見つめ、いたずらっぽく笑った。


「オレの顔は怖いか、莫津左売。」


 そうささやくので、もうその言葉で、その顔で、快く身体が痺れるように感じながら、


「怖くありません。」


 と莫津左売はにっこり笑って言った。


 その後、今日は満足させられないかも、と心配そうに呟く三虎に、


「そんなことは良いんですよ。

 こうして顔が見れて、肌が重ねられれるだけで、あたしは幸せ……。

 今宵ぐらいは、あたしに任せて下さい。

 身体を労って。寝てるだけで良いのよ……。」


 と莫津左売は熱く囁く。


(あたしは遊行女うかれめだから。

 たまには、良いでしょう……?)




 そして、安心した。

 前回のさ寝のように、どこか上の空、ということは三虎になかった。




    *   *   *




 乙卯きのとうの年。(775年)

 十一月。


 遣唐使船に乗る、という話を、本人から聴いた。


「これは本当に死ぬかもな。達者でな。」


 といつものムスッとした顔で言うので、本当に憎らしくなって、下腹を思いきりつねりあげてやった。

 流石に三虎は顔をしかめた。


 莫津左売は熱く、熱く、自分の持てる術全てを使い、熱く柔らかく押し包み、足を使い身をひねり、奥でぐいとひねり上げてやったので、


「うぐっ……、はぁ。」


 と三虎はぞくぞくするような声を出した。

 三虎もいつもより強く肌を打ちつけてきた。

 他の誰にも見せない不安を吐き出すように。

 莫津左売は身体の奥底から震え、白い光を頭の中に散らせながら、


「三虎、帰ってきて。」


 と言った。


(あたしの何を、あげても良いから……。)


 とは口には出せず、願いながら。

 涙が枯れず、頬をらし続けた。


 











 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093072803461640

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