第三話 満ち行けど
三虎が二回目に来てくれたのは、翌年、
ちょうど恐ろしい
「
自分の部屋の拭き掃除をしていると、意外な時間に
勿論、こんな時間は客を通す時間ではない。
だが、浮刀自がホクホク笑っていたので、相当、三虎は支払ったのだろう。
着飾るべきかしら?
今は
でも、待たせても悪いし、こんな時間に来たのだ、きっと、着飾った姿を期待してるわけじゃない、きっと、幻滅まではしないはずだ……。多分。
そう、少し緊張しながら中庭に急ぐと、なぜか埃だらけの、胡桃色の衣の三虎が、凛と立っていた。
また会えて、本当に嬉しい。
でも、どうしたのだろう?
不思議に思いつつ、
「三虎!」
と声をかけ、心からの微笑みを三虎にむける。
冬の陽の光に照らされて、三虎は朝から少し疲れてるように見えた。
無表情に、
「あまり時間がない。」
と言い、薄い紗に包まれた小さな小包を取り出した。
「これは一人分しかない。人に見られないようにしろ。何かおかしいと思ったら、すぐに煎じて飲め。
もったいないと思うんじゃないぞ。じゃあな。たたら
と高価で貴重な薬草を渡してくれて、すぐ背をむけた。
「あっ、ありがとうございます。たたら濃き日をや……。」
三虎は、ぴっ、と腕をあげたが、すごい速さで中庭を出て行ってしまった。
一陣の風……。
莫津左売は、ぽかんと口を開けて見送った。
* * *
あとから、
心から心配してくれたんだ……。
結局、薬草は飲まずに済んだけど、心から三虎に感謝した。
薬草がある。どんなに安心し、ありがたかったことか……。
あの金塊と薬草は、あたしのお守りのようになった。
本当に飢えたら使おう、と思っていたけど、不思議と三虎とさ寝してから、七日も夕餉抜き、ということはなくなった。
「あんた顔つきが変わったよ。」
と浮刀自に言われた。
三虎は
そして、それ以上、通う回数を増やそうとはしなかった。
* * *
三虎と会って六年後、
三虎は二十一歳となり、あたしは二十二歳になった。
三虎は少年の細さを脱ぎ捨て、惚れ惚れするような大人の
いつも大川さまの話。
心から心酔している、美しすぎる
でもほんの時々、
「
と文句を言う。
こんなに素敵なのに、自分のことをそう言うのがおかしくて、可愛らしかった。
「三虎だって、充分素敵ですよ。」
膝枕の三虎に言ってあげると、三虎はいつも、
「ふん。」
とだけ言うが、必ず口元が満足そうにちょっとだけ緩むのを、莫津左売は知っている。
時々、家族の話。
仲の良い姉と兄。立派な父と
本当に仲の良いご家族。
もちろん、約束を守って、一切口外はしない。
この関係を失いたくないから……。
* * *
その年の六月。
雨の日に三虎がやってきて、
「七夕の宴、おまえの花舞台にしてやる。」
と莫津左売の部屋で鼻息荒く言った。
莫津左売はぽかんと口を開けた。
三虎は珍しく興奮している。頬が紅潮している。
「おまえ、いつか一人で唄ってみたいって言ってたろ。叶えてやる。」
と得意げに言い、こちらの顔を覗き込んで首をかしげた。
まるで、
「ふふ……。」
莫津左売の口から笑みがこぼれる。
独唱は、七夕の宴に限らず、国司さまを招く大規模な宴で絶対に失敗はできないので、力量と経験のある
莫津左売は、群舞は何度も経験があるが、独唱はない。
……そんなに、一人で唄ってみたいって、あたし言ったかしら?
一、二度くらいだと思うんだけど……。
覚えててくれたのね……。
「なんだ、嬉しくないのか。」
三虎が眉間のシワを深くして、拗ねた顔をする。
やだ、ますます可愛い。
「嬉しい、とっても嬉しいですよ。でも、あたしに務まるかしら……?」
笑顔を浮かべつつ、困って三虎を見ると、三虎の顔が近づいてきた。
唇を重ねる。
顔を離した三虎は莫津左売を見つめ、
「大丈夫さ。莫津左売の声は綺麗だ。
皆聞き惚れる。」
そう言って、口元だけで笑ってくれた。
「嬉しい。あたし、頑張ります。何を唄おうかしら……。」
と三虎の胸に頬を寄せる。
三虎が大きくため息をついた。
「そのことなんだが、論語だ。」
「は?」
あまりにお堅すぎる。莫津左売は目を丸くして三虎を見上げた。
「オレも舞台で莫津左売と一緒に唄わされることになった。
大川さまの陰謀だ。オレは断りきれなかった……!」
と三虎は苦々しげに言い、肩を落とした。
「は……。」
そんなことが。腹からプツプツと笑いが込み上げてくるが、おさえる。
大川さまの話題は、三虎の龍のひげ。軽はずみに笑ってはいけない。
口を閉じ、まじまじと三虎を見てると、
「練習が必要だ。二人で息をあわせないと。
しばらく通う回数を増やす。」
と真面目に三虎が言った。
莫津左売は心から笑う。
花がこぼれるような微笑み。
宴で独唱はすごく嬉しい。
でも、三虎が通う回数を増やしてくれることが、一番嬉しい。
* * *
十日経ち。
今日は、三虎に、独唱用に、と、薄紅の衣を贈ってもらった。
それに合う、
大ぶりな
なんて輝かしいのだろう。
さっそく莫津左売の部屋で身につけて、さまになってきた独唱の舞を、三虎に見てもらう。
玉蔓 や 玉蔓
かささぎ橋の ただ一夜のみ
(美しく豊かに
絶えることなく、心は結ばれているのに、
さ寝は、天の川にかかるかささぎ橋を渡り、
一年にたった一夜。
一年に、たった一夜のみ。)
三虎は満足そうに頷いてくれた。
良かった。
でもその後に、
「うーむ。」
と何か考えこんでしまった。
「なにか……?」
とちょっと不安になりつつ訊くと、
「おまえの舞と唄は完璧さ、莫津左売。でもこの後に論語……。やっぱ映えないよなぁ?」
と三虎はウンウン唸っている。
そんな悩んでる顔は、見たことがない。なんだか可愛い。
莫津左売はにっこり微笑みつつ、
「では、何か受けの良いものをなさればよろしいのです。」
と提案をしてみた。
「む……?」
と三虎は目を見開き、
「受け……?」
とまだ悩んでいるので、莫津左売はちょっと苦笑しつつ、
「あまり思い悩まないほうが、かえって良いものが思いつくのでは? 得意なものをなされば良いのです。」
とさらに言う。
「得意……、は、弓だが……。」
と三虎が神妙な顔で言うので、
「ではそれで決まりですわ! あたし、三虎の弓、とっても見たい!」
と朗らかに莫津左売は言った。
「あ……、う……、むぅ……。」
三虎はさらに見たことのない顔をした。
* * *
翌日。なんと三虎が
「弓の練習は、陽があるうちじゃないと無理だ。莫津左売。上手く上に放ってくれ。」
とたんたんと三虎は言う。
また、あたしは普段に着る縹色の衣だが、三虎は、全く表情を変えない。
化粧もなく、着飾ってもない。
そんなあたしでも、表情を変えないで見てくれる……。
三虎の納得のいくまで、
「きゃあ、若さま。三虎。きゃあ……。」
と囃し立てるので、三虎は時々額に青すじをたてて弓に集中しようとした。
どういう感情なのか?
伺い知ることはできない……。
陽が沈む前に三虎は帰ろうとしたが、浮刀自がにっこり笑って三虎の前に立ちふさがった。
「まあ。どちらへ?」
「帰る。別に莫津左売の努めを邪魔しに来たわけではない。」
「いけません。帰しません。
「相手もなにも……。オレは弓の練習をしにきただけで……。」
あきらかに三虎が怯んで、ごにょごにょ言ってのけぞった。
「いけません。もう若さまは莫津左売に会ったのですよ。」
ぐいっと浮刀自がつめよった。
「ぐ、ぐ……。」
三虎は唸って、
「……面倒だ! どうせ論語ももっと練習が必要だと思ってたところだ、チクショオ!
木綿三
大きく吠えた。
浮刀自は大金にニンマリとし、聞こえていた
周りがわいわいうるさいなかで三虎は莫津左売を振り返り、
「迷惑か。」
とすこし顔をゆがめて訊いた。
「そんなこと、あるわけありません。あたし、嬉しい……。絶対、後悔させません。」
潤んだ目で、三虎を見つめる。
三虎は、額をぽりぽりとかき、
「あ……、オレは練習をだな……。ああ、まあ、そうだな。」
三虎はふっと息を吐き、
「昨日からだから、四日続けか。世話になる。オレも務めがあるから、今日はこのまま帰る。だが、寝る時はここに来る。……そうだな。夕餉の時間は厳しい。浮刀自に、部屋で一人分運んでもらえ。」
と頬をすこし紅潮させて言った。
「はい。」
輝くような微笑みで、莫津左売は三虎を見る。
その顔を見て、ふっと三虎も口元が笑った。
「では、行く。また夜、来る。」
そう言って、三虎は帰っていった。
三虎。
あたしが、三虎の夜を独占できて、どれくらい嬉しいか、わかる?
どれくらい、あなたの顔を見れて、幸せを感じているか、知ってる?
この務めは、泥水を美味しそうに飲み腐肉を腹いっぱい食べなくてはならない
あなたは、毎夜通ってきてくれることはない。
今宵。この四日間。
あたしは、幸せで、このまま時が止まってしまえば良いのに、と……。
心の底から、思ったわ。
三虎……。
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093072803197512
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