第二話 名家の若さま、三虎。
若い
(ああ、どうりで……。
さきほど一番初めに抜けた、人好きのする笑顔の男、
(ああ
さっきから、口のなかが唾の洪水だ。
(でも、がっついたら、はしたないと思われるわよね……。)
広間の中央では、選ばれなかった六人の
浮かれ 浮かれや
手をとり 遊べや
(浮かれましょう、
遊びましょう、
梅はえくぼを開くように可愛らしく咲き、
美しい
この風景にたいして、その胸のうちを、
開きなさい、その胸のうちを。
浮かれましょう、雲にのるような楽しみよ。
手をとって遊びましょう、
この
唄い終えると、
遊行女たちはお礼を言い、広間から去っていく。
(今日はあの中に混じって、広間を去るはめにならなくて、本当に良かった……。)
ぞっと背筋が冷えるのを感じながら、
広場の中央では、二人の
しかし、広間には男女の話し声のほうが満ちる。
たくさんの食べ物の匂いと、
三虎と荒弓は話し込みはじめる。
「ねえ、奈良にも良い
荒弓は隣に座った馴染みの
* * *
「それ訊くかい。」
三虎はゆっくり
舌を刺す心地よい辛さと、どろりとした米の甘さをゆっくり味わいながら、思う。
───
───そして深く傷ついて、地面につっぷして獣のように泣いたから。
───大川さまのことがわからない。
それは三虎にとって大問題だった。
(だからオレもさ寝してみる。)
「やっぱり
それだけ荒弓に言い、ふと自分の横の
あまり箸が進んでないようだった。
「食べないのか?」
「はっ、いえ、あの……。」
荒弓が、めっ、という顔をして、
「三虎ぁ──。
とくに今日初めての相手じゃないですか。優しくしてあげましょうよ。
オレみたいな馴染みになれば、遠慮なんてないですけどね。痛。」
またつねられて、
「そこが良いんじゃないかぁ──。オレはおまえだけだよ……。」
とか荒弓は隣の
(ふむ。面倒だな。)
「すまない、うとくて……。もっとお食べ。何が好き? 今日のおすすめは?」
なるべく優しい声音を出すように努めてみるが、顔の表情はあまり、いやほとんど動かない。
(限界。オレにはこれ以上無理。)
* * *
三虎はほとんど表情をかえず言うので、まだちょっと怖い。
でも、良い人のようだ……。
そう思いつつ、莫津左売はあらかじめ決まってる言葉を口にした。
「山菜ときのこの
「じゃあそれ全部。足りるよな? 荒弓?」
「ばっちりです。
もっとじゃんじゃん頼みましょう。」
「頼む。」
広間に満ちる人の喋り声の合間、途切れ途切れに聞こえる琵琶の音を聞きつつ、久しぶりに腹が満足するまで食事がとれ、心底ホッとした。
あまり莫津左売は二人の会話に入ることができなかったが、三虎が気を悪くしてる様子はなかったので、またホッとした。
三虎は明後日には奈良に発つようで、引き連れてきた
皆、目の下にくまがある。
「三虎、大人になれよ……。」
「三虎、うっかり失敗するんじゃないぞ。」
「三虎、おまえ顔怖いから、怖がらせないようにな。」
「おまえら、うるさい! なら呑ませすぎんな!」
三虎が怒鳴り、皆が笑う。
* * *
三虎は気がついた。
夕餉の土師器の皿が
隣に座る莫津左売が、優しげな微笑で三虎を見て、
「ご案内します。」
と頷いた。
「……。」
三虎も頷いたが、わかった、と言おうとした言葉がなぜか喉でからまって、上手く出てこなかった。
かわりに、ゴクリ、と唾を呑んでしまう。
(……くそ。)
なぜか恥ずかしく、やや乱暴に倚子を立つ。
荒弓が満面の笑みでウンウンと頷く。
「三虎───っ!」
「頑張れよ───っ!」
大勢が三虎に野太い声をかける。
ひときわ大きい声を出し、離れた机でブンブン手を振ったのは、
(余計なことだ!)
と睨みつけてやったが、怒鳴りつける気にはならなくて、ムスッとした顔で、莫津左売のあとについて広間を出る。
時々、
あれは
それとも、選ばれなかった女の
「ここです。」
そして引き戸の下に置いてある木箱から、五つの鈴の連なりを取り出し、引き戸の
「どうぞ。」
莫津左売は三虎を室内へいざない、シャララ、と鈴を鳴らしながら引き戸を閉めた。
(これが
と、三虎は思った。
部屋の中央には、床に直接敷かれた薄い布団があり、部屋の隅の
それ以外、物のない部屋。
それが三虎の印象だった。
部屋に二人きりになった。
「うぅ、くそ、呑ませすぎなんだよ……。昨日はほとんど寝てないんだぞ、クソ……。」
三虎は頭をガンガン叩き、一人で布団にごろりと横になった。
* * *
莫津左売はくすりと笑い、柔らかく三虎の隣に寝そべる。
「ではなぜ、今日なんです?」
「今日でないといけない、オレにとっては……。」
莫津左売はそっと三虎の胸に触れようとしたが、その手をパッと三虎がとった。
ぐいと手を莫津左売のほうに押し戻し、すっと立ち上がった。
厳しく、莫津左売を見下ろす。
「まず言っておくことがある。
オレがここでする話は一切口外するな。オレは自分の噂話をされるのがキライだ。
オレは明後日奈良に発つが、部下は沢山いる。もしおまえの口が軽いのなら……。」
三虎が片膝をつき、
「命で
顔を近づけて真顔で言われた。
(目が怖い。本気だ。)
莫津左売は口をぽかんと開け、ガタガタ震え始めた。
「それが守れぬようなら、今すぐ立ち去れ。」
莫津左売は手を胸の前で握りしめた。
(怖い。
でも逃げたくない。
他の
こんなに素敵な若者なんですもの……。)
「あたし、口は堅いです。一切、口外しません。」
莫津左売は、ごくんと唾を呑み込みながら言った。
「良し。」
三虎の顔から険しさがとれた。
「では、どうすれば良いか、いろいろと教えてくれ。
まあもう、薄々分かってるだろうけど、……初めてなんで。お願い……。」
三虎が頬を赤くして、口元が笑みの形になった。
莫津左売は微笑んだ。
作り笑いではなく、ちゃんと心から笑えた。
「もちろんですわ。」
* * *
───どうしてあたしを選んでくれたの?
───声が鈴みたいに綺麗だったから。
───声……。
───声は大事だよ。いつも野郎の野太い声ばっか聞いてるから。
───ふふ……。
───これで良い?
───いいわ。
* * *
果てた後、三虎は莫津左売にむかって左手を差し出してきた。
「……噛む?」
「え……? 噛みません。」
莫津左売は戸惑う。
「そう?」
三虎は手をひっこめた。
「怒ったら……、噛むの?」
犬ではない。莫津左売はくすりと笑いつつ、教えられた作法を思い出す。
「怒ったら、つねります。痛いけど、あとが残らないので。」
「どういう時、噛むの?」
三虎は無表情で首をかしげるので、質問を投げかけられても、なんだか印象がチグハグだ。
どれくらい知りたがっているのか、顔からはつかめない。
「そうねぇ……。」
莫津左売は背の高い三虎に
「あたしだったら……。まず、素晴らしいさ寝があってから、本当に良い人に、自分の跡を残したい時、かしら……?」
そう言うと、三虎がじっと莫津左売の顔を見下ろした。
「そう。わかった。ありがとう。
いつ
そして……、時々来るよ、莫津左売。」
そう言って、目を細めて、破顔した。
驚くほど優しい、今日会って初めて見た、満面の笑みだった。
(こんなの……、ずるい……。)
早鐘を打つ。
とっとっとっ……。
早鐘を止めることができない。
莫津左売は三虎の右手をとり、自分の左胸に押しつけた。
「きっと……。きっとですよ。」
(あたしは口下手だ。上手に言えない。
でも、あたしの胸が早鐘を打ってること、分かって……。)
「し……、信じて、待ってますからね……。」
三虎はちょっと目を見開いて、うん、と頷いた。
左手で自分の懐を探り、小さな若草色の麻袋を取り出した。
「あげる。」
莫津左売は三虎の右手を開放し、麻袋を受け取った。
「なあに?」
中からころんと出てきたのは、小指の爪ほどの金塊だった。
(!)
驚きすぎて声が出ない。
この一粒で、今宵九人分の支払いを二回はできる。
この一粒を
「うっ……。」
莫津左売は泣いた。
命を助けられた。生きていける。
「ええと……。」
三虎はたじろいでいる。
「ありがとう……。」
莫津左売は熱くお礼を言いながら三虎の胸にしなだれかかった。
「おイヤじゃなければ、もう一度さ寝して……。」
自分からこんな事を言うのは初めてだった。
涙を流しながら、三虎の唇を求める。
* * *
目を潤ませ、うっとりした顔の莫津左売に見送られて、三虎は
八人の
「ワ──ホ──イ!」
「やりましたねっ。」
「あれは恋した顔ですよ!」
と盛り上がる。
「やめろ、うるさいっ!」
と三虎が怒鳴り、拳を振り回す。その左手の小指には、
帰り道、歓談をする仲間をよそに、無言だった三虎が、自分の左手をしげしげと見つめながら、
「
と
「なんです?」
と荒弓。
「……いや、なんでもない。荒弓、ありがとうな。心付け、良く効いた。」
「そうでしょうとも。」
上機嫌で荒弓が答える。
…………
たしかに心をかき乱す。
少し、わかった気がする。
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