三虎、吾が夫 〜遊行女の恋〜

加須 千花

第一話  莫津左売は十六歳。

 うちさす  宮道みやみちを人は


 満ちけど  我が思う君は


 ただ一人のみ





 打日刺うちひさす  宮道人みやみちをひとは

 雖満行みちゆけど  吾念公わがおもうきみは

 正一人ただひとりのみ





 日の光輝く、宮に通う道。 

 この道を数多あまたの人が通り過ぎるけれど、あたしが想いを寄せるのはたった一人、ただ一人のみなのです。





       万葉集  作者不詳






     *   *   *





 奈良時代、上野国かみつけのくに

 乙巳きのとみの年。(765年) 



 十二月の冷気を含んだ風が、ざっ、と吹き、上毛野君かみつけののきみの屋敷に生えるの枝を揺らす。

 石畳の道を、すらりと背が高く、後頭部でもとどりを結い、檜皮ひわだ色の衣を来た年若いおのこ───三虎みとらが、早足で歩いている。


 三虎、十五歳。


 腫れぼったい目。

 むすっと不機嫌そうな口元。

 ふだん、顔の表情があまり動かず、無愛想な印象の若者である。


 石畳の道の先を歩く、濃藍こきあい衣を着た、がっしりとした体つきのおのこに、


荒弓あらゆみ。」


 と声をかけた。


「なんです?」


 荒弓と呼ばれたおのこは、振り返る。三十六歳。えらのはった顔で、人の良さが、くりくりとした目に表れている。


「おまえ、遊行女うかれめ、詳しいだろ。

 相場を教えろ。」


 荒弓は目をぎん、と輝かせ、


「おおおお、三虎……。」


 と感動のあまり口ごもった。


すず鳴らしですか?」


 いつも無表情でいる三虎だが、この時は、腫れぼったい目を、かっと見開き、


「……鳴らす!」


 高らかに宣言をした。


「とうとう、とうとうですか。」


 荒弓は心底嬉しそうに相好そうごうを崩し、


「鎌なら十本。麻布なら一端いったん。稲なら五百束が、最低限です。

 おみなを所望でしたら、もっとですな。

 遊浮島うかれうきしま遊行女うかれめのいる住まいと、酒の出る飲食店の総称)についたらまず、先払いです。

 その後、酒一ますと酒肴が三品出ます。

 それ以上呑みたかったら、追加のお代がいります。

 その後、別建ての部屋に移って……。むふふ……。

 ああ、お気に入りの良いおみなができたら、のあとに、心付けをあげると良いですよ。

 先払いの品は、全て浮刀自うきとじ遊浮島うかれうきしまの女将)の懐に行くので。喜ばれます。」


 一気に喋った。

 三虎は呆れ顔になった。


「おまえ、本当、詳しいな……。なんでの後なんだ?」


 荒弓は、


 ───気をつけなきゃ、めっ!


 と叱るような顔になった。


「そりゃあ、先にあげると、の後にも、もっとくれ、とせびられるからです。……巻き上げられますよ。」


 三虎は無表情のまま頷き、


「わかった、もう良い。助かった。」


 とくるりと背を向け去ろうとした。

 荒弓はガッと腕を掴む。笑顔で逃さない。


「一人ですか? まさかそんな事ないですよね? 明後日奈良に行ってしまうのに。

 我らが三虎の初めての掛け鈴ならしの日、大勢で祝わせて下さい。」

「何が我らが三虎だ!」


 三虎は憤慨したように叫ぶが、


「寂しいよ───お。浄酒きよさけ呑みましょうよぉぉ。美女の注ぐ酒ぇ〜。」


 と荒弓はぎんぎんの笑顔でせまる。

 はぁぁ、と三虎はため息をつく。


(……たしかに昨日は、徹夜で無理な仕事をさせたな。ねぎらってやるか。)


 豪族の生まれの三虎は、上毛野君かみつけののきみの屋敷を警護する、衛士えじ、四つの団のうちの一つ、卯団うのだんちょうだ。

 荒弓は、その下、卯団を実質取り仕切る、大志たいし(リーダー)であった。


「木綿十たん! オレの分も含めて。

 それ以上は出さん。

 その範囲で遊べる人数を選んでこい。相撲でもとれ。」

「やったー!」


 荒弓は万歳し、衛士舎のほうに駆けていった。

 




   *   *   *


 


 雪が降っている。

 

「まあ、まあ、まあ、上毛野君大川かみつけののきみのおおかわさまの従者さま!   

 石上部君いそのかみべのきみの若さま! 

 なんて立派でいらっしゃるんでしょうねぇ、さあ、中へどうぞ!」


 歳は五十はいってるだろうおみなが、あたしが浮刀自うきとじです、と名乗った。

 木綿十たんは効果抜群だったようだ。


 あの後、衛士舎えじしゃでは雪の日なのに血煙が舞うほどの相撲がとられたという……。


 荒弓はじめ厳選された益荒男ますらお八人を引き連れて、いぬ二つの刻(夜7:30)、総勢九人のおのこが雪を肩から払い、遊浮島うかれうきしまの広めの室内に入って行った。


「さあ、さあ、今日は特別、好きなおみなを選んで良いんですよぉ。」


 と浮刀自うきとじが上機嫌に言うので、普段はこちらで選べないのかもしれなかった。


(持ってきたお代次第、ということか……。)


 広間の壁際に、十五人の女がいっせいにズラリと並ぶ。

 皆色とりどりの衣をまとい、思い思いの髪形を結い上げている。


(歳は十五歳くらいから、上は三十歳くらいだろうか。良くわからない……。)


 それだけの女がいっせいに並んでいると、豪華絢爛でまばゆかった。


「さ、さ、若さまからお選び下さいね。」


 と浮刀自うきとじが言うが、ポン、と肩を荒弓に叩かれた。

 振り返ると、笑顔で、


「馴染みの吾妹子あぎもこ。」


 と一人を指差す。

 うん、と頷くと、荒弓は壁に並んだおみなの一人の手をとり、いち早く酒肴の用意された机に二人で向かった。


「さあ!」


 と浮刀自が手を一つ打つ。

 十四人のおみなが、妖艶な笑みを浮かべ、いっせいに三虎を見る。


(うっ……!)


 にわかに三虎はたじろいだ。




    *   *   *




 莫津左売なづさめは頑張って笑顔を浮かべていたが、さっきから右頬が引きつりそうだ。薄撫子うすなでしこ色の衣の袖を、密かにぎゅっと握りしめる。

 

(いけない。頑張らなきゃ……。今日こそは客に選ばれないと。)


 莫津左売なづさめは十六歳。

 私出挙しすいこ種籾たねもみの高利貸し)が返せず、百姓ひゃくせいから下人げにんに落ち、浮刀自うきとじに買われてまだあまり間がない。


 遊行女うかれめは、農作業に時間をとられることはないが、覚えることは山のようにあった。

 求められる教養は簡単なものではなく、手練れの遊行女うかれめ国司こくしさまとも会話の弾む教養が求められた。


 加えて、客に選ばれなかったおみなは、昼餉ひるげは食べれるが、夕餉ゆうげは食べれない。

 客の残り物をつまんだりするが、それとて給仕役におみな達のほうが先にかっさらってしまう。

 そしてそれが七日続けば、昼餉も食べれない。

 救済策はある。

 遊行女うかれめが自分の物を浮刀自うきとじに納めれば、その品物に応じて、昼餉も夕餉も食べれた。

 渡す品物がある遊行女ならば……。


 机に置かれた酒肴の、鹿の燻し肉と、栗おこわ、川藻草かわものくさの酢のものの匂いが、ここまで漂ってきて、お腹が鳴ってしまいそうだった。


(ダメよ、鳴らしちゃ。頑張れ、頑張れ……。)


 莫津左売なづさめは、地味な見た目だった。

 会話を弾ませるおみなが重宝される世界において、口下手だった。

 もう昼餉だけの日が七日続いていた。

 明日のことを考えると恐ろしい。


(お願い、選んで、誰でもいい、お願い……。)


 一人の体格の良い、人のよさそうな笑顔のおのこがすすみでて、一人の遊行女うかれめを選んで、手をとった。

 浮刀自うきとじが手を打ち、先頭に立つ、檜皮ひわだ色の衣のおのこを見る。

 あの若いおのこからおみなを選ぶようだ。


(いいなぁ……。)


 すらりとして背が高い。


(あたしと同じくらいの年齢かしら。)


 腫れぼったい目、ちょっと神経質そうな眉、表情が硬い。

 きっと武芸の腕も立つのだろう。居住まいが凛々しい。

 遊行女うかれめ達にいっせいに見つめられ、たじろぎ、生唾を飲みこんでいるのが分かった。

 初々しい。

 女達の秋波しゅうはが、いっそう粘着質なものとなる。



 突如、若いおのこが声をあげた。

 

孟武伯もうぶはく問ふ。子路しろじんなるかと。」


(あっ、わかる!)


子曰いしわく、知らざるなりと!」


 言えた。

 いっせいに皆が静まり返り、莫津左売なづさめを見る。

 若いおのこもこちらを見るが、そこで。


 ぐぅ────。


 莫津左売なづさめのお腹が盛大に鳴ってしまった。良く響いた。

 おみな達が皆けらけら笑いだす。


 ぷっ、あはははは……。


(恥ずかしい! 立っていられない。)


 莫津左売はしゃがみこんだ。もう笑顔も作っていられない。


(泣きそう……。)


 うつむき、目をつむり、耳を塞ぐ。

 その手を、誰かにとられた。

 ハッとして見上げると、檜皮ひわだ色が見えた。

 若いおのこがすぐ側に立っていて、莫津左売の左手をとっている。

 笑ってない。

 

「お腹減ってるの? おいで、食べよう。」


 そのおのこは莫津左売を優しく立たせてくれた。

 力が強い。

 お腹をすかせ続けていた莫津左売は、立った時、ふらついてしまった。


「あっ……。」


 おのこの胸に倒れ込むように支えられた。頬が触れた檜皮ひわだ色の衣は、驚くほど上質で柔らかい。


「おっと。」


 男の背は薄いのに、びくともしない。

 嗅いだことのない、甘く奥深く幽遠な香木の匂いが、ふっ、と香った。

 莫津左売は真っ赤になる。

 まわりのおみなが、ンマー、と声をあげ、


「わざとらしい……。」


 とヒソヒソ言うのが聞こえ、身が震えた。

 若い男は、莫津左売の左手をとり、莫津左売を胸に抱いたまま、大丈夫というように、ぽんぽん、と軽く莫津左売の背中を叩き、首だけで男達のほうを向き、頷いた。


「わぁい。」


 と男達がいっせいに遊行女うかれめのもとへ向かい、


「オレオレ、どぉ───?」


 と話しかけはじめる。


 











 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093072803020198

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