第36話

 拓磨は、リビングのソファから立ち上がった瞬間に消えたらしい。連絡はしておいたが、じっとしていられなかったらしい新田は私達の到着を家の前で待っていた。

「巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした」

「いや、いいんだ。無事に帰ってきたんだから、もうそれで」

 心の底から安堵した表情を浮かべる新田に、なんとも言えないものが湧く。

「大丈夫だって。怪我もなんにもしてないんだから」

「空間移動の影響は、まだ分かりませんから。何かあったら、すぐに連絡してくださいね」

 私の不安に、拓磨は少し寂しげに頷いた。また改めて、ちゃんと話をしよう。

「では、月曜日に改めて説明に上がります。理事長には、新田さんからは何も触れないようにしてください」

「分かった。倭を頼むな」

 頷いて返した新田に、返答を迷う。その「頼む」は、今の真方か、今後の真方か。とりあえず、前者としておいていいだろうか。

「……はい」

「なんだ、今の間は」

 助手席から眺めていた真方が、すかさず突っ込む。

「問題ありません、帰りますよ」

 では、と新田と拓磨に頭を下げて運転席へ乗り込む。見送られ、寺への道を選んだ。

「今日は泊まるだろ」

「だめです。メイクが落ちるのを見越して出力四十パーセントだし、髪もなんにもしてないので」

「そこのコンビニ寄ってカップ酒引っ掛けてこい、どうでも良くなる」

 助手席で不満を漏らす真方に苦笑し、フロントガラスの向こうに見えるコンビニを確かめる。

「全部片付いたら出力百二十パーセントで整えるので、飲みに行って鳳荘コースでいいじゃないですか」

「そうじゃねえんだよ」

 拒絶された提案に、横目で窺う。真方は窓際へ凭れ、外を眺めていた。

「四十パーでいいから、帰るな」

 予想外の台詞に、大きく深呼吸をする。泊まるのなら、一旦部屋に戻らなければならない。少し迷ったあと、一本右に車線変更した。



 月曜は朝一で登庁し、まっすぐ知事室へ向かう。土曜のうちに送った短い報告メールは『月曜朝8時に知事室で』とアポを返された。

「この前は、怒鳴りつけて悪かったね」

「いえ。おかげさまで周りに疑われず、調査が続けられました」

 知事は私を招き入れ、ソファを勧める。頭を下げて一つに腰を下ろし、早速報告書を差し出した。

「理事長自ら、百五十万を受け取ったのは自分だと告げられました。個人的な賠償を行うため、お金が必要だったようです。米村氏殺害のあとで部長を頼ったのも、証言されました」

「理事長や部長が直接手を下した殺害はないんだね?」

「はい。全て、理事長の息子さんに憑いていた神のしたことです」

 そうか、と頷いて、知事は報告書へ視線を滑らせる。いきなり知事に報告書を読まれるなんて、不安しかないが大丈夫だろうか。

「神と聞けば厳しくも常に守ってくれる存在のように感じていたが、必ずしもそうではないんだね」

「はい。私の父は『善を善たるものにするには、悪がなければならぬ』と言いました。憑いていたのは堕ちた神ですが、悪として存在することこそが目的なのだと。ただ一方で、人の世に降りている以上は人の理で裁くのはやむをえぬ、とお考えの神もいらっしゃいます。今回はその神のお力を借りて封じました」

 人の考えが人の数だけあるように、神の考えもその数だけある。宿芳山の神の元へは、また御礼参りをする予定だ。許されたからといって、甘えてはいけない。

「ありがとう。改めて報告書を拝読して対処するよ」

「よろしくお願いします。それで、ご相談があるのですが」

「機備課のことなら問題ない、復活させる。さて、私も相談があるのだが」

 知事は報告書を置き、思惑ありげな笑みを浮かべた。

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