第20話
真方曰くの「魔が差してちょろまかした奴」は、
「出土品の鏡を売ったのは、僕です。申し訳ありませんでした」
「盗んで売っ払ったものの現場で不審な事故が起き始めて慌てて買い戻しに行ったけど、高くて買えなくて周りに借金を頼んで回ってた、か」
「そのとおりです。本当に、申し訳ありません」
真方の見立てを正木は認め、パイプ椅子から腰を上げまた深々と頭を下げる。見る限り、誠実そうな若者だった。座ったあとも、膝の上で組んだ手が震えている。罪の意識に、ずっと苛まれていたのだろう。
「どうして盗んだのか、聞かせていただいてもいいですか」
尋ねた私に正木は頷き、震える手で汗を拭った。
「僕は幼い頃に父を亡くして、それからは母子家庭で育ちました。母はあまり体の丈夫な人ではありませんでしたが、仕事を掛け持ちしながら僕を育ててくれました。ただ、大学の学費までは難しくて。奨学金とバイトで通いました」
少しずつ語られ始めた背景に頷く。私も奨学金を使って進学し、返済している身分だ。伯父は入学金と一年分の学費の出してくれたから、あとはバイトと奨学金で乗り越えた。奨学金がなければ学べなかったし、公務員として働く今の私もなかった。本当に、感謝している。
「私も一緒です。奨学金とバイトで通って、今は絶賛返済中です」
「そうなんですか。あの、失礼ですがご結婚は」
「いえ、気配もありません」
「そうですか」
苦笑した私に、正木は暗い表情で溜め息をつく。
「僕は彼女がいて、結婚を考えています。お互い二十五ですが彼女も母子家庭育ちで、二人とも家庭に憧れがあって。プロポーズしたら喜んでくれました」
「良かったですね、おめでとうございます」
「ありがとうございます。ただ」
同級生で、こうも違うのか。真方が隣で意味ありげな視線を向けているのには気づいたが、無視をした。
「彼女は僕が奨学金の返済をしていることを知って、借金だから結婚する前に返済して欲しいと言いました。このままでは結婚できないと」
正木は言葉を淀ませて、また溜め息をつく。物腰も穏やかだし、言葉遣いも丁寧だ。育ちが良いのだろう。母一人子一人でも、愛情深く育てられたのは見て取れた。
「七月に、母がひどい頭痛で病院へ行ったんです。その時にした検査で、脳腫瘍があると分かりました。もう、あまり良い状態ではありません。しかも母は、お金が掛かるからと保険に入ってなかったんです。高額療養費の認定でお金は戻ってきますけど、先に払わなければいけません。戻ってきたお金もいろいろなものに支払ううちに、なくなってしまって。僕が、もっと早く気づいていれば良かったのに」
悔いを滲ませる表情に頷く。保険に入っておいた方がいいと分かっていても、余裕がない人は当然いる。でも正木が気づいたところで、母親は掛け金を負担させることを了承しただろうか。
「結婚したあとに、あなたの責任で支払い続けるわけにはいかないんですか」
「相談はしました。でも彼女は、母親が看護師で大学も奨学金なしで通った人なんです。逆に親が子供に負担を掛けるなんて、と言われてしまって」
「それは、つらかったですね」
同じ母子家庭だから、余計に厳しい目で見てしまうのかもしれない。親のことを言われるのは、自分を悪く言われるのよりつらいはずだ。
「そんな時に、現場であの鏡を見つけたんです。掘り起こした土の合間に覗いていて。手に取ってみたら、すごくきれいな状態でした。『売れる』と、思ってしまったんです。すぐにポケットへ突っ込んで、仕事が終わったあと売りに行きました」
「いくらで売った?」
黙って会話を聞いていた真方が、突然口を挟む。
「十万、です。状態は良くても、出土した時の書類が整ってないものは安いと」
「あのクソじじい」
正木の答えに舌打ちして、腹立たしげに脚を組んだ。古びたパイプ椅子がぎしりと軋む。正木は少し怯えた表情を浮かべたあと、視線を落とした。
「それでも足しになるのならと売りましたが、あんな事故が起き始めて。祟りだと恐ろしくなりました。あなたにも、つらい思いを。申し訳ありませんでした」
正木はまた、頭を深く下げて詫びた。
「すぐに十万を持って買い戻しに行ったら、五十万になっていました。交渉したのですが、もう決めた値段だからと。自分の貯金では足りなくて、周りに頼んでお金を借りてまた店に行きました。そしたら」
「百万になってたってわけか」
再び口を挟んだ真方に、正木は頷いたあと俯く。
「はい。もう僕に、買い戻す金はありません。警察に行こうと何度も思ったのですが、入院している母や僕を信じて待っている彼女のことを考えるとできなくて。本当に、申し訳ありませんでした」
繰り返し詫びる正木に、頭を横に振った。
「あなたが謝るべき相手は、私達ではありません。これからお連れしますから、鏡の持ち主である神様に経緯をお話して、自分の力では取り返せなくなったことを誠心誠意お詫びしてください。あとは神様がお決めになります」
「分かりました。よろしくお願いします」
相変わらず青ざめた表情だったが、覚悟はしているらしい。事情はあったにしても、神のものを盗んだのだ。さすがに無罪放免とはならないだろう。私が代わりに買い戻したところで、正木の罪が消えるわけではない。いざとなれば、身を挺して止めることになるかもしれない。彼は生き残るべき人だ。
では、と腰を上げた私達に続き、正木も立ち上がる。目に見えて、震えているのが分かる。普通に生きていれば、神と関わることなんて初詣や七五三くらいだろう。神は遠くで眺めているもので、近づくべき相手ではない。触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものだ。
ふらつく足取りの正木を待って、池の畔へ出る。二度引きずり込まれたあの景色では山に囲まれた閑静な場所だったが、今は向かいの山々は削られ、幹線道路が通っている。そして今は、白蛇山も開発だ。もう、大人しく眠っていられる場所ではなくなってしまった。
「白蛇山の神様、玉依です。鏡を持ち去った者をお連れしました。どうかお話を、お聞きください」
山へ向かい呼び掛けると、すぐに冷たい風が吹き下ろす。
『鏡は、どこに』
木々を揺らめかせながら、声が答えた。姿はないが、あの神の声だと分かる。
「そのことについて、お伝えしたいことがあります。どうか、お聞きください」
直接は答えず、正木に目配せする。正木はざわめく周囲の木々に一層怯えていたが、意を決したように進み出て頭を下げた。
正木は時折声を詰まらせながら、私達に話した経緯を再び神に伝える。相変わらず木々は揺らめいて、それなりの緊張感を与えていた。
『では、鏡は盗まれたまま、取り返せなかったと言うの』
「そうですが、彼は」
『神のものに手をつけておきながら、そのような世迷い言が許されると思うのか』
途端、怒りを表すように木々が激しく揺れ始める。正木は、頭を抱えるようにしてうずくまった。
「神様、どうか」
『ならば、その者が手をつける原因を作った女を寄越して。その命で許すと伝えなさい』
予想外の要求に、え、と目を見開く。見下ろした正木は、頭を抱えて震えている。
『伝えよ』
「……神様が、あなたに盗ませる原因を作った彼女を寄越しなさい、と」
控えめに伝えた私に、正木はいきおいよく顔を上げる。悲痛なものと驚きで、表情は歪んでいた。
「どうして、そんな。悪いのは俺です!」
『お前は女にそそのかされたのでしょう? 始末してやろうというのに』
伝えかねる神の返答に思わず黙る。正木は私を見て、顔色を変えた。
「俺を殺してください、俺が罰を受けます! 悪いのは俺だ!」
必死の訴えに、山へと視線をやる。木々はしばらくざわめいていたが、やがて緩やかになり、静まり返った。
『時代が変わっても、人間の男は少しも賢くならないのね。頷けば、見逃してやったのに』
ぽつりと聞こえた声に、ああ、と納得する。かつて地頭も同じように、新しい妻を守ったのだろう。そして、そのために殺された。
「神様、対価ということであれば確かに彼の命となるのかもしれませんが、彼には病気の母親がいます。それに誠実に生きてきた者の命を一度の間違いで断ってしまうのは、人の世の損失にも繋がります。彼は生きるべき人の子です。どうか、ご猶予をいただけませんでしょうか」
『神のものを盗んで猶予など、よく言えたものね』
「失礼を申し上げているのは分かっています。でも人の世をより良くするのは、彼のような人材です。等価として認められるのであれば、私の命をお引き上げください。私はこの世に不要な者です」
「バカか、何言ってんだ」
突然口を出した真方に、再び空気が揺らいだ。
『私の眷属を殺したのは、その男ね』
ああ、そうだった。正木のことばかり考えてすっかり忘れていたが、そういえばこちらも連れて来いと言われていた。
「彼は私を守ってくれただけです。あのままでは、殺されていました」
『死ぬわけがないでしょう、神の子よ。神殺しは許されぬこと。それともあの子達が、その判断すらできなかったと言うの』
「要は、鏡を取り返しゃいいんだろ? 俺が取り返してやるよ。あのクソじじいを殺して欲しけりゃ殺ってやるし」
「だめです!」
慌てて否定した私に、背後で機嫌の良い笑い声が響いた。ころころと、よく気分の変わる神だ。
『いいわ、玉依、こうしましょう。鏡はお前が取り返してちょうだい。その力を使い、私に代わって神罰を与えなさい。二度と私の鏡を盗もうと思う輩が出てこないように、殺しても構わないわ。できないのなら、そこにいる私の鏡を盗んだ男と私の眷属を殺した男の命を差し出しなさい』
まるで新しい遊びを思いついたかのように、明るい声で無邪気に言い渡す。神にも人と同じように、さまざまな性質のものがいる。皆が皆、人の子を思いやって存在しているわけではない。
「……承知しました。必ず、取り返します」
頭を下げた私に、緩い風と笑い声が答える。重ねた手のひらは、ゆかりの冷たさを思い出していた。
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