第17話

 目を覚ますと、見たことのある景色が広がっていた。薄汚れたクリーム色の天井、ぶら下がる点滴ボトル。呼び掛ける声に頷くと、看護師は手早く私の周りで処理を終えて医師を呼んだ。

――ちゃんと労災、申請してくださいね。

 春にも担当してくれた救急の医師は、苦笑で私を労った。確かに労災は労災だが、今回は前回のような人災ではない。

「あの山は焼き討ちしてやるから安心しろ」

「そういう物騒な対応はやめてください。三途の川じゃなく、白蛇山の神に呼ばれてたんです」

 傍らの椅子へ腰を下ろすなり言い放った真方に苦笑する。今回も念のために一泊するらしく、ベッドのまま病室へ運ばれた。

「鏡が失くなったそうなんです。伝承にあるものでしょうね。時代的には、銅鏡じゃないかと思うんですが」

「出土したってことか」

「おそらくは。まずは出土品にないか、調査機関へ渡されてないかを確認してください」

「いや、調査機関には回してねえんじゃねえか」

 私の要求に、真方は予想外の反応を返す。腕組みをして、煙草を取れない指先で腕を叩いた。

「古墳だの何だのが見つかったら連絡するようにはなってるけど、連絡したら工事が止まる。こんな土地でそれを忠実に守ってたら、納期が遅れるどころじゃねえからな」

「それじゃ」

「都合が悪くて隠したか、見つけた誰かがちょろまかしたか。そんなでけえもんじゃねえだろうしな」

 真方の見立てに、さっきの一幕を思い出す。確かに、そうかもしれない。

「そういえば、『奪った者を引きずり出して』って。あと『忠実なしもべを殺した者も』って仰ってました」

「前者は知らねえけど、後者は俺だな。お前の首絞めてたやつを殺った」

 真方はポケットを探り、先の尖った法具を取り出す。使い込まれた感のある、古びたものだった。

「今回は半神半人に救われたな。人間だったら死んでたぞ」

「それはいいんです。眷属を、殺したんですか」

 体を起こそうとしたが、目眩ですぐにベッドへ沈んだ。首はまるで痛くないのに、体にうまく力が入らない。

「迷う理由はねえだろ、殺らねえとお前が死んでた。無作為攻撃食らわせてくるクソ眷属にくれてやる情なんかねえよ」

 口調の荒ぶ真方に、苦笑する。確かに今回は真方ばかりを責められない。でも、祟りなんてこんなものだ。

「これが『神の祟り』ですよ。神はこうやって自分の力や怒りを知らしめるんです。眷属は忠実に神の意を実行していただけですから」

「知るかよ。俺は神の理なんぞどうでもいい。神と折り合う気はねえからな」

「ですよね。こっちは私がどうにかしますから、真方さんは銅鏡の行方を探ってください」

 真方に任せたら、本格的な戦争になってしまうかもしれない。僧侶なのに血の気がありすぎる。

「俺は、お前を殺そうとしたのを許してねえからな」

「生きてたからいいんです。それに、鏡を見つけてあげたいので」

 さめざめと泣きながら訴えた姿を思い出す。神でなければ、最後まで寄り添えたのだろう。父のように山へ連れて行かなかったのは、姿を知られた悲しみからか。

「その鏡、ただ祀っただけではなかったんです。共にどのような姿に成り果てようとも愛し続けるって誓いの鏡だったそうで。そんなの聞いたら、返してあげたくなるじゃないですか」

「ならねえよ」

 真方は鼻で笑いながら、私を冷ややかな目で見下ろす。

「自分が干からびてるから、他人の色恋で夢を叶えようとすんだよ。早く男作れ」

「自分には不要だからこそ、そういうもので結ばれている人には幸せでいて欲しいんですよ」

 苦笑で答え、空調に冷やされた腕を撫でる。

「真方さんこそ、墓地の美人が彼女じゃ檀家さん達が納得しないんじゃないですか」

「住職も独身で俺を養子で入れたんだから同じでいいだろっつってんだけどな。まーうるせえうるせえ」

 頭を掻きながらうんざりした表情を浮かべる真方に、あの清廉な姿は重ならない。私の副住職はどこに消えてしまったのだろう。

「それはさておき、明日退院したら私も復帰しますので」

「アホか、休め。今週は出てくんな。鏡ちょろまかした奴くらい、俺一人でどうにでもなるわ」

 お役目で三日有給をもらって文句を言われたのは数ヶ月前、まだ記憶に新しい。気遣いが胸に沁みた。

「もし見つけても、殴っちゃだめですよ」

「殴らねえ」

「殴らなかったけど蹴った、もだめですからね」

「しねえよ」

 イマイチ信用しかねる否定だが、今は仕方がない。

「そうですね。じゃあその言葉を信じて、ちょっと実家に帰ってきます。召喚されたので」

「いよいよ親父をしばき倒しに行くのか」

「そうしたいのは山々ですけど、家の用事です」

 見合いと素直に白状したら、嫁に行けと言われるのが分かっている。せめてこちらでは、誰にも知られずにいたい。

――家を途絶えさせるわけにはいかん。稲羽のお役目を忘れるな。

 断りたいが、うちに見合い話を寄越すのは全てを承知した相手のはずだ。多分、私の生まれ育ちに目を瞑れるほど利益を得られるのだろう。氷雪山狙いの山マニアか、実業家か。

 伯父の最優先事項は稲羽本家の存続だ。でも本来なら次は私ではなく、伯父の娘である従姉妹の美里みさとが継ぐところ……なんて、意地が悪いのは分かっている。伯母は、因習に縛られる家に耐えきれず美里を連れて出て行ったらしい。それに私はほかでもない、守るべき山の神の血を継いでいる。

「真方さんは、もし自分の生まれ育ちを気にしない相手がいたら結婚します?」

「あと酒と煙草をやめさせねえのと、檀家を転がせて金勘定ができて俺にベタ惚れなのが条件だな」

「死ぬまでにそんな素敵な人と出会えるといいですね」

「棒読みしてんじゃねえよ」

 真方は軽く笑い、法具をポケットへ突っ込む。腕時計を確かめて腰を上げた。

「お手数お掛けして、すみませんでした。新田さんにもよろしくお伝えください」

「気にすんな。散々な目に遭ってんのはお前だ。ま、死ぬ順番間違える不幸だけはすんなよ。オヤジが最初だ」

 相変わらず不謹慎だが、確かに自分より若い人に先立たれるのはきつい。私ですら思うのだから新田の年にもなれば。思い出した新田の年齢に、ふと気づいて視線を上げた。

「もし何かあったら連絡しろ」

 真方は見上げた私の頭に軽く触れる。途端、いつかのあの膜が張られたのが分かった。

「クソ眷属が飛んできても、焼け焦げて死ぬ程度の効果はある。ドーベルマンの代わりくらいにはなるだろ」

 物騒な表現に怯えながら確かめた膜は、確かに分厚くしっかりとしていた。以前は触れた瞬間に消えていたのに、今は寒天のような感触が指を押し返す。

「すごい、寒天の壁みたいになってる」

「現場着いた時に張ってやっとけば良かった。悪かったな」

 聞こえた詫びに視線を滑らせた時にはもう、真方は背を向けていた。

「ありがとうございます。これで安心して眠れます」

 慌てて投げた礼は、的確な答えではなかったかもしれない。真方は肩越しに私を一瞥して、カーテンの向こうへ消えた。

 守られた膜の中は、さっきより息がしやすい。抜け殻のようだった体が、少しずつ力を取り戻していくのが分かる。まるで集中治療カプセルだ。

 攻撃は最大の防御だと話していたのに守護に力を割いたのは、私のためだろうか。

――守れぬものは捨てよ、捨てられぬのなら守れ。

 宿芳山の神の言葉は、今も苦く響く。それでもまだ私は、父の力を自分の守護に使うことに抵抗があった。自分だけは、まだ。

 長い息を吐き、布団を肩口まで引き上げる。

――あの方と、共にどのような姿に成り果てようとも互いを愛し続けると誓った鏡なのに。

 自分が蛇でも相手が老いさらばえても、それでも、か。私には死ぬまで縁のない絆を思いつつ、目を閉じた。


 退院は金曜だったが、帰省は予定どおり土曜にする。下手に仕事の話をして真方が眷属を殺した話なんてした日には、伯父は二度と真方の修行を受け入れなくなってしまうだろう。この恩を仇で返すわけにはいかない。未だ崩れる様子のない「寒天くん」の守りを確かめて、ハンドルを繰る。

 市内から我が家まで約四十キロ、気晴らしのドライブにはちょうどいい距離だ。でも見合いの話が待っている状況で、気晴らしなんてできるわけがない。呪われた家に婿入りなんて受け入れるのはどこの物好きか、まさか私を蔑み続けた連中ではないだろうが。気づくと漏れ出している溜め息を控えて、峠へ向かう道を左へ曲がった。

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