第15話

 拓磨に連れられて入った雀荘は古びた雑居ビルの二階、トタンの屋根が掛かる鉄階段がどことなく懐かしい。内照灯の看板が知らせる店の名前は『鳳荘おおとりそう』だった。

 狭い店内には客が何組か、煙草の煙が目に染みる。

「今更だけど、玉依ちゃん連れてきて良かったのかな。父さんにバレたら叱られそう。まあ、間違いなくバレるけど」

 女性の姿も見えないわけではないが、私ほど若く素人っぽいのは見当たらない。こちらを見てにやつく赤い顔のおばあさんや、ちらちらと視線をくれながら煙草を噛むおばさんがいる。

「バレたら、一緒に叱られてください」

 苦笑した時、店長が現れて拓磨と言葉を交わす。予想どおりの「彼女か」「違います」のやりとりを経て、勧められた卓に着く。残り二人は店長と、バイトらしき店員が座った。

「雀荘の雰囲気を味わってみたくてお願いした初心者なので、お手柔らかにお願いします」

「そうは言ったって、新田さんが教えてんだからなあ」

 店長は自動卓の感動冷めやらぬ私を横目に、最初の牌を捨てる。新田より年上に見えるが、厳つい新田以上に筋骨隆々の屈強な男性だ。短く刈ったごま塩頭と四角い顔、野太い首がたくましい。眼光の鋭さも相俟って、見ようによっては「その筋」だ。

「新田さんは、こちらの常連さんなんですよね?」

「そう。何年くらいだ、もう二十年は通ってんじゃねえか」

「そうなんですか。いつもお一人なんですか? 私が『連れてってください』って頼んだら却下されてしまって」

 さりげなく水を向け、引いた牌を手元に入れる。話に集中したいが、配牌はいぱいが良くて惑う。このまま行くとホンイツだ。字牌じはい萬子まんずだけで上がってしまう。

「そりゃあ、こんな魑魅魍魎の巣窟にあんたみたいなお嬢さん連れて来たらなあ」

 豪快に笑う店長に、後ろから「化けもんかよ」とヤジが飛び、下品な笑いが拡がった。

「父さん、真方さんとも来てると思うよ」

「ああ、そういえば」

「真方って、あのしわい奴だろ。あいつ、なかなか振り込まねえんだよなあ。あの二人がセットで来た日は厄日だわ」

 店長が渋い顔で笑う向かいで店員が、次に拓磨が牌を捨てる。いつの間にか、私の背後には数人が立って趨勢を見守っていた。

「あの、前におったやろ、あいつの方はよう振り込んでくれて良かったけどなあ」

 店長の捨て牌を確かめて、背後から聞こえた声に意識を向ける。米村、か。

「新田さん、真方さん以外にも麻雀友達がいたんですね」

「いたっていうか、まあ」

 明らかに濁して視線を逸らす拓磨を向かいに眺め、引いた牌を確かめる。どうしよう、来てしまった。三枚揃った『ちゅん』を並べ、不要な牌を捨てる。ほお、と背後のギャラリーが零した。

「下手の横好きってわけでもねえか。下手は下手なんだけど、負けが込んでくるとすげえ高い手で上がる奴でな。勝ちたいってより、そん時の快感に取り憑かれてた。博打の魔力に飲まれたってやつだ。新田さんとは、途中で袂を分かってたよ」

「けんか別れ、ですか?」

「いや、あれはもうのめり込んで言うこと聞かねえから、諦めて切ったんだろ。下手に繋がってたら迷惑食らうからな」

「実際、死んだ時食らってたしなあ」

 俺んとこにも来たわ、と漣だつように過去を分かち合う背後に、向かいを窺う。拓磨は具合の悪そうな、青ざめた表情をしていた。あまり長居はしない方がいいだろう。とはいえ、今は仕事優先だ。

「亡くなったんですか」

「公務員で、借金の返済に行き詰まって賄賂に手え出してバレて自殺って話だけどな。うちも最後の方は出禁にしてたから、分かんねえよ。そんでも警官に踏み込まれて痛くもねえ腹探られて、迷惑したわな」

 新田が、金に困った米村に賄賂の話を持ち掛けた。取り分は百五十万と五十万。一度は納得して実行した米村だが配分に不満が募り、全てばらすと新田を強請った。新田が思案している最中に係長が気づき、新田はそれを察知して力を使い殺害した。

 流れとしては不自然ではないが、だめだ。最初の「新田が金に困った米村に賄賂の話を持ち掛けた」が、どうしても納得できない。

 唸りながら引いた牌が待っていた一萬で、溜め息をつく。ギャラリー達も似たような息を吐くのが分かった。あとはもう、伍萬うーまん八萬ぱーまん両面りゃんめん待ちだ。

「リーチです」

「速えな」

「配牌と引きが、ものすごく良くて」

 三人は、千点棒を置く私の捨て牌をまじまじと眺める。

「捨て牌が少ねえからなあ。ま、追っ掛けながら振り込まねえことを願うしかねえな」

 にやりと笑う店長の眼光に、なんとも言えないものを見る。気怠げに打っていたさっきとは、目の色が変わっていた。当たれば振り込むのに、むしろこれを待っていたかのようにも見えた。これが賭けごとの魔力なのだろうか。米村は、自分の魔に食われたのかもしれない。

 不意に揺れ始めた携帯を、上着のポケットから引っ張り出す。伯父だった。

「すみません。これ捨てたら、ちょっと席を外します」

 腰を上げて引いた牌は八萬、待っていた牌だ。なんでこんな時に。

「ツモりました。リーチ一発、ホンイツ、中、ドラドラです。拓磨さん、あとお願いします」

 あとを拓磨に任せ、通話ボタンを押して外へ向かう。豪快に笑う店長の声を背に、ドアをくぐった。

「どうした、騒がしいな」

「うん。ちょっと外に出ててね」

 さすがに雀荘とは言えず、場所は濁す。

「それで、お役目が入ったの?」

「いや、そうじゃないんだが」

 答えた伯父の様子がいつもと違っていて、携帯を握り締めた。長く聞こえた溜め息に、不安が湧く。

「どうしたの? 大丈夫?」

 矢継ぎ早に尋ねる私にも、伯父はただためらうように間を置いた。

「お前に見合いの話が来た。週末に詳しい話をするから、帰ってきなさい」

 やがて漏れ出た不穏な言葉に、視線を揺らす。

「私は結婚なんて」

「家を途絶えさせるわけにはいかん。稲羽のお役目を忘れるな」

 遮るように言い渡して、伯父は溜め息をつく。電話越しに、ざらついた音が聞こえた。

「分かった。じゃあ、土曜日に戻るわ」

 力なく答えて、通話を終える。見上げた先には、私の不幸など何も知らなさそうなネオンが明るく瞬いていた。


 半荘まで終えた私の成績は一位、最初のツモのおかげで華々しい雀荘デビューを果たした。真方には自慢したいが、新田にはバレるまで内緒だ。

「さっき、電話大丈夫だった? お役目?」

「いえ、週末にちょっと帰ってきなさいって連絡でした」

 ネオンを浴びつつ隣で気遣う拓磨に答える。県庁時代に通ったバーは繁華街の端、ネオン街から少し離れたところにある。負ければまっすぐ家に帰っていたが、勝ってしまったからにはそうはいかない。博打の稼ぎは、家に持ち帰るべきものではない。下手に欲を出すから、溺れてしまうのだ。

「玉依ちゃん家って、解部町のどの辺なの?」

「氷雪山の麓なので、本当に奥のどん詰まりですよ。県境の手前です」

 当たり障りのない話題を選んでくれた拓磨に安堵し、我が家の場所を伝える。屋敷はこっちの県だが、氷雪山は県境をまたがる規模だ。一年を通して登山客は受け入れているものの、冬山の過酷さは群を抜く。あの切り立った山の、どこがそれほど魅力的なのだろう。毎年のように登って無事に下りてくるのは真方だけ、三人に一人は滑落か絶えず叩きつける氷雪で死ぬ。冬の氷雪山は死の山だ。そんな山を守るために、この血を残すのか。

一谷いちたにから、どれくらい離れてる?」

「あそこは街ですから十二、三キロは奥地ですけど、一谷に知り合いが?」

 一谷は町の中心地で駅も役場も、学校や病院まである。そのどれもないうちの辺りとは比べ物にならないぐらい「都会」だ。

「親戚の家があるんだ。父さんは大学進学で町を出るまで預けられてたって。毎年、墓参りと挨拶に行くよ」

 調査とは全く関係のないところから転がってきた話題に、思わず隣を凝視してしまう。

「初耳です。私が解部出身だと話しても、新田さんは何も」

 視線の強さに気づいて、眉間を揉む。暗くて良かった。

「多分、あんまり話したくないんじゃないかな。家族とうまくいかなくて預けられてたみたいだから」

「そうだったんですか」

 新田が能力者なら、それを理由に遠ざけられた可能性はある。子供の頃は、無意識に能力を使ってしまうものだ。みな分かるもの、できるものと思ってしまう。私が自分しか遺体を探せないと気づいたのは、五歳か六歳になってからだった。

「今でもじーちゃんばーちゃんとは、あんまり仲良くないよ。けんかはしないけど、なんかよそよそしいっていうか。解部の親戚との方が仲がいい」

 拓磨は普段とは違う、少し落としたトーンで語り始める。

「うち、母さんの浮気で離婚したんだよね。俺が中一で、妹が小五だった。PTAの役員してるうちに、俺の担任と通じ合っちゃったみたいで。父さんは市役所にいた頃で激務だったから、寂しかったとか多分、そんなやつだと思う。そのあと林業公社に移ったから」

 ああ、と小さく相槌を打つ私を見て、薄く笑んだ。遠くにバーの看板を見て少し迷う。このまま、歩きながら話を聞いた方がいいようにも感じた。

「でも結局、うまくいかなくて一年もしない内に離婚した。父さんはやり直そうとしてたみたいだけど、母さんが罪悪感で病んでさ。自分が悪いくせにね。でも父さんも甘いんだよ。妹を渡しちゃうし、病気で働けないからって言われるままに金も渡してる。まあ妹はピアニストになるのがずっと夢だったから、俺も応援してるけど」

「育った家庭がいびつだと、家庭を持つのを拒否するか、幸せな家庭に執着するか。私は前者だけど、新田さんは後者だったんじゃないでしょうか」

 突き放すか、求めるか。どちらがいいとも正しいとも言えない。どちらにしてもあるべき姿が、中庸が分からない。

「家庭持つの、怖い?」

「そうですね。自分の血が、家族を傷つけるのが恐い。百歩譲って結婚できたとしても、子供は無理です。私はこの血のせいで、地獄のような子供時代を過ごしました。自分だって耐えたんだから、なんて言えません」

 それでも伯父は、それを望んでいる。幼い私が吐くほど泣いていやがっても、お役目を選び続けてきた。どれだけそばで過ごしたところで、私は姪でしかない。娘には、なれなかった。

 着いたバーのドアを引くと、小さく鈴のような音が鳴る。

「俺じゃ、だめかな」

 隣でドアの上の方を掴み、拓磨が呟くように尋ねる。

「妹さんに、呪われた人と親戚になるけど我慢しろって言えますか?」

 ドアをくぐっても、拓磨の答えは聞こえなかった。

「聞かなかったことにしますから、忘れてください」

 表情を確かめないまま、穴蔵のような店内の片隅を目指す。拓磨は私に遅れてカウンターへ着き、顔をさすり上げて長い息を吐いた。

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