九月:祟りなんて本当にあるんですかね

第14話

 それで、と切り出した部長に揃えた膝を握り締める。

「君の見立てでは、新田が能力者で単独犯だということだが」

「『ではないか』、です。メールでもお伝えしましたが、私が生まれを卑下すると必ず窘めるような反応をされるので」

「単純に、博愛主義では?」

 半年ぶりの部長は悠然と椅子に凭れ、腕組みをする。ぴくりと指先が動いたが、今はそんなことを気にすべき時ではない。

「もちろん、その可能性はあります。ただ新田さんには、離婚した奥さんと離れて暮らすお嬢さんがいます。息子さんの話だと、お嬢さんはピアニストを目指して留学してらっしゃるとか。新田さんが少なくないお金を渡しているように話していました。息子さんも、博士課程に進学されるそうで」

「金が必要な理由はあった、と」

 確かめるように尋ねる部長に頷く。先月、新田に誘われたバーベキューの最中に拓磨がすいかを切りながらそんな話をした。

――俺も妹も脛かじってるんだよ。バイトはしてるけど、玉依ちゃんから見たら甘ったれだよね。

 そう自嘲しながらも、博士課程には行くらしい。要は、あと三年は新田の脛をかじり続けるのだ。大学院の学費は約五十五万円だから、三年間で約百六十五万円。百五十万円があれば、助かるだろう。

「真方は打算的な人物ですから、金で動く可能性はあります。ただ共犯なら、百五十万を更に分け合うことになるはずです。自身が能力者なら、わざわざ真方を頼るとは思えません」

「君ならそうする、か」

 尋ねられて、思わず体を起こす。同じ能力者として、私なら。

「新田さんは身なりも言動も倹しくはありません。人としても、お金のために命を奪うような利己的な方には見えないんです。今のままでは、結論は出せません」

 部長の問いには答えず、自分なりの推理を伝える。

「殺された米村さんと新田さんの関係を調べたいんです。当時の二人の関係をよく知る人物と話をすることはできませんか」

「力を貸したいのは山々だが、市役所の人間は無理だ。あっちではもう、禁忌の事件でね。知事の指示で散々介入したから、この一件で県は相当恨まれてる。これ以上手を出したと分かれば、協力体制が断絶し兼ねない。こちらが提供できるのはあの資料のみだよ。君も市役所側には悟られないように立ち回って欲しい」

 今更言い渡された注意事項に苦笑する。それでどうやって解明すればいいのか、私は探偵ではないのに。

「とにかく、あと半年だ。半年で結果を出して欲しい」

「力を尽くします」

 居住まいを正し、頭を下げる。言える台詞を探したら、そんなものしかなかった。

 そのあとは二つ三つ、形式的なやりとりを経て部長室をあとにする。部長室は四階の奥、戻る廊下の途中に林業課はあるが下手に顔を出さない方がいい。

 新田と米村の関係を市役所から聞けないとしたら、残る場所は雀荘だ。とりあえず新田行きつけの雀荘を当たってみたいが、相変わらず保護者のように守られて家庭麻雀に甘んじている。真方に頼めば行けるものの、新田を庇っているのなら悟られるのはまずい。残るは、拓磨だ。

 なんやかんやで結局交換してしまった連絡先を選び、溜め息をつく。大義のためなら、犠牲は仕方ないのか。

 『新田さんの行きつけの雀荘って、拓磨さんも行きますか』『うん 行きたい?』『こっそり連れて行ってもらえませんか』『いいよ いつがいい?』『明日はどうですか』『OK 仕事すんだら連絡して』

 あっさり取りつけてしまった約束に胸が痛む。優しさに漬け込んで、全て片付いたらなんと言い訳をするつもりだろう。内偵を引き受けた悔いを今更感じたあと、久しぶりの庁舎を外へ向かった。


 公社へ戻り車を降りた先に、理事長を見つける。あちらはこれからどこかへ出掛けるところらしい。私に気づくと、満面の笑みで手を振った。この会社、こんな緩い人がトップで大丈夫なんだろうか。

「稲羽さん、久しぶりだね。元気? 夏バテしてない?」

「お久しぶりです、おかげさまで元気にしてます。理事長も、ハナちゃんもお元気ですか?」

「おかげさまでね。まーちょっと、暑さは堪えるけどねえ」

 はは、と笑いながら、理事長は額の汗を撫で上げるように拭う。また少し痩せた気がするが、大丈夫だろうか。上着を掛ける腕はよく焼けていたが、細くて筋張っていた。

「夏場のこと考えたら毛の短い犬がいいかもね。日本の夏は湿度が高くて、うちのは余計に暑そうだったから」

「それなら、ちょうどいいかもしれません。私はドーベルマンが飼いたいので」

 未来の愛犬を伝えた私に、理事長は目を輝かせる。

「ドーベルマンか。いいねえ、賢いし守ってくれそうだ。ただ運動量が必要な子だから、確かに一人暮らしでは難しいねえ」

「そうなんですよね。実家なら飼えるんですけど、毎日会えないのは寂しいし……って、すみません! 足を止めてしまいまして」

 思わず普通に話していたことに気づき、慌てて謝る。どうも、犬で繋がると敷居を低く見積もってしまう。

「いやいや、犬の話ができるのは嬉しいよ。ここでこんな風に気軽に話をしてくれるのは君くらいだしね。大学にいた頃を思い出すよ。じゃあね」

 確かに私に問題があるのは否めないが、理事長も理事長だ。一介の職員と同僚のように語り合うのは、威厳の問題であまりよろしくない。大学に勤めていた頃は、学生に人気だっただろう。偉ぶったところのない、学生を小馬鹿にしない教授だ。

 古いセダンへ乗り込む背中を見送り、中へ向かった。


 翌日の拓磨との約束は六時半、まずは食事してから雀荘へ行くことになった。

「本格的に麻雀、ハマっちゃった感じ?」

「そうですね、面白くて」

 拓磨は向かいでお好み焼きを割りながら、私を窺う。私は割り勘のつもりだが、ひとまず拓磨にも負担のない金額の店を提案した。拓磨は弟みたいなものだし働いていないのだから奢ってもいいのだが、いろいろと難しい。

「仕事には慣れた? 県庁とは全然違うんでしょ? 父さんは真方さんが振り回してて大変だって言ってたけど」

「機備課は現場仕事ですからね。県庁ではパソコン入力してたら勤務が終わる感じだったから、時間の経ち方はまるで違います。でも、真方さんはいい上司ですよ」

 真方の下で働き始めて約半年、私が術を使うのはお役目の時だけだ。機備課の仕事では、一切使っていない。

 今も時々、ゆかりのことを思い出す。凍えた体の硬さは、まだ忘れられない。最期の言葉や少年の言葉を夢に見ることも、一度や二度ではない。真方は、私を守ってくれているのだろう。

「良かった。真方さん、誤解されやすいから」

「やりすぎるとこはあるし聖人ではないけど、悪人でもないですよ」

 今は、理事長の評価が的確に思える。たまに人を人と思わなくなる欠点はあるものの、悪い人ではないのだ。打算的だが、情もある。明らかに嫌っている神はさておき、主や怪には理解を示すことも少なくなかった。もちろん必要なら、容赦なく手は下す。

 イカ玉をつまんで見上げると、拓磨の箸が止まっていた。視線で窺うとすぐに気づいて、苦笑する。

「もしかして、結構タイプだったりする?」

「いえ、真方さんの方はちょっと……エブリデイ副住職なら良かったんですけど」

 渋い顔で頭を横に振る私に、拓磨は笑った。

「おんなじ人じゃん」

「違いますよ。私の副住職はあんな口悪くないしデスクに足乗っけて煙草吸ったりしない」

 拗れてるなあ、と拓磨はまた笑い、大きい一切れを手にビールを飲む。私も笑い、ハイボールのジョッキを傾けた。

「玉依ちゃんの彼氏って、どんな人だったの?」

 突然の探りに、炭酸に洗われた喉で軽く咳き込む。拓磨には何も話していなかったはずだ。

「いたって言いましたっけ」

「ごめん、真方さんにちらっと聞いちゃった。でも『いたらしい』ってことしか聞いてないよ」

「良かった。それ以上話してたら、明日殴らなきゃいけないとこだった」

 男同士で何を話しているのか、あまり聞かない方がいいだろう。

「そんな黒歴史なの?」

「黒歴史ってほどじゃないですけどね。大学二年の時に、院生と半年くらい付き合ったんです」

「学部は?」

「工学部ですよ。拓磨さんと同じですけど、年齢は被ってないです」

 私が大学二年の時に修士一年目だったから、拓磨が院へ進学した頃には博士課程を終えて卒業しているはずだ。

「え、マジで? 誰? ポスドクにいるかも」

「そういう恐ろしいことを言うのはやめてください」

 ビールジョッキを手に身を乗り出す拓磨に苦笑する。その可能性をすっかり忘れていた。田舎は一層世間が狭いから、友達の友達が親戚なんてのがざらにある。どこで誰と繋がっているか分からないのが恐ろしい。

「振られたの?」

「はい。優しい人だったから浮かれてしまって、隠していた出自を打ち明けたんです。お役目を終えて帰ったら、部屋から荷物が消えてました。それきりです」

 丁寧に全てを話す必要はないだろう。自分が若くてバカだったことに変わりはない。少し炭酸の抜けたハイボールを一気に流し込んで、一息ついた。

「なんか、ごめん」

「気にしないでください。まあそんなわけで、以来一人ですしこれからも一人です。犬は飼う予定ですけどね」

 残り少なくなったお好み焼きを割り、苦笑する。拓磨は黙ってビールを啜った。

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