第10話
亡くなった男性は
「自分から突っ込んで行った、と聞きましたが」
「そうなんです。突然、伐木の倒れる方向に突っ込んでって」
森林組合で私を待っていた班長が、溜め息交じりに緩く頭を横に振る。大東の所属していた班を取りまとめていた男性で、ずっと大東の面倒を見ていたらしい。
「仕事で悩みとか、そういったことは」
「警察にも話しましたけど、そんなことは何も。話してくれなかっただけかもしれませんけどね。でも自殺を考えるような奴が、将来のことを考えて資格の勉強を始めたりしますかね」
念のために確認した自殺の可能性は、早々に否定された。確かに相反する行動だ。
「わしらが殺したんじゃないかとも疑われましたけど、あいつはわしらに恨まれるようなことなんて、何も。素直で明るくて、多少ガキっぽいとこもありましたけど、いい奴でしたよ。筋も良かったし、何より真面目にやるんで期待してました。きっちり、育ててやりたかった」
視線を落とし訥々と語る言葉は、真実に思える。家族も「優しい子で人間関係に問題はなかった」と話していた。大東は一人っ子で、家族仲はいたって良好。父親は息子に初めて殴られた、と力なく笑った。
「ありがとうございます。では、現場を案内していただけますか。山を見たいので」
「はい。じゃあ行きましょうか」
腰を上げた班長に続き、私も立ち上がり外へ向かう。
「山の仕事については、どれくらいご存知ですか」
「土地によっての違いはあるかもしれませんが、普通にお話いただいてもついていけるとは思います。実家は山持ちですし、林業公社に勤めていますので」
「ああ、それはお詳しい」
班長はよく焼けた艶の良い肌に、深い皺を走らせながら笑った。襟元で白髪の多い癖毛が跳ねている。
「班長さんは、ずっとこのお仕事を?」
「そうですね、林業一筋四十年ですわ。嫁より山と一緒にいる方が長い」
笑いながら壁に掛かっていたヘルメットを二つ取り、一つを私へ渡す。だからまあ、と呟くように続いた言葉に視線をやる。
「山の神さんがあいつを気に入って連れてったって言われても、納得はできるんですけどね」
寂しげな表情に頷き、黙って隣を行く。私の考えも、実は班長とそう離れていない。何より母という身近な実例があるのだ。でもそれなら、殺す必要はなかったはず。山の神が連れて行ったのなら、なぜ殺したのかを突き止めなければならない。
――無理せず、山神様の怒りに触れないようにな。
伯父の言いつけが守れるかどうかは、相手次第だ。行きましょう、と促す声にまた頷いて、玄関を出た。
現場は市内から南東へ車で約二十分、我が県との境に聳える六百メートルほどの山だ。地方を横に貫く山地の一角で、途切れながらも県西部の方まで連なっている。この山地により地方は日本海側と太平洋側に分けられ、日本海側のこちらが雪と雨の多くを引き受けている形だ。ちなみに氷雪山が、その最東端にある。
「本格的な開発が始まったのは、五月からですね。風力発電所を作るって計画で、私らは道路にするとこと頂上の伐木をしてました」
「麓の方は、もう工事に入ってるんですね」
仕切りで囲まれた場所の向かいは、すぐに民家だ。風車との距離はあるのだろうが、イメージしていたよりかなり近い。
「麓には社屋と風力発電の見学もできる施設を作るらしいですよ。ま、第三セクターでどこまでできるのかって感じではありますけどね」
苦笑交じりで零す班長に、切り開かれた麓から視線を移す。山道を上り始めた軽トラに、大きく頭を揺らした。
「ここの山と、大東さんとこの裏山は繋がってますよね」
「一応は、ですけどね。ただ行き来できる山道があるかどうか。あったとしても、獣道じゃないでしょうか」
裏山もこの山も、探ってみたが遺体の位置を知らせる感触は返ってこない。おそらく大東は隠されているのだろう。しかし神の気配はないから、山の主か怪だ。主でも遺体を返してくれるだろうが、私では分が悪い。開発を厭うのは、圧倒的に神より主だ。できるところまで調査して詰めて、あとは地酒をぶら下げてオンラインで真方に協力を仰ごう。
協力、か。これまでになかった選択肢に小さく笑む。初めて知る感覚だった。
「この辺が当時の現場です」
車を止めた班長に、礼を言って降りる。
踏み締める足元は細かな枝や葉の感触がふかふかと、遠くからは伐木の音が響く。吸い込んだ空気は青臭い。ぐるりと見回した周りにはいくつかの切り株があり、少し離れたところには伐採を免れた木々が生い茂っていた。
いたって普通の、見慣れた山の姿だ。作業中に死亡者が出た山も、ここしかないわけではない。林業は全産業中、最悪に近い死亡率を記録している。
「事故は、この木を切った時に。大東はその辺にいたんですが、倒れ始めたところで急に走り込んできて」
「何か、言葉を発したりは」
「いえ、特に。隣にいた奴も、突然走り出して突っ込んでったって」
「突然、ですよね」
そこが引っ掛かる。もし山の主が操ったのなら、不自然な動き方になるだろう。歩いてこさせるならふらふらするし、見えない力で引き寄せたなら「走った」ようには見えない。「突然走り出した」と言わせるには何か、自発的な行動を促す理由が必要だ。誰かを、何かを助けようとした、とか。突然現れた山の怪を? 悪くはないが、漠然としすぎている。
「ちょうど休憩ですから、上で話を聞いてください」
ああ、と気づいて腕時計を確かめる。十時か。
うちの辺りも昼のほかに、十時と三時に休憩がある。班長について上がった先では、作業員達がだべって菓子だのおにぎりだのを食べながら茶を飲んでいた。
「おやつ、持ち寄りなんですね」
「そうですね。うちは各自が好きなもん持ってくる感じで。和菓子が苦手とか卵アレルギーとか、いろいろあるからこの方が良くて」
「大東さんも、休憩の時はいつも一緒に? 離れて一人でどこかに、とかありました?」
「どうだったかな、基本的には一緒にいたと思いますけどね。まあ常に監視してたわけじゃないですから」
聞く限り、特別変わった行動をしたようではない。
「すみません、じゃあ少し皆さんに質問させていただきます」
「どうぞ」
頭を下げて班長と別れ、こちらを窺う視線に応えて声を掛けていく。とりあえず、必要なのは情報だ。どんな些細な情報でもいいから欲しい。大東は無意味に走り出したわけではない。必ず、理由があるはずだ。
その場にいた作業員全てに聞いたが、これといって有益そうな情報はない。唯一気になるのは、よく組んでいた作業員の「たまにふらっと作業から離れて戻ってきていた」くらいか。ただそれも、「トイレ休憩にしては間隔が短いとなんとなく思った」程度だ。手応えは弱い。
一通り情報を集めて戻った大東の家では、母親が私の帰りを待っていた。父親は仕事へ向かったが、早めに戻ってくるらしい。息子の亡骸が見つからないのに、仕事どころではないのだろう。
「すみません、息子さんが最後に持ってらっしゃった仕事道具を見せていただけませんか」
「はい、どうぞ。あの日のまま、全部手つかずで置いてますのでね」
私の申し出に、母親はすぐ腰を上げて私を大東の部屋へ促す。
「職場の方にお話を伺いましたが、本当に評判のいい息子さんですね。皆さん口を揃えて『いい奴だった』と。惜しい方を亡くしたと仰ってました」
「はい。子供の頃から気立ての良い、誰にでも優しい子でした。勉強はできませんでしたけどね、いつも友達に囲まれて。小さな子供にも慕われて、弟や妹がたくさんいました」
どれだけ話を聞いても、恨みや憎しみで殺された人物とは思えない。やはり、主に好かれて呼ばれたのか。神は殺さなくても連れて行けるが主は殺さなければならないとか、そんな違いのような気がしてきた。
足を踏み入れた大東の部屋で、座卓へ置かれた仕事道具をチェックさせてもらう。仕事中に何かあったのは間違いはない。何か、どこかに手がかりがあれば。
「これは?」
腰袋のポケット部分を開くと、飴が入っていた。キャラクターの描かれた包装紙がかわいらしい、棒つきキャンディが二本。子供が喜びそうな見た目だ。
「息子さん、飴はお好きでしたか?」
「そうですね。甘いものはあまり好きではありませんでしたけど、飴は舐めてたと思います」
少し期待したが、残念ながら思ったようにはいかないらしい。でも腰袋に棒つきキャンディ、か。腰袋は作業中に必要なものを入れておくものだ。真面目な作業員が、棒つきキャンディを舐めつつ作業なんてするだろうか。
「あの、譲は本当に見つかるんでしょうか」
「まだはっきりとは言えませんが、息子さんはおそらく山の主か何かに呼ばれて入られたように感じています。この場合は、隠されているので取り返す形になるんです」
不安げな母親に、ひとまずの見立てを伝える。全て分かるまで何も知らせないのは、不憫すぎる。我が子を喪っただけでなく、弔ってやることもできないのだ。折れそうな心を奮い立たせているのが分かる。
「対抗するには情報をできるだけ集めて、誰がなぜ息子さんを呼んだのかをはっきりさせる必要があります。お時間をいただいてしまって申し訳ありません」
「いえ、もう私達にはどうにもできないことですから。どうか、どうぞ息子を見つけてやってください」
「全力を尽くします」
深々と頭を下げる母親に、応えて下げ返す。確かにもう、一般人にはどうにもできない状況だ。私がどうにかしなければ。
「すみません、このキャンディをお借りしますね。また現場に行ってきます」
断りを入れてキャンディを掴み、再び玄関へ向かった。
大東は、誰かを助けようとして伐木へ走った。その「誰か」は子供の霊か幼い何か、と考えられないだろうか。腰袋へキャンディを忍ばせていたのは、作業中にふらりと抜けていたのは、見つけた時に渡すためだった。
これまで何も起きていなかったのなら、今回の開発で初めて起きたことがあるはずだ。何かの封印を解いたとか、神籬や祠の類を壊したとか。
自分なりの推理を組み立てながら出た玄関先で、何かの気配を感じる。宙を見上げた瞬間、一陣の風が私を目掛けて吹き下ろした。
間に合わない。
咄嗟に身構えてすぐ、ばちん、と何かが弾けるような音がした。
おそるおそる腕を下ろした先で、小さな紙のようなものが舞い落ちる。紙片を拾い上げると、梵字らしきものが書かれた和紙だった。真方、か。
私の周りには、ほかにこんな技を使える人物はいない。別れ際に異質だと話したからかもしれない。早鐘を打つ胸を押さえ、滲んだ汗を拭う。あれが当たっていたら、死んでいた。向こうは容赦なく私を殺すつもりらしい。
深呼吸して携帯を取り出し、真方の番号を選ぶ。五回ほど鳴ったあとに出た声は、不機嫌だった。
「なんの用だ。俺はお前が置いてった仕事のせいで山歩きさせられて疲れてんだ。休んでんだから、切るぞ」
「私より遥かに動けるくせに何言ってんですか。しゃんしゃん働いてください」
離れていても相変わらずだ。なぜか安堵している自分に苦笑する。
「真方さん、私のこと心配して御札つけてくれてましたよね? おかげさまで助かりました。ありがとうございます」
「お前が帰ってこねえといろいろ面倒だし、オヤジの機嫌取る奴がいねえからな。今すぐ終わらせて帰ってこい」
「残念ですが、このままだと当分帰れません。主か怪だと思うんですが、警告で殺されかけました」
「穏やかじゃねえなあ」
真方は軽く笑いながら答える。倉庫の奥から引っ張り出した古いソファが軋む音がした。ちまちまと続けていた倉庫改造は無事終了し、ようやく機備課はデスク二つと応接セットを備えた「職場らしい場所」になった。
「地酒二本で手を打ちませんか」
「乗った。話せ」
快諾した真方に、自分の推理を含めてこれまでの経緯を話す。真方は相槌を打ちつつ聞き遂げて、死人憑きか、と零した。
「死人憑き?」
「簡単に言えばゾンビだ。伝承にあるんだよ。葬式中にいきなり起き上がって、二日か三日普通に生活して腐って死んだって話がな」
「でも、警察犬でも探せなかったんです。体はもうこちら側にないのかも」
「それか、臭いで完全に隠されてるかだな」
どちらにしろ、もう人間社会の手段で探せない。私の手にも余る案件だ。
「ま、あっちが何かしらの目的でそいつの死体に憑いて山へ連れてった、てことだろうな」
「なんの目的でしょうか」
「知るかよ、それをそこで調べるのがお前の役目だろうが」
突き放されて、思わず頬を膨らませる。確かにそうだが、この先は警告されて私では進めそうにない。進むためには、どうしても真方の力がいる。とはいえこの人には、明確な対価が必要だ。
「そっちの進捗、どうですか? 山の怪ですか?」
恨みの類なら、まずは山の怪を疑う。住処を荒らされた憤りをぶつけてくる、分かりやすいやり口だ。
「いや、人間の霊だ。どうも、あの現場で伐木当てられて殺された奴がいるな。これから事故記録当たるとこだけど、いろいろと面倒くせえんだよ。山の持ち主は『山が売れなくなるから大事にするな』って死ぬほど非協力的だしな」
ああ、と頷き、梵字の書かれた紙片を眺める。
「その山の持ち主の協力を取りつけたら、こちらも先に進めるようにしてもらえますか?」
「できるのかよ」
「私、県内の山持ちの中でダントツに嫌われてるんです。私が言えば聞いてくれますから、大丈夫ですよ」
嫌われているのは祟り神の娘である私が山に入ると草木が枯れるから、というわけではない。県内最高峰を個人所有し続けていることへのやっかみだ。
ただその一方で、彼らは私が特殊な役目を担い、山の神と交渉できることを知っている。いざとなれば、彼らの山の神にあることないことを吹き込んでいやがらせができると思っているのだ。実際の神は、主や山の怪ですら人間の口先三寸で丸め込めるような容易い存在ではないのだが、都合がいいので否定はしていない。
「悪い顔で笑ってんのが見えるわ」
「使えるものは使っておいた方がいいですよ。で、どうします? できればあの御札を十枚くらいつけていただけるとありがたいんですが」
十枚くらいあればなんとか、言葉が通じない悪意にも一人で立ち向かえる気がする。
「簡単に言ってんじゃねえよ。二枚だ、二枚」
「足りません」
「拓磨と飯食ってやるなら、もう一枚つけてやる」
突然持ち出された条件に、一瞬固まった。なぜ今、全く仕事に関係のないその名前が出てくるのだ。
「田舎のやり手婆みたいな真似しないでください」
「いいじゃねえか、オッサンに楽しみを与えろよ。日々の潤いがねえんだよ」
「人に頼らなくても、自分が彼女作ればいいじゃないですか」
「お前と一緒にすんな、彼女くらいいるわ」
え、と短く驚いて携帯を握り締める。
「うちの墓地にすげえ美人がいてな。成仏させるのためらうレベル」
なんだ、そういう……思わず漏れた安堵の息に遅れて、意識が追いつく。
「分かりました、じゃあ二枚でいいのでお願いします」
早口で一方的に告げ、通話を終えた。
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