第9話

「玉依ちゃん、大丈夫? 気持ち悪い?」

 運転席から聞こえた不安そうな声に、我に返る。

「いえ、大丈夫です。ごめんなさい、ちょっと考えごとをしていて」

「お役目のこと? 大変だよね、普通の仕事に加えて家の仕事まで」

 そちらではなかったが、そういうことにしておいた方がいいだろう。相手は、新田の息子だ。

「拓磨さんは、私みたいな生きものに抵抗はないんですか?」

「その言い方はどうかと思うけど、俺は元々UFOや幽霊がいるって思ってる方だしね。実験や研究してると神か宇宙人か、とにかく人間以外の見えざる力みたいなのを感じる時もあるし」

「そうなんですか」

 私は文系だったから、神との境界を実感するような瞬間には出合ったことがない。

「お役目、つらい?」

「役目そのものには、もう慣れました。でも私の力は『死体探し』ですから。どんなに瀕死でも、生きてたら探せないんです。死んだ瞬間から探せるようになるので、依頼されたご家族の方に怒りをぶつけられることもあります。その時はつらいというより、ハゲタカみたいな真似しかできない無力さを恨みますね」

 生命力を辿れたら、救えた命もあっただろう。「ここからは私がお探しします」と口にしなければならない瞬間には、未だに慣れない。慣れるわけがない。

 そっか、と小さく答えたあと、拓磨は黙って私のナビに従い車を走らせる。もし新田がこちら側なら、拓磨はその血を引き継いだ子供だ。私が出自を卑下すれば、新田だけでなく拓磨の出自まで卑下することになってしまう。予想していなかったとはいえ、私のミスだ。拓磨は多分、その出自を知らない。

「ありがとうございます。そこのアパートなので、もうここで」

 礼を言う私に、拓磨は頷いて車を止めた。

「いつもお邪魔してしまってすみません。今日も楽しかったです、ありがとうございました」

「俺も楽しんでるから気にしないで。あと、俺にもタメ口でいいよ。上司の息子でも、年下なんだしさ。まあ俺こそ敬語使えよって立場なんだけど」

 でも私に敬語を使うならそれより年上の真方にも、とややこしい話になってしまう。それなら揃ってタメ口の方が楽でいい。

「私は敬語の方が楽なので、気にしないでください。じゃあ、失礼します」

「玉依ちゃん」

 ドアに手を掛けた私を、拓磨が引き止める。振り向くと、フロントガラス越しの街灯に半分照らされた若い表情があった。丸い目は黒々として、やっぱり子犬のようだ。かわいい。

「あの……連絡先とか、聞いていい?」

 一瞬差した魔を制し、深呼吸をする。たとえ事件の真相を暴くためだろうと、付き合って情報を引き出すなんて人として最低だ。

「新田さんがご存知ですから、聞いてください」

 似た者同士であろうとなかろうと、深入りはしない方がいい。どうせ一年終われば、ここを離れる。場合によっては、派遣された理由も話さなければならなくなるだろう。傷つけたくはない。

 会釈をしてドアを開けば、もう追う声はなかった。


 伯父が到着したのは、それから一時間も経たない頃だった。

「すまんな。そっちの仕事にもまだ慣れてないだろうに」

「気にしないで。早速だけど、依頼について聞かせて。異質ってどういうこと?」

 フロントガラス越しに流れる対向車の数は、少しずつ少なくなっていく。車や人より木が増えて、やがて山だけになればそこが我が家だ。

「今回は、山で死んだ遺体を探してくれって依頼じゃない。遺体が山へ入って行ったのを探して欲しいって依頼だ」

 ハンドルを繰りながらの説明は、端的だが十分だったはずだ。でも、理解できなかった。

「えっと、山で死んだんじゃなくて、死んだ人が山に?」

「私もまだ信じられないんだが、そういうことらしい。通夜のあと突然起き上がって部屋を出て、止めた父親を殴って裏山へ入って行ったそうだ。家族以外にも何人か、十人近くが目撃してる」

 その状況なら確かに山の怪が取り憑いたとも考えられるが、もっと現実的な考えがある。

「それ、まだ生きてたんじゃないの? 死因は?」

「林業従業員で、伐木の下敷きになっての死亡だ。生き返ったとは考えられないらしい。警察が捜索を続けてるが、三日経っても見つかってない。万が一生き返っていたとしてももう、ってことでの依頼だ」

 林業従業者が伐木の下敷きになって死亡、か。

 今日うちに持ち込まれたばかりの案件が頭を掠める。同じ山で伐木作業中に三度、同じ事故が起きた。何も問題のない状況で切り倒したに関わらず、伐木が予定とは違う方向へ、まるで人を襲うかのように倒れてきたらしい。二度目までは無事逃れていたが三度目は死亡事故となって、機備課へ持ち込まれた。

 そちらは真方案件で間違いないだろうが、こちらも真方に頼ることになるかもしれない。地酒を餌にぶら下げておいて良かった。

「探して見つけて、それで終わればいいけどね」

「無理せず、山神様の怒りに触れないようにな」

 もし山の神が遺体を呼んで隠したのだとしたら、対話ができるようになったところで引き取れないかもしれない。

「でも、返してもらわないと」

「山神様が返さないと仰ったら従うんだ。逆らってはならん」

 少しきつく響いた声に俯く。伯父は何より、山の神の怒りに触れることを恐れている。怒りに触れれば、天災を始めとした罰を与えられるからだ。我が家は実際に、父の祟りで祖母を喪っている。祖母は両親の結婚に反対し続け、母が山へ入ったあともまだ取り返そうとしたらしい。ある朝、神籬の前で冷たくなっているのが発見された。伯父は私を同じように喪うのではと恐れているのだろう。

 はい、と小さく答えて窓の外を見る。濃密な闇を広げる父の山を眺めて、溜め息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る