第7話

「山の主や怪は、自分達の住む山を守るために動く。何もされなければ基本的には何もしないが、住処である山を荒らされ脅かされれば人も襲う。行動原理はシンプルだが納得できる。でも神は、山だけ見てりゃいいのにわざわざ人間のことにまで口を出す。こっちが何をしようがせまいがな。いらない先回りをして一握りの人間を助けておいて、ある日無慈悲に多くを奪う。今回もどうせ手を出して、助けた気分に浸りたかっただけだ」

「どういうこと、ですか?」

 神の御前でも全く抑えない口調に怯えながら、小さく尋ねる。

「今回の件で言やあ、地鎮祭で揉めさせたことで結果的に今後起きるであろうトラブルを未然に防いだんだろ。放っとけば、今回のトラブルで怪我したどころの数じゃねえ人間が死ぬ事故でも起きるんだろうな。でも、そんなもん死なせときゃいいんだよ。人間はそこまでしたって学ばねえ生きもんだし、百助けたあとで千殺すのが神のやり方だ」

『人の子に神の理を分かれと言うつもりはありません。到底、理解できぬものでしょう。それでも私はこの地を守る神として、明日死ぬ命の今日を救っている。意味のないことなど、ないのですよ』

「神の理を分かれと言うつもりはない。それでも自分はこの地を守る神として明日死ぬ命の今日を救っている。意味のないことなどない、と」

 要約して伝えた返答を真方は鼻で笑う。思わず窘めかけたが、飲み込んだ。真方には真方の思うところがあるのだろう。不敬すぎて私はつらいが、今はそこじゃない。

『その者の言うとおり、地鎮祭が問題だったのではありません。あるべきものすべきことを省いて進む工事の先にあるものは、崩壊です。旧来のやり方こそが正しいわけではありませんが、見極められぬ者が大局を動かせばどうなるか。私がお前達を呼ばなければ、できあがった高架は二年後に崩壊して多くの者が犠牲になっていました。上を走っている者達はもちろん、下に屋敷を構えて住まう者達もです』

 祐二の合理化は、それほどの危険を孕んでいたのか。未然に防がれた事故とはいえ、想像するだけで寒気が走る。

『数百年前なら、その時の学びを待ってもまだ多くを救えたでしょう。しかし今の、この姿ではもう難しいのです』

 続いた言葉に、愕然とした。もうそんなにも力を失っていたのか。

「どうして、ここまで開発を許されたのですか。今回の工事だって、お許しにならなければお力を失わずにすんだのに」

『これが地に降りて、人の子と寄り添い生きることを選んだ私の宿命です。どれほど多くの過ちを見ようと、それでも私はここにいたいのですよ』

 はっきりと意志を示した神に、何も言えず頭を下げる。そこまでして守るほどの、と思ってしまう自分は真方に近いのかもしれない。人間全てがろくでなしではないことくらい頭では分かっているのに、どこかでまだ人類を滅したい暗い欲が蠢いているのだろうか。

『お前は、父親がなぜ氷雪山にいてあの地を守り続けているか知っていますか』

 突然引っ張り出された父に面食らったあと、頭を横に振る。

「いえ、存じません」

『それならそろそろ、知っても良い頃ですよ。今ならば、話もできるでしょう』

 そうか。神の声が聞こえるようになった今なら、父とも。考えた途端、肌が粟立ち拒絶を返す。荒れそうになった息に胸を押さえ、努めて深い息をした。

「その必要は、ありません」

 和解するつもりのない相手と話をする理由はない。頭を下げた私に、強情な娘よ、と笑う声がしたが、私は笑えなかった。


 そういや、と真方が思い出したように話を切り出したのは、帰りの車内だった。

「オヤジが、今週末にお前の歓迎会するから食いてえもんあれば言えってよ。寿司でいいんじゃねえか」

「好きですけど、真方さんが食べたいだけじゃないんですか」

「オヤジの金だからな。集れる時に集っとかねえと」

 予想どおりの答えに苦笑し、少し探りに入る。機備課の業務に振り回されて忘れそうになるが、本来の目的はこちらだ。

「普段から、二人で飲んでるんですか?」

「たまにな。適度にガス抜きしとかねえと、でけえのが落ちるからな。居酒屋で飲んで雀荘付き合ったら、それで機嫌良くなるんだよ」

 こちらが持ち出さなくても出た単語に、あ、と顔を上げる。

「私も麻雀、できますよ。オンラインでしかしたことないから、点数計算できない超初心者ですけど。新田さんに頼んだら、教えてもらえますかね」

「お前、ほんとにオッサンどもを転がすために存在してるような奴だな」

 真方の感想も、今回ばかりはあながち間違いではない。少しでも距離を詰めて真相に近づくため、異動までの期間を利用して覚えたのだ。教本を片手にオンライン麻雀で学ぶことしばらく、基本的なルールと牌の名前くらいは覚えた。役はリーチとポンとチー、トイトイ、チートイツ、一気通貫……くらいか。ほかは上がったあとに表示される役を見て、へえ、と思うくらいのレベルだ。

「だから、二次会は麻雀でいいですよ」

「オヤジの接待じゃねえか」

 真方は鼻で笑い、最後の角を曲がる。

「ま、ほどほどにしといてやれよ。オヤジには毒がきついからな」

 さらりと放たれた表現に、膝の上で指が小さく揺れた。まさか、気づいているのだろうか。新田と真方が組んでいるなら、真方にバレるのだって当然、問題だ。

「私、そんなにどぎついですか」

「俺にはなんともねえけどな」

 少し突っ込んで聞いた私に、真方は自分を除いて認める。

 新田には毒。どういう意味か聞いてみたいが、下手に探れば墓穴を掘りかねない。ただでさえ慣れない任務だ。

「分かりました。気をつけます」

 小さく返した私に、噴き出すような声がする。なんですか、なんでもねえよ、とやりとりしているうちに車は公社の門をくぐっていた。

「戻ったら、報告書頼むわ」

「真方さんが作るんじゃないんですか」

「俺は神と会話してねえしな」

 真方は駐車場の一角を選び、ギアをバックへ入れ替える。大きく振り向いてハンドルを操る無駄のない輪郭を眺め、なんとなく肉づきの良い自分の頬を撫でた。幼い頃からふくふくと膨らんで、今も私の体の中で一番ふくよかな場所だ。この頬のおかげで、何も知らない人には「満たされた人」に見えるらしい。苦労してなさそうだよね、と同期に言われた時には苦笑した。

「あれって、全部書かないとだめなんでしょうか。放置しておいたら大きな事故が起きるから、神が未然に防ぐためにトラブルを起こしたって。私が話せなければ、真方さんは『地鎮祭を省いて怒りに触れたため』で済ませてましたよね」

「俺には神の業を世に知らせる役目も、肩を持つ義理もねえからな」

 あっさり認めた真方は、サイドブレーキを引き、エンジンを切った。

「迷ってんのか」

「書くと神の美談みたいになりそうだし、かといって書かないと人間の傲慢さを放置することになりそうで。どっちもいやなんです。神の代弁者にはなりたくないけど、人間の味方もしたくない。半神半人って、中途半端ですよね。どっちでもないし、どっちにもなれない。産まれた時点で呪われてるんです。産まれなければ良かったのに」

 生まれて良かった、生きていて良かったと思えたことはない。いつも胸には、満たされない深い穴が空いている。きっと一生、死んでも埋まることはない。

 稲羽、と呼んだあと、真方は鍵を引き抜く。

「俺は半鬼半人、鬼と人の子だ」

 え、と驚く私を待たず、さっさと車を降りた。鬼と、人の子。もちろん、あの資料にはそんな情報はなかった。

 フロントガラス越しに、遠ざかる真方の背を眺める。鬼の力なら、人間一人なんて簡単に押し潰せてしまう。

――本件の方の報告も、よろしく頼むよ。

 退院の連絡をした私に、部長は釘を差すように言った。本来なら、すぐにでも報告すべきことだろう。それでも。

 初めて知る自分以外の存在に、湧くのは戸惑いと迷いだ。知ってしまえば、もう知らない自分には戻れない。どうして私なんかに、打ち明けてしまったのか。

 小さく湧いた怒りを胸に車を降り、真方を追った。

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