第39話 兄弟談合
兄のヘンリー王太子の希望を聞いたフィリップ王子は腕を組んだまま、しばらく黙り込んでいた。その沈黙は自分が「王になれない云々」といった野心的なものではなく、兄の希望実現が前途多難だったからだ。
やがて、沈黙に耐えかねたのか、ヘンリーの方が口を開いた。
「驚かせてしまって、すまない」
兄の謝罪を受けて、ようやくフィリップは言葉を発する。
「いや、シャルの出生については、……当時サイフリッド大公家に預けられてた俺にまで、父上が少女のエリザベート妃に手を出したとは思えないって噂は聞こえてきてたし、そこまで驚かんが……」
そこまで言って、フィリップは少しだけ笑う。当時の王宮はヘンリーの母であるマーガレット妃と、異国の踊り子でありながら父エドワードの寵愛を受けたフィリップの母親が、バチバチの女の戦いをしている最中だった。
なので、女たちの戦いに巻き込まれ疲れたエドワードが癒しを求めて、美少女のエリザベート妃にお手付きしたのだろうと、表向きは周囲も納得はしていたわけだが、噂が立つくらいには、みな訝しんでいた。
「まぁ、でもさすがに相手が兄上だとは思ってなかったよ」
当時のことを思い出して、ヘンリーも頬をかいて苦笑いする。
結局、王宮においてエドワードの寵愛以外の後ろ盾がないフィリップの母親が王城を出ることになり、マーガレット妃の勝利で幕を閉じた。だが、母親同士の確執のわりに、なぜかヘンリーもフィリップもそれには影響を受けず兄弟仲は良い。
「真面目な話。シャルは『女』という点を除けば、エリザベート妃のご実家であるエスタライヒ家からの援助も望めるし、兄上や俺よりもよほど後ろ盾はしっかりしているな」
エスタライヒ家は東側の隣国であるラコースコ公国を治める名家であり、長年にわたる結婚外交で各国への影響は計り知れない。どこの国の王族もエスタライヒ家とは、親族といった有様だった。
フィリップは喉の渇きを覚えたが、完全に人払いをしており、部屋には侍従も侍女もいないので、仕方なく立ち上がると自分でティーポットに入ったお茶をカップに注ぐ。兄にも「いるか」とジェスチャーで確認すると、首を横に振られた。
「エスタライヒ家との結婚に関する誓約を、父ではなく兄上だったことにしてしまうのが一番収まりは良さそうだが」
お茶を立ったまま飲んでいる行儀の悪いフィリップの言葉に、ヘンリーはローテーブルに置かれたエスタライヒ家との結婚誓約書に目を落とす。
「ああ、私の子として修正することは、できなくはないかと思う。相手が私ならば、エスタライヒ家も納得するであろうし」
「問題は、女を王太子に……、だな」
その一番の難問に挑む前に確認しておきたい事項を、ヘンリーは咳ばらいをしてから口にした。
「それもそうなのだが、お前自身の希望も聞きたいのだ。お前が王位を望むなら、私としては、今回のことは無理に強行するつもりはない」
ティーカップを持ったまま立っているフィリップを見上げる。すると、彼はティーカップを無造作にポットの横に置き、豪快な笑い声をあげた。
「ハッハーッ! これはこれは、俺の兄上ともあろう人が何を言う」
そして、フィリップは真面目な顔をする。
「そもそも血族というだけで、だくだくと王様になるシステム自体が気に入らんわ」
悪態を吐きながらも、国民のことを一番に考えて行動しているこの男は、自分しか継ぐ者がいなくなれば、仕方がないと王になるのだろう。ヘンリーはこの優秀過ぎる弟が兄を立てるために、自分を担ぎ出す者がいないように細心の注意を払っていることを知っている。
もともと異国の生まれである母に似て、褐色の肌をもつ異端児の彼を擁立しようとする者は宮廷内にほとんどいなかったが、何人いるのか本人も把握できていないのではないかと思われるほど数多いる夫人や子供たちのことも相まって、完全に呆れられている。
また、彼の領地であるスッドルノガでは、貴族よりも商人が重用されているため、中央の貴族たちからすると、仮にフィリップが王座についても旨みを感じられないのだ。
しかしながら、その頭脳の優秀さに目が向かないように奇行をしているのだと、ヘンリーは勝手に思っている。無類の女好きなのは、事実かもしれないが。
「まぁ、実際のところ、俺はナンバーツーとして暗躍してる方が性に合ってる。兄上のように人に任せるというのが苦手だしな。なんでも自分でやりたくなってしまう。この性分は、王としては致命的だよ」
「お前より優秀な人間を知らないから、お前がやった方が早くて確実なのは、真実だよ」
自虐的に肩をすくめたフィリップに、ヘンリーはそう言って笑う。彼は凡庸な能力しか持ち合わせていないが、人の才能を見抜いて「人に任せる」のは得意だった。王立病院の再開事業計画を進めるシャーロットを見て、ヘンリーは彼女に自分の良い所と、弟フィリップのような頭脳の優秀さを見た。
「もし、シャルを王にすることができたならば、あの子は後世に名を残す王になると思う」
真剣な眼差しをヘンリーは、弟に向ける。
「人事の天才である兄上がそう太鼓判を押すならば、このスッドルノガ公爵フィリップ王子の名にかけて、全力で協力しよう!」
フィリップは真っ白な歯を見せてニヤリと笑い、この難問へと立ち向かう兄との共同戦線を宣言した。
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