第37話 兼業のお誘い
リンタール侯爵は今日の予定を秘書から聞いて、事前に聞いていたとはいえ苦虫を噛む潰した顔をする。会合の相手は現国王直系の王女であるシャーロットだった。役職では「宰相補」であるリンタール侯爵が上とはいえ、王族ともなれば、さすがに彼が彼女の執務室へ赴かねばならない。
ルクス地区税の滞納の件以来、なるべくシャーロットのことは避けていた。というよりも家計を火の車にした元凶の女に会いたい者などおるまい。田舎貴族たちに中央での役職をチラつかせて賄賂をもらう手はあるが、自分が紹介した者が役立たずでは自分のメンツを潰すことになる。
相変わらずリンタール侯爵は、そのファヴニール山よりも高いプライドのせいで、自分で自分の首を絞めて頭を抱えていた。そんなどんよりとした気分で歩いていると、いつの間にかシャーロットの執務室にもう着いてしまう。
そして、ふと彼は秘書がノックする扉を見やる。掲げられた部屋のプレートは以前、彼が知ってるものから変わっていた。『特別医療改革担当行政官室』から『統括改革担当行政官室』へと。
(臨時職から王女の役職を常職に格上げしたのか、あの王太子)
さすがの彼も、あれだけ見事に負けたあとなので、もうシャーロットについて「女だから」などとは思わなかったが、あまりにも展開が早いので少々面を食らった。
(テレーゼ嬢もサイフリッド大公爵位を受け継ぐ。これは本当に潮の目が変わるかもしれないな)
金はなく性格も悪いが、この男こういった点では優秀である。伊達に一代で宰相補まで駆け上がったわけではない。前軍務大臣であり失脚したキュスナハト公爵ではなく、中央政権に乗り出す前のサイフリッド大公へ忠誠を示したことで彼は今の地位にいるのだ。出世する人間の早期の見極めは得意とすることろである。
(テレーゼ嬢についてはお飾りで、伴侶となる夫が実際は職務を代行すると考えていたが……)
結婚するにはいささか歳をとっているテレーゼであるが、いま空前のプロポーズラッシュに見舞われている。リンタール侯爵も二人の息子にけしかけているものの、あまり良い戦況ではないようだった。
リンタール侯爵はそんなことを考えながら、シャーロットの執務室へ入り、簡単な挨拶の後で応接ソファーに座った彼女の向かいの席に腰をおろした。
「さて、シャーロット殿下。本日は何用で」
慇懃無礼な態度であることこの上ないが、リンタール侯爵も暇ではないので単刀直入に切り出した。シャーロットはいつも通りニコニコと柔らかで可憐な笑顔で彼を迎え撃つ。
「うふふ。相変わらずお話が早くて助かります。リンタール侯爵」
彼女はそう言ってからテーブルの上に置かれたファイルを開き、彼に向けてそれを見せた。
「我が国は、医者に限らず看護師などの医療従事者が全く足りておりません。
シャーロットの話を聞きながら、リンタール侯爵は資料をめくっていく。確かに国王、宰相、そして閣僚で組織されている中央政府では、国防や外交にどうしても関心は偏っており国内のこういったことは後回しになりやすい。なので、各地方の領主の裁量に任されがちである。
「続けて」
彼は資料から顔をあげずにそう言って、シャーロットに話の続きを促した。シャーロットはリンタール侯爵のその様子を見て、確信めいた笑いを浮かべる。この男は金にはいささかルーズで商才もないが、やはり政策という局面においては頭の回転は速いのだ。
「私は医療従事者に限らず、国内の優秀な若者たちが学びの場としてゼロイセン等の国外へ留学してしまっている現状も打開したく思います。つまりは『総合大学』の設立です」
資料には、医学、理学、工学……そして、政治学の文字があった。リンタール侯爵は、ようやく顔を上げた。彼はシャーロットの目を見据える。
「リンタール侯爵は、『勉強会』をお持ちですよね。すでに中央で役職をもった者のみならず、貴族の子息で特に優秀な方を集めた」
確かに、リンタール侯爵は派閥作りの一環として、彼の眼鏡にかなった貴族で組織した集まりを持っていた。貴族だからといって誰でも入れるわけではなく、その組織員となることは一種のステータスとなっている。
「官吏のエリートを育てるコースとして、貴方の勉強会をそのまま組み込みたいのです。そして、リンタール侯爵には学長として大学の顔になってほしいと思っております」
彼の虚栄心をくすぐる申し出とともに王女の不敵で挑戦的な眼差しを受けて、リンタール侯爵は腕を組むと、またしばらく資料に目を落として押し黙った。
◇◇◇
毎度毎度、王位継承第二位であるスッドルノガ公爵フィリップ王子の王城への帰還には、出迎えの侍従と侍女、警備の近衛隊員でごった返し大騒動である。今回も彼の派手な帰郷にハロルド大隊長は溜め息をついた。
ただ今回はいつもとは違い、挨拶もそこそこに真面目な顔でフィリップは下馬すると、ハロルドに耳打ちする。
「兄上から火急の件ということで急いで参った」
フィリップのその様子から軽口を叩いている場合ではなさそうなので、ハロルドもふざけたことは言わずに、彼を速やかに王室府の長官室へと連れて行った。
シャーロットが彼女自身の思惑とは別に、彼女を王座へと押し上げる動きがあることを知るのは、もう少し先のことである。
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