第33話 女王と獣②
夜。宿直室に赴く前にシャーロットの部屋をノックしようとして、グラムは酷い緊張感に苛まれいた。大きく深呼吸を何回かして、自分の両頬をペシリと叩く。そして、意を決してノックした。
扉が開きメグに部屋に招き入れられる。薄暗い部屋の中で、ソファーに腰かけた寝間着のシャーロットは、ランプの明かりを頼りに報告書を読んでいるようだった。グラムが入室すると同時に、メグはなぜか「では。お茶の準備を」と言って、部屋を出て行ってしまう。
(は??? メグ!? お茶セット、そこにあるだろッ!!)
夜に個室で急に二人っきりにされて、グラムはどうしたらよいかわからなくなる。入口付近でグラムが固まっていると、シャーロットは彼を手招きして自分の隣に座るように促した。口から心臓が出そうなほど緊張しながら、グラムは頑張ってソファーに辿り着き、なるべく彼女から離れた端っこの方に座る。
「グラムのお母さまとお話したの」
ローテーブルに報告書を置いたシャーロットはおもむろに口を開いた。
「それに、あの時、意識を完全に失う前に私、見たのよ」
離れて座ったグラムの努力を無にするように、彼女は彼との距離を詰める。彼女の翡翠色の瞳はランプに照らされて、オレンジとグリーンの光がオーロラのように揺らめいていた。そんな双眸にジッと見つめられて、グラムは金縛りにでもかかった気分だ。
「ねぇ。私、あの力がほしいの。今すぐじゃないんだけど。グラムのお母さまには、グラムの寿命を縮める行為って言われたけど、それでも、あの力がほしいの。私のこと酷いと思う?」
シャーロットはグラムの頬を指先で撫でた。グラムの喉仏が鳴る。彼の頭は沸騰寸前だ。何か間違ったことを自分がしでかす前に、最後の理性で彼は彼女の両肩を掴んで体を引き離す。
「お……俺、シャルに言われたら、別になんでもするから、それにシャルは酷くないし、だから……えっと、あの……」
寝間着姿の彼女など何度も見ているはずなのに、今は目のやり場に困って仕方がない。彼女は肩を掴んだ彼の右手を取ると、自らの唇に触れさせた。
「王になれたらグラムの望むものなんでもあげられると思うけど、今の私はあげられるものがほとんどないの。本当は最後までさせてあげれたらって考えたけど、作戦が失敗した時のこと考えると、さすがにリスクが高いし」
もうグラムはシャーロットが何を言ってるのか、全く理解できなかった。指先から彼女の柔らかくプニプニとした唇の感触が伝わってくる。困っているグラムをよそに彼女はフフッと悪戯っぽく微笑んで、彼の手に口づけをした。
「そういえば、グラム。昔はよくキスしてくれたのに」
七、八歳の
『シャーロット殿下のことを本当に想うなら、取り返しのつかないことになる前に自重しろ』
宮廷内の噂は怖い。事実かどうかなどは関係ないのだ。彼女の純潔が疑われる状況になってはならない。彼女に『ふしだら』の烙印が押されるのだけは避けなければ。グラムは指を彼女の手から優しく引き抜くと、ソファーから立ち上がった。
「シャル。マジでこれ良くない。俺、別にご褒美とかなくても君が死んでくれって言うなら、全然死ぬし。だから、本当に大丈夫だから。君への忠誠を疑わないで」
シャーロットに背を向けたまま、一気に言葉にする。この言葉に偽りはない。理性が保てているうちに早く部屋を出なけば、そう思ってグラムは一歩を踏み出そうとしたが袖を掴まれ、それは阻まれた。
「ずっとね、あなたとメグが結婚して、二人が私のそばにいてくれたなら頑張れると思ってたの、ゼロイセンでも。それに二人の子供なら私も可愛がれると思うし」
驚いて思わずグラムは振り返ってしまう。「メグはないでしょ」と言おうと思ったが、彼の袖を掴んで
「だから、あなたをゼロイセンに連れていけるように、周りに疑われるようなことしたくなかったの」
グラムもゼロイセンについて行けるように、近衛隊に入隊できる年齢に達したらすぐに入れるように父親に頼み込んでいた。だが、考えてみれば未婚の幼馴染の異性などお付きとして許されるはずがない。グラムはようやく「メグと結婚」の意図を理解した。
「でも……あなたの中の
確かに現在のこの状況に、ファブニールからの警告は出ていない。今までそんな風に邪竜の力を使おうなど考えもしなかったグラムは、今更ながらシャーロットの知恵のまわりように驚く。
「それに最近うるさいの。女の子達の噂が。メグは私の耳に入らないようにしてくれてるんだろうけど。それでも聞こえてくるくらい、うるさいの」
これは独り言なのだろうか。自分に話しかけるのだろうか。グラムは判断がつかず、とりあえず黙って話を聞き続けた。
「我慢しようと思ってたけど、
彼女がなかなか顔を上げないので、心配になったグラムは袖を掴んだ彼女の手を両手で包んで、その場に片膝をついた。下から覗き込む。
(良かった。泣いてはいない)
彼の父親由来の脳みそでは、女性の気持ちの機微など皆目わからない。この段になっても泣いていないことに安心しているくらいには、グラムは鈍い。
「でも式典服だって私のモノだって意味だったのに、逆に貴族の子に間違えられちゃうし」
はてなマークがグラムの頭の中に飛ぶ。眉を八の字にして首を傾げた鈍い幼馴染の男の子に、シャーロットは問いかけ続ける。
「もしグラムがこれから『シャーロット姫のお気に入り』って
それを聞いてグラムは八の字にした眉の角度をさらに急にして困っているようだった。
「ヤユってのがわかんないけど、俺あんまり他人に何か言われても、どうでもいいってゆーか。ってか、シャルのお気に入りなら、普通に褒められるんじゃねと思うけど、それって何か嫌なことなの?」
思惑も何もなく純粋に自分にこのような好意を向けてきてくれる人に、今後出会うことはないだろう。シャーロットは、相変わらず首を傾げて解けない問題を解かされている子供のような顔をしているグラムの首に腕を回して抱きしめた。グラムの鼻は彼女の華のような良い香りでいっぱいになる。
「もうシャル、何回も言ってるけど……こういうのは……」
言い終わらないうちに、グラムの口は塞がれた。そして、彼の年齢の割にはかなり強固な理性もさすがに白旗をあげる。唇が離れると、彼は彼女の背中に手を回して、そのまま立ち上がるとソファーに押し倒す。彼女の太ももに挟まれた自分の膝の感触に「本当に良いのだろうか」と少し恐れおののく。
「もう俺、子供じゃないよ」
「知ってる。でも今はまだキスだけね」
自分に組み敷かれている少女を今まで美しいだとか可憐だとかそう思ってきたグラムは、この妖艶に悪戯っぽく笑う彼女に対して焦燥感に駆られた。その気持ちのまま今度は彼から唇を合わせて、これまで言うことを我慢してきた言葉を口にする。
「シャル。君が好きだ」
シャーロットはその言葉に頬をほころばせると、少し斜め上を見上げてから自分のことを棚に上げて意地悪な言葉を口にする。
「あら。そういう言葉はキスする前に言うものよ」
グラムはまた眉を八の字にして困っている顔をしたが、なにかの回答に辿り着いたのか閃いた顔に変わる。
「シャル、好き」
「もう、それは聞いたわ」
「じゃあ、もう一回キスしていい?」
そう子犬のような顔で懇願されて、シャーロットは今度は自分が負ける番なのねと苦笑した。また、彼の首に腕を回す。それから何度かどちらかともなくキスを繰り返して、グラムはシャーロットの鎖骨の上に
「君の願い事、俺にできることなら、なんでも聞いてあげようと思ってたけど、他の女と結婚するのだけは無理かも……」
鎖骨に彼の声が吹きかかる。これで自分が失敗したら、彼をシグルズに置いてゼロイセンに行かねばならなくなった。それにこれまで必死に我慢してくれていた彼の理性の壁を自分の欲のために叩き壊した責任も取らねばなるまい。
シャーロットは、グラムの頭を撫でた。彼女はグラムの髪の匂いを嗅ぐ。汗と日向の匂いだ。
王位継承権を得る。そのために荒唐無稽な作戦を考えた。聖獣ファブニールのご加護があるからこその作戦。
コンコン。
扉がノックされる音。それは、メグからの密会時間の終わりの合図だった。
◇◇◇
――ロマフランカ王国。首都パリス。
レストランの裏口から入り、足早に地下への階段を降りた。パリスでは随分前から人口に対してインフラ整備が全く追い付いておらず、建物の上はまだしも地下は下水の酷い臭いが立ち込めている。
「マックス! これはどういうことだッ!!」
地下室の扉を乱暴に開けたロベールは、中にいた人物に非難の声を投げつけた。
「穀物を貯めこんで私腹を肥やしてる商人の食糧庫を襲う計画を立てたのは、お前じゃないか。ジャック」
非難の声をぶつけられた相手、マックスはゆっくりと振り返るとロベールにそう返す。
「商人の首切って晒せなんて指示してないッ!!」
ロベールはマックスの胸ぐらを掴んだ。周りの部下たちが二人の様子を冷めた目で見守っている。
「お前のやり方は甘い」
瞳の奥に光のない目でマックスはそう言って、ロベールの手首を掴んで引きはがした。
農業大国であるロマフランカ王国は経済活性化のために自由市場経済を導入したが、運悪く不作の年に当たってしまい食料品は異様な高騰を見せていた。さらに、商人達による食料品の買い占めが横行している。
これまでも度重なる圧政に苦しんできた国民達の我慢は限界に達していた。この国はこれより市民による反乱によって、混乱の渦に飲み込まれていく。
(幼馴染編・終)
(第一章・完)
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