第31話 家族の秘密

 近衛歩兵隊大隊長室の扉をガルバはノックできずにいる。あの日ハロルドから「この件は俺が預かる」と言われ数日が経ち、あまりにも誰からも何も聞かれないので彼は恐ろしくなっていた。それにグラムとも正直なところ今まで通りとはいかず、なんやかんやと理由をつけては二人での任務は避けている。


 ハロルドの秘書官にはすでに予定を押さえてもらっており、部屋の前には「在室」の札がかかっているので、あとはノックをするだけなのだが、どうにも動けない。


「あ? ガルバ、なんか用か?」


 悩んでいたら後ろから声をかけられた。振り返ると、歯ブラシを口にくわえたハロルドだった。どうやら昼食後、水場に歯磨きにいっていたらしい。


(「在室」の札、嘘じゃん)


 ガルバはノックできなかった自分を棚に上げて、ハロルドを心の中で非難する。


「バカにもらったナッポの歯ブラシめっちゃいいわ」


 この場合の「バカ」とはフィリップ王子のことであるが、ガルバとしては貴人をそう言われも反応しづらいことこの上ない。部下が曖昧な笑みを浮かべていることなど気に留めていない様子のハロルドは、部屋の扉を開けてガルバに「早く入れよ」と入室を促した。


 執務机の前に設置された応接用のソファーに向かい合って座る。ハロルドは足を組むと、「俺に聞きたいことあるんだろ?」と切り出した。


「……ご子息のことです」


 ガルバは少し身を乗り出して両膝に肘をつくような形で両手を組んでから、そう声を絞り出す。ほかに言いようがない。


「んー。そうね、どこから話そうかな。もう巻き込んじゃったからには、グラムのこと今後もお前に任せたいし」


 本当は彼を自分の隊から外してほしいと願い出に来たガルバは、その願いを見透かされたかのように先手で封じられてしまって、思わず組んだ指に力が入る。


「アレは……いったい……なんなのですか……」


 上司の息子を「アレ」と言ってしまうことへの非礼など構っている場合ではない。アレは「アレ」としか言いようがなかった。人知の及ばぬ……人外の理のもの。ハロルドは腕を組むと、少し考え事をしているかのように斜め上を見つめてから口を開いた。


「お前はさぁ、グラムのことか?」


 その言葉にガルバは俯いていた顔を反射的に上げた。


「それは、それだけは決してありません!」


 間髪入れずに答える。それだけはない。ガルバの真剣な顔にハロルドはニカッと歯並びの良い白い歯を見せて笑う。


「まぁそうだわな。俺ら先祖返りアタヴィスモスって、多かれ少なかれ気味悪がられてきた経験あるし」


 超人的な強さ、特異な能力を持って生まれた先祖返りアタヴィスモスは重用される存在ではあるが、やはり一般人の中では異質な存在である。表立って差別されることはないが、実の親でさえ持て余して軍隊に入れてしまう場合がほとんどだ。


 逆に言えば、彼らは軍隊の中にいる限りにおいては、排斥されることもなく尊敬され頼りにされる。また、同じ先祖返りアタヴィスモスの仲間の存在は何よりも代えがたい。


「じゃあ、怖いって感じか?」


 おそらく自分は今だいぶ情けない顔をしているのだろうと、ガルバは上司に不安を言い当てられて落ち込む。そして、ひとつ唾を飲み込んでから肯定した。


「そうですね。恐怖というよりは……畏怖の方ですが……」


 ハロルドは「俺でもファーヴニルの時は確かにこえぇわ」と言って笑ってから、彼と彼の妻と邪竜の話をガルバに語って聞かせたのだった。



◇◇◇



 事件から数日、ヘンリー王太子はシャーロットの部屋へ毎日見舞いに訪れる。


 ハロルドは、ヘンリーに息子の秘密はすべて隠しつつ、シャーロットは反王政派の手先と思しき者たちに襲われ、何事もなかったが心労で倒れたと報告をしたのだった。犯人達について内々で調査を始めているが、以前として正体はつかめていない。


「シャル、気分はどうだい?」


 ベッドの上のシャーロットに、ヘンリーは優しく語り掛ける。シャーロットは長い髪を横で一本に三つ編みにして肩から前に垂らしていた。兄の来訪に読んでいた報告書から顔を上げる。


「もう元気ですのに、メグも含めて誰も許してくれないのよ」


 早く仕事に戻りたいと彼女は頬を膨らませるので、ヘンリーは彼女の頭を撫でて苦笑した。


「病院の開院式までは、ゆっくり休みなさい。実際シャルは働きすぎだよ」


 数日前よりもすっかり顔色が良くなったシャーロットに安心した彼は、そのあと少し楽しく会話をしてから彼女の部屋を後にした。



 シャーロットは日に日に、母親のエリザベート妃にそっくりになっていく。少し渡り廊下で中庭を眺めて、ヘンリーは昔のことを思い出し感傷に浸る。


 エリザベートとヘンリーは二歳しか歳が違わない。


 父であるエドワード国王と彼の母であるマーガレット王后は幼馴染の間柄で半ば公然の恋人同士ではあったが、マーガレットの家の格は第一王位継承権を持つエドワードとはつり合いがとれなかった。


 そのため、第一夫人として東側の隣国であるラコースコ公国を治めるエスタライヒ家の娘が決まっていた。しかし、許嫁だった娘が病気で急死し、代わりに生まれたばかりの末の娘エリザベートが後釜となる。


 エリザベートはまだ乳児だったため、婚儀の時期をどうするか両国で揉めているうちにマーガレットが懐妊。しかも生まれてきた子は男子ということで、辻褄合わせのためにエリザベートは二歳でエドワードと結婚をして、マーガレットは無事に第二夫人に収まった。


 王宮でエリザベートとヘンリーは姉と弟のような関係で育てられたが、二歳年上のエリザベートはとても父の妻とは思えず、ヘンリーにとっては美しく可憐で恋焦がれるには十分なお姫様だった。



「ヘンリー」



 その声でヘンリーは記憶の海から引き上げられる。振り返ると、母であるマーガレット王后が渡り廊下にたたずみ心配そうに自分を見ていた。母を安心させようと彼は微笑みを返す。


 父はエリザベートに。だから、これは父と母と自分とエリザベートの四人だけの秘密なのだ。

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